飛竜誤誕顛末記

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第四章 将軍様一局願います!

第33話 忘れられない記憶

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「カルバックとシラーブ、いよいよ戦争が始まるってな」
山鳥の串焼きを齧っている最中に後ろから聞こえてきた会話に、ピタリと肉を噛む口が止まった。
それを聞いた瞬間、賑やかな市場の中に居るはずなのに一気に周りの喧騒が聞こえなくなってしまった。
「あぁ、みたいだな。国境付近の村民達が兵達の目を盗んで逃げ始めてるらしい」
「両国ともかなりの数の軍隊が国境沿いに配置されたからな。いつ開戦ってなってもおかしくねぇぞ」
背後の会話が気になりすぎて、食べる事を忘れて聞く事に集中する。
こんなに緊張するのは久しぶりに聞いた彼の国の名前のせいか、それとも戦争という話題のせいか。
「どっちが勝つかねぇ・・・」
「馬鹿、そんな呑気なこと言ってる場合じゃねぇぞ。戦争が始まれば俺達だって無関係ではいられないんだからな。うちはカルバックの従属国だ。きっと近々徴兵されるぞ」
「だろうなぁ・・・・・俺んとこ子供が生まれたばっかだってのによぉ・・・」
片方はうんざりとしたように舌打ちし、もう片方は諦めたように深くため息を吐いた。
「なんだ兄ちゃん、生まれたんならまだいいじゃねぇか。俺んとこなんかまだ母ちゃんの腹ん中だぜ。このままじゃ我が子の顔を見る事も出来ないかもしれねぇ」
「それは残念だ。せめてできる限りの財産を遺してやらねぇと」
2人の会話に周りの人達も混ざり始めるけど、皆当たり前のように自分が死ぬ事を前提に話をしているのが怖い。
「全くたまんねぇよな。シラーブとカルバックじゃ小国同士の小競り合いとは訳が違う」
「大陸全土を巻き込んでの戦になるぞ。ったく、自分とこだけで戦ってほしいってもんだぜ」
「いい迷惑だ。だいたいこの国の王が弱気過ぎるから巻き込まれる羽目になったんだ。たいした抵抗もせずにカルバックなんかの属国になるなんて、無能の恥知らずめ」
「おいっ、しっ。滅多なことを言うな。衛兵に聞かれるぞ」
「仕方あるまい、姫様を何人も人質に取られているんだ」
「ご機嫌取りに差し出したのは王自身だろ。姫様方も哀れなことだ」

【ケイタ?どうした?手が止まっているぞ。美味くなかったのか?】
おじさん達の話題が段々と戦争から自国への批判へと移り始めた頃、串を握りしめたまま固まっていた俺にイクファが心配気に声を掛けてきた。
『えっ、あ、いや・・・・・へへへ。あ、これ美味しいよ。はい』
はっとして、それから誤魔化すように笑いながら、姿を消した状態の大型犬サイズのイクファとエリーの口に串から外した肉を放り投げる。
【・・・うむ、悪くない】
イクファは意外と人間の作る料理を気に入っているらしく、満足気だ。
自然界の中には無い複雑な味が面白いって前に言ってた。
エリーもモゴモゴと傘を動かして咀嚼している。
『そろそろ帰ろうか・・・』
【ん?もう良いのか?】
いつも擬態が解けるギリギリまで粘るはずの俺の言葉に、イクファが少し驚いたように肉を飲み込んだ。
『うん。ダイル達にもお土産買ったし、もういいや』
葉っぱに包まれた大量の串焼きを目で示す。
予期せず聞いてしまった戦争というワードになんとなく気持ちが暗くなっちゃって、早く人間の居ない島に帰りたい気持ちになってしまったんだ。
【そうか・・・・まぁ、お前が満足したのならばそれで良い】

