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第二章
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しおりを挟む旭は、ぱっと顔を上げて白蛇を見つめる。
「俺から見ても、出来は良い方だ。これが売り物にならない?――馬鹿を言うな狸」
「ええ、ええ。承知しておりますとも。品質そのものは問題ではありません。いえ、品質だけでいえば、最高品質といって良いでしょう。……売り物にならないのには、理由があります」
睨む白蛇に怯む様子もなく、緑狸は言葉を続ける。
「こちらの反物は、出来が良すぎるのです」
「――出来が良いのに、売り物にならないわけがないだろう」
「勿論です。けれどそこに、致命的な欠点があるのです。こちらの反物は……祈りの力が、強すぎる」
緑狸は、反物をひと撫でして、話し始めた。
「奉納品とは、自身の信仰する神様に捧げるものです。思いの強さ、信仰が厚ければ厚いほど、神の力は強くなります。信仰心が強すぎる奉納品は、信仰の対象となった神様以外が身につけると、奉納品の方が拒絶するのです。『これはお前のものではないぞ』とね。こちらの反物は、それぐらい強い力を持ってしまっています。――旭様」
「……はい」
「反物を織っている間、貴方はずっと、一柱……たった一人の神様を思い浮かべていましたね」
「……その、通りです」
旭は、糸を繰るときも、機織りをしている時も、ずっと。
ずっと一人だけを――白蛇のことだけを、考えていた。
旭にとっての神様は、たったひとり。白蛇だけだ。
「ですからこちらの反物は、私が受け取ることは出来ません。――奉納品として受け取ることが出来る方は、この世にもあの世にも、たったお一人です。ええ、ええ。旭様からお捧げするのが道理というもの」
緑狸は反物を丁寧に畳み、旭に返す。
受け取った旭は、反物に視線を落とした。
(これを……白蛇さまに)
反物を作っているときに考えていたこと。
どんな色の着物が似合うだろうか。
袷や羽織を仕立てたら、着てもらえるだろうか。
そんな想像で織った日もあった。
白蛇の表情や仕草、その日交わしたたわいもない話。
心を震わせる日も、羞恥でいっぱいの日もあった。
「――白蛇さま」
そう呼びかけて、旭は居住まいを正す。
「どうか、受け取っていただけませんか」
顔を見ることが出来ず、旭は頭を下げて、反物を白蛇に差し出した。
――ずっとあなたのことを考えて織っていました。
そう白状したも同然だった。
羞恥と緊張で、手が震える。
「――ああ。おまえの奉納を受けよう」
反物を受け取った白蛇の指先が旭の指先に触れる。
たった一瞬触れただけのそこが、かっと燃えるように熱い。
白蛇の膝の上に渡ったそれが、淡く光を放つ。
光る反物を、白蛇が宥めるようにゆっくりと撫でると、やがて光は滲むように消えていった。
「……やはり、相当な力を持っていましたね」
緑狸の呟きに、白蛇は頷く。
「だが、これでは反物の作成を仕事にすることは出来ないのではないか」
白蛇の疑問に、旭ははっとする。
白蛇のことだけ考えて織っていたのでは、売り物にならない。
売り物にならなければ、食料も手に入らないのだ。
「いえ。方法はあります。むしろ、この出来の反物が作成できると知れたのは僥倖です」
「……どういうことですか?」
「本来、反物には複数の手が入ります。養蚕、糸繰り、糸染め、機織り……。複数の人の手で作製されるために、思いが複雑に絡み合い、本来は力が弱まるという欠点があるのです。全員が全員、神様のためだけに仕事をするわけではないですから」
緑狸はにっこり笑う。
「今回は、糸繰りと機織り、両方をお一人で行いましたよね。そうではなく、旭様の手が加わる部分を減らし、機織りだけを行えば良いのです。その分、反物が沢山作製できるという利点もあります。反物の品質は、まず間違いなく一等品ですから、量が作れるのなら、その方が良いのではないかと思います」
演説でもするかのように大きな身振り手振りで話す緑狸が、「そこで今回はこちらをご用意しております」と袂から糸の束を取り出した。
「生糸……ですか?」
「ええ、ええ。お分かりになりますか。こんなこともあろうかと、絹糸をお持ちいたしました」
どういう仕組みなのか全く分からないが、色とりどりの糸が旭の前に並べられた。
「ここに人間がいない以上、できあがった反物を一度別の人間に渡して後染めする……という手順は踏めませんから、種類を増やすのであれば先染めの糸を使って織るのが良いでしょう」
「あ……ですが糸を買うには、」
「ええ、ええ。そのあたりは織り込み済みですとも。反物をお預かりする際に、糸の分を引いて報酬をお渡しいたします。そしてその報酬でこの狸からまた色々受け取っていただければ、何も問題ありません」
「……狸。お前、ある程度この結果を予想していただろう」
「はてはて。なんのことやら。お客様のご要望を満たすため、ありとあらゆるご用意をしているだけでございますよ」
笑みを深くしてとぼける緑狸に、白蛇は深くため息をつく。
「とんだ狸だな」
「ええ、ええ。まさしく私は狸ですから」
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