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5話 サンドリオン
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「改めて助かった。ありがとう」
男はその藍色の瞳でまっすぐにシンデレラの姉を見つめた。
「お礼をしてくれるなら、少しだけあなたについて聞いてもいいかしら」
男は一瞬怪訝そうな顔をする。シンデレラの姉が無言でみつめると、仕方がないとため息をついて頷いた。
「あなたの役割を見せてほしいの、ほら「頁」をみせてちょうだい」
姉は自分の胸に手を当て、一枚の紙を体内から取り出して男に見せつけた。
物語の中に生きる全ての生き物は必ず役割が書かれた紙、通称「頁」とともに生まれてくる。
「頁」にはその生き物が物語の中で何をしなければいけないのか、何を演じなければいけないのかについて記されている。
当然シンデレラの姉として生まれてきた彼女の「頁」には、はっきりと「意地悪なシンデレラの姉」と最初に大きく文字が刻まれていた。
なぜ生まれると同時に役割が与えられるのかについては誰にも分からなかった。分かっていることは与えられた役割に背くと普段は体の中にしまっている「頁」が燃えて所有者は死ぬという世界の理だけだった。
生まれると同時に与えられる「頁」に描かれた役割をこなし、「頁」を束ねて一冊の物語を完成させる。それこそがこの世界の住人全ての使命である。すべての生物は世界に生まれたその時からその理を理解していた。
「ほら、はやくあなたの「頁」を見せなさいよ」
自分の役割を好ましく思っていないシンデレラの姉にとって他人に「頁」を見せる行為はあまり良い気分ではなかった。
しかし、これはこの世界の王子様の命令によって住人同士でたまに行う役割確認の一つだった。
実際に役割を詐称する人間を炙り出す手段として互いに役割が記された「頁」を見せ合う事は有用だった。
「…………」
シンデレラの姉が「頁」を見せつける一方で、男はいつまでたっても自身の体から「頁」を取り出そうとしなかった。
「怪しい人間がいるって衛兵を呼ぶわよ?」
脅しのような言葉に対しても男は慌てる様子もなく無言を貫いた。
「あなた……この世界の住人じゃないわね」
男は姉の言葉に無言のまま首を小さく縦に振った。
シンデレラの姉は「やはり」と思う。倒れていた場所が世界を分かつ境界線の付近で会った事から、目の前の男はこの世界の住人ではない可能性が高かった。
「別の世界から来た人間……もしかしてあなたは『白紙の頁』の所有者?」
物語に生まれてきたものは本来みな全て役割が与えられる。
しかし世界にはごくまれに『役割を与えられずに生まれてくる』人間が存在することを彼女は聞いたことがあった。
役割のない何も書かれていない紙の事は「白紙の頁」と呼ばれていた。
「白紙の頁」を世界から与えられた者には役割が存在しない為、一つの世界に縛られることがない。「頁」に文字が刻まれていないので境界線を越えても燃える事はない。故に境界線を越えて放浪する旅人がいることを彼女は知識として持っていた。
「私「白紙の頁」を見たことがないのよね、良かったら見してくれない?」
シンデレラの姉は興味本位で男に尋ねた。
「…………」
男は一度だけ自身の胸に手をあたるが、すぐに手をおろし、「頁」を取り出そうとはしなかった。
「なによ、別に見せるぐらいいいじゃないの」
「俺は……無いんだ」
「ないって、まさか……「頁」を持っていないの?」
男は頷いた。
「え…………」
「白紙の頁」については姉も知っていたが、「頁」を持たない人間など聞いたことがなかった。
「「頁」を持っていないなら燃えて死ぬ事は絶対にないってことかしら?」
そうだな、と男は軽く肯定する。
「うらやましいわ、そんな人間もいるのね」