街を離れ島に向かって飛ぶイクファの背上で、ぼんやりと思考の海に沈み込む。
戦争。
戦争?
え、戦争?
戦争って、あの戦争だよな。
異世界語を聞き間違えた訳じゃないよな。
セフ先生から教わった歴史の授業で何度も出てきたワードだもん。
授業の内容は何も覚えてないけど、言葉は覚えている。
戦争。
どんなものか知ってはいても、本当の意味では知らないものだ。
歴史やニュースや映画で得た知識はあっても、実際に体験した事はない。
今までほとんど意識した事はなかったけれど、それはとても幸せな事なんだとさっきの人達の話を思い出して痛感する。
それは何時もどこか遠い世界で起こっていることで、実際に自分に関わってくる事はない他人事な気持ちだった。
でも、それがいざ身近な話となってくると、とても気持ちが混乱した。
いや違うか・・・・・今でも俺には他人事のはずだ。
だって俺は戦争をしている国にいる訳でも無く、そもそもどの国にも所属していない。
いまや俺が属するのは人間社会じゃなくて、竜の世界だ。
だから、心は痛むけれども俺には関係の無い話。
その筈なのに。
さっきから頭に浮かぶのは、シラーブで俺に良くしてくれていた人達の顔。
戦争になったら、皆戦いに参加するって事なんだろうか。
するよな・・・。
だって、そもそもがその為にいる人達だ。
軍に遊びにいった時に知り合った人達の笑顔を思い出して、恐怖を感じた。
兵だけじゃない。
戦争が始まれば、きっと街の人達も徴兵されるんじゃないんだろうか。
戦争に行くって、どれくらいの死亡率なんだろう。
どれだけ生きて帰ってこれる?
俺の知っている人達も死ぬんだろうか。
バンやザウラ、工房の職人さん達に市場に居た元気な商人達も戦争に行くのか?
知っている馬軍と飛軍の兵士さん達もどれだけ死の可能性があるのか。
カルシクやハガンも?
ナルガスやハリド達みたいな偉い人達は指揮をするだけ?
それとも上の身分の人でも実際に戦場を駆けるのだろうか。
それはイバンも?
それから・・・。
それから・・・・・っ。
知り合い達に迫る死の恐怖に、親しかった人達の顔を順番に思い出して。
最後に浮かんだ顔に、息が止まってしまった。
何故だろう、こんなに心が張り裂けそうになるのは。

島に戻ってからも、俺はずっとぼんやりとしていた。
大喜びでお土産の串焼きを食べているダイル達を見ながらも、思考は遥か彼方だ。
【ケイタ、どうしたのだ?人間の街で何かあったのか?】
いつまでも上の空な俺を覗き込んだイクファが心配気にソワソワとしている。
イクファは人間の言葉は知らないから、俺が何を聞いてこんなに落ち込んでいるのか分かっていないんだ。
『んー・・・・なんか、戦争が起こるんだってさ』
【戦争?人間達の話か?】
『うん、そう。街で食べてる時に聞いたんだ。それで何か暗い気分になっちゃってさ』
【・・・何故だ?何故その事でお前が落ち込むのだ?】
『え?』
返された言葉が予想外で驚いてイクファを見返せば、本当に全く意味が分かっていないのかとても不思議そうな表情にぶつかった。
『だって・・・戦争になったら沢山人が死ぬかもしれないんだよ?』
【そうだな。だが、お前には関わりのない事であろう?人間の縄張り争いは昔からのこと。確かに多くの人間が死ぬが、それでも絶滅せずに数多く生息しているのだから特に問題は無いのであろう】
なんとも無いように言われて理解する。
そうか。
竜にとって人間の戦争なんて本当に他人事なんだ。
他人事どころか、獣同士の縄張り争いくらいの認識かもしれない。
『で・・・でも、戦争になったら人間と契約している竜達も死ぬかもしれないんだよ?』
なんとなく無駄だろうなと思いながらも、共感を得たくて竜を引き合いに出してみれば、予想通りイクファは軽く首を振った。
【あやつらはそれも込みで納得して契約しているのだろう?ならば仕方あるまい】
『そんな・・・』
【あぁ、お前は人間と契約している竜達とも仲が良かったな。だから心配しているのか。優しい子だ】
突然俺を褒め出すイクファだけど、絶対何にも分かっていない。
『竜達だけじゃ無くて、人間達だって死ぬかもしれないのは心配だよ。知っている人達が死ぬのは悲しいからな』
俺が何を不安に感じているのか説明してやれば、途端にイクファの瞳孔が縦に細くなった。
【人間なんぞの心配などっ。人間はお前を傷付けたのだぞ!許し難き種族だ。己らで引き起こした諍いで死ぬならば自業自得と言うもの。お前が心配することではないっ】
いきなり怒り出したイクファに驚いて、口がポカンと開いてしまった。
『なんでそんなに怒るんだ・・?』
【人間は嫌いだ。弱いくせに支配的で欲深で嘘つきで】
イクファがイライラとしながらテンポ良く悪態をつく。
【穢らわしい種め】
何、なんか人間と因縁でもあるのか?
イクファはどうも俺の関心が人間に向くのが嫌みたいで、喉の奥から機嫌の悪い唸り声が轟いた。
【ケイタ、お前が人間の街に遊びに行くのは別にかまわん。それが楽しいと言うならば止める気も無い。だが、人間に心を寄せるのはやめなさい。あやつらは欺き裏切る生き物だ。・・・・お前も身を持って知ったであろう】
『・・・・うん・・まぁ・・』
島に来る前の事を言われて、悲しい気持ちを掘り返された。
【ケイタ、お前はもう完全な竜なのだ。人間では無い。必要以上にあの生き物に近寄ってはならん】
この話は終わりだとイクファにピシャリと会話を締められてしまえば、俺はそれ以上何も言えなかった。
そうか、イクファは人間が嫌いなのか。
そういえば、初めて会った時にまだ竜だと知らなかった俺をみて穢らわしいと言っていたな。
つんつん怒っている兄竜を見て、彼の前では人間関連の話は控えようと心の内でそっと誓った。

