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第二幕 惑星アルメラードにて
└【アルフリードルート】3日目
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気が付くと太陽が昇り始めていた。あまり眠れてはいなかったが、レイレンはゆっくりと体を起こし、辺りを見回す。
火は燃え尽きてしまっていたが、幸いなことに獣は入り込んでおらず、岩の部族に嗅ぎつけられた様子もない。それもそうだろう。あんな崖から落ちて生きているなんてこと、彼らの常識に照らせば有り得ないのだから。追手など掛けられてすらいないに違いない。
「……アルさん、傷の具合は?」
「見ての通り……俺は歩ける状態じゃねえな。坊ちゃんが一人で船に戻って、岩の部族のことを知らせてくれ。俺のことは後回しで良い」
生乾きの衣服に袖を通していたレイレンは、その言葉に顔を顰める。
「後回しなんてそんなこと出来るわけないだろう。……すぐに助けを呼ぶから。約束する」
「ははっ……じゃあ、期待しとくよ、坊ちゃん。ただ……優先順位を誤るな」
そう言って力なく笑うアルフリードの姿に後ろ髪を引かれる思いで、レイレンは身支度を済ませ洞窟を出た。
濁流に飲まれた時に傷付けたらしい足が痛む。しかし、立ち止まっている場合ではない。
草原の部族の命運も、アルフリードの命も自分にかかっているんだ。そう思うと、足は自然に前へ前へと進んだ。
太陽の方角と川の流れからおおよその位置を割り出す。大分流されたような気もしたが、この位置からバギーを隠した場所までは2㎞も離れていないだろう。
――急げ。急げ。急げ。
自分に言い聞かせながら、レイレンは真っ直ぐに歩き続ける。イルジニアではもう失われた眩い朝陽が、疲れた体に強く照り付けた。
体が重い。思うように足が上がらない。自分の体がまるで巨大な荷物のようだ。
――どうしてこんなことになっちゃったんだろう? こんなはずじゃなかった。
心の中で幾度も呟く。浮かぶのは彼の顔、だった。
父であるリーゼル・ファーラと自分を比べているアルフリード。レイレンはずっと、彼に一人前のキャプテンとして認めて欲しかった。
頼りになる大きな背中。いつも自分の後ろに父の影を見ている目。どうしたって子供扱いしかしてくれない人。
小さい頃から、彼はレイレンにとってもう一人の父のようで……いつからだろう。それが変わっていったのは。
見てはいけないものを、見てしまったからだろうか。
――記憶は遡る。
幼い頃、それがなんだかも解らずに、レイレンは見てしまった。靄がかかったように曖昧な、しかし忘れ難い記憶。
その日、レイレンは母を探して歩いていた。アルフリードが来ているということは知らなかった。知っていたらきっと、彼の到着と同時に飛び付いてそばを離れなかったに違いない。
普段優しく笑顔の眩しい母だったが、彼女の仕事中にうるさくすることについてだけは、いつも厳しく叱責する人だった。それもそのはず、彼女はイルジニアに存在する全データの坩堝、マザーコンピュータを管理する最高責任者であったのだから。母を探す時、声を立てずこっそりと行くことは、レイレンにとって普通のことだった。
その足が書斎に差し掛かった時、レイレンは声を聴いた。そっと覗いた書斎の向こうに二人の男――彼は、アルフリードは床に倒れ啜り泣くような声を立てていて、その上に跨った父は笑っていた。
アルフリードが虐められているのではないかと、一瞬レイレンは驚いたが、それよりも驚いたのは父がほとんど衣服を纏っていなかったことだ。なにか見てはいけないものを見ていることは、子供心にも解った。
『リーゼル、どうして……こんな……これは裏切りだ……』
『おまえは可愛いな。これは遊びだよ、アル。裏切りなんかじゃないさ』
リーゼルは子供にするようにアルフリードの頬を撫でる。その手はゆっくりと頤から鎖骨へと流れ、逞しく張り詰めた胸板を辿った。
『……遊びじゃ……俺は、遊びなんかじゃ……』
『馬鹿だね、俺は遊びにしてあげる、と言っているのに。遊びなんだよ。……これが遊びじゃなかったらなんだっていうんだ?』
『…………それを俺に言わせるのか。他でもないあんたが……あんたは……』
酷い男だと、絞り出すように恨み言を上らせながら、アルフリードは父の――リーゼルの体を掻き抱く。ぁ、と甘い声がした。聞いたことがないような、父の声。母と過ごしている時とは違う、子猫が甘えるような声。水っぽい音が響き、薄暗がりの中で二人の影が揺れる。
『ン……ッ、は…ぁ……ぁ、ぁっ…そう……いいこだ、アル』
『リーゼル……リーゼル、…っ』
荒い呼吸。苦しげな、それでいて恍惚とした吐息が空気を揺らす。互いの名を呼び、肌を弄り合う指先。
