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第四章 将軍様一局願います!
第30話 副官の責任
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**イヴァン視点**
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
“あの件”があってから、ヴァルグィ将軍はすっかりと変わられてしまった。
いや、変わったと言うよりも戻ったと言ったほうが正しいかもしれない。
厳しい顔には感情が乗る事は滅多に無く、笑顔を忘れているどころか表情が緩む事すら無い。
何事にも容赦が無く冷徹なまでに厳格。
誰もが恐れる、ケイタに出会う前のヴァルグィ馬将軍その人だ。
ケイタが居た頃の将軍は本当に穏やかだった。
職務に対する厳しさは相変わらずだったが、ケイタがいる時は驚くほど柔和であったし、とても感情豊かであった。
だが、ケイタはもう居ない。
何故、こんな事になったのか。
何処で間違えたのか。
私がもっと早くに2人の問題に気付くべきだったのだ。
何故私は気付かなかったのか。
気付くキッカケはいくらでもあったはずだ。
ケイタが突然姿を現さなくなった事。
将軍がケイタの話をあまりしなくなった事。
今思えば、不自然な部分は沢山あった。
だが、私は気付かなかった。
今更言ったところで仕方のない事だとは分かっていても、後悔が消える事は無い。
私がもっと早く気付いていれば、もっと違う未来があったのではないかと未だに思ってしまう。
「イヴァン殿」
「これはカディ殿」
鬱々と廊下を歩いていれば、将軍によく似た声が私を呼び止めた。
声も姿もとても良く似たお二方だが、表情や話し方でこうも雰囲気が違うものかと何時も驚かされる。
「少しお時間を頂いても?」
「えぇ、大丈夫ですよ」
穏やかに笑うカディ殿に招かれ、私は足を進める方向を医務室へと変更することにした。
「ご足労かけて申し訳ありません」
「とんでもない。私もちょうど時間が空いたところでしたので、お気になさらず」
壁一面に薬瓶がきっちりと整頓されている医務室は、彼の人柄がよく出ていると思う。
「どうぞお掛けになってください」
勧められて腰を下ろせば、カディ殿は慣れた手つきで茶を入れ始める。
直ぐに室内には香ばしい茶葉の香りが漂い、先ほどまでの暗い気持ちを解してくれるようであった。
「よい香りですね」
「疲労に効く薬茶です。少しお疲れのようでしたので」
どうやら気鬱が分かりやすく顔に出ていたようだ。
自分の未熟さを指摘されたようで少し恥じてしまう。
「これは・・・顔に出ていたようでお恥ずかしい」
「疲れて当然ですよ。ここのところ休みなしでしょう」
「それは皆同じですよ」
差し出された茶は、緊張を解してくれるようなホッとする味わいであった。
「もう、何時戦が始まってもおかしくは無い状況ですからね」
カルバックとシラーブ、両国間の緊張感は未だかつて無いほど高まっており、もう武力衝突という言葉だけでは片付けられなくなっている。
お互い同盟国との結束を強め、着々と戦の準備は進められている。
もはや、“戦が起こるかもしれない”ではなく“いつ始まるか”という段階に入っているのだ。
世間話代わりにしては殺伐としているが、ここ最近の情勢等について話していれば。
しばらくして、カディ殿が少しばかり気まずそうに本題を切り出した。
「それで・・・」
「はい」
「・・・・あの馬鹿は最近どうですか」
カディ殿の言葉に思わず苦笑してしまった。
「相変わらずですよ」
誰の事かなど、考えなくても分かる。
「あのお方らしい隙のない仕事ぶりで、休む事なく働き続けていますね。あの体力は一体どこから湧いているのやら」
「・・・屋敷に戻りたくないだけでしょう」
そう吐き捨てるように言ったカディ殿は、一瞬だけ眉間を険しくした。
そういう表情をすると、やはり良く似ている。
あの一件があって以来、カディ殿はヴァルグィ将軍と距離を置いているらしい。
許せなかったのだろう。
ケイタを虐げた将軍を、そして止められなかった己自身を。
それでも、こうやって定期的に私を介して様子を確認する辺り、兄弟としての情が絶たれているわけでは無いようだ。