戦争の事は気がかりだったけど、結局のところ俺には何も出来ないからなるべく考えない事にした。
それよりも、俺にはやらなきゃいけない課題があるからな。
島に戻ったその日から、俺は約束通り飛竜の擬態の練習に集中した。
俺が人間の戦争を心配したのがいけなかったのか、イクファも俺の隠れ竜教育に本格的に力を入れ始めた。
竜の姿の練習と合わせて、幻覚魔法の使い方に、音を消す方法、匂いを消す方法、気配の消し方等を熱心に教えてくれて、俺に竜としての自覚を持たせるのに必死だ。
気配を消す練習では、イクファと恐怖の隠れんぼをしたりもしている。
森の中でひたすらイクファに見つからないように隠れ続けるんだ。
気持ちは完全に恐竜映画。
森の中で恐竜にみつからないように逃げ惑うやつ。
イクファも姿を消しながら近寄ってくるから、何処にいても気は抜けない。
まぁ大体2時間程度で捕まっちゃうんだけどね。
めっちゃスリリングな時間だ。
あ、でもこうやって言うとめっちゃスパルタな教育三昧な生活のように聞こえるけど、基本はまったり生活しているよ。
イクファが見守る中、エリーやダイル達と協力して狩りをしたり、果物を採ったり。
時々、寝ている大竜やイクファや他の大人の竜達に悪戯をして怒られたり。
楽しくやっている。
そうそう、あと俺は竜になってから体も野生仕様になったらしくて、生肉や生魚も問題なく食べれるようになったし、川の水をガブガブ飲んでもお腹は元気だ。
寄生虫とかも腹ん中に限らず、傷口からであろうと、俺の体内に入ってしまえばあっという間に消化されちゃうんだってさ。
竜になったばかりの時は、野生の生活なんて耐えられるんだろうかと色々と心配だったけど、全然問題なかったね。
島の竜は毒や病気にも強いらしくて、本当に自分でも呆れる程元気に生きている。
蛇に噛まれても、腫れもしなかったもんな。
竜の体、丈夫すぎて怖いわ。
血の滴る生肉を美味いと感じるあたり、イクファの望み通りだいぶ人間離れはしてきているし。
そんな雑なスローライフをおくりながら、俺は少しずつ隠れ竜としての基礎能力を身につけていった。

