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幽霊船見学ツアー終了

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 みんなが眠ったあと、最初に目覚めたのはヒララだった。すごく分厚いメガネのせいで玉の光が屈折し、ちゃんと目に届かなかったからだ。記憶もしっかり残っていた。
「うぅ、眠り込んでいたギシ。」
割れた窓から朝日がうっすら差し込んでいる。
「ギシィ、もう夜明けなのだ。日の光は苦手なのだ。」
分厚いカーテンを閉めながら、まだ眠っているユラノスケを見た。日差しはユラノスケの燕尾服の裾先に届いていて、そこだけ灰になっている。
「ギシ…」
ユラノスケを日差しの中へ動かそうとすれば起こしてしまい、面倒な事になりそうな気がした。そこで全部のカーテンを念入りに閉め直し、光が全く入らないようにした。
「これでいいのだ。」
削りかけの杭でユラノスケの鼻ちょうちんを突っついた。
ぱちんっ
ちょうちんが破裂して、寝ぼけながら目を覚ますユラノスケ。
「ふがごっ・・・我輩、美女に囲まれてより取りみ取りの吸い放題…」
夢の余韻で少しぼーっとしていたが、はっと赤い目を見開いて覚醒した。ヒララがマントをほどいて自由にしてやる。
「今夜はもう疲れたギシ。決着をつけるのは今度にするのだ。」
「うむ、望むところである。正直言って我輩も今は調子が出ないのである。まずは街に行ってもっと吸わねばならん。」
「それなら急がないと夜が明けてしまうのだギシ。」
ヒララはそう言って時計を指さした。シメゾウ爺さんが持って来ていた目覚まし時計だ。
「おお、もう4時過ぎであったか。急がねば。」
ユラノスケは窓のところまで行ってヒララを振り返った。
「貴様、敵にしてはいい奴であるな。」
「早く行くのだ。」
ユラノスケはうなずいてカーテンに手を掛ける。
「ではさらば!」
カーテンを勢い良く開けた途端、全身に朝日を浴びるユラノスケ。サーッと体の色が白黒になり、頭のてっぺんから服もろとも灰になっていく。灰は窓から外へたなびいて風に乗り、どこへともなく流れていった。あとには一つかみの灰の山だけが残った。
「ケッケッケッ、いい奴?あたしが?」
ヒララは目覚まし時計の針を少し戻しておいたのだった。灰の山からボワ~ッとユラノスケの魂が浮き上がり、天井に現れた黒い渦に吸い込まれていく。残っていた灰も風に吹かれてどこかへ飛んで行った。こうしてヒララは牙を交える事無くユラノスケをやっつけたのだった。
「ギッシッシ、あたしはとってもいい奴なのだ。」
 それから暫くして他のみんなも目を覚ました。
「吸血鬼に吸われる夢を見ちゃったよー」
とユルミが言うと、萩知トオルが驚いた。
「なんと私もなのです。」
するとクラリも、
「あんた達もなの?まったく嫌な夢だったわよ。」
と言った。リンコ先生は、
「わたくしは自分が吸う夢でしたわ。オホホ」
とまんざらでもなさそうだ。久野先生は、
「僕は小楠先生から吸う夢を…夢とはいえ失礼しました。」
と恐縮した。
「実はワシも吸血鬼の夢を見たんじゃ。こんな偶然があるじゃろか。」
と、シメゾウ爺さんも不思議がった。
「だいたい何でみんなでヒララんちに来てるんだっけ?」
というクラリにヒララはきっぱり言った。
「幽霊船見学ツアーなのだ。」
「そういえばそうだったわね。それにしても何でみんなして眠りコケてたのよ?」
「幽霊のせいなのだ。」
「何で寝起きなのにこんなに疲れてるのよ?」
「幽霊のせいなのだ。」
「何でユルミはこんなに食い意地が張ってるのよっ?」
「幽霊のせいなのだ。」
「んぐっ」
朝食代わりにおやつの残りを頬張っていたユルミがむせた。シメゾウ爺さんが目覚まし時計を手に取った。
「直した時計の時間がずれとるのも幽霊のせいじゃろか?」
「もちろんなのだ。」
部屋の隅の棺桶から音がした。
コンコンコン
柿田イシオが中からノックしている音だった。
「おーい、出してくれー」
「すっかり忘れていたのだ。」
ヒララが蓋を開けるとイシオがのろりと這い出してきた。
「俺に噛みついた奴はどこへ行きやがった?!」
きょろきょろするイシオにクラリが言った。
「イシオ、まさかあんたも吸血鬼の夢を見たっていうんじゃないわよね?」
「夢?俺はユラノスケとかいう奴に首を噛まれたんだぞ!夢なんかじゃねえ!」
「それが夢なのよ。不思議な事にみんなして吸血鬼の夢を見てたのよ。」
「そんなバカな!」
イシオは納得いかない。萩知トオルがイシオに近付いて首筋を調べた。
「私としても信じ難いのですが夢だったようです。実際、あなたの首に刺し傷はありません。」
「それなら、俺がコウモリにさらわれて来たのも、根地が蝋人形みたいにされてたのも全部夢だったって言うのか?」
「そうなのだギシ。」
