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第4章 いばら姫編

120話 いばら姫の父親

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「お母さま……?」

 森に出かけた次の日の朝、いばら姫はベッドの上で冷たくなっていた自身の母親を見て何が起きているのかわからなかった。

 王妃の周りには何人もの人が集まっており、いばら姫が熱を出した時に薬を用意する医者は無言で彼女を見つめ、王妃と親しい関係を持った人々が彼女の前で涙を流していた。

 呆然と立っているいばら姫に気が付いた一人の女性が泣きながら状況を理解していないいばら姫にやさしく抱きしめた。

「………どうしたの、なぜ皆泣いているの?」

「…………それはね」

 いばら姫を抱きしめている女性はそれ以上言葉が出てこなかった。女性の後ろから無言だった医者の男が現れるとその言葉の続きをいばら姫に教えてくれた。

「王妃様は死んでしまったのだよ」

「…………え?」

 医者の言葉をいばら姫は飲み込めなかった。言葉の意味は理解していたが脳は理解することを拒んでいた。

「…………な、何を言っているの、お母さまは昨日の夜も本を読み聞かせてくれたわ」

 とことこと、いばら姫はベッドで横になっている王妃の隣に来ると目を閉じている自身の母親に声をかける。

「お母さま、こんな時間まで眠っているなんてだめじゃない」

 いばら姫の言葉に王妃は反応を示さなかった。

「お母さま、いつまでも眠っていないで朝食を食べに行きましょ」

 いばら姫は王妃の体を揺らすが王妃はピクリとも動かなかった。

「お母さま、ほらおきて……お母さま」

 いばら姫が王妃の肌に触れる。いつもの温もりがそこにはなかった。

「お……かあ……さま」

 どれだけ真実を否定しようとしても、目の前の彼女の母親の姿が先ほど医者が告げた残酷な現実をつきつけた。

「あああああああああああああ!!」

 いばら姫の感情の線が切れて大声で泣き始めた。
 
 少女が泣き止むまでかなりの時間を要した。

 しばらくして王妃のもとに全身を包帯で覆ったシツジもやってくる。王妃の死を知るとその場で手を握り締めながら静かに涙を流した。

 次々と入れ替わるようにして彼女のもとには城にいる人々が現れる中、少しだけ落ち着きを取り戻したいばら姫は疑問を持つ。

「お父様は……?」

 たくさんの人々が王妃の死を嘆き悲しむ中、王様が一向に姿を現さないことにいばら姫は首を傾げた。本来であればまっさきに駆けつけてくるべき人間である。それなのに国中のほとんどの人が来る中で王様はこの場に現れなかった。

「…………」

「姫様、どこへ?」

 給仕の一人が部屋から離れようとするいばら姫に尋ねるが、少女は無言のままその場を後にした。向かったのは普段から王様のいる玉座の間だった。

 もしかしたらすれ違いで王妃に会いに行っているかもしれない、もしかしたらいばら姫が来るよりも先に来ていたのかもしれない……そんな可能性を抱いたまま少女は王の間にたどり着いた。

 そこにはいつものように何一つ変わる態度を見せないいばら姫の父親の姿があった。

「……お父様?」

「どうした、いばら姫?」

 少女の声に王様は普段と変わらない声のトーンで言葉を返した。

「お母さまが……今朝……」

 言葉をつづりかけてその事実を思い出し、いばら姫は涙を流してしまう。王様はそんな娘の態度に何も触れず、それからしばらくして言葉を発せられる状態に戻ったいばら姫は続きを口にした。