【明日は山の向こう側に狩りに行きたい!】
夜、巣穴である洞窟の中でダイルがフンフンと鼻息荒く宣言した。
『山の向こう?』
【そう!反対側!近くの川にいる水竜のおじちゃんが教えてくれたんだ。山の向こう側にデッカい飛ばない鳥の魔物が居るんだって。そいつが凄い美味いんだって!】
【行きたーい!】
【食べたーい!】
ダイルの話を聞いて、カイマンとアリが激しく頷いて賛成の意を表す。
【いつの間にそんな話聞いたんだ】
トリオの止まらぬ食欲にアントは呆れ気味だ。
【魚獲りにいった時に聞いた】
『へぇ、良いな。俺も鶏肉好き!』
いつか見た鳥車を引くドードーみたいなやつを想像して、俺の食欲にも火がつく。
【ケイタ、最近ダイル達に似てきたな】
『ありがとう、アント』
【褒めてない】
【ふむ・・・・あれか・・・よし良いだろう】
ダイル達と一緒に涎を飲み込んでたら、イクファが頷いてくれた。
【ケイタの狩りの練習にもちょうど良い。明日その獲物がいる場所に連れて行ってやろう】
【【【やったー】】】
【だが、あれは朝日が昇る頃にしか地上に出てこないから、その前にここを出るぞ】
『ん?地上に出てくる?』
【あぁ、日が高くなってくると地中に潜ってしまう】
『・・・・鳥なんだよね?』
【鳥と言えば鳥か・・・私は蛇だと思っていたが】
『ん?ん?ん?』
え、ちょっとなんか俺が思ってるのと違うかも。
一気に不安になってきた・・・。
【よし!朝早いならもう寝よう!】
【そうだな!】
【アント、ちゃんと起こしてな!】
【え、俺が起こす係なの?お前達自分で起きろよなー】
【私が起こしてやる】
わいわいと騒ぎながら布団に潜っていくアントとダイル達に、イクファが笑う。
【ケイタ、お前も早く寝なさい】
『うん。あ、でもその前にちょっと用足してくるわ』
さっさと寝ろと布団を示されたけど、その前に出すもん出したくて俺は洞窟の外へと向かった。
エリーは先に布団に入って、行ってらっしゃいと手を振っている。
【気をつけて行ってきなさい。1人で大丈夫か?】
『大丈夫大丈夫!お願いだからついて来ないでくれよ?』
背後からかけられたイクファの言葉に返事を返し、出口へと急ぐ。
今にも一緒に来てしまいそうなイクファに苦笑してしまう。
ここで生活を始めたばかりの頃は、本当に付いてきたからな。
心配してくれての行動なんだろうけど、あれには困った。
流石に用を足す時は1人がいいからさ。

洞窟の近くの川で用を済まし、戻る途中に何気なく空を見上げたら見事な紫の満月が輝いていた。
それが綺麗で、何となく足を止めて洞窟のある岩山の上に腰を下ろした。
地球にいた頃には見たこともないような、夜空を覆い尽くす細かい星の輝きに大きな天の川。
その美しさはこちらの世界に慣れた今でも霞むことは無い。
そういえば、この世界で初めて見た月も今日みたいな満月だったな。
何も分からず不安な気持ちを抱えながらも、初めて見る満天の星と紫の満月に心を奪われたもんだ。
空に浮かぶ大きな島や、地上を走る茸達にも驚きはしゃいでいたの思い出す。
異世界で迎える初めての夜だったけど、不安に押しつぶされなかったのは1人では無かったから・・・。
俺がこの世界に来たその日からずっと一緒にいた存在。
柔らかく緩められた目元が記憶の中で笑いかけてきた。

島に来てからの日々は楽しい。
ダイル達と一緒にいると何時もなんだか大騒ぎで笑いが止まらないし。
イクファも大竜も皆優しく見守ってくれている。
地上に降りてエリーと一緒に森を走り回るのも凄く楽しくて止められない。
だから、俺はいつでも笑っているし馬鹿みたいにはしゃいでいる。
地上での日々を忘れたように、今の生活をエンジョイしているわけだ。
だけど。
本当は何も忘れていないし、悲しくて辛い気持ちが消えたわけじゃない。
ただ皆の前でメソメソするのが嫌なだけだ。
だからなるべく楽しいことに集中して嫌なことは忘れようと思ってるんだけど、それが中々に難しいんだよな。
今みたいに何気なく見上げた満月に記憶を呼び起こされたように、日常の些細な場面でふとした瞬間に思い出す。
あぁ、この川はナマズと格闘した時の川に似ているな。
あの時は、焦ったように俺の名前を呼んでいたっけ、とか。
この果物を初めて食べた時、盛大にこぼした果汁を笑いながら拭いてくれたな、とか。
この葉には毒があるから触るなと教えてくれたな、とか。
とにかく色々な物事が、忘れようと意識している記憶へと繋がっていくんだ。
エリーや竜達に囲まれ楽しい毎日を送っていても、心の隅っこに何時も居る存在。
忘れられる訳がないんだ。
簡単に忘れるには、あまりにも思い出が多すぎるから。