「屋敷の方でも相変わらずですか?」
今度はこちらから尋ねてみれば、カディ殿の瞳が物憂げに伏せられた。
「そうですね・・・リーフに確認した限りでは変わらず荒れているようです」
職務に関しては問題なくきっちり務めていらっしゃる将軍だが、どうやら屋敷での暮らしぶりはかなり荒んでいるらしい。
聞いた話では、屋敷にいる間は寝室で酒を飲んでいるか、奥の間に閉じ篭っているかのどちらかだとか。
「そうですか・・」
あれからだいぶ経っているが、将軍は今でもケイタの事から立ち直れていない。
あの日、将軍とケイタの間に何があったのか私は何も把握出来ないままに騒動が起き、ケイタは消えてしまった。
騒動の後にカディ殿やナルグァス将軍から話を聞いて、ようやくヴァルグィ将軍の蛮行を知ったのだ。
その残酷な仕打ちには言葉を失った。
ケイタに対して最もしてはならぬ事を、最もしてはならない人がしたのだ。
例え将軍といえども許される事では無い。
ナルグァス将軍も、カディ殿も、もちろん私も、将軍の行いには憤った。
しかし、誰よりもその事を許すことができなかったのは結局のところヴァルグィ将軍ご自身であった。
騒動の後、何時の間にか姿を消してしまった将軍を探していたところ、カディ殿へ状況の確認とケイタの無事の有無についてを尋ねるリーフからの使いが来て、ようやく将軍が屋敷に戻っていると知ることが出来たのだ。
職務を放棄するというあの方らしからぬ行動には驚いたが、兎に角そのままにする訳にもいかず急いでカディ殿と共に屋敷に迎えに行ったのだが・・・・。
私達が奥の間に足を踏み入れるのと、部屋の中で将軍が己のモノに短刀を振り下ろすのはほぼ同時だった。
叫んだ。
私もカディ殿も、その瞬間だけは憤りも何もかも忘れて叫んだ。
普通あそこまで何の躊躇いもなく自分の男性器に刀を振り下ろせるものか。
慌ててカディ殿と2人がかりで抑えつけて何とか事なきを得たから良かったものの。
いや・・・半分くらいは切れかけていたのだが。
まぁ、カディ殿がすぐに処置してくっ付けたのだから事なきを得たと言って良いだろう。
とにかく、あの方は誰よりも早く自分自身に罰を下してしまったのだ。
当時を思い出し、つい深いため息をつけば、カディ殿に大丈夫ですかと心配されてしまった。
「あぁ、いえ。すみません。あの時の事を思い出してしまって」
「あぁ・・・」
詳しく言わなくても何の話かはすぐに伝わったようで、カディ殿も同じように深いため息を吐かれた。
「本当にあの馬鹿は・・・・何事にも迷いが無さすぎて恐ろしい」
「えぇ、本当に・・・」
あの後、流石にまた自らを去勢しようとはしなかったが、将軍は騒動を起こした責任と己の犯した罪の責任を取るため、私達の反対を押し退けて貴族としての位と将軍の階級の返上を陛下へ申し出た。
カディ殿のいう通り、何の迷いもなく、そして何の未練も無く、責任を取るために自身の全てを投げ捨てようとしたのだ。
しかし、それは陛下には受け入れられなかった。
騒動を起こした事については叱責を受けたが、ケイタに対する行いに関しては誉められたものでは無いが所詮は奴隷の事と問題にすらされなかったのだ。
結局はそういう事なのだ。
どんなに倫理観に欠ける事でも、将軍と奴隷ではどちらが優先されるかなど考えるまでも無い事なのだ。
最終的に、騒動を起こした事については陛下からの叱責と軽い減俸で終わり。
ケイタに関しては一切の咎め無しという事で、あの一件は片づけられた。
将軍は何の罪にも問われず、ケイタの尊厳は何にも守られずに存在を消された。
心にしこりは残れども国の定めである以上、私達はそれを飲み込むしかなかった。
だが、当の本人である将軍がそれを飲み込めなかった。
ケイタは奴隷として蔑ろにされ、加害者である筈の己はその身分に守られたのだから。
その事実は将軍を打ちのめした。
印を持たないケイタを守りたいと願ったのは将軍だ。
尊厳を、人権を、何も持たないケイタに全てを与えたいと願ったのは将軍なのだ。
それなのに、己自身の手で全てを壊してしまわれたのだ。
今思えば、償う事すら許されなかった事が将軍にとっては何よりも辛い罰であっただろう。
それからである。
ケイタに出会う以前のような感情を見せない人柄へと戻り、まるで自分に罰を与えるかのように体力の限界まで働き続けるようになったのは。