そう言いながら姉は自身の胸に「頁」をしまう。
「白紙の頁」の所有者には与えられた役割がないため役割に反して燃えることはないが、そもそも「頁」すらないということは、体内に「頁」という燃える可能性のある危険物を所持していないわけである。
「…………」
姉の言葉を聞いて男は無言のままどこか遠くを見つめた。その横顔を見てシンデレラの姉は目の前の男がどこか寂しく感じた。
「……今の言葉は取り消すわ」
姉は男に頭を下げる。役割を与えられなかっただけでなく、普通の人間が本来持つはずの「頁」を持っていない人間がどのような人生を歩んできたか、姉には想像がつかなかった。
男はシンデレラの姉が謝罪したことに対して驚いたような顔をすると今度は強いまなざしで姉の顔を見つめてくる。
「な、何かしら?」
「なぁ、あんた……名前はないのか」
名前がないと呼びづらい、と男は言った。
「……ないわよ、この世界に名前を与えられた役者は一人しかいないわ。あなたも『シンデレラ』の物語は知っているでしょう」
男は「あぁ」と軽く肯定する。「頁」を持たない旅人でもさすがにシンデレラの話は知っているようだった。
「私は「意地悪なシンデレラの姉」よ、それ以上でもそれ以下でもない」
姉はつい先ほども気にしないようにと思っていた話を自分自身で掘り返してしまったことに気が付いてげんなりする。
「……あなたは名前があるの?」
そういえば、とシンデレラの姉は男に尋ねた。少しの沈黙の後、男はゆっくりと口を開いた。
「グリム・ワースト、それが俺の名前だ」
「またずいぶんと長い名前ね」
名前があることに驚きと同時に羨ましい気持ちになった。
「それならあなたのことグリムってよんで良いかしら?」
「構わない」
グリムと呼ばれた男はシンデレラの姉を再びじっとみつめると口を開く。
「サンドリオン」
「なによそれ」
「あんたの名前だ」
「わ……私の名前?」
「嫌か?」
ドクン、とシンデレラの姉は自身の鼓動が高まるのを感じた。名前にあこがれを抱いていた「意地悪なシンデレラの姉」が名前を与えられて嫌なわけがなかった。
「そうね……リオン、リオンならいいかな」
サンドリオンは名前が強そうだから嫌、と告げた。グリムはなんだそれと笑う。自身の事をリオンと名乗っても胸の中にある「頁」が燃える気配はなかった。
考えてみれば住人がパン屋を開いてパン屋の店主と名乗るように、世界にとってこの程度は問題と認識されないのかもしれない。リオンは今までの心配が杞憂に終わったことに小さなため息を漏らした。
「リオン……うん、リオン」
シンデレラの姉、リオンは呼ばれた自分の名前を復唱し、少し微笑んだ。
「……俺はしばらくこの町に滞在する」
グリムと名乗った男は町の方角に視線を向けた。最初に出会った時と比べれば顔色もだいぶ良くなっていた。
「舞踏会が開かれるまでは町も人もほとんど動かないと思うから、目立つ行為さえしなければ問題ないはずよ」
グリムは「そうか、ありがとう」とお礼を言うと立ち上がり、町の中心地のほうへと歩いていこうとする。
「ちょっと待ちなさいよ。あなた今日泊まる場所あるの?」
「……当てはない」
男はピタリと歩くのをやめて返答した。
「それならついてきなさい」
リオンには町の中で外の世界から来た男を泊めてくれる場所に思い当たる場所があった。立ち上がったリオンはグリムの腕をつかむと一緒に歩き始める。
「お、おい……もう一人で歩ける」
「なによ、淑女に触られるのがそんなに恥ずかしいの?」
「……本当に品のある女性は自分で淑女とは名乗らないんじゃないか?」
「なら、この手を放して今日は野宿にする?」
「……………」
口論で押し負けたグリムは掴まれた手を振りほどこうとせずにリオンと歩き始めた。
不思議な男だと思った。演じるための役割、人生の意味を示す「頁」を持たない人間など聞いたことはなかった。彼女自身いまだに彼の存在を信じているわけではなかった。
