16 / 46
第二章
16
しおりを挟む
――それから、一週間。
とうとう、一反分の糸が完成した。
灰汁で茹でて繊維を柔らかくする精錬という工程を終わらせた絹糸を、機織り機に通していく。
部屋の隅に積まれていた蚕のさなぎたちの死骸の入った袋は、白蛇が獣に食わせる、とどこかへ持って行った。
神の土地で殺生をすることが気になって旭が尋ねたら、「何も問題はない」という答えが返ってきた。
生きていくために、殺すこと。
生きとし生けるものは全て、そうした循環に組み込まれている。
『おまえのその殺生も、巡り巡ってお前の血肉となるのだから、何も問題はない』
白蛇はそう言って、袋を全て抱えて去って行った。
手伝いを申し出たが、自分の仕事をこなせと言われてしまったので、旭は機織り機の前に座っている。
手のひらを軽く振って、深呼吸。
(――よし、やるぞ)
気合いを入れて、旭は機織りを始めた。
とんとん、かたんっ。とんとん、かたんっ。
慣れた手つきで、旭はどんどん織り進めていく。
体に染みついた動きは、機械が変わっても淀むことはない。
それに糸繰りの作業とは違って朝起きて食事を取ったら、すぐに取りかかれる。
部屋が明るいので、夜も織れそうだ。
杼を左右に滑らせては、筬を打ち込む。
力加減を一定に保ちながら、丁寧に。
この反物で着物を着るのは、どんな人だろう。
(白蛇さまは、白いままでも似合いそう)
結局、思い浮かべるのはたったひとりだった。
どんな色でも着こなすだろうなと思う。初めて会った時は見たことのない装束だったが、普段邸内にいるときは着物をよく着ていたから、想像に容易(たやす)かった。
濃い色ならば、白蛇の白い肌がよく映える。
薄い色ならば、赤い瞳が余計に輝いて見える。
(これからの季節は寒くなるから、袷や羽織にしてもいいな)
白蛇の羽織姿を想像して、旭はうんうんと一人頷く。
今織っている反物は緑狸に渡す予定だが、これからも仕事を貰えそうなら白蛇のために着物を仕立てたい。
(そのためには、ちゃんとこれを完成させなきゃ)
地道な作業は、何一つ苦にならない。
たった一人のことばかりを考え、旭は機織りをしていた。
「……日が暮れるのが、早くなったな」
旭は、手元が暗くなってきた頃、顔を上げる。
良い調子で織れていた。もう少しやりたいと思う気持ちを飲み込んで、旭は立ち上がる。
白蛇と約束した、一日二回の食事は絶対に外せなかった。
一緒に食事をするようになってから、旭は人と食べることの幸せを感じていた。
ただ死なない程度に食べる、動ける程度に食べるのではなく、よく働けるように、ちゃんと食べる。
今までおろそかにしてきたことを、取り戻したいと思う。
(でもそれはきっと、白蛇さまがいるから)
今日は、里芋の煮物だ。山菜を酢と味噌で和えたものときのこの味噌汁で、秋のはじまりらしい夕餉になったと思う。
一緒にする食事も、少しずつ慣れてきた。
苦手なものはないという言葉通り、白蛇は何でもよく食べてくれる。
作りがいがあるな、としみじみ思う。
「今日から、機織りを始めました」
「あと一週間で、一反になりそうか?」
「はい。順調にいけば、少し早めに終えられるかもしれません」
「そうか」
仕事の進捗を、白蛇に報告する。これは習慣になりつつあった。
白蛇が一日をどう過ごしているのか、気にならないと言えば嘘になる。
だが、私室に籠もる白蛇のことを根掘り葉掘り尋ねるのは気が引けて、旭はいつも無難な話ばかりしてしまうのだった。
食事を片付けて、旭は機織りを再開する。
思っていたとおり、部屋は真っ暗というわけではない。
縁側の方の障子を開いていれば、そこそこの光源になった。
規則正しい音で、どれぐらいの時間織っただろう。
風が頬を撫でる感触に、旭はふと顔を上げた。
「――っ!し、白蛇さま……!」
(いつから、そこに)
襖にもたれるようにして白蛇が立っていたので、旭は息を飲んだ。
「ふ。随分集中していたな」
「気づかずすみません……!何かご用でしたか?」
「機織りの音が止まないから、様子を見に来た」
「うるさかったですか……?」
「いや。……おまえが機を織るのを、見てみたかった」
近づいてきた白蛇が、そっと旭の織った布を撫でた。
まるで慈しむような優しい手つきに、裸を見られたあの日のことを思い出し、旭は肌が粟立つ。
「明日も、見に来ていいか?」
「は、はい。もちろんです」