過剰な働き方は以前からであるが、それでも限度と言うものがある。
一体いつ休んでいるのだろうかと、見ているこちらが不安になる。
それで、たまに屋敷に戻ったと思えばろくに休みもせず深酒をし、鬱々と奥の間に引きこもっているのだから仕方が無い。
カディ殿が距離を置きながらも心配するのが良く分かる。
「少しでも職務に支障が出れば、それを理由に無理矢理にでも休ませる事が出来るんですけどねぇ・・」
思わず愚痴るように呟けば、カディ殿も同意するように頷いた。
「残念ながら仕事ぶりだけは完璧なんですよ。まったく」
「昔からそういう奴なんです」
カディ殿がそう言いながら茶を一口含み。
それから、少しの間を置いて迷いを感じさせる口調で話し始める。
「本当は・・・そろそろあの馬鹿を許してやろうかと思ってはいるのです」
そう言う時点で、もう心の中では許しておられるのだろう。
「あいつはきっとこの先自分を許すことは決して無いでしょうし、再び誰かを愛して伴侶を迎える事もしないでしょう。あいつは・・・ヴァルグィは一生罪を背負って孤独に生涯を終えるつもりです」
「・・・・・」
「ケイタに対する行いを考えれば当然の償いかもしれませんが、それでも・・・今の姿はあまりにも哀れで。だからせめて私だけはあいつを許してやろうかと」
カディ殿の悲しげな目が将軍に対する情の深さを物語っている。
何があっても、唯一の兄弟という事に変わりはないのだろう。
「しかし」
カディ殿が酷く疲れたような様子で眉間を摘みほぐすような仕草をする。
「しかし、そうなるとやはりケイタに申し訳が立たなくて・・・」
なるほど。
それがカディ殿の悩みか。
兄弟に対する情と、ケイタに対する罪悪感。
その葛藤が彼を苦しめているのだろう。
「気持ちは分かりますが、それはカディ殿が背負うべき事ではないかと」
「しかし・・・・私の弟がした事です」
「そうです。全てはヴァルグィ将軍のしでかした事です。全ての責任はあの方にあります」
「・・・なかなかに手厳しいですね」
私の言葉に、カディ殿が困ったように苦笑した。
「私も・・・ケイタに関しては未だに後悔しているんですよ」
「後悔?」
「はい。あんな事になる前に気づく事が出来たのでは無いかという後悔があります。私がもっとしっかりと注意を払っていれば、将軍の凶行を止める事が出来たのでは無いかと。常にそばにいた私ならば将軍の様子がおかしかった事にも気付いたはず、いや気付かなくてはいけなかった。だからあの惨事を招いた責任は私にもあるのでは無いかとずっと後悔しています」
「それは・・・貴方のせいでは無い。それこそ、先ほど仰っていたヴァルグィの責任問題であって、貴方には何の責任も無いはずです」
「そうですね、つまりそういう事なのですよ。カディ殿、あの件については皆多かれ少なかれケイタに対して罪悪感と責任を感じています。しかし、結局のところそれを背負うのはヴァルグィ将軍なのです。あれは将軍の罪です」
カディ殿の葛藤を癒す事は私にはできないし、私自身の後悔も消える事は無いであろう。
「ですから、私は決めたのです。将軍がケイタに対する罪を背負い償う気持ちを持ち続ける限りは、今まで通りにあの方を支え続けようと。どんなに罪悪感が残ろうとも私ではケイタに対する罪を背負えませんし償う事もできません。それは私がすべき事では無いですから。なので、その代わりに将軍がその罪を償う手伝いをしようと心に誓っています。それが副官としての責任だと思っておりますので」
今まで誰に言うでもなかった決心であったが、こうして口に出してみれば少し気持ちがスッキリした。
「これはあくまでも私の考えですから、カディ殿にも同じ事を強要する気は勿論ありませんよ。要はどこで妥協して自分を納得させられるかと言う事です。完璧に納得できる答えなどありませんからねぇ」
一気に喋ったせいで喉の渇きを覚える。
潤いを求めて茶を飲めば、少しだけ冷めていた。
「なるほど・・・・」
「あぁ、申し訳ありません。私の話になってしまいましたな」
「いえ、とても為になりました。やはり1人で悩んでいると中々新しい考え方ができないものですね。他の方の考え方を聞くと新しい目線で物事を見つめられます」
