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第二章
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しおりを挟む――朝餉の後。
さっそく機織りを始めようとした旭を、白蛇が呼び止める。
歩き出した白蛇について行くと、旭の部屋と白蛇の部屋を結ぶ廊下の一角に、新しい扉が増えていた。
「おまえが寝ている間に、増設した。開けてみろ」
「はい」
言われるがままに戸を開けると、板の間の向こうからもわっと蒸気が上がる。
促されて中に入り、旭はその蒸気の正体を知る。
「お風呂……ですか?」
「ああ。かけ流しの温泉だ」
「お、温泉……!?」
旭は驚愕に目を見開いた。
実際に目にするのは初めてだ。
「近くで湧いている源泉をここへ引っ張ってきた。これからの季節は冷えるだろう。井戸の冷えた水で体を洗っていては、風邪を引く」
「ですが……、どうして」
「――反物の、礼だ」
「反物……」
「奉納によって、神の力が高まるという話はしただろう」
旭は頷く。
奉納品に込められた信仰や敬愛の力が強すぎて、白蛇にしか受け取ることの出来なくなってしまった反物。
「あれで、力が取り戻せた」
「力を、取り戻す……?」
「ああ。おまえの村の村人たちは、社の位置も分からないほど信仰心が薄れていただろう。神として生きて行くには十分だったとはいえ、少し力が衰えていたのは事実だ」
白蛇が、手のひらを開いたり閉じたりする。
まるで、自身の力を確かめるように。
「初めて会った時――、おまえの怪我を治した後。俺は、怪我の治癒能力が失われている事に気づいた。おそらく、お前に使った神力がその力の最期だった」
「……そんな……」
(おれのせいで、白蛇さまが力を失った……)
旭は愕然とする。
だから贄として訪れた時、白蛇は怪我の治癒をしなかった。いや、できなかった。
「なぜ……なぜ、言ってくださらなかったのですか……。あの時、おれのせいで力を失ったのだと、」
白蛇は優しく微笑み、旭の目尻に浮かんだ涙を拭った。
「別に、恨んでなどいない。その後、十年。俺の能力はほとんど下がらなかった。――お前が、俺を想っていたからだろう」
旭が、白蛇に助けられたことで白蛇への信仰心や敬愛を持ち、白蛇の贄になりたいと生きてきた十年。
その十年は、白蛇に届いていた。
「もし、あの時。おまえの怪我を治さずにいたら、俺の神力はもっと失われていた。……おまえの怪我を治したことで、おまえが俺を信仰するようになったのなら、何も問題はない」
白蛇は、旭の目尻を拭った手を広げ、旭の頬に添わせた。
「――一緒に食事をとることも、奉納のひとつだ。おまえは自分のためだけではなく俺のために飯を作った。おまえの作る食事が美味いのは、おまえの心がこもっていたからだ」
旭は、頬がかっと熱くなる。
それが温泉の湯気のせいではないことは、きっと白蛇にも伝わった。
「この十年感じていた力の源がおまえだということは、半信半疑だった。奉納のひとつの形とは言え、正式に奉納だとはおまえも俺も思っていなかったから。だが、あの反物を明確に奉納品として渡された時――確信した」
親指の腹で頬を撫でられ、旭は白蛇の赤い瞳を見つめる。
「腹の奥底で燻っていた力が、溢れるような感覚があった。失われたはずの力がどんどん湧いてきて……社を建てた頃の力が、戻った。おまえは、恩返しがしたいと言っていたが……どう考えても、払いすぎだ」
すっと手が離れ、旭は「……あ、」と小さく声を漏らす。
残念そうな惜しがる声に、旭は口を閉じだ。
「機織りのことや、井戸のこと……。おまえは色々と気にするかもしれないが、もう全て精算できていて、まだ釣りが出る。この温泉は、その釣りのようなものだ。受け取って貰わねば俺が困る」
白蛇が冗談混じりにそう言ったのは、きっと優しさだ。
旭が受け取りやすいように、気を遣ってくれた。
「――はい。……ありがとうございます」
だから旭は、有り難く受け取ることにした。
白蛇が目を細めたので、これで正解だったらしい。
「――これから先、おまえは恩返しのためにここにいるのではない。だから、新しい望みが出来たらすぐに言え」
「新しい、望みですか……?」
「ああ。贄になってすぐの頃、言っただろう。どこかへ行きたいという望みがあるなら、俺は贄を逃がしていた、と。おまえも、恩返しが終わったのだから――」
「いきません」
旭は、白蛇の言葉を遮ってきっぱりと言った。
不敬に当たるかも、ということは考えなかった。
「おれの望みは、これからも白蛇さまのお側にいることです。どこへも行きたくありません」
白蛇のいないところになど、どこへも。
「白蛇さまがお許しくださるのなら……。命尽きるその時まで、お側にいたいのです。それでは、いけませんか」
旭が見つめていた赤い瞳が、大きく見開かれた。
瞳孔が、きゅっと細くなる。
「……そ、それにっ。まだ、温泉にも入って、ません……」
白蛇のように滑らかに冗談を言いたかったが、言ってる途中で恥ずかしくなってきて、最後はもごもごと尻すぼみになった。
「……ふ。ははっ」
先に吹き出したのは、白蛇だった。
笑顔が見られたことに、旭はほっとする。
「そうだな。温泉。……死ぬまで毎日、入ると良い」
「……はい。そうします」
今、この時から。
旭は恩を返したい贄としてではなく、自分の意思で、ここに住むことになったのだった。
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