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第1章 幕開けは復讐から
閑話 桜井直人の話
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◇
「兄さんっ! 渚兄さん!」
「なお、と…くん……だい……じょ、ぶ……?」
「おれは兄さんが助けてくれたから大丈夫だよ! そんなことより兄さんっ、ごめんなさいおれのせいで…! ねぇっ、兄さん! 兄さん! おねがいっ、助かるよね!?」
「あは、は……ごめ、んね……俺は………たぶん…もう、だめだよー……」
目が虚ろだから恐らく意識が曖昧なのだと思う。自分では目を覚ましている自覚すらないだろう。ついさっきまで意識がなかったので。
申し訳ございません、父上。跡継ぎは直人で問題ないかと。家の跡取りとして普段より丁寧な口調で時折咳き込みながらも、たどたどしく父さんに告げる。母さんには謝罪、そしておれには───
「ごめっ……んね。なおと……無事、でよかっ………た…………」
「兄さんっ!」
「「渚!」」
兄としての言葉だった。
夏の雲一つない快晴の日。おれの兄、桜井渚は海で溺れて亡くなった。正確に言うなら溺れた俺を助けて、だ。その日、おれたち桜井一家はプライベートビーチに遊びに来ていた。いつも通り仲良く遊んでいて、おれが兄さんにどちらが速く泳げるかという勝負を持ちかけていた。おれも兄さんも水泳を習っていて、兄さんは全国大会で優勝するような人だったので勝てるとは思ってなかったけど、ただ遊びたかっただけだ。
途中までは普通に泳いでいた。ちょうど折り返し地点、恐らく五、六メートルほどの深さのところまで来た時、事件は起こった。唐突に足が攣ってしまったのだ。片足ならまだ浮くことが出来たかもしれない、だが両足。しっかり柔軟をしてから泳いでいたので疲れによるものだったのだろう。冷静にならなければいけなかったのにおれはパニックになった。すぐに異変に気が付いた兄さんはおれとかなり間が空いていたのにすごい速さでおれの方に来てくれたのを覚えてる。
いつものんびりしていてマイペースで、ある意味落ち着き払っていたのにこの時ばかりは本気で焦った顔をしていた。溺れていく中で兄さんのこんな顔を見たのは初めてだなとかぼんやり考えてた。いくら兄さんでも助けるのは無理だろうと思った。おれはもう死ぬのだろうと。けど、違った。その時のおれは気付かなかったけど兄さんは自分が呼吸する暇も作らずおれを砂浜近くまで連れて行ってくれた。
そのおかげでおれは何とか無事だった。でも問題は兄さんだった。先に言った通り、自分が息継ぎをする暇も作っていなかった。足が届くところまでは両親や護衛たちが集まっていて、そこで俺を引き渡すと力尽きたように沈んでいった。すぐに護衛が助けに入り、救急車を呼んだ。
救急隊員の人たちはなんとか肺に酸素を送ろうと奮闘していた。だけどそれは無駄で。力尽きたときに大量の水を飲み込み、肺に水が溜まっていたららしい。結果、渚兄さんは救急車の中で息を引き取った。
意識を失っていたが最期は少しだけ目を覚ましてくれた。おれが無事で良かったと、いつものように優しく微笑みながら。自分のことなど二の次で。疲れも苦しみも感じさせずただただ安堵したように。あまりその機会はないけど心を許した相手にだけ見せてくれる、おれが大好きな優しい笑顔でそう言った。
息を引き取る最後の最後、左手の薬指に嵌まる指輪を顔の上にかざして他の何よりも愛おしそうに見詰め、呼吸ができなくて苦しんでいる最中だとは思えないほど穏やかな表情を浮かべていた。
傍で見守っていた父さんや母さんも泣き崩れた。もちろんおれも。三人とも、もう息をしていない、二度と表情を変えることも言葉を発することもない冷え切った兄さんに縋って。
◇
───
