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第2章 赤ずきん編
77話 オオカミと赤ずきん
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◇◇◇
時は少しだけ遡る。
「ずいぶんと遅くなっちゃった」
花を摘み終えた赤ずきんは祖母の家にたどり着いた。
森の中は相変わらず暗闇のままなので正確な時間はわからないが、間違いなく寄り道に時間を費やしすぎていたという事だけはわかっていた。
「…………」
ドアをノックする手が一瞬止まる。今から自分はオオカミに食べられるという現実が家の前に来たことによって急激に不安となって赤ずきんに押し寄せてきた。
オオカミに襲われたのはこの世界に生まれてから最初の頃、森に一人で出かけた時の一度きりだった。その時の恐怖を彼女は今でもはっきりと覚えていた。
「……怖いよ」
少女は震える手をぎゅっと握りしめる。今この場所には彼女を助けてくれる少年はいない。今までどれだけ少年に身も心も救われてきたか、痛感する。
「……ウル」
彼の名前をつぶやく。今この場所から逃げ出せば、もしかしたらまた彼と遊べるかもしれない。しかし、それはいつまでも続かない。その事は少女である彼女でもわかっていた。
「私がやらなきゃ……」
このまま物語が進むことを先延ばしにし続けていたらやがて世界は灰色の雪に覆われて全員焼失してしまう。
「そうしたらお母さんも彼も消えてしまう……」
赤ずきんは彼女の大好きな人たちの顔を思い浮かべる。物語の主人公として、彼らの事を大切に思っている一人の少女として逃げてはいけないと覚悟を決めた。
ゆっくりとそれでいてはっきりと聞こえるように赤ずきんはコンコンコンと扉をノックした。
「おばあさん、私よ、赤ずきんよ」
震える声をごまかすように大きな声で少女は物語を進める。
後戻りはしないと彼女はそう決めたのだった。
◇◇◇
「おばあさん、私よ、赤ずきんよ」
扉の向こう側からノックの後に見知った少女の声が聞こえてくる。
オオカミは声の主がつい先ほどこの家に来るのを遠回りさせた少女であると名前を聞いて確信した。
「危なかった……」
赤ずきんの祖母を丸呑みしてから数分もたたないうちに少女は家の前にやってきた。
時間の余裕をもってこの家にたどり着いていたオオカミだったが、この家に入ることに躊躇い、いつの間にか物語進行ギリギリのタイミングになっていた事をオオカミは理解する。
もしも花畑に行く事を進めていなかったら今頃物語が破綻していたかもしれないとオオカミは少しだけ安心する。
「おばあさん、寝ているの?」
家の中から返答がないせいか、赤ずきんが扉の先で問いかけてくる。
オオカミは慌てて身の回りの最終確認をする。
ベッドの上、頭には赤ずきんの祖母が被っていた帽子、全身を布団で隠し、赤ずきんの方からは近くに来るまでバレないようにする。準備は整っていた。
「おやおや、赤ずきん、こんな時間にどうしたんだい?」
オオカミは意図的の声をがらつかせて祖母の真似をする。
「おばあさん、私おつかいにきたの!」
赤ずきんは大きな声で言う。怖がっている時に震えた声をごまかすために彼女がその声のトーンで話すのをオオカミは良く知っていた。
今宵はこの場にいるオオカミよって森にいる全てのオオカミ達が絶対に彼女を襲わない様に命令していた。それでも暗い森の中一人でここまでやって来るのは相当怖かっただろうとオオカミは彼女の内心を察した。
「そうかい、こんな夜遅くにありがとうね、扉は空いているからお入り」
オオカミがそう言うと扉はゆっくりと開けられる。顔を合わせるわけにはいかないと布団を大きくかぶり直した。
「おばあ……さん?」
赤ずきんの声が疑問形になる。普段と違う様子に気が付いた、そんな反応だった。
少女とはいえ、彼女には主人公の役割が与えられている。そして今目の前にいるのが祖母ではなくオオカミであることも本当は分かっている事をオオカミも知っていた。
