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3話 名前
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シンデレラの世界の住人は主人公を除いて名前は存在しない。
主人公の取り巻きである彼女やたまに特徴のある人間、それこそパン屋を始めた彼はパン屋と呼ばれたりしているが、日常の中で住人同士はお互いを呼び合う際、「あいつ」や「お前」などで成り立っていた。
「やぁ、意地悪なシンデレラの姉」
「おはようおじいさん、今日は顔色が良いわね」
噴水の前のベンチに座っている老人に声をかけられる。老人はこの時間帯にベンチで町を眺めているのが趣味であることを彼女は知っていた。
「おはよう、意地悪なシンデレラの姉!」
「おはよう僕ちゃん、今日はおつかいかしら?」
雑貨屋の近くで小さな男の子に声をかけられる。少年は手に持っていた荷物を振り回しながら頷くと元気よく走っていった。
町の中を歩くとシンデレラの姉はたまに声をかけられる。その誰もが彼女の事を「意地悪なシンデレラの姉」と呼んでいた。彼らには決して悪気はない。ただ淡々と彼女に与えられた役割の名前を呼んでいる、それだけのはずだった。
「……今日は一段とその呼び方がこたえるなぁ」
シンデレラの姉は歩く足を止めると空を見上げてぽつりとつぶやく。家を出た時にも自分に与えられた役割について考えてしまったせいか、「意地悪なシンデレラの姉」という名前と同等の価値を持つ役割を耳にすることが普段よりも辛かった。
物語の主人公以外の人間にも存在価値はある、とシンデレラの姉自身も思っていた。
しかし、はたしてそれは誰の為にあるのだろうか……
「意地悪なシンデレラの姉」を含めた全ての住人はシンデレラという主人公を引き立てるための存在でしかないのでは……本当にこの与えられた役割を演じる意味はあるのだろうか……
「いけない、いけない、こういう時は気分を変えないとね」
シンデレラの姉はこれ以上深く考えないようにと首を振って町の中を歩き出した。
◇
「ふぅ、着いた」
町を東に抜けて更に少し傾斜のある丘を歩く。そこには大きな1本の樹が立っていた。この場所が今回の彼女の目的地だった。
町の方角からさわやかな風が吹き抜けてくる。ここに来るまでに少し汗をかいた彼女にとってその風は気持ち良かった。
シンデレラの姉は一息つくと景色を見渡す。この場所からは町だけでなく、舞踏会が開かれるお城を含めたシンデレラの世界を一望することが出来る。
嫌な気分になった時、彼女はこの場所に来る事で気分を紛らわしていた。
町の住人たちはこの場所が世界を分かつ「境界線」に近いせいか怖くて近づこうとはしない。
一人になりたいときにはうってつけの場所でもあった。
世界は「境界線」とよばれる仕切りで区切られている。物語の住人が「境界線」を越えようとすると普段は体内にしまっている「頁」に記載されている文字や絵が燃え始め、やがて「頁」とともに体が焼失してしまう。その為、好き好んで境界線の近くに訪れる人間はいなかった。
世界に役割を与えられた人間は生まれた世界から別の世界へと移動することはできない。これもまた生まれた時から人々が知っている世界の理の一つだった。
「……『意地悪なシンデレラの姉』か」
考えないようにしたつもりでも「頁」に記された自身の役割がふいに浮かんできてしまい、つい口ずさんでしまう。
そもそも世界に与えられた役割を演じる必要があるのか。
当然役割に背けば燃えて焼失してしまう……だから死なない様に演じているのは間違いではない……はずである。
「転生すれば私もいつかは主役になれるのかな」
ぼそりとシンデレラの姉は呟く。
人々が頁に記載された役割を演じ切ろうとするのには死なない為でもあるが、それとは別に一つの言い伝えを信じているからでもあった。
世界に与えられた役割を演じきった生き物は次回の生が約束される。
役割を演じ切った人が生まれ変わるこの理論は人々から「転生論」と呼ばれていた。