「今朝……亡くなったわ」

「………そうだな」

 王様は一言それだけ言うと目を閉じた。

「………え?」

 その反応はあまりにも淡白であり、いばら姫が想像していたものとはかけ離れていた。

「………なんだ、まだ何かあるのか?」

「いえ……その………えっと」

 王様は、最愛の人が亡くなった事実をまだ知らないのではないか、そう思えるほどに目の前の父親の態度は普遍的だった。

「ようがないのならおとなしく部屋に戻れ。そしてもう二度とこの城から出るなどとバカげたことをするな」

 高圧的な視線にいばら姫は震えながらその場を後にした。父親から感じられた感情は婚約者の死を嘆く気持ちよりも娘が約束を破ったことに対する怒りであった。

「………どうしてお父様は悲しくないの?」

 玉座の間を出たいばら姫は言葉を漏らす。それはこの世界の主役であるものとして以前に、少女として、一人の人間として持つ当然の疑問だった。



 その疑問の答えはそれから間もなくしてわかることになった。



 朝から何も食べていないことを思い出したいばら姫は王様の命令を無視してこっそりと給仕室に忍び込んだ。

「…………」

 以前勝手にこの部屋に入り込みおやつをつまみ食いした際に母親にひどく叱られたことを思い出していばら姫は複雑な気持ちになる。

「………いくらなんでもなぁ」

「まさかとは思たけど………相手は王妃だぜ」

 給仕室の奥のほうから二人の男の声が聞こえてくる。いばら姫は慌てて陰に隠れてその場をやりすごそうとするが、会話の中に気になる単語が出てきたため息をひそめて聞き耳を立てた。

「よせよ、やらなければ俺たちが殺されてた」

「仕方がないだろ、これも王様の命令だ……ってな」

「…………え」

「誰だ!」

 言葉が漏れてしまう。その声に気がついた片方の給仕の人間が駆け寄ってくる。いばら姫は慌てて食材の入っていた木箱を被って姿を隠した。

「おい、確かに今こっちのほうで声が……」

「でも誰もいないぜ気のせいだろ、こんな場所に誰が来るんだよ」

「それもそうだな……」

 男たちの声が聞こえなくなるまでいばら姫は息を殺してその場にとどまった。この場に大量の空箱があったこともあり、なんとかばれずにやり過ごすことができた。

「…………どういうこと、毒って何?」

 木箱の中で少女は先ほどの男たちの会話を思い出していた。

「王様の命令ってどういうこと?」

 王様というのは間違いなく彼女の父親の事であった。まるで意味が分からなかった。なぜ夫であるはずの父親が妻である母親に毒を盛るのか、理解のしようがなかった。

 そう、普通ならば理解できるはずがなかった。しかし前日に出会った魔法使いの言葉を彼女は覚えていた。半分以上は難しい言い回しで理解できなかったが……

「王様は物語を完結させるために手段を択ばない」

 ドクンといばら姫は自身の心臓が鳴る音がはっきりと聞こえた。

「まさか……」

 物語を進める事を最優先に考える父親、約束を破った主人公、それを手助けした母親…………

 そしてなにより今耳にした証言からいばら姫はおぞましい結論にたどり着く

「お母さまは物語の中で不要だから……お父様は殺した?」

 その答えを知った瞬間いばら姫は吐き気を催し、口を抑えた。

「…………はぁ……はぁ」

 脳内の処理が追いつかなくなったいばら姫は呼吸を乱す。少しでも落ち着けようと胸に手を当てるが、動機が収まる気配はなかった。

「わからない……わからないよ」

 いばら姫は隠れていた箱から出るとふらふらとおぼつかない足取りで自分の部屋がある東の塔へと歩き始めた。幸いにも先ほど声を聞いた給仕たちの姿はなく、すれ違う人々がいばら姫の顔色を見て心配して声をかけてくるだけで部屋にたどり着いた。

 いばら姫はそのままベッドの上に倒れこむ。こらえていた吐き気が再び彼女を襲い、慌てて浴室に向かおうとするが立ち上がった途端にめまいに襲われてその場で嘔吐してしまう。

「……っあ……」

 部屋の中で倒れたところでいばら姫は意識を失ってしまった。

 後に異変に気が付いたシツジたちによっていばら姫は介護されて体調を整えるが、万全の状態になるまでに半月を要した。
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