今着ている服だって、ただ肌触りが良くないなってとこで考えるのを止めれば良いのに、つい前に着せてもらっていた服の上等さを思い出してしまうし。
思い出すのは、俺の健康を祈って入れられた星苺の刺繍。
そう、あれは星苺を一緒に採っている時に教えてくれたんだったか。
その刺繍にどんな意味があるのか、どんな祈りが込められているのか。
あの時、俺に健やかであってほしいと優しく言ったあの言葉は・・・・・嘘だったんだろうか。
魔力溜まりで、誓うように言われた守ってやると言う言葉も偽りだったんだろうか。
信じて頼ってほしいと言ったあの言葉は・・・。
楽しかった時の思い出は、いつも自然な流れで辛い記憶へと繋がっていってしまう。
つられたように思い出さなくても良いような事が、勝手に記憶の引き出しから取り出され始めて制御不能になった。
全てが変わってしまったあの日の記憶も蘇り、見たくもない映画を無理矢理見せられているような気持ちにさせられる。
頭の中の液晶に流れるのは、訳もわからず口論になってしまったあの場面。
俺には生活を立てる能力がないと、何も知らず何も持たない俺は無力だと、いつもは優しい筈の渋く低い声が容赦なく俺を責め立てている。
お前は一般市民の生活を何も分かっていないんだと。
「今のような生活は出来ないのだぞ」という言葉を思い出して、気持ちが萎んでいく。
確かに贅沢な暮らしをさせて貰っていた自覚はある。
だけど、別にその贅沢を続ける事を求めていた訳じゃない。
1人の大人として当たり前に自立したいと思ったのとは別に。
俺はただ、何時も頼りないものを見るようなあの不安気で心配そうな目を安心させたかっただけなんだ。
ちゃんと1人で自立できた姿を見せたかった。
それで一人前だと認めて貰いたかった。
ずっとそう思っていた。
・・・・でも、それは求められていたものとは違っていた。
結局最終的には、俺の意志は全部拒絶された。
求められたのは、無力で無知なまま何も考えずに可愛がられるペットみたいな存在。
裏切られたと思う気持ちもあるし、酷いことをされたという憤りもある。
悔しくて悔しくて、何より悲しい。
だけど、何でだろうか。
俺の心は必要ないと言われた時、あんなに絶望して失望したのに。
もう期待はしないと、取り戻そうとしていた関係は諦めたのに。
それでも、馬鹿みたいだけどやっぱり俺の心には未練がある。
あの優しさに未練があるから、思い出すと悲しい気持ちになるんだ。

芋づる式に苦しい記憶を掘り出し続けながら、ふと自分の指先が胸の間をぐりぐりと触っている事に気がついた。
実は最近、すっかりと癖になっているこの仕草。
こうやって悲しかった事を思い出すと無意識に触っているんだ。
指の腹に感じるのは引き攣れた肌の凹凸。
消えなかった奴隷印の痕。
竜に生まれ直しても消えなかったコレに最初に気付いた時、大竜達もイクファもとても嫌そうに唸っていた。
イクファなんかブチギレだった。
竜になって魔力で勝っているはずなのに消えなかった痕。
呪いをかけた術者の念がよっぽど強いんだろうって、アイハンが苦々しく教えてくれた。
それでも俺が成竜になれば流石に魔力で押し潰せるから、そのうち消える筈だって言ってたけど。
鎖も印も壊れ、服も卵の中で消えてしまった。
本当に地上から持ってきたものは何もかも無くなったのに、生まれ変わっても消えなかった唯一の痕跡だ。
・・・あの人を表す紋章が、今でも俺の肌の上に居続けていると思うと複雑な気持ちになる。
完全に消えてしまえば良かったのにと思う気持ちと、どこかまだ繋がりがあるのかもしれないと思う気持ち。
嬉しいと思う気持ちとは違うし、かと言って耐えられないほど腹立たしい訳でもない。
ただ、残ったこの痕に何故だか少し縋るような気持ちがある事は自覚している。
それが何故なのかだけが分からない。

もう一度月を見上げて、それから座って曲げた両膝の間に顔を埋める。
無性に寂しくて切ない気持ちになった。
俺の胸には、今でもぽっかり風穴が空いたままだ。
竜達との優しい日々で少しは小さくなったけれど、完全に塞がる事はない。
多分、この穴を完全に塞ぐ事ができるのは1人だけ。
目を瞑れば、瞼の裏に蘇るのは逞しい姿に豊かな髭。
優しくて、冷たくて、そして悲しいコニャックの瞳。

なぁ、今どうしてる?
・・・・・・・バルギー。

久しぶりに心の中で名前を呼んだら、閉じていた瞼の下から一筋だけ涙が流れた。
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