断る理由もないので、旭は頷く。
「――今日はもう遅い。そろそろ切り上げて寝ろ。明日も朝餉を作ってくれるのだろう?」
旭に仕事を切り上げる理由を持たせる言い方だった。
そう言われてしまえば、旭は今日の仕事は終わりにして、寝床につかざるを得ない。
けれど確かに、白蛇が来なければ一晩中機を織っていたかもしれないとも思う。
(一晩中機織りの音がするのは寝づらいだろうな)
「はい。明日は、握り飯にしようと思います」
旭が白蛇の問いに答えると、白蛇は「それはいいな」と柔らかな声で肯定する。
明日は、うんと大きな握り飯を作ろうと旭は思案するのだった。
とうとう、一反分の糸が完成した。
灰汁で茹でて繊維を柔らかくする精錬という工程を終わらせた絹糸を、機織り機に通していく。
部屋の隅に積まれていた蚕のさなぎたちの死骸の入った袋は、白蛇が獣に食わせる、とどこかへ持って行った。
神の土地で殺生をすることが気になって旭が尋ねたら、「何も問題はない」という答えが返ってきた。
生きていくために、殺すこと。
生きとし生けるものは全て、そうした循環に組み込まれている。
『おまえのその殺生も、巡り巡ってお前の血肉となるのだから、何も問題はない』
白蛇はそう言って、袋を全て抱えて去って行った。
手伝いを申し出たが、自分の仕事をこなせと言われてしまったので、旭は機織り機の前に座っている。
手のひらを軽く振って、深呼吸。
(――よし、やるぞ)
気合いを入れて、旭は機織りを始めた。
とんとん、かたんっ。とんとん、かたんっ。
慣れた手つきで、旭はどんどん織り進めていく。
体に染みついた動きは、機械が変わっても淀むことはない。
それに糸繰りの作業とは違って朝起きて食事を取ったら、すぐに取りかかれる。
部屋が明るいので、夜も織れそうだ。
杼を左右に滑らせては、筬を打ち込む。
力加減を一定に保ちながら、丁寧に。
この反物で着物を着るのは、どんな人だろう。
(白蛇さまは、白いままでも似合いそう)
結局、思い浮かべるのはたったひとりだった。
どんな色でも着こなすだろうなと思う。初めて会った時は見たことのない装束だったが、普段邸内にいるときは着物をよく着ていたから、想像に容易(たやす)かった。
濃い色ならば、白蛇の白い肌がよく映える。
薄い色ならば、赤い瞳が余計に輝いて見える。
(これからの季節は寒くなるから、袷や羽織にしてもいいな)
白蛇の羽織姿を想像して、旭はうんうんと一人頷く。
今織っている反物は緑狸に渡す予定だが、これからも仕事を貰えそうなら白蛇のために着物を仕立てたい。
(そのためには、ちゃんとこれを完成させなきゃ)
地道な作業は、何一つ苦にならない。
たった一人のことばかりを考え、旭は機織りをしていた。
「……日が暮れるのが、早くなったな」
旭は、手元が暗くなってきた頃、顔を上げる。
良い調子で織れていた。もう少しやりたいと思う気持ちを飲み込んで、旭は立ち上がる。
白蛇と約束した、一日二回の食事は絶対に外せなかった。
一緒に食事をするようになってから、旭は人と食べることの幸せを感じていた。
ただ死なない程度に食べる、動ける程度に食べるのではなく、よく働けるように、ちゃんと食べる。
今までおろそかにしてきたことを、取り戻したいと思う。
(でもそれはきっと、白蛇さまがいるから)
今日は、里芋の煮物だ。山菜を酢と味噌で和えたものときのこの味噌汁で、秋のはじまりらしい夕餉になったと思う。
一緒にする食事も、少しずつ慣れてきた。
苦手なものはないという言葉通り、白蛇は何でもよく食べてくれる。
作りがいがあるな、としみじみ思う。
「今日から、機織りを始めました」
「あと一週間で、一反になりそうか?」
「はい。順調にいけば、少し早めに終えられるかもしれません」
「そうか」
仕事の進捗を、白蛇に報告する。これは習慣になりつつあった。
白蛇が一日をどう過ごしているのか、気にならないと言えば嘘になる。
だが、私室に籠もる白蛇のことを根掘り葉掘り尋ねるのは気が引けて、旭はいつも無難な話ばかりしてしまうのだった。
食事を片付けて、旭は機織りを再開する。
思っていたとおり、部屋は真っ暗というわけではない。
縁側の方の障子を開いていれば、そこそこの光源になった。
規則正しい音で、どれぐらいの時間織っただろう。
風が頬を撫でる感触に、旭はふと顔を上げた。
「――っ!し、白蛇さま……!」
(いつから、そこに)
