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第4章 いばら姫編

127話 識別

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    ◇◇◇

「…………」

 銀髪の騎士は剣を鞘に納めると倒れたグリムの元まで歩いた。

 騎士がグリムの体をあおむけにすると彼の姿は魔法が解けたかのように騎士からもとの衣服に戻っていく。

 更に淡い光がグリムの身に着けている衣服のポケットから発生する。

 そこに収まっていたネズミの姿がみるみる変わっていき、最終的には人間になった。銀髪の騎士が魔女の魔法を見るのは二度目だった。

「これは一体どういうことですか……」

 人の姿に戻ったシツジは生気を失ったような眼で戸惑いながら銀髪の騎士に尋ねた。

「お前を彼はこの世界から連れ出そうとしていた」

「どうして……?」

「…………」

 いばら姫の願いでグリムは彼をこの世界から連れ出そうとしていたことは聞いていたが銀髪の騎士は無言のままシツジの問いには答えなかった。

「お城でいばら姫が待っている」

「そうだ……ボクが行かないと……この世界と彼女は……」

 少年は目の中に輝きを取り戻すと来た道を走って引き返した。牢屋の中で彼が魔法使いの代役を担うことは聞かされていたのかもしれない。

「…………」

 少年の迷いのない走りを見ると目の前で倒れている男の行為はいったい何の意味があったのか、と銀髪の騎士は考えてしまう。

「…………」

 銀髪の騎士は無言のまま倒れているグリムを抱え込むと境界線を目指して歩き始める。
 マロリーの……というよりはローズの命令で彼をこの世界から隔離する。それが銀髪の騎士に与えられた仕事だった。