少しスッキリしましたと言ったカディ殿は、何時もの穏やかな表情に戻られていた。
私の独り善がりな考え方だが、少しでもカディ殿の悩みを癒すことが出来たのなら何よりである。
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“あの件”があってから、ヴァルグィ将軍はすっかりと変わられてしまった。
いや、変わったと言うよりも戻ったと言ったほうが正しいかもしれない。
厳しい顔には感情が乗る事は滅多に無く、笑顔を忘れているどころか表情が緩む事すら無い。
何事にも容赦が無く冷徹なまでに厳格。
誰もが恐れる、ケイタに出会う前のヴァルグィ馬将軍その人だ。
ケイタが居た頃の将軍は本当に穏やかだった。
職務に対する厳しさは相変わらずだったが、ケイタがいる時は驚くほど柔和であったし、とても感情豊かであった。
だが、ケイタはもう居ない。
何故、こんな事になったのか。
何処で間違えたのか。
私がもっと早くに2人の問題に気付くべきだったのだ。
何故私は気付かなかったのか。
気付くキッカケはいくらでもあったはずだ。
ケイタが突然姿を現さなくなった事。
将軍がケイタの話をあまりしなくなった事。
今思えば、不自然な部分は沢山あった。
だが、私は気付かなかった。
今更言ったところで仕方のない事だとは分かっていても、後悔が消える事は無い。
私がもっと早く気付いていれば、もっと違う未来があったのではないかと未だに思ってしまう。
「イヴァン殿」
「これはカディ殿」
鬱々と廊下を歩いていれば、将軍によく似た声が私を呼び止めた。
声も姿もとても良く似たお二方だが、表情や話し方でこうも雰囲気が違うものかと何時も驚かされる。
「少しお時間を頂いても?」
「えぇ、大丈夫ですよ」
穏やかに笑うカディ殿に招かれ、私は足を進める方向を医務室へと変更することにした。
「ご足労かけて申し訳ありません」
「とんでもない。私もちょうど時間が空いたところでしたので、お気になさらず」
壁一面に薬瓶がきっちりと整頓されている医務室は、彼の人柄がよく出ていると思う。
「どうぞお掛けになってください」
勧められて腰を下ろせば、カディ殿は慣れた手つきで茶を入れ始める。
直ぐに室内には香ばしい茶葉の香りが漂い、先ほどまでの暗い気持ちを解してくれるようであった。
「よい香りですね」
「疲労に効く薬茶です。少しお疲れのようでしたので」
どうやら気鬱が分かりやすく顔に出ていたようだ。
自分の未熟さを指摘されたようで少し恥じてしまう。
「これは・・・顔に出ていたようでお恥ずかしい」
「疲れて当然ですよ。ここのところ休みなしでしょう」
「それは皆同じですよ」
差し出された茶は、緊張を解してくれるようなホッとする味わいであった。
「もう、何時戦が始まってもおかしくは無い状況ですからね」
カルバックとシラーブ、両国間の緊張感は未だかつて無いほど高まっており、もう武力衝突という言葉だけでは片付けられなくなっている。
お互い同盟国との結束を強め、着々と戦の準備は進められている。
もはや、“戦が起こるかもしれない”ではなく“いつ始まるか”という段階に入っているのだ。
世間話代わりにしては殺伐としているが、ここ最近の情勢等について話していれば。
しばらくして、カディ殿が少しばかり気まずそうに本題を切り出した。
「それで・・・」
「はい」
「・・・・あの馬鹿は最近どうですか」
カディ殿の言葉に思わず苦笑してしまった。
「相変わらずですよ」
誰の事かなど、考えなくても分かる。
「あのお方らしい隙のない仕事ぶりで、休む事なく働き続けていますね。あの体力は一体どこから湧いているのやら」
「・・・屋敷に戻りたくないだけでしょう」
そう吐き捨てるように言ったカディ殿は、一瞬だけ眉間を険しくした。
そういう表情をすると、やはり良く似ている。
あの一件があって以来、カディ殿はヴァルグィ将軍と距離を置いているらしい。
許せなかったのだろう。
ケイタを虐げた将軍を、そして止められなかった己自身を。
それでも、こうやって定期的に私を介して様子を確認する辺り、兄弟としての情が絶たれているわけでは無いようだ。
「屋敷の方でも相変わらずですか?」
今度はこちらから尋ねてみれば、カディ殿の瞳が物憂げに伏せられた。
「そうですね・・・リーフに確認した限りでは変わらず荒れているようです」