言い伝えというあいまいな言葉で表現されている理由は絶対であるという確証が人々には無いからだった。
役割の記載された「頁」を持って生まれてきた人たちは誰一人として前世の記憶など持っていない。誰も前世があるのか分からなかった。
それ故に「転生論」は信じているものもいれば信じていない人間も少なからずいた。
「…………楽園かぁ」
そしてこの言い伝えには続きがあった。
それは物語の中で主役を与えられた人間がその役割を全うした時、その人間は「頁」に縛られない自由の約束された「楽園」に行くことが出来るというものだった。
「……ほんと馬鹿みたいな考え方よね」
シンデレラの姉は言い伝えの後半の部分を考えて乾いた笑いとため息が出る。この考え方が正しいのであれば、物語の主役ですら「楽園」にいくための手段であり、目的ではない。
この世界で言うのなら『シンデレラ』という主人公ですら過程でしかないというのだ。
「それなら、「意地悪なシンデレラの姉」という役割を与えられた私は一体なんなのよ……」
主役ではない、与えられた役割だけ見れば町の住人のようにまともな役割を持たない人間よりもよっぽど不幸な立ち回りを強要される。
「シンデレラ」は義母や姉達にいじめられるが、魔女の力を借りて舞踏会では誰よりも輝きを放ち、最終的には王子様と結ばれて幸せを手に入れる。
一方で「意地悪なシンデレラの姉」はどうだろうか。シンデレラという物語には舞踏会以降、彼女の役割はほとんど存在しない。
物語全体を考えても、この世界においてシンデレラの姉はつまるところシンデレラの引き立て役でしかないのだ。
「……今の私に生きる意味はあるのかしら」
考えないようにしていたというのに、気分を変えるためにこの場所に来たというのに、結局この思考に陥ってしまう。そんな自分自身にシンデレラの姉は嫌気がさしてしまう。
「私がシンデレラだったら......」
ぽろりとそんな言葉が意地悪なシンデレラの姉の口からこぼれてしまう。
決して楽園という場所に行きたいからではない。ただこの世界の「シンデレラ」という主役に憧れていた、それだけだった。
主人公の取り巻きである彼女やたまに特徴のある人間、それこそパン屋を始めた彼はパン屋と呼ばれたりしているが、日常の中で住人同士はお互いを呼び合う際、「あいつ」や「お前」などで成り立っていた。
「やぁ、意地悪なシンデレラの姉」
「おはようおじいさん、今日は顔色が良いわね」
噴水の前のベンチに座っている老人に声をかけられる。老人はこの時間帯にベンチで町を眺めているのが趣味であることを彼女は知っていた。
「おはよう、意地悪なシンデレラの姉!」
「おはよう僕ちゃん、今日はおつかいかしら?」
雑貨屋の近くで小さな男の子に声をかけられる。少年は手に持っていた荷物を振り回しながら頷くと元気よく走っていった。
町の中を歩くとシンデレラの姉はたまに声をかけられる。その誰もが彼女の事を「意地悪なシンデレラの姉」と呼んでいた。彼らには決して悪気はない。ただ淡々と彼女に与えられた役割の名前を呼んでいる、それだけのはずだった。
「……今日は一段とその呼び方がこたえるなぁ」
シンデレラの姉は歩く足を止めると空を見上げてぽつりとつぶやく。家を出た時にも自分に与えられた役割について考えてしまったせいか、「意地悪なシンデレラの姉」という名前と同等の価値を持つ役割を耳にすることが普段よりも辛かった。
物語の主人公以外の人間にも存在価値はある、とシンデレラの姉自身も思っていた。
しかし、はたしてそれは誰の為にあるのだろうか……
「意地悪なシンデレラの姉」を含めた全ての住人はシンデレラという主人公を引き立てるための存在でしかないのでは……本当にこの与えられた役割を演じる意味はあるのだろうか……
「いけない、いけない、こういう時は気分を変えないとね」
シンデレラの姉はこれ以上深く考えないようにと首を振って町の中を歩き出した。
◇
「ふぅ、着いた」
町を東に抜けて更に少し傾斜のある丘を歩く。そこには大きな1本の樹が立っていた。この場所が今回の彼女の目的地だった。