    ◇◇◇


「あなたはグリムと共に行動されなかったのですね」

 玉座の間にいたサンドリオンはローズに話しかけられる。

 この場で騒動が起きた後、サンドリオンはグリムとすれ違うようにしてこの場に訪れていた。

「私は……シツジの意思を確認したい。ただそれだけだ」

「おかしいですね……それならなぜグリムが少年を連れ去るのを見送ったのですか」

「それは……」

「あなたはまだ迷いを持ったままなのですね」

 グリムの力になりたいと思う自分とこの世界の事を考える自分が心の中で対立していたのを見透かされていたようだった。

「それでもあなたは彼を助けなかった……それは間違いなくあなたの意志です」

 ローズは笑った。今までも何度か彼の笑みを見たサンドリオンだったが今彼が浮かべている顔はそのどれとも違う、歪なものに思えた。

 本当にこの選択が正しかったのか、今となってはもうわからなかった。


 いばら姫は兵士たちによって自室に戻された。この場所には王様とサンドリオン、そして先ほど部屋に入ってきたローズとマロリーだけが居合わせていた。

「……本当にシツジを取り戻せるんだろうな」

 王様がローズを睨みながら質問する。最初に出会った時の柔和な印象とは異なる王様を見てサンドリオンは驚いてしまう。

「もう一人の騎士に逃亡した男を追わせました、大丈夫ですよ」

「もしも……逃がしたのならその時は貴様達を……」

 王様が何か言おうとしたその時だった。

「ほら、噂をすれば……」

 扉が勢いよく開けられる。入ってきたのは先ほどグリムによって連れ出されたはずのシツジという少年だった。

「……戻ってきたか」

「王様……いばら姫は?」

「娘なら部屋に待機させている……それよりも、先ほどの続きだ」

 王様は視線をマロリーに移す。少女は理解したようにシツジの前まで歩くと再び彼の胸に手を当てた。

「……本当によろしいのですね?」

「ボクの命で彼女が救われるのなら……願ってもいません」

「「頁」が書き換わればこれまでの記憶は全て失われます、本当に、本当によろしいのですね?」

 マロリーは小さな声でシツジに確認を取った。彼女はまるで今から行うことを少年に拒んでほしいようにサンドリオンは感じた。

「構いません……お願いします」

 シツジの意思は変わらなかった。少年の真剣な表情を見てマロリーは分かりましたと言う。彼女も意を決したようだった。

 シツジの体内から1枚の「白紙の頁」を取り出したマロリーは手に持った羽根の付いたペンで文字を綴り始める。

「…………!」

「頁」に文字が書かれると共に少年の姿はみるみると変わっていく。体は少し大きくなり、ピンと伸びていた背中は猫背に、髪は白髪になった。

「……終わりました」

 彼女はペンを離すとゆっくりと「頁」は彼の体内に戻っていった。



「……驚いた、本当に魔法使いの姿になるのだな」

 王様が感想を漏らす。サンドリオンも同じ思いだった。

「……あなたは誰ですか?」

 ローズが一歩前に出て老人の姿になったシツジに話しかける。

「私は……いばら姫に呪いをかける魔法使いです」

 無気力な目でシツジはそう答えた。彼からは感情が何一つ感じられなかった。
 その姿を見てマロリーはうつむき、ローズは満足そうな顔を浮かべた。

「これでこの世界は救われます……王様、決して私の功績を忘れずに」

 ローズの言葉を聞いて王様は頷いた。シツジを魔法使いに変えたのはマロリーのはずなのに、なぜ彼は「私の」と主張したのかサンドリオンには理解できなかった。

「…………」

 魔法使いになったシツジは無言のまま部屋を出ていこうとする。

「まて、どこへ行くのだ」

 王様が尋ねた。

「いばら姫に呪いをかける為に……東の塔の最上階に行きます」

「そうか……」

 王様は機械的な回答をするシツジだった人間を引きとめずに見送った。入れ違うようにして銀髪の騎士が部屋の中に入ってくる。

 銀髪の騎士はすれ違った魔法使いを一瞥するとすぐにマロリー達のそばに寄った。

「約束通りグリムを別の世界に置いてきた、これでいいのか」

「ご苦労様です」

 ローズは銀髪の騎士に労いの言葉をかける。銀髪の騎士は興味を示さずに下を向いたままのマロリーにっ銭を合わせるように膝をついて少女の手を取った。

「お嬢、じきにこの城は茨に包まれる。それまでに俺たちも外へ出るべきだ」

「……そうですね」

 マロリーは騎士の手を握り返し、王様に一瞥すると部屋を出ていこうとする。



「……あなたはどうされますか?」

 二人が先に出て行った後、ローズがサンドリオンに尋ねた。

「私は……」

 シツジを見届けたのちにどうするか考えてはいなかった。今の自分の気持ちに整理がついていない状況だった。

「……もし決まっていないのなら、我々と共に生きませんか」

「あなたたちと……?」

 その誘いを断る理由はなかったが、別れたグリムの事が気になったサンドリオンは躊躇する。

「あなたに救ってほしい世界があります」

「え?」

 ローズの言葉を聞き返した。

「これから私たちはある世界へと向かいます……そこは既に灰色の雪が降っています」

 灰色の雪、それは物語が進行不可能と世界が判断した時に空から降り始める世界崩壊の予兆だった。

「私の力だけではその世界を救うことは出来ません……けれどあなたがいれば……アーサー王の意思を継ごうとしたあなたがいれば救えるかもしれません」

 ローズはそう言って手を差し伸べてくる。この手を取れば世界を救えるかもしれない。一度は自身の手によって主役を見殺しにしてしまったサンドリオンにとって、世界を救うことは優先する事項だった。

『お前はやりたいことを見つければいい』

 アーサー王の言葉を思い出す。サンドリオンにとってやりたいこととは何か、アーサー王伝説の世界を離れていばら姫の世界でも常に考え続けていた。アーサー・サンドリオンとしてやりたかったことは何か、それは……

「……わかったわ、私が力になれるならあなたと共に生きます」

 サンドリオンはローズの手を取った。たとえいくつもの世界を旅したとしてもアーサー王伝説の世界の後悔は消えないだろう。それならばせめて滅び行く世界を救うことに自身の人生をささげるべきだと、サンドリオンは迷いを振り切った。

「……そうだ、あなたあの男からこのような石をもらっていませんか?」

 ローズは小さな石を取り出して見せてくる。あの男というのはグリムで間違いなかった。

「受け取ったわ、これがあれば離れ離れになってもまた出会えるって」

 サンドリオンはグリムから受け取っていた小さな石の破片を取り出す。

「ふむ……少々失礼しますよ」

 ローズはサンドリオンが手に持った石を取ると持っていた剣をふるって粉々に砕いてしまう。

「……な、何をするの!」

 想定外の行動にサンドリオンは砕け散った石を見ながらローズに詰め寄った。

「これがあると、彼と我々は引き合ってしまいかねない……この世界のようにまた混乱を生むつもりですか?」

「そ、それは……」

 何も言い返せなかった。ローズとグリムが対立しているのは二人と会話している中でなんとなくではあるがサンドリオンも理解をしていた。それでもサンドリオンはどちらが正しいのかと問われたらわからなかった。だからこそ、グリムとのつながりを切られてしまうのに抵抗を持っていたのである。

(それに……)

 自身の中に芽生え始めた感情がサンドリオンの鼓動を速める。意地悪なシンデレラの姉としての役割を全うした頃のリオンとしての記憶がグリムを追いかけろと言っているような気がした。

「いきましょう、今のあなたに私は興味があります」

 ローズは迷いの断ち切れていないサンドリオンを見て、求めているような答えを出すようなセリフを告げる。

「……そうね」

 サンドリオンは散らばった石を見送り、細柄な騎士と共に世界を後にした。
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