直人たちが生きている日本と、ナギサたちが生きている世界では時間の流れが異なっています。
「兄さんっ! 渚兄さん!」
「なお、と…くん……だい……じょ、ぶ……?」
「おれは兄さんが助けてくれたから大丈夫だよ! そんなことより兄さんっ、ごめんなさいおれのせいで…! ねぇっ、兄さん! 兄さん! おねがいっ、助かるよね!?」
「あは、は……ごめ、んね……俺は………たぶん…もう、だめだよー……」
目が虚ろだから恐らく意識が曖昧なのだと思う。自分では目を覚ましている自覚すらないだろう。ついさっきまで意識がなかったので。
申し訳ございません、父上。跡継ぎは直人で問題ないかと。家の跡取りとして普段より丁寧な口調で時折咳き込みながらも、たどたどしく父さんに告げる。母さんには謝罪、そしておれには───
「ごめっ……んね。なおと……無事、でよかっ………た…………」
「兄さんっ!」
「「渚!」」
兄としての言葉だった。
夏の雲一つない快晴の日。おれの兄、桜井渚は海で溺れて亡くなった。正確に言うなら溺れた俺を助けて、だ。その日、おれたち桜井一家はプライベートビーチに遊びに来ていた。いつも通り仲良く遊んでいて、おれが兄さんにどちらが速く泳げるかという勝負を持ちかけていた。おれも兄さんも水泳を習っていて、兄さんは全国大会で優勝するような人だったので勝てるとは思ってなかったけど、ただ遊びたかっただけだ。
途中までは普通に泳いでいた。ちょうど折り返し地点、恐らく五、六メートルほどの深さのところまで来た時、事件は起こった。唐突に足が攣ってしまったのだ。片足ならまだ浮くことが出来たかもしれない、だが両足。しっかり柔軟をしてから泳いでいたので疲れによるものだったのだろう。冷静にならなければいけなかったのにおれはパニックになった。すぐに異変に気が付いた兄さんはおれとかなり間が空いていたのにすごい速さでおれの方に来てくれたのを覚えてる。
いつものんびりしていてマイペースで、ある意味落ち着き払っていたのにこの時ばかりは本気で焦った顔をしていた。溺れていく中で兄さんのこんな顔を見たのは初めてだなとかぼんやり考えてた。いくら兄さんでも助けるのは無理だろうと思った。おれはもう死ぬのだろうと。けど、違った。その時のおれは気付かなかったけど兄さんは自分が呼吸する暇も作らずおれを砂浜近くまで連れて行ってくれた。
そのおかげでおれは何とか無事だった。でも問題は兄さんだった。先に言った通り、自分が息継ぎをする暇も作っていなかった。足が届くところまでは両親や護衛たちが集まっていて、そこで俺を引き渡すと力尽きたように沈んでいった。すぐに護衛が助けに入り、救急車を呼んだ。
救急隊員の人たちはなんとか肺に酸素を送ろうと奮闘していた。だけどそれは無駄で。力尽きたときに大量の水を飲み込み、肺に水が溜まっていたららしい。結果、渚兄さんは救急車の中で息を引き取った。
意識を失っていたが最期は少しだけ目を覚ましてくれた。おれが無事で良かったと、いつものように優しく微笑みながら。自分のことなど二の次で。疲れも苦しみも感じさせずただただ安堵したように。あまりその機会はないけど心を許した相手にだけ見せてくれる、おれが大好きな優しい笑顔でそう言った。
息を引き取る最後の最後、左手の薬指に嵌まる指輪を顔の上にかざして他の何よりも愛おしそうに見詰め、呼吸ができなくて苦しんでいる最中だとは思えないほど穏やかな表情を浮かべていた。
傍で見守っていた父さんや母さんも泣き崩れた。もちろんおれも。三人とも、もう息をしていない、二度と表情を変えることも言葉を発することもない冷え切った兄さんに縋って。
◇
───
直人たちが生きている日本と、ナギサたちが生きている世界では時間の流れが異なっています。
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