襖にもたれるようにして白蛇が立っていたので、旭は息を飲んだ。
「ふ。随分集中していたな」
「気づかずすみません……!何かご用でしたか?」
「機織りの音が止まないから、様子を見に来た」
「うるさかったですか……?」
「いや。……おまえが機を織るのを、見てみたかった」
近づいてきた白蛇が、そっと旭の織った布を撫でた。
まるで慈しむような優しい手つきに、裸を見られたあの日のことを思い出し、旭は肌が粟立つ。
「明日も、見に来ていいか?」
「は、はい。もちろんです」
断る理由もないので、旭は頷く。
「――今日はもう遅い。そろそろ切り上げて寝ろ。明日も朝餉を作ってくれるのだろう?」
旭に仕事を切り上げる理由を持たせる言い方だった。
そう言われてしまえば、旭は今日の仕事は終わりにして、寝床につかざるを得ない。
けれど確かに、白蛇が来なければ一晩中機を織っていたかもしれないとも思う。
(一晩中機織りの音がするのは寝づらいだろうな)
「はい。明日は、握り飯にしようと思います」
旭が白蛇の問いに答えると、白蛇は「それはいいな」と柔らかな声で肯定する。
明日は、うんと大きな握り飯を作ろうと旭は思案するのだった。
0
お気に入りに追加
116
あなたにおすすめの小説
コンビニごと異世界転生したフリーター、魔法学園で今日もみんなに溺愛されます
はるはう
BL
コンビニで働く渚は、ある日バイト中に奇妙なめまいに襲われる。
睡眠不足か?そう思い仕事を続けていると、さらに奇妙なことに、品出しを終えたはずの唐揚げ弁当が増えているのである。
驚いた渚は慌ててコンビニの外へ駆け出すと、そこはなんと異世界の魔法学園だった!
そしてコンビニごと異世界へ転生してしまった渚は、知らぬ間に魔法学園のコンビニ店員として働くことになってしまい・・・
フリーター男子は今日もイケメンたちに甘やかされ、異世界でもバイト三昧の日々です!
美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜
飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。
でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。
しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。
秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。
美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。
秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。
精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる
風見鶏ーKazamidoriー
BL
秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。
ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。
※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。
[BL]王の独占、騎士の憂鬱
ざびえる
BL
ちょっとHな身分差ラブストーリー💕
騎士団長のオレオはイケメン君主が好きすぎて、日々悶々と身体をもてあましていた。そんなオレオは、自分の欲望が叶えられる場所があると聞いて…
王様サイド収録の完全版をKindleで販売してます。プロフィールのWebサイトから見れますので、興味がある方は是非ご覧になって下さい
生贄王は神様の腕の中
ひづき
BL
人外(神様)×若き王(妻子持ち)
古代文明の王様受けです。ゼリー系触手?が登場したり、受けに妻子がいたり、マニアックな方向に歪んでいます。
残酷な描写も、しれっとさらっと出てきます。
■余談(後日談?番外編?オマケ?)
本編の18年後。
本編最後に登場した隣国の王(40歳)×アジェルの妻が産んだ不貞の子(18歳)
ただヤってるだけ。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる