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第2章 赤ずきん編

73話 誰かの為の魔法

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 ◇◇◇

「もうこんな時間か」

 辺りを見ると日は完全に沈み、夜になっていた。

「……疲れた」

 少年は言葉を話すのに慣れていないせいか、疲労に襲われている様子だった。

「グリムは何でこの世界にいる?」

 ウルが尋ねてくる。

「この世界に来た時に、ガラスの靴の片割れを無くしてな……それを探しているんだ」

「ガラスの靴……もしかしてそれはか?」

「なぜそれを……」

 知っているかと聞くよりも先にウルはどこからともなくガラスの靴を取り出した。

「昨日オオカミから預かった。きれいだったから赤ずきんに渡そうと思っていた」

 そう言って少年はガラスの靴をグリムに渡してくる。

「いいのか?」

「グリムのなんだろ?」

 ありがとうとグリムはウルにお礼を言う。

「これでここにいる理由なくなったのか?」

「そう……だな」

 次の満月の夜には物語が進み、その後、おそらく数日としないうちにこの世界は終幕を迎えて消失する。それまでに境界線を越えて他の世界に移動する必要があった。

「……出ていく前に赤ずきん達に挨拶してほしい。グリムの事、赤ずきん嬉しそうに話してた」

「そうだな」

 赤ずきんとその母親には世話になったのでこの世界を出る前に一言声をかけるつもりでいた。

 しかし……本当にこのままこの世界を離れていいのだろうかという疑問が残った。

 物語が完結するのはほぼ間違いない。ただその場合目の前の彼はどうなる……

「……どうした?」

「いや、なんでもない」

 ふと、頭の中に二人の人間が思い浮かんだ。

 一人はこの世界で出会った細柄な騎士。

 そしてもう一人はガラスの靴の所有者だった赤髪の女性である。

「この世界で、俺は……」

 誰の為に何か出来ることはあるのかそう考えながらウルと別れ、村へと戻った。


 ◇


 村に戻り、最初に聞こえてきたのは悲鳴だった。

 グリムは村へ着くなり走ってその場所へ向かう。声の出どころは赤ずきんの家だった。

「いい加減にして!」

「それはこっちの台詞だ。ようやく、ようやくあんた達と3人きりになれるんだ」

 大声が赤ずきんの家から聞こえてくる。家の周りには村人が囲うようにして集まっていた為、道を遮られてしまう。

「誰か、誰か助けて!」

 赤ずきんの母親が助けをこうが、人々はその場から動こうとはしなかった。

「言っておくがな、村人はだ」

「……え?」

 赤ずきんの母親とグリムが疑問を持つ。

「物語が完結するまでの間、俺はこの家であんたらと暮らす」

「どうして……」

「言ってやったのさ、そうしなかったら俺は狩人の役割を放棄するってな」

「そんな事したら、あなたは焼失するわよ」

 赤ずきんの母親の言葉は至極当然だった。そんなことをする理由が見当たらない。

「そうだな、そして物語が進められずにお前たちも全員燃えて死ぬ」

 狩人は笑いながら大声でそういった。

「まさか……」

「そうだ、村人達は全員死にたくないからお前らを俺に差し出したんだ」

「な……」

 狩人の言葉にグリムと赤ずきんの母親は絶句する。狩人は人々の命を人質に赤ずきんの母親を差し出すことを強要したのだった。

「俺様は狩人だ、俺様の命令は絶対なのさ」

 狩人は笑いながら赤ずきんの母親を抱き寄せる。そして顔を近づけると赤ずきんの母親の顔をべろりとその舌で舐めた。

 生まれた時に与えられた役割は変わることはない。それをこんな形で利用する人間と出会ったのは初めてだった。

「ふざけるな……」

 グリムの頭に今までの世界で望まずとも世界に与えられた役割を懸命にこなしてきた人々の姿が浮かんだ。グリムは声にならない怒りの感情がこみあげてくる。

 周りを囲う人々を無理やり押し分けて狩人に迫ろうとする。

 人々を掴もうとしたそのとき、右手にを持っていた事を思い出す。

「リオン……」

 今の自分にできる事は何か、ガラスの靴を見たグリムは今一度自身が出来る事を考える。

「…………」

 即座に髪につけていた髪留めから魔女の「頁」を取り出す。それを自身に当てはめると魔女の姿に変わった。

になれ!」

 グリムは辺り一面に魔法をかけた。あっという間に人々は魔法に当てられて大小さまざまなオオカミに姿を変えていく。

「なんだぁ……?」

 狩人が振り向くよりも先にグリムの魔法は狩人にも届いた。

「!?」

 狩人が驚きの声を出す頃には既にオオカミの姿に変わっていた。

「ぐるるる……」

 この場にいた赤ずきんの母親とグリムを除いた人々は全てオオカミに姿を変わった。

「グリムさん!」

 赤ずきんの母親が魔女の姿になったグリムに抱きついてくる。その体は震えていて恐怖していた事実が肌から伝わってきた。

「…………」

 狩人にこれ以上赤ずきんの母親に関わるなと言うのも、今この場にいる人々に黙って見過ごすなと言うのもそのまま伝えるだけでは聞かない事は分かり切っていた。

 それならばどうすればいいか……

 ゆっくりと目を開くとグリムは抱き着いていた赤ずきんの母親を無慈悲にも冷たく払った。

「……え?」

 その態度に赤ずきんの母親は驚いた様子を見せる。グリムは彼女にだけ聞こえるような小さな声で「すまない」と言うと帽子で顔を隠した。

「この世界の物語が進まなかった理由はここにいる人間全員知っただろう?」

 帽子を手に持って今度はわざとらしく、それこそシンデレラの世界の魔女のような演技めいた大声でグリムは言葉を発する。

「オオカミが人間の姿になっていた原因、それはこの俺、使さ!」

 オオカミの姿になった人々が困惑しているのが伝わってくる。

「今まで隠していたが、俺はこの世界の森の中で生まれた異端の魔法使い、本来は物語に関わることのない人間だ」

 この場にいる全ての人間に聞こえるように一方的な会話をグリムは続けた。

「ただ……そこにいる狩人同様に俺は気に食わなかった、なぜ魔法使いの俺がただ森の中でひっそりと過ごさなければいけないのか!」

「グリム……さん?」

 赤ずきんの母親が困惑しているのを無視してグリムは演説めいたセリフを吐く。

「俺は我慢できなかった!だから手始めに赤ずきんを食べる役割を持ったオオカミを人間の姿にかえたのさ!」

 オオカミの姿になった村の人々が耳を傾けて聞いているのが分かる。

 この機を逃すまいとグリムは言葉を続ける。

「そして今、この場で村の人間をオオカミに変えたのも俺の仕業だ!」

「ぐるるるる」

 オオカミの姿に変えられた狩人が睨みつけている。

「次の満月の夜、物語が完結するまで赤ずきんの親子には誰も一切関わるな!もしも約束を破ったら、赤ずきんを食べる役割を持ったオオカミにかけた魔法は二度と解けなくする!」

「ぐるる!?」

 グリムの言葉を聞いてオオカミになった狩人の動揺が見てとれた。

「当然魔法が解けなければこの世界は進行不可になり、すべての人間は焼失するだろう」

 オオカミになった村人たちも狩人と同様にグリムの言葉に慌てているのが伝わってきた。

「これは命令だ」

 グリムはそう言って指を鳴らす。すると同時にオオカミ達は光を放ち始め、次々と元の人間の姿に戻っていく。

「わかったな?」

 いつでも自在に魔法をかけられるぞとまるで脅しのように、声色を変えて人々に言い放つ。

「ま、待て!」

 元の姿に戻った狩人が背を向けたグリムの肩を掴む。

「……言っておくが、俺を殺したらオオカミ少年の魔法は二度と解けなくなるからな?」

「……!」

 その言葉を聞いて狩人は手を離す。人々に異形として見られているような視線を無視してグリムは村を出ていった。


 ◇


 当然、言っていることのほとんどがはったりだった。

 指を鳴らすと同時に魔法が解けたのはその時間に解けるように予め決めて魔法を放っただけである。

 ウルが少年の姿をしているのは彼自身の特性でありグリムが関わっているわけではない。

 ただ狩人が自身に与えられた役割を利用したように、グリムは自身が持っていた「頁」を利用してあの場にいる全員を騙したのだった。

「これで二人は……」

 物語が終わるまで安全だと一安心する。


「グリムさん!」

 森に入る手前のあたりで声をかけられる。振り返ると赤ずきんとその母親だった。

「グリムさん、嘘ついていますよね」

 息を切らしながら赤ずきんの母親が距離を詰めてくる。

「あなたはこの世界の住人でもなければ、魔法で物語を止めていたわけでもない!」

 肩で息をしながら赤ずきんの母親はグリムの目の前まで迫る。

「あなたは私たちを助けるためにあの場で嘘をついた、そうですよね?」

 辺りを見回すが、二人以外に人がいる様子はなかった。

「そうだな、俺はこの世界の住人じゃ……」

 じゃないと言い終えるよりも先に赤ずきんの母親に抱きしめられる。

「ありがとう……あの時、この世界で私たちを味方してくれる人たちは誰もいませんでした。怖かった……本当に怖かった」

 赤ずきんの母親の声も体も震えていた。狩人に迫られたことがよほどの恐怖になっているのだろう。グリムは赤ずきんの母親の頭を優しくなで返した。

「これで二人とも、物語が完結するまで安全なはずだ」

 独り言のように言いかけた言葉を二人に向けて言う。

 赤ずきんの母親との約束はこれで守れそうだった。

「グリムさん、あの……」

 いつの間にか赤ずきんもこちらの腰の近くまで来ていた。

「グリムさんが嘘をついているのなら、ウルは本物の……オオカミなの?」

「……!」

 赤ずきんはいまだにウルの正体を知らされていない事はその様子から見て分かった。それでも村人たちがあれだけさわげば疑うのも当然だった。

「ウルは……」

 物語が進めば彼は目の前にいる赤ずきんを食べることになる。それはこの世界が赤ずきんの物語で彼がオオカミの役割を与えられている時点で変えようがない事実だった。

「よくわからないけど、一か月後にはこの世界は終わるんだよね?」

「そう……だな」

「それなら、私それまでにウルにおいしい料理をつくれるように頑張るね!」

 赤ずきんはそう言って元気よく家の方へと走っていった。

 グリムの答えを聞くことを恐れたからなのか、それとも言いよどんだグリムを気遣ったからなのか、その背中からは判断できなかった。

「……あの子には真実を伝えるべきでしょうか?」

 赤ずきんの母親が顔をグリムの胸元に近づけたまま話す。

「……わからない」

 言葉のままだった。真実を伝えることが果たして彼女にとって、少年にとって良い事なのかはわからなかった。

 赤ずきんとその母親は狩人に怯えることはなくなった。

 騎士たちの言う通り、このまま次の満月の夜を迎えれば世界は完結するだろう。

 ただ一人、赤ずきんの事を思う、人の姿になったオオカミの少年の気持ちだけ除いて。
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