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凌辱、そして

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 そこから先は、悪夢だった。

 ぐらぐらと視界が揺れている。吹き付けられた薬物が体に残っていて、善之介は頭の中を擂粉木で掻き混ぜられているような不快感を感じている。
 それよりも不快なのは、先ほどから響いている音だ。ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃと、自分の体にほど近い場所で粘着質な水音が続いていた。それと共に上がる掠れた嬌声――善之介にはそれが自分のものであると認識することが出来ない――ただ揺さぶられる度に腹の奥が気持ち悪くて、女のような甘ったるい悲鳴が耳に五月蠅くて、力の入らない四肢が、まとまらない思考が、不快で堪らなかった。焚き染められた媚薬入りの香で室内は薄く煙り、腐った果実のような匂いが鼻につく。

 小屋の中には入れ代わり立ち代わり3、4人の男達がいて、小屋の外にも10人前後が張り込んでいた。

「っぁ――ぁぁぁ……っ、ぁ、ぁ、ぁっ……ぁーーーー」

 媚薬に当てられ声にならない声で喉を嗄らして喘いでいるのは善之介一人で、他の男達は薬物に耐性でもあるのか正気を保ったまま、にやにやと下卑た笑いを浮かべて、抵抗のない肢体を代わる代わる貪り喰らっている。
 朦朧と夢現混濁する意識の片隅で、善之介は男たちの会話を聞いた。

「お武家の坊ちゃまも、こうなっちまったらザマアねえな」
「家の中で大人しくしてりゃ安心安全、死ぬまで楽しておまんま食えるってのに、勿体ないことするもんだねえ」
「そういうところも含めて”猿頭”なんだろうよ」
「ははっ、違ぇねえ。ま、せいぜい手遊び覚えたてのお猿さんみてえに啼いてもらおうや。逃亡さえ許さなきゃ、俺等の好きにしていいってことだったしなあ」

 その会話を善之介が正確に理解することは出来なかったが、自分達の完全脱出が既に失敗したことくらいは解った。
 どこから気付かれていたのか解らない。自分がへまをしたのか、それとも巴丸の大胆不敵な行動が引き金を引いたか、それともそもそも暮里に近付いた時から目を付けられていたのか。
 しかし原因を突き詰めることには意味がなかった。結論、今、善之介は追い詰められていて、見知らぬ男達――その口振りから恐らくは巴丸と同じ一族の忍だ――に体を弄ばれている。

 恐らく父は善之介を見棄てたのだろう。
 でなければ後継ぎ息子にこのような扱いを許すはずがない。幾ら希少な男子と言えど、国の決定に背く大罪人を擁護するような人ではないのだ。彼にとっての善之介は血の繋がった我が子ではなく、あくまでお家存続の為の手駒に過ぎないのは知っていたし、そこに愛情など期待したことは無かったが、ここまで徹底されるといっそ清々しい。

 この時点で善之介の命運は尽きたように思えた。このまま彼等の玩具として一生飼われ続けるか、或いは彼等がこの遊びに飽いた頃、あっさりと殺されるか。
 唯一の救いは巴丸と暮里の名前が聞こえて来ないことだった。この品性下劣な男共のことだ、もしあの二人を仕留めたならば、善之介の心を折り甚振る為その事実を利用しないはずがない。
 彼等が口にしないということは、つまり、まだ二人は生きている。それだけが善之介の心の寄る辺であった。助けてもらえる、なんて思わない。それでも、彼等だけでも逃げ切ってくれたら、自分の選んだこの馬鹿な道でも何かが報われる気がした。

「……く、……さと……暮……きちゃ……だめ…」

 絶え間ない喘ぎに紛れ、熱に浮かされた唇が名を呼ぶ。愛しい男を呼ぶ。それを譫言と見て取って、周囲の男達は嘲りせせら笑う。

(結局、彼と今生で結ばれるなんて夢でしかなかったんだな)

