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第一章
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しおりを挟むとんとん、かたんっ。とんとん、かたんっ。
粗末な古家に響く、軽快な機織りの音。
綿から糸を紡ぎ、一枚の大きな布に変えていく。それが、旭の仕事だ。
足で板を踏み、開いた糸の隙間に糸をつけた杼を滑らせて、横糸を通す。
横糸を押し込むように筬を打ち込めば、縦糸と横糸が織られ、布になっていく。
地道な作業を延々と繰り返し、着物が作れる長さの反物になれば完成だ。
機織り機を操作する青年――旭は今年で十九歳になる。
幼い頃に両親を流行病で亡くし、以来ひとりで今にも壊れそうなあばら屋で、機織りの仕事をしていた。
男性であれば必須の畑仕事や力仕事を行うのが村での当たり前だ。
だが旭がそういった仕事を免除されているのは、旭が病弱だからであった。
到底力仕事の出来ぬ細身の体に、いっそ青白い程の顔は、薄暗がりの中で見れば一見女性に見えなくもない。
立ち上がれば平均的な男性の身長であるし、一言話せば男性と分かる声だったが、旭は努めてこの中性的な容貌を保ってきた。
「あーさーひーっ! ちゃんとご飯食べたぁ?」
きりの良いところで作業を止め、旭は声のする方を振り仰ぐ。
あばら屋のあってないような戸を無理矢理開いて入ってきたのは、幼なじみの百合だ。
同い年の百合は何かと世話焼きな気質で、こうしてよく旭の家を訪ねてきていた。
「百合。……今日は、まだ」
「今日も、の間違いでしょ! はいこれ、麦の握り飯だよ」
「いつもありがとう」
遠慮をすると、長いお説教が待っている。
旭は百合に頭を下げて、大きな握り飯を食んだ。
混ぜ込まれた山菜漬けの塩っ気が程よく効いている。力仕事をした後に食べたのなら、きっと疲れも飛んでいく。そんな味だった。
「おいしかった。あとは夕飯にするね」
「半分も食べてないじゃない!」
「これ、泰治用に作ったやつのあまりでしょ? おれには大きすぎるよ」
「それはそうなんだけど……」
泰治の名前を出すと、百合は途端に頬を赤らめる。
泰治は旭の母方のいとこで、旭と百合よりも二つ年下だ。母親同士が仲が良いこともあって、三人は兄弟のように育ってきた。
大きくなるにつれて泰治と百合はお互いを幼なじみ以上に思うようになっていったらしい。
体は大きいが優しすぎるきらいのある泰治と、負けん気が強くて世話焼きの百合。
旭から見ても、二人はお似合いだったが、村の掟によって想いを伝え合えずにいるようだった。
握り飯を包み直して、あまり使っていないかまどの近くに置く。
戻ると、百合が旭の織った反物を愛おしそうに抱えて機織り機の腰板に腰掛けていた。
「ねえ、旭。私、旭の織った布が好きよ。繊細で、丁寧で……旭みたいに優しい」
「どうしたの?急に」
聞き返しながら、旭は百合が今日訪れた本来の目的はこっちだったと悟る。
「私の花嫁衣装は旭に作って貰うんだって、ずっと思ってた」
「……百合、」
「――やっぱり、贄になる気持ちは変わらないの?」
唇を噛みしめて俯いてから、百合が涙声で絞り出すように疑問を投げかけてきた。
旭は百合の手を取って、下から覗き込んだ。
「うん。白蛇様の贄になることは、おれの夢だったから」
笑いかけると、百合はとうとう声を上げて泣き出した。
――白蛇様の、贄。
治水の神である蛇神は、水害から村を守り、五穀豊穣の御利益があるとして、旭たちの村で”白蛇様”と呼ばれ、古くから信仰されている神である。
この白蛇様の力を保つため、六十年に一度、生け贄を捧げる儀式が執り行われる。
今年が、その六十年目であった。
贄として選ばれるのは、十六歳から二十歳までの村人。贄の儀に当たる年が近いことから、旭たちの世代は性的な接触を禁止され、二十を過ぎるまで、もしくは贄の選抜が終わるまで結婚も禁止されていた。
百合と泰治が恋仲になれぬのも、この掟のせいだ。
村人の中にはそれらを守らない者も居るようだが、泰治は生真面目が服を着て歩いているような男だから、二人が結ばれるのは贄の儀が終わってからになるだろう。
本来、こうした贄は女性の役目であった。前回の贄も女性だったという。だが、今回は旭が選ばれた。
いや、選ばれるように仕向けた、と言った方が正しいかもしれない。
白蛇様の贄になるために、旭はずっと病弱でひ弱で役立たずな人間として生活してきた。
口減らしの候補として真っ先に名前が挙がるように、十年もの間、ずっと。
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