リーゼルの肩に顔を埋めるようにして、アルフリードは今にもそこに噛みつきそうになるのを必死に堪えているようだった。野生の獣のような唸り、衝動を耐える姿は荒々しくも艶めかしい。
『これで……終わりにする……』
『終わりに?出来るのか、アル。おまえが、本当に?』
『もう……やめる、やめないといけないんだ……こんなこと、こんなこと――』
――それ以上は、見ていられなかった。
幼いレイレンは逃げた。逃げて……布団の中で丸くなって……忘れてしまおうとした。だけど、それが汚いものだとは思えなかった。ただ、うらやましかった。
彼に、アルフリードに、あんな風に抱きしめられて、求められている父が、うらやましかった。
(だから俺は、ずっと、父さんを超えたくて――俺を見て、ほしくて――それは多分……多分――この感情の名前は)
ほとんど無意識のまま、辿り着いたバギーに乗り込みエンジンをかける。通信回線を入れると、それはすんなりとアンビシオンに接続した。昨日の通信障害が嘘のように、あまりにもあっけなく。
『は~い、こちらアンビシオン。レンレン?朝帰りなんて予定外じゃないか、あの筋肉馬鹿はなにやってんの?まさかやらしいことでも――』
「ドクター、ごめん、遊んでる場合じゃない」
キン、と張り詰めた声音にスクリーンの向こうのチェリッシュが口を噤む。
そして初めて画面上のレイレンを見たのだろう、いつもの道化た調子を封じてコンソールに指を走らせるのが見えた。
『なんて格好だキャップ。……スーツがシステムエラーを吐いてる。モバイルも……ああ、こっちも、こっちもだっ……どうしてこんなひどいエラーがぼくに報告されていない!おい、おかしいだろう!?』
「時間が……無いんだ、ドクター。今すぐ、伽乱とニースを呼んで、リビオに伝えてください。岩の部族との会合には出ちゃいけない……内部に密通者がいるんだ、火を掛けるって……それから、アルを、助けない、と……」
仲間の顔を見て緊張が解れたのか、一気に体中の痛みと疲労がぶり返してくる。意識を失いそうになり、レイレンはぐたりとバギーのシートに体を預ける。
チェリッシュが叫ぶ声が聞こえた。
「わかった。わかったから!……通信回線フルオープン!緊急事態発生、緊急事態発生!――うるさい、いいからブリッジに集まれ!!」
薄れ行く意識の中で、レイレンは彼を思った。
――俺は間に合ったのかな?俺はキャップとして、勤めを果たせた?あの人の期待に応えられたのだろうか。
そうしてその時やっと、レイレンは気付いたのだ。
――そうだ、俺はずっと、何も知らなかった幼いあの時から――ずっと、あの人に恋してたんだ。
火は燃え尽きてしまっていたが、幸いなことに獣は入り込んでおらず、岩の部族に嗅ぎつけられた様子もない。それもそうだろう。あんな崖から落ちて生きているなんてこと、彼らの常識に照らせば有り得ないのだから。追手など掛けられてすらいないに違いない。
「……アルさん、傷の具合は?」
「見ての通り……俺は歩ける状態じゃねえな。坊ちゃんが一人で船に戻って、岩の部族のことを知らせてくれ。俺のことは後回しで良い」
生乾きの衣服に袖を通していたレイレンは、その言葉に顔を顰める。
「後回しなんてそんなこと出来るわけないだろう。……すぐに助けを呼ぶから。約束する」
「ははっ……じゃあ、期待しとくよ、坊ちゃん。ただ……優先順位を誤るな」
そう言って力なく笑うアルフリードの姿に後ろ髪を引かれる思いで、レイレンは身支度を済ませ洞窟を出た。
濁流に飲まれた時に傷付けたらしい足が痛む。しかし、立ち止まっている場合ではない。
草原の部族の命運も、アルフリードの命も自分にかかっているんだ。そう思うと、足は自然に前へ前へと進んだ。
太陽の方角と川の流れからおおよその位置を割り出す。大分流されたような気もしたが、この位置からバギーを隠した場所までは2㎞も離れていないだろう。
――急げ。急げ。急げ。
自分に言い聞かせながら、レイレンは真っ直ぐに歩き続ける。イルジニアではもう失われた眩い朝陽が、疲れた体に強く照り付けた。
体が重い。思うように足が上がらない。自分の体がまるで巨大な荷物のようだ。
――どうしてこんなことになっちゃったんだろう? こんなはずじゃなかった。
心の中で幾度も呟く。浮かぶのは彼の顔、だった。
父であるリーゼル・ファーラと自分を比べているアルフリード。レイレンはずっと、彼に一人前のキャプテンとして認めて欲しかった。
頼りになる大きな背中。いつも自分の後ろに父の影を見ている目。どうしたって子供扱いしかしてくれない人。
小さい頃から、彼はレイレンにとってもう一人の父のようで……いつからだろう。それが変わっていったのは。
見てはいけないものを、見てしまったからだろうか。
――記憶は遡る。
幼い頃、それがなんだかも解らずに、レイレンは見てしまった。靄がかかったように曖昧な、しかし忘れ難い記憶。