町の方角からさわやかな風が吹き抜けてくる。ここに来るまでに少し汗をかいた彼女にとってその風は気持ち良かった。
シンデレラの姉は一息つくと景色を見渡す。この場所からは町だけでなく、舞踏会が開かれるお城を含めたシンデレラの世界を一望することが出来る。
嫌な気分になった時、彼女はこの場所に来る事で気分を紛らわしていた。
町の住人たちはこの場所が世界を分かつ「境界線」に近いせいか怖くて近づこうとはしない。
一人になりたいときにはうってつけの場所でもあった。
世界は「境界線」とよばれる仕切りで区切られている。物語の住人が「境界線」を越えようとすると普段は体内にしまっている「頁」に記載されている文字や絵が燃え始め、やがて「頁」とともに体が焼失してしまう。その為、好き好んで境界線の近くに訪れる人間はいなかった。
世界に役割を与えられた人間は生まれた世界から別の世界へと移動することはできない。これもまた生まれた時から人々が知っている世界の理の一つだった。
「……『意地悪なシンデレラの姉』か」
考えないようにしたつもりでも「頁」に記された自身の役割がふいに浮かんできてしまい、つい口ずさんでしまう。
そもそも世界に与えられた役割を演じる必要があるのか。
当然役割に背けば燃えて焼失してしまう……だから死なない様に演じているのは間違いではない……はずである。
「転生すれば私もいつかは主役になれるのかな」
ぼそりとシンデレラの姉は呟く。
人々が頁に記載された役割を演じ切ろうとするのには死なない為でもあるが、それとは別に一つの言い伝えを信じているからでもあった。
世界に与えられた役割を演じきった生き物は次回の生が約束される。
役割を演じ切った人が生まれ変わるこの理論は人々から「転生論」と呼ばれていた。
言い伝えというあいまいな言葉で表現されている理由は絶対であるという確証が人々には無いからだった。
役割の記載された「頁」を持って生まれてきた人たちは誰一人として前世の記憶など持っていない。誰も前世があるのか分からなかった。
それ故に「転生論」は信じているものもいれば信じていない人間も少なからずいた。
「…………楽園かぁ」
そしてこの言い伝えには続きがあった。
それは物語の中で主役を与えられた人間がその役割を全うした時、その人間は「頁」に縛られない自由の約束された「楽園」に行くことが出来るというものだった。
「……ほんと馬鹿みたいな考え方よね」
シンデレラの姉は言い伝えの後半の部分を考えて乾いた笑いとため息が出る。この考え方が正しいのであれば、物語の主役ですら「楽園」にいくための手段であり、目的ではない。
この世界で言うのなら『シンデレラ』という主人公ですら過程でしかないというのだ。
「それなら、「意地悪なシンデレラの姉」という役割を与えられた私は一体なんなのよ……」
主役ではない、与えられた役割だけ見れば町の住人のようにまともな役割を持たない人間よりもよっぽど不幸な立ち回りを強要される。
「シンデレラ」は義母や姉達にいじめられるが、魔女の力を借りて舞踏会では誰よりも輝きを放ち、最終的には王子様と結ばれて幸せを手に入れる。
一方で「意地悪なシンデレラの姉」はどうだろうか。シンデレラという物語には舞踏会以降、彼女の役割はほとんど存在しない。
物語全体を考えても、この世界においてシンデレラの姉はつまるところシンデレラの引き立て役でしかないのだ。
「……今の私に生きる意味はあるのかしら」
考えないようにしていたというのに、気分を変えるためにこの場所に来たというのに、結局この思考に陥ってしまう。そんな自分自身にシンデレラの姉は嫌気がさしてしまう。
「私がシンデレラだったら......」
ぽろりとそんな言葉が意地悪なシンデレラの姉の口からこぼれてしまう。
決して楽園という場所に行きたいからではない。ただこの世界の「シンデレラ」という主役に憧れていた、それだけだった。
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