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第四章 将軍様一局願います!
第24話 ケイタの友
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**イクファ視点**
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
守り続けた大切な卵に、小さな人間の体が溶けるように吸い込まれていった。
それを見て、長い生の中で感じていた孤独の悲しみ、大切な兄弟を失