 ぼんやりとそう思う。善之介は目頭が熱くなるのを感じたが、それが媚薬から与えられる容赦のない快楽の所為なのか、それとも胸の内から込み上げる切なさの所為なのか、自分でもよく解らなかった。

(もっと――早く――気付いていたら)

 せめてあの日、二人で過ごしたあの最後の日、自分の想いに気付いていたら。

やつがれと、遠くへ行きましょうか』

 うっかりと零されたあの声に、すぐに応えられていたら。彼の内側に秘められた想いに、吐き出せない願いに、そして鈍感過ぎた己の本心に、気付けていたら。二人の運命はきっと違ったものになっていたに違いない。
 あの手を取って、唇を重ね合わせ、彼の優しい手に身を委ね、幸福な時間を束の間でも味わえていたら。そうしたら、その後に来るこんな結末ももう少し、後悔の少ないものになったかもしれない。

(つまり、俺は、運命に負けたのか)

 虚ろな頭の片隅で下らない与太がくるくると巡る。崖っぷちの悲壮感よりも寧ろ、あまりのどん詰まりっぷりに笑い出したい気分だ。
 だが次に鼓膜を揺らした単語に、善之介は目を見開いた。

「おい、遊びは後にしろ。巴丸が見っかったとよ!」

 ザッ、と全身の血の気が引いて、体を火照らせていた熱が寒気に取って代わる。まるで氷水をぶっ掛けられたようだ。

「坊ちゃんはどうする?」
「どうせそんなナリじゃこっから動けやしねえよ。裏切者の始末が終わるまで捨て置け」
「あーあ、良いところだったのによお……」
「まあまあ、すぐに終わらせてまた遊ぼうぜ」

 男達は口々に勝手を言いながら立ち上がり、あばら家を出ていく。数人の話し声が扉の外から聞こえていたが、部屋の中には誰も残らなかった。善之介は余程侮られているらしい。腹立たしくもあったが、彼等のその傲慢さに若干救われた形で善之介は一人の時間を手に入れた。

「……巴丸……そうか、やはり……生きて、た」

 これから先は解らない。でも、今はまだ生きている。
 そのことに微かな安堵を覚えながら、善之介はぎしぎしと軋む体で床を這いずり、投げ出されていた己の荷物に手を伸ばす。中から手拭いを取り出して、まずは汚れた体を肌が赤くなるほどに強く拭った。本当は湯浴みしたいところだが、そんな贅沢が言える状況ではない。それから投げ出されていた服を身に着ける。ところどころに奴等の精液がこびり付いたそれに嫌悪感はあったが、ここから逃げ出す為には裸でいるわけにもいかない。

 ――そう、善之介はここから逃げ出すつもりだった。

 そんなことをすればどうなるかは勿論、解っている。今度こそ犯され弄ばれるどころでは済むまい。伊示地家の意向に二度背いて生き延びるなど許されないのだ。確実に殺される。
 善之介の剣術の腕は武士としてそれなりに卓越したものではあったが、痛め付けられ消耗した体で、忍として幼少時より鍛えられた者達相手の多勢に無勢では勝ち目など無い。
 だから最初から、生き延びるつもりで逃げるわけではなかった。ただほんの少し、ほんの小半刻でも構わない。巴丸と暮里の元に向かう手勢を減らすことが出来たら、彼等ならば或いは逃げ切れるのではないかと、そんな自己満足だ。

 大刀を持って振り回しながら逃げることはもう出来そうになかったので、仕方なしに小刀だけを拾い上げ、鞘から抜く。
 そっと引き戸に近付き耳を澄ますと、留守居役にされた男達が大声で馬鹿笑いしているのが聞こえてきた。――一人、二人……少し離れたところにもう一人。大丈夫だ、油断さえなければこの数ならばまだ、勝機はある。
 体の奥底に響く痛みを堪え立ち上がり、善之介は一つ呼吸する。そして背後に短刀を隠したまま、ゆっくり戸を開けた。男達が振り返る。