断言するヒララの顔をじーっと見つめるイシオ。そして頷いて言った。
「うん、小森が可愛い天使な訳ねえよな。やっぱり夢だったんだ。」
「ギシィ、失礼な納得のされ方なのだ。」
「俺だって完全に納得いった訳じゃねえ。でも記憶が事実だとすると小森が俺の、」
ちょっと視線をヒララから外す。
「お、俺の可愛い天使って事になっちまう。そんなはずねえからやっぱり…」
「ギッシッシ、可愛い天使なのは事実なのだ。でもお前のではないのだよ柿田クン。」
むしろお前があたしの物なのだ、血を入れた水筒なのだ、という冗談は言わずにおいた。
「イシオは久野先生と一緒にトラックの荷台に乗って来たのだ。それで車酔いになって寝ていたのだ。」
ヒララが適当に話を作って聞かせると、みんな何となくそうだったと思い、イシオもそれに流された。イシオは変な魚の光る玉は見なかったが、脳に達した寄生虫の分泌液でやはり記憶がぼやけていたせいである。先生たちは親がいないヒララの家庭訪問に来たつもりになっていた。
「具合の悪かった柿田君ももう大丈夫そうですし、皆さんそろそろ帰りましょうか。」
とリンコ先生が言ったので、久野先生はホッとした。
「ほらみんな帰るぞ。今日は土曜だから学校休みだ、ゆっくり休むんだぞぉ。」
自分が一番休みたい久野先生だった。でもユルミは不満そうだ。
「えー?寝ちゃってたから見学ツアーがまだ途中だよー」
クラリは帰りたい方の一人だ。
「もう十分だわよ。ほらさっさと帰るわよ。」
と言ってまたリンコ先生にくっついている。イシオは荒れ果てた廊下の様子を見てヒララに言った。
「こんな幽霊船に一人で住んでるのかよ。」
「そうなのだ。母上はルマニア島で亡くなったギシ。父上もこの前病死したのだ。」
萩知トオルが腕を組んで目を閉じて頷いた。
「お父さんの療養の為に嵐のルマニア島から来たのに、亡くなられたとは残念な事です。ご愁傷様なのです。」
(ギシシ、どうやらあたしが吸血コウモリなことも忘れられているみたいなのだ。あの変な魚のお陰なのだ。釣り上げたメチとかいう子は…)
見回したがピヨン・メチはいつの間にか居なくなっていた。
ワオオ、ワオオン
シロがユルミに「もう、帰ろう。」と吠えた。イシオがシロの大きさに感心しながら寄って来て、なでようとしたが避けられた。
ガルウ
「いいじゃねえか、俺もちょっと乗せてくれよ。」
背中に手を掛けようとした瞬間、
ガオーッ!
鋭い爪をイシオに振るう姿は犬というより猛獣だった。
「うわっ!」
爪はイシオの服の袖を切り裂いて腕にかすり傷をつけた。
ガオオ、ガオガオ(今のは警告だ)
「わ、分かった分かった。おー痛てえ。」
腕をまくって薄っすら付いた傷口を見るイシオ。
「あんた知らないの?シロはユルミと爺さんにしか懐かないのよバカねぇ。」
クラリはしかし心配そうな顔をし、ヒララはちょっと傷口を舐めたそうな顔をした。イシオの背後にすっと立つ白い人影。ユルミがその人影を指さした。
「イシオくん、後ろ後ろー」
イシオが振り返った時にはすでにリンコ先生に腕を掴まれていた。
「あらまあ大変、お薬付けないといけませんわね。」
小瓶からポタリ。
「ぎぃやぁーーっ!」
イシオは絶叫しながら部屋を飛び出して行った。その日はそのままお開きとなり、みんな家へ帰って行った。リンコ先生はミシガン号を出る途中、廊下のガラクタの中に落ちていた骨をそっと拾っておいた。ヒララはフライドチキンの骨だと言っていたけれど、リンコ先生にはそうは思えなかった。
「持って帰ってまた今度調べてみましょう。」

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 その頃地獄では、エンマ大王がユラノスケの魂を前に閻魔帳をパラパラめくっていた。
「これはまた穢れた魂が来たものだ。しかし閻魔帳に名前が無いのが解せぬ。」
関わると面倒なことになる予感がした。灰色のオタマジャクシみたいなユラノスケの魂はそんなエンマ大王を素通りし、血の匂いにひかれてスイーっと血の池地獄へ飛んで行った。
「まあ良かろう。」
大王はパタンと閻魔帳を閉じた。
「名前も載ってないし見なかったことにしよう。」
ユラノスケの魂は人間の魂と違い、血の池地獄も平気だった。まるで温泉に浸かるように大きく息を吐く。
「はあ~極楽極楽。」
ユラノスケの魂はたまに赤鬼の首筋にまとわり付く。
「やはり赤鬼がいいのである。」
ユラノスケにまとわり付かれると赤鬼は血の気を失って青ざめ、しばらく青鬼になってしまうのだった。
ユラノスケの魂から穢れが洗い落とされるには長い年月が掛かりそうだ。
 一方ミシガン号の外へ漂って行ったユラノスケの灰は、枯れ木に花を咲かせたり換気扇を詰まらせたりしていたが、最後は掃除のおじさんに箒で掃かれて火曜日のゴミに出されたのだった。
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