しかし、リオンという名前を授けた彼に不思議と彼女は惹かれていた。
男はその藍色の瞳でまっすぐにシンデレラの姉を見つめた。
「お礼をしてくれるなら、少しだけあなたについて聞いてもいいかしら」
男は一瞬怪訝そうな顔をする。シンデレラの姉が無言でみつめると、仕方がないとため息をついて頷いた。
「あなたの役割を見せてほしいの、ほら「頁」をみせてちょうだい」
姉は自分の胸に手を当て、一枚の紙を体内から取り出して男に見せつけた。
物語の中に生きる全ての生き物は必ず役割が書かれた紙、通称「頁」とともに生まれてくる。
「頁」にはその生き物が物語の中で何をしなければいけないのか、何を演じなければいけないのかについて記されている。
当然シンデレラの姉として生まれてきた彼女の「頁」には、はっきりと「意地悪なシンデレラの姉」と最初に大きく文字が刻まれていた。
なぜ生まれると同時に役割が与えられるのかについては誰にも分からなかった。分かっていることは与えられた役割に背くと普段は体の中にしまっている「頁」が燃えて所有者は死ぬという世界の理だけだった。
生まれると同時に与えられる「頁」に描かれた役割をこなし、「頁」を束ねて一冊の物語を完成させる。それこそがこの世界の住人全ての使命である。すべての生物は世界に生まれたその時からその理を理解していた。
「ほら、はやくあなたの「頁」を見せなさいよ」
自分の役割を好ましく思っていないシンデレラの姉にとって他人に「頁」を見せる行為はあまり良い気分ではなかった。
しかし、これはこの世界の王子様の命令によって住人同士でたまに行う役割確認の一つだった。
実際に役割を詐称する人間を炙り出す手段として互いに役割が記された「頁」を見せ合う事は有用だった。
「…………」
シンデレラの姉が「頁」を見せつける一方で、男はいつまでたっても自身の体から「頁」を取り出そうとしなかった。
「怪しい人間がいるって衛兵を呼ぶわよ?」
脅しのような言葉に対しても男は慌てる様子もなく無言を貫いた。
「あなた……この世界の住人じゃないわね」
男は姉の言葉に無言のまま首を小さく縦に振った。
シンデレラの姉は「やはり」と思う。倒れていた場所が世界を分かつ境界線の付近で会った事から、目の前の男はこの世界の住人ではない可能性が高かった。
「別の世界から来た人間……もしかしてあなたは『白紙の頁』の所有者?」
物語に生まれてきたものは本来みな全て役割が与えられる。
しかし世界にはごくまれに『役割を与えられずに生まれてくる』人間が存在することを彼女は聞いたことがあった。
役割のない何も書かれていない紙の事は「白紙の頁」と呼ばれていた。
「白紙の頁」を世界から与えられた者には役割が存在しない為、一つの世界に縛られることがない。「頁」に文字が刻まれていないので境界線を越えても燃える事はない。故に境界線を越えて放浪する旅人がいることを彼女は知識として持っていた。
「私「白紙の頁」を見たことがないのよね、良かったら見してくれない?」
シンデレラの姉は興味本位で男に尋ねた。
「…………」
男は一度だけ自身の胸に手をあたるが、すぐに手をおろし、「頁」を取り出そうとはしなかった。
「なによ、別に見せるぐらいいいじゃないの」
「俺は……無いんだ」
「ないって、まさか……「頁」を持っていないの?」
男は頷いた。
「え…………」
「白紙の頁」については姉も知っていたが、「頁」を持たない人間など聞いたことがなかった。
「「頁」を持っていないなら燃えて死ぬ事は絶対にないってことかしら?」
そうだな、と男は軽く肯定する。
「うらやましいわ、そんな人間もいるのね」
そう言いながら姉は自身の胸に「頁」をしまう。
「白紙の頁」の所有者には与えられた役割がないため役割に反して燃えることはないが、そもそも「頁」すらないということは、体内に「頁」という燃える可能性のある危険物を所持していないわけである。