「どうした坊ちゃん?……いや、もう”お嬢ちゃん”だなあ?」
「体が疼いて我慢出来ねえか? おいちゃん達が可愛がってやろうか? ん?」

 にやにやと下種な笑みを浮かべて近付いてくる二人。その向こうで呆れた顔をしたもう一人が苦い表情を浮かべる。

「おい、やめとけよ。上の奴等に知れたらまた何か言われるぞ」
「いいじゃねえか、たまには俺達みてえな下っ端にもお楽しみがあったってバチ当たらねえって」
「俺は知らねえからな。いいかおまえ等、俺は忠告したからな!」

 そんなやり取りを聞きながら、善之介はにこにこと無駄に微笑んで見せる。ただの阿呆のように。もう頭のイカれてしまった色狂いのように。無邪気に笑って、手招きする。

「ふふ……く、ふふふっ……なあ、俺と遊んでくれるかい?」
「おうおう、可愛いこと言うじゃねえか。たーっぷりしっぽり遊んでやろうなあ」

 手招き、引き寄せる。所詮は頭の弱い武家の馬鹿坊と思い込んだ忍が、無防備に善之介に近付いてくる。

(油断はするものじゃない、誘うものだよ、善之介)

 いつか剣術の訓練中に巴丸が教えてくれた言葉が、頭の片隅に蘇る。ぎりぎりの、最後の最後、敵対する者の一番最期の瞬間まで、侮らせ、警戒を緩ませ、気取らせてはならない。せめて最初の一人は、無抵抗で仕留めなくては。

「……俺ときもちいいこと、しよ?」
「よしよし、それじゃ早速……」 

 覆い被さるように男が善之介を抱き寄せ唇を奪おうと顔を寄せる。反吐が出そうなその間抜け面にも無邪気な笑みを返して、善之介は彼の首に腕を回し口を塞いだ。そして後ろ手に隠していた短刀をその心の臓へと迷わず突き立てる。

 ずぶり。

「っぶ……!?」

 掌に返る肉の感触。突然の痛みに状況を理解しきれず、男が大きく目を見開く。悲鳴など上げさせる気はない。差し入れられた舌を善之介は力任せに食い千切った。そこから噴き出した血と、男の肺から逆流してきた吐しゃ物と喀血が混ざり合い、善之介の顔面を真っ赤に染める。びくん、びくん、と二度大きく震えた後、男の体は難なく地面に崩れ落ちた。

 千切れた舌を吐き出して、善之介は汚れた顔を拭いもせずに大きく笑う。

「――さあ、お次の相手は――だぁれだ?」

 凍り付く空気。残る二人の忍は唖然としてその惨状を見詰める。

「このっ……舐めやがって!」

 動いたのは先の忍と共に善之介を犯す算段をしていた男だった。友を殺され頭に血が上ったか、腰のものを引き抜くと我武者羅に突っ込んでくる。忍術を使われたならいざ知らず、その程度の動きであれば対処できぬ善之介ではない。

「死ねえっ!」

 勢いよく振り下ろされた刃を半身で躱し、潜り込んだ男の胸元でまたにこりと微笑むと、彼の首筋に短刀を滑らせた。

「ぐっ、がっ……」
「……誰が誰を舐めているだと?腐れ豚野郎が」

 二人目が倒れ事切れるのを見届けもせず、善之介はその体を横に蹴り出し、三人目を探した。この状況で一番冷静だった男だ。先の二人よりは腕も立つだろう。――だが、その姿は既に近くには見当たらなかった。恐らくはこの事態を伝令に向かったのだろう。それは願ってもないことだ。

「今のうちに……行かなくては……」

 逃げている振りをして、少しでも巴丸と暮里への追手の数を減らさなくては。
 重い足を引き摺るように動かし、善之介は森へと戻る為、崖下の脱出路へ向かって歩き出した。
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