物語に沿わない対応をすると燃えて死んでしまうということも赤ずきんの祖母の家に通い続けて色々教えてもらう中でオオカミは把握した。
もしも「頁」の事を知らずに獣としての本能のみで彼女を食べていたら……この世界は完結することなく、彼女が楽園と呼ばれる場所に行く事さえかなわなくなってしまう所だったとオオカミはもしもの可能性を考えて恐ろしく思ってしまう。
「赤ずきんは幸せになるべきだ……」
「何か言ったかしら?」
「な、なんでもないよ」
無意識のうちに内なる本音が漏れていた事に驚きながらオオカミは慌ててごまかした。
彼女に出会った事でオオカミだった彼の人生は大きく変えられた。
人のやさしさを知った。
動物だけじゃなく、サンドイッチというおいしい食べ物を知った。
少女を困らせる悪い人間がいることを知った。
そしてなによりも赤ずきんという少女のそばにいられた。
本来であれば得ることの出来ない経験をすることが出来た。
オオカミは十分に恵まれていたと自負できるほどだった。
だからこそ、これ以上は望むべきではない、彼女の幸せを願うべきだと彼は思った。
「どうしておばあさんの耳は大きいの?」
赤ずきんがそばによって心配そうに尋ねてくる。物語を進める為の台詞だった。
「それはお前の声をよく聞こえるようにするためさ」
オオカミはかみしめる様な声色でそう返す。
「どうしてそんなにおめめが大きいの?」
「それはお前をよく見るためさ」
赤ずきんは尋ねてくる。彼は彼女と同じように決められた台詞を返す。
もう後には戻れない。
次の台詞が最後だと彼は分かっていた。
それを最後に彼は目の前にいる赤ずきんを食べてしまう。
そして彼女との関係は終わりを迎える。
そう、わかっていた。
「どうしてあなたは……泣いているの?」
「…………え?」
想定していたセリフとは違う彼女の言葉に彼は戸惑ってしまう。少女はまっすぐな瞳で彼を見つめていた。
少女の瞳に映ったオオカミの眼からは大粒の涙がこぼれていた。
時は少しだけ遡る。
「ずいぶんと遅くなっちゃった」
花を摘み終えた赤ずきんは祖母の家にたどり着いた。
森の中は相変わらず暗闇のままなので正確な時間はわからないが、間違いなく寄り道に時間を費やしすぎていたという事だけはわかっていた。
「…………」
ドアをノックする手が一瞬止まる。今から自分はオオカミに食べられるという現実が家の前に来たことによって急激に不安となって赤ずきんに押し寄せてきた。
オオカミに襲われたのはこの世界に生まれてから最初の頃、森に一人で出かけた時の一度きりだった。その時の恐怖を彼女は今でもはっきりと覚えていた。
「……怖いよ」
少女は震える手をぎゅっと握りしめる。今この場所には彼女を助けてくれる少年はいない。今までどれだけ少年に身も心も救われてきたか、痛感する。
「……ウル」
彼の名前をつぶやく。今この場所から逃げ出せば、もしかしたらまた彼と遊べるかもしれない。しかし、それはいつまでも続かない。その事は少女である彼女でもわかっていた。
「私がやらなきゃ……」
このまま物語が進むことを先延ばしにし続けていたらやがて世界は灰色の雪に覆われて全員焼失してしまう。
「そうしたらお母さんも彼も消えてしまう……」
赤ずきんは彼女の大好きな人たちの顔を思い浮かべる。物語の主人公として、彼らの事を大切に思っている一人の少女として逃げてはいけないと覚悟を決めた。
ゆっくりとそれでいてはっきりと聞こえるように赤ずきんはコンコンコンと扉をノックした。
「おばあさん、私よ、赤ずきんよ」
震える声をごまかすように大きな声で少女は物語を進める。
後戻りはしないと彼女はそう決めたのだった。
◇◇◇
「おばあさん、私よ、赤ずきんよ」
扉の向こう側からノックの後に見知った少女の声が聞こえてくる。
オオカミは声の主がつい先ほどこの家に来るのを遠回りさせた少女であると名前を聞いて確信した。