職務に関しては問題なくきっちり務めていらっしゃる将軍だが、どうやら屋敷での暮らしぶりはかなり荒んでいるらしい。
聞いた話では、屋敷にいる間は寝室で酒を飲んでいるか、奥の間に閉じ篭っているかのどちらかだとか。
「そうですか・・」
あれからだいぶ経っているが、将軍は今でもケイタの事から立ち直れていない。
あの日、将軍とケイタの間に何があったのか私は何も把握出来ないままに騒動が起き、ケイタは消えてしまった。
騒動の後にカディ殿やナルグァス将軍から話を聞いて、ようやくヴァルグィ将軍の蛮行を知ったのだ。
その残酷な仕打ちには言葉を失った。
ケイタに対して最もしてはならぬ事を、最もしてはならない人がしたのだ。
例え将軍といえども許される事では無い。
ナルグァス将軍も、カディ殿も、もちろん私も、将軍の行いには憤った。
しかし、誰よりもその事を許すことができなかったのは結局のところヴァルグィ将軍ご自身であった。
騒動の後、何時の間にか姿を消してしまった将軍を探していたところ、カディ殿へ状況の確認とケイタの無事の有無についてを尋ねるリーフからの使いが来て、ようやく将軍が屋敷に戻っていると知ることが出来たのだ。
職務を放棄するというあの方らしからぬ行動には驚いたが、兎に角そのままにする訳にもいかず急いでカディ殿と共に屋敷に迎えに行ったのだが・・・・。
私達が奥の間に足を踏み入れるのと、部屋の中で将軍が己のモノに短刀を振り下ろすのはほぼ同時だった。
叫んだ。
私もカディ殿も、その瞬間だけは憤りも何もかも忘れて叫んだ。
普通あそこまで何の躊躇いもなく自分の男性器に刀を振り下ろせるものか。
慌ててカディ殿と2人がかりで抑えつけて何とか事なきを得たから良かったものの。
いや・・・半分くらいは切れかけていたのだが。
まぁ、カディ殿がすぐに処置してくっ付けたのだから事なきを得たと言って良いだろう。
とにかく、あの方は誰よりも早く自分自身に罰を下してしまったのだ。
当時を思い出し、つい深いため息をつけば、カディ殿に大丈夫ですかと心配されてしまった。
「あぁ、いえ。すみません。あの時の事を思い出してしまって」
「あぁ・・・」
詳しく言わなくても何の話かはすぐに伝わったようで、カディ殿も同じように深いため息を吐かれた。
「本当にあの馬鹿は・・・・何事にも迷いが無さすぎて恐ろしい」
「えぇ、本当に・・・」
あの後、流石にまた自らを去勢しようとはしなかったが、将軍は騒動を起こした責任と己の犯した罪の責任を取るため、私達の反対を押し退けて貴族としての位と将軍の階級の返上を陛下へ申し出た。
カディ殿のいう通り、何の迷いもなく、そして何の未練も無く、責任を取るために自身の全てを投げ捨てようとしたのだ。
しかし、それは陛下には受け入れられなかった。
騒動を起こした事については叱責を受けたが、ケイタに対する行いに関しては誉められたものでは無いが所詮は奴隷の事と問題にすらされなかったのだ。
結局はそういう事なのだ。
どんなに倫理観に欠ける事でも、将軍と奴隷ではどちらが優先されるかなど考えるまでも無い事なのだ。
最終的に、騒動を起こした事については陛下からの叱責と軽い減俸で終わり。
ケイタに関しては一切の咎め無しという事で、あの一件は片づけられた。
将軍は何の罪にも問われず、ケイタの尊厳は何にも守られずに存在を消された。
心にしこりは残れども国の定めである以上、私達はそれを飲み込むしかなかった。
だが、当の本人である将軍がそれを飲み込めなかった。
ケイタは奴隷として蔑ろにされ、加害者である筈の己はその身分に守られたのだから。
その事実は将軍を打ちのめした。
印を持たないケイタを守りたいと願ったのは将軍だ。
尊厳を、人権を、何も持たないケイタに全てを与えたいと願ったのは将軍なのだ。
それなのに、己自身の手で全てを壊してしまわれたのだ。
今思えば、償う事すら許されなかった事が将軍にとっては何よりも辛い罰であっただろう。
それからである。
ケイタに出会う以前のような感情を見せない人柄へと戻り、まるで自分に罰を与えるかのように体力の限界まで働き続けるようになったのは。
過剰な働き方は以前からであるが、それでも限度と言うものがある。
一体いつ休んでいるのだろうかと、見ているこちらが不安になる。