その日、レイレンは母を探して歩いていた。アルフリードが来ているということは知らなかった。知っていたらきっと、彼の到着と同時に飛び付いてそばを離れなかったに違いない。
普段優しく笑顔の眩しい母だったが、彼女の仕事中にうるさくすることについてだけは、いつも厳しく叱責する人だった。それもそのはず、彼女はイルジニアに存在する全データの坩堝、マザーコンピュータを管理する最高責任者であったのだから。母を探す時、声を立てずこっそりと行くことは、レイレンにとって普通のことだった。
その足が書斎に差し掛かった時、レイレンは声を聴いた。そっと覗いた書斎の向こうに二人の男――彼は、アルフリードは床に倒れ啜り泣くような声を立てていて、その上に跨った父は笑っていた。
アルフリードが虐められているのではないかと、一瞬レイレンは驚いたが、それよりも驚いたのは父がほとんど衣服を纏っていなかったことだ。なにか見てはいけないものを見ていることは、子供心にも解った。
『リーゼル、どうして……こんな……これは裏切りだ……』
『おまえは可愛いな。これは遊びだよ、アル。裏切りなんかじゃないさ』
リーゼルは子供にするようにアルフリードの頬を撫でる。その手はゆっくりと頤から鎖骨へと流れ、逞しく張り詰めた胸板を辿った。
『……遊びじゃ……俺は、遊びなんかじゃ……』
『馬鹿だね、俺は遊びにしてあげる、と言っているのに。遊びなんだよ。……これが遊びじゃなかったらなんだっていうんだ?』
『…………それを俺に言わせるのか。他でもないあんたが……あんたは……』
酷い男だと、絞り出すように恨み言を上らせながら、アルフリードは父の――リーゼルの体を掻き抱く。ぁ、と甘い声がした。聞いたことがないような、父の声。母と過ごしている時とは違う、子猫が甘えるような声。水っぽい音が響き、薄暗がりの中で二人の影が揺れる。
『ン……ッ、は…ぁ……ぁ、ぁっ…そう……いいこだ、アル』
『リーゼル……リーゼル、…っ』
荒い呼吸。苦しげな、それでいて恍惚とした吐息が空気を揺らす。互いの名を呼び、肌を弄り合う指先。
リーゼルの肩に顔を埋めるようにして、アルフリードは今にもそこに噛みつきそうになるのを必死に堪えているようだった。野生の獣のような唸り、衝動を耐える姿は荒々しくも艶めかしい。
『これで……終わりにする……』
『終わりに?出来るのか、アル。おまえが、本当に?』
『もう……やめる、やめないといけないんだ……こんなこと、こんなこと――』
――それ以上は、見ていられなかった。
幼いレイレンは逃げた。逃げて……布団の中で丸くなって……忘れてしまおうとした。だけど、それが汚いものだとは思えなかった。ただ、うらやましかった。
彼に、アルフリードに、あんな風に抱きしめられて、求められている父が、うらやましかった。
(だから俺は、ずっと、父さんを超えたくて――俺を見て、ほしくて――それは多分……多分――この感情の名前は)
ほとんど無意識のまま、辿り着いたバギーに乗り込みエンジンをかける。通信回線を入れると、それはすんなりとアンビシオンに接続した。昨日の通信障害が嘘のように、あまりにもあっけなく。
『は~い、こちらアンビシオン。レンレン?朝帰りなんて予定外じゃないか、あの筋肉馬鹿はなにやってんの?まさかやらしいことでも――』
「ドクター、ごめん、遊んでる場合じゃない」
キン、と張り詰めた声音にスクリーンの向こうのチェリッシュが口を噤む。
そして初めて画面上のレイレンを見たのだろう、いつもの道化た調子を封じてコンソールに指を走らせるのが見えた。
『なんて格好だキャップ。……スーツがシステムエラーを吐いてる。モバイルも……ああ、こっちも、こっちもだっ……どうしてこんなひどいエラーがぼくに報告されていない!おい、おかしいだろう!?』
「時間が……無いんだ、ドクター。今すぐ、伽乱とニースを呼んで、リビオに伝えてください。岩の部族との会合には出ちゃいけない……内部に密通者がいるんだ、火を掛けるって……それから、アルを、助けない、と……」
仲間の顔を見て緊張が解れたのか、一気に体中の痛みと疲労がぶり返してくる。意識を失いそうになり、レイレンはぐたりとバギーのシートに体を預ける。
チェリッシュが叫ぶ声が聞こえた。
「わかった。わかったから!……通信回線フルオープン!緊急事態発生、緊急事態発生!――うるさい、いいからブリッジに集まれ!!」
薄れ行く意識の中で、レイレンは彼を思った。
――俺は間に合ったのかな?俺はキャップとして、勤めを果たせた?あの人の期待に応えられたのだろうか。
そうしてその時やっと、レイレンは気付いたのだ。
――そうだ、俺はずっと、何も知らなかった幼いあの時から――ずっと、あの人に恋してたんだ。
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