「…………」
姉の言葉を聞いて男は無言のままどこか遠くを見つめた。その横顔を見てシンデレラの姉は目の前の男がどこか寂しく感じた。
「……今の言葉は取り消すわ」
姉は男に頭を下げる。役割を与えられなかっただけでなく、普通の人間が本来持つはずの「頁」を持っていない人間がどのような人生を歩んできたか、姉には想像がつかなかった。
男はシンデレラの姉が謝罪したことに対して驚いたような顔をすると今度は強いまなざしで姉の顔を見つめてくる。
「な、何かしら?」
「なぁ、あんた……名前はないのか」
名前がないと呼びづらい、と男は言った。
「……ないわよ、この世界に名前を与えられた役者は一人しかいないわ。あなたも『シンデレラ』の物語は知っているでしょう」
男は「あぁ」と軽く肯定する。「頁」を持たない旅人でもさすがにシンデレラの話は知っているようだった。
「私は「意地悪なシンデレラの姉」よ、それ以上でもそれ以下でもない」
姉はつい先ほども気にしないようにと思っていた話を自分自身で掘り返してしまったことに気が付いてげんなりする。
「……あなたは名前があるの?」
そういえば、とシンデレラの姉は男に尋ねた。少しの沈黙の後、男はゆっくりと口を開いた。
「グリム・ワースト、それが俺の名前だ」
「またずいぶんと長い名前ね」
名前があることに驚きと同時に羨ましい気持ちになった。
「それならあなたのことグリムってよんで良いかしら?」
「構わない」
グリムと呼ばれた男はシンデレラの姉を再びじっとみつめると口を開く。
「サンドリオン」
「なによそれ」
「あんたの名前だ」
「わ……私の名前?」
「嫌か?」
ドクン、とシンデレラの姉は自身の鼓動が高まるのを感じた。名前にあこがれを抱いていた「意地悪なシンデレラの姉」が名前を与えられて嫌なわけがなかった。
「そうね……リオン、リオンならいいかな」
サンドリオンは名前が強そうだから嫌、と告げた。グリムはなんだそれと笑う。自身の事をリオンと名乗っても胸の中にある「頁」が燃える気配はなかった。
考えてみれば住人がパン屋を開いてパン屋の店主と名乗るように、世界にとってこの程度は問題と認識されないのかもしれない。リオンは今までの心配が杞憂に終わったことに小さなため息を漏らした。
「リオン……うん、リオン」
シンデレラの姉、リオンは呼ばれた自分の名前を復唱し、少し微笑んだ。
「……俺はしばらくこの町に滞在する」
グリムと名乗った男は町の方角に視線を向けた。最初に出会った時と比べれば顔色もだいぶ良くなっていた。
「舞踏会が開かれるまでは町も人もほとんど動かないと思うから、目立つ行為さえしなければ問題ないはずよ」
グリムは「そうか、ありがとう」とお礼を言うと立ち上がり、町の中心地のほうへと歩いていこうとする。
「ちょっと待ちなさいよ。あなた今日泊まる場所あるの?」
「……当てはない」
男はピタリと歩くのをやめて返答した。
「それならついてきなさい」
リオンには町の中で外の世界から来た男を泊めてくれる場所に思い当たる場所があった。立ち上がったリオンはグリムの腕をつかむと一緒に歩き始める。
「お、おい……もう一人で歩ける」
「なによ、淑女に触られるのがそんなに恥ずかしいの?」
「……本当に品のある女性は自分で淑女とは名乗らないんじゃないか?」
「なら、この手を放して今日は野宿にする?」
「……………」
口論で押し負けたグリムは掴まれた手を振りほどこうとせずにリオンと歩き始めた。
不思議な男だと思った。演じるための役割、人生の意味を示す「頁」を持たない人間など聞いたことはなかった。彼女自身いまだに彼の存在を信じているわけではなかった。
しかし、リオンという名前を授けた彼に不思議と彼女は惹かれていた。
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