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橘社長とりっくん~元極道なボディガード×奇抜でビッチな社長~

雨続きのある日の出来事

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 降り続く雨に曝された空気が、部屋の中に吹き込んで来る。
 秋の訪れをそこに感じながら、藤堂はがちりと窓を閉め直した。

「暖房を少し強めるか」

 問い掛けというより確認のように言って、振り返る。ベッドの上、毛布に包まって熱っぽく赤い顔をした橘が、小さく頷いた。

「ありがとね、りっくん」
「殊勝な事を言うな、気持ち悪い。病人は大人しく世話を焼かれていれば良いんだ」

 大体、俺があんたの面倒を見るのはいつもの事じゃないかと。
 藤堂が言うと心外げに口を尖らせて、橘はそれを否定した。

「君に自主的に世話をされるのと、俺が命じてしてもらうのとじゃ、隼と雀、鯨と金魚、破魔矢と虻くらいの違いはあるっていうもんで……」
「もう何を言ってるんだか解らんぞ」

 既に朦朧とした頭の為か冗句さえ滑り気味で、橘はあははと情け無い笑いを零した。

「とにかく、俺のストレスが桁違いってわけなんだよ」
「そういうものか?」

 かなり納得のいかない表情を浮かべながら、藤堂は肩を竦める。病人相手に説教など、するだけ無駄と悟っているからだろう。二の句を次ぐ代わりに、ぶるっと身を震わせた橘の上に毛布をもう一枚重ねてやった。

「良いからもう、大人しく寝てろ。あんたは喋りながら眠れるのか?」
「……俺が黙ったら、君が寂して泣いちゃうかと思って」
「余計な世話だ。俺は片付けをしてくる。あんたは何も考えずに体を休めろ」

 ぽん、と頭を撫でてやると、漸く橘は口を噤み、吐息を漏らしながら布団の中に潜った。どうやら目を閉じたらしい。藤堂はやれやれと困った顔をして、暫くその髪を撫でていたが、やがて手を離して立ち上がった。
 二人の声が途切れると、後は雨の音だけが続いている。
 規則的に、または不規則的に。死んだように眠る橘の呼吸は音を伴わず、微かに上下する上掛けの膨らみを時折ちらりと眺めて、藤堂は彼がそこにいる事を確認する。
 別に彼が今ここで死んでしまうわけではないのに、彼が生きているかどうかが不安になった。自分でも馬鹿らしい感情だとは思ったが。
 そこまで考えて、ふと藤堂は片付けの手を止める。――彼が今、ここで、死んでしまったら。自分はどうなるのだろう。
 これが当たり前の生活と思い込んでいたが、冷静に考えてみれば自分達はいつだって、何を失ってもおかしくないぎりぎりの場所にいるのだ。彼にしろ、己にしろ。明日の命の保障すらない。そんな危うい場所……だからこそ二人、繋がっていられる場所に。

 ――本当は水仕事をしてしまうつもりだったが、音を立てるのが躊躇われて、結局藤堂はそのままベッドの傍、丸椅子に腰を掛けて目を閉じる。さり気無く手を伸ばすと、橘の指が無意識にか赤子のようにその手を握った。

「……お休み、橘」

 彼が眠っていると思って、優しい声音で囁く。普段なら決して聞かせないような響きで。橘の口元がほんの少し微笑むように動いたが、藤堂がそれに気付く事は無かった。彼自身もまた、いつしか眠りの中に引き込まれ――


 ***


 目を覚ますと、朝食の良い香りが漂っていた。目を擦りながら顔を上げると、肩に掛けられていた毛布がずるりと落ちる。それを慌てて拾い上げて、藤堂は橘が寝台にいない事に気付いた。

「……眩し……」

 周囲は朝の光に満ちている。昨日までの長雨が嘘のようだ。
 ゆっくりと立ち上がり、食卓へ向かう。橘がいた。

「おはよう、りっくん」
「風邪はもう良いのか?」
「うん、この通りだよ」

 白い前掛けを締めて笑う。
 彼の前では更に盛られた朝食がまだ湯気を立てていた。
 朝の光を浴びて、橘の薄紅の髪が柔らかく零れる。
 安堵のような、それよりももっと深い感情を覚えて、藤堂は一瞬、言葉を失った。

「さっ、ぼ~っと突っ立ってないで、食事にしよ! それで、今日は洗濯をしないとね。それが終わったら買出しに行かなくちゃ。腹が減っては戦も出来ないっていうし! ほら、食べて食べて!」
「ああ。ああ……橘」

 変わらない日常がそこにある。
 昨日も今日も明日も、彼がいて、自分がいて、朝が来て、夜が来て、また朝が来る。
 食卓には温かな食事。
 外は快晴。
 だから、堪らなくて。

「どうしたのさ? 可笑しな子だね」

 俯いてしまった藤堂を、橘はそっと抱き締めた。
 それだけだった。
 そして藤堂は、気付く。この感情を……知っている。 

「そうかこれが」

 ――幸せ、というのか。
 橘が笑ったので、藤堂も笑った。
 今日も二人にとって最上の一日が始まろうとしていた。
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