「危なかった……」
赤ずきんの祖母を丸呑みしてから数分もたたないうちに少女は家の前にやってきた。
時間の余裕をもってこの家にたどり着いていたオオカミだったが、この家に入ることに躊躇い、いつの間にか物語進行ギリギリのタイミングになっていた事をオオカミは理解する。
もしも花畑に行く事を進めていなかったら今頃物語が破綻していたかもしれないとオオカミは少しだけ安心する。
「おばあさん、寝ているの?」
家の中から返答がないせいか、赤ずきんが扉の先で問いかけてくる。
オオカミは慌てて身の回りの最終確認をする。
ベッドの上、頭には赤ずきんの祖母が被っていた帽子、全身を布団で隠し、赤ずきんの方からは近くに来るまでバレないようにする。準備は整っていた。
「おやおや、赤ずきん、こんな時間にどうしたんだい?」
オオカミは意図的の声をがらつかせて祖母の真似をする。
「おばあさん、私おつかいにきたの!」
赤ずきんは大きな声で言う。怖がっている時に震えた声をごまかすために彼女がその声のトーンで話すのをオオカミは良く知っていた。
今宵はこの場にいるオオカミよって森にいる全てのオオカミ達が絶対に彼女を襲わない様に命令していた。それでも暗い森の中一人でここまでやって来るのは相当怖かっただろうとオオカミは彼女の内心を察した。
「そうかい、こんな夜遅くにありがとうね、扉は空いているからお入り」
オオカミがそう言うと扉はゆっくりと開けられる。顔を合わせるわけにはいかないと布団を大きくかぶり直した。
「おばあ……さん?」
赤ずきんの声が疑問形になる。普段と違う様子に気が付いた、そんな反応だった。
少女とはいえ、彼女には主人公の役割が与えられている。そして今目の前にいるのが祖母ではなくオオカミであることも本当は分かっている事をオオカミも知っていた。
物語に沿わない対応をすると燃えて死んでしまうということも赤ずきんの祖母の家に通い続けて色々教えてもらう中でオオカミは把握した。
もしも「頁」の事を知らずに獣としての本能のみで彼女を食べていたら……この世界は完結することなく、彼女が楽園と呼ばれる場所に行く事さえかなわなくなってしまう所だったとオオカミはもしもの可能性を考えて恐ろしく思ってしまう。
「赤ずきんは幸せになるべきだ……」
「何か言ったかしら?」
「な、なんでもないよ」
無意識のうちに内なる本音が漏れていた事に驚きながらオオカミは慌ててごまかした。
彼女に出会った事でオオカミだった彼の人生は大きく変えられた。
人のやさしさを知った。
動物だけじゃなく、サンドイッチというおいしい食べ物を知った。
少女を困らせる悪い人間がいることを知った。
そしてなによりも赤ずきんという少女のそばにいられた。
本来であれば得ることの出来ない経験をすることが出来た。
オオカミは十分に恵まれていたと自負できるほどだった。
だからこそ、これ以上は望むべきではない、彼女の幸せを願うべきだと彼は思った。
「どうしておばあさんの耳は大きいの?」
赤ずきんがそばによって心配そうに尋ねてくる。物語を進める為の台詞だった。
「それはお前の声をよく聞こえるようにするためさ」
オオカミはかみしめる様な声色でそう返す。
「どうしてそんなにおめめが大きいの?」
「それはお前をよく見るためさ」
赤ずきんは尋ねてくる。彼は彼女と同じように決められた台詞を返す。
もう後には戻れない。
次の台詞が最後だと彼は分かっていた。
それを最後に彼は目の前にいる赤ずきんを食べてしまう。
そして彼女との関係は終わりを迎える。
そう、わかっていた。
「どうしてあなたは……泣いているの?」
「…………え?」
想定していたセリフとは違う彼女の言葉に彼は戸惑ってしまう。少女はまっすぐな瞳で彼を見つめていた。
少女の瞳に映ったオオカミの眼からは大粒の涙がこぼれていた。
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