それで、たまに屋敷に戻ったと思えばろくに休みもせず深酒をし、鬱々と奥の間に引きこもっているのだから仕方が無い。
カディ殿が距離を置きながらも心配するのが良く分かる。
「少しでも職務に支障が出れば、それを理由に無理矢理にでも休ませる事が出来るんですけどねぇ・・」
思わず愚痴るように呟けば、カディ殿も同意するように頷いた。
「残念ながら仕事ぶりだけは完璧なんですよ。まったく」
「昔からそういう奴なんです」
カディ殿がそう言いながら茶を一口含み。
それから、少しの間を置いて迷いを感じさせる口調で話し始める。
「本当は・・・そろそろあの馬鹿を許してやろうかと思ってはいるのです」
そう言う時点で、もう心の中では許しておられるのだろう。
「あいつはきっとこの先自分を許すことは決して無いでしょうし、再び誰かを愛して伴侶を迎える事もしないでしょう。あいつは・・・ヴァルグィは一生罪を背負って孤独に生涯を終えるつもりです」
「・・・・・」
「ケイタに対する行いを考えれば当然の償いかもしれませんが、それでも・・・今の姿はあまりにも哀れで。だからせめて私だけはあいつを許してやろうかと」
カディ殿の悲しげな目が将軍に対する情の深さを物語っている。
何があっても、唯一の兄弟という事に変わりはないのだろう。
「しかし」
カディ殿が酷く疲れたような様子で眉間を摘みほぐすような仕草をする。
「しかし、そうなるとやはりケイタに申し訳が立たなくて・・・」
なるほど。
それがカディ殿の悩みか。
兄弟に対する情と、ケイタに対する罪悪感。
その葛藤が彼を苦しめているのだろう。
「気持ちは分かりますが、それはカディ殿が背負うべき事ではないかと」
「しかし・・・・私の弟がした事です」
「そうです。全てはヴァルグィ将軍のしでかした事です。全ての責任はあの方にあります」
「・・・なかなかに手厳しいですね」
私の言葉に、カディ殿が困ったように苦笑した。
「私も・・・ケイタに関しては未だに後悔しているんですよ」
「後悔?」
「はい。あんな事になる前に気づく事が出来たのでは無いかという後悔があります。私がもっとしっかりと注意を払っていれば、将軍の凶行を止める事が出来たのでは無いかと。常にそばにいた私ならば将軍の様子がおかしかった事にも気付いたはず、いや気付かなくてはいけなかった。だからあの惨事を招いた責任は私にもあるのでは無いかとずっと後悔しています」
「それは・・・貴方のせいでは無い。それこそ、先ほど仰っていたヴァルグィの責任問題であって、貴方には何の責任も無いはずです」
「そうですね、つまりそういう事なのですよ。カディ殿、あの件については皆多かれ少なかれケイタに対して罪悪感と責任を感じています。しかし、結局のところそれを背負うのはヴァルグィ将軍なのです。あれは将軍の罪です」
カディ殿の葛藤を癒す事は私にはできないし、私自身の後悔も消える事は無いであろう。
「ですから、私は決めたのです。将軍がケイタに対する罪を背負い償う気持ちを持ち続ける限りは、今まで通りにあの方を支え続けようと。どんなに罪悪感が残ろうとも私ではケイタに対する罪を背負えませんし償う事もできません。それは私がすべき事では無いですから。なので、その代わりに将軍がその罪を償う手伝いをしようと心に誓っています。それが副官としての責任だと思っておりますので」
今まで誰に言うでもなかった決心であったが、こうして口に出してみれば少し気持ちがスッキリした。
「これはあくまでも私の考えですから、カディ殿にも同じ事を強要する気は勿論ありませんよ。要はどこで妥協して自分を納得させられるかと言う事です。完璧に納得できる答えなどありませんからねぇ」
一気に喋ったせいで喉の渇きを覚える。
潤いを求めて茶を飲めば、少しだけ冷めていた。
「なるほど・・・・」
「あぁ、申し訳ありません。私の話になってしまいましたな」
「いえ、とても為になりました。やはり1人で悩んでいると中々新しい考え方ができないものですね。他の方の考え方を聞くと新しい目線で物事を見つめられます」
少しスッキリしましたと言ったカディ殿は、何時もの穏やかな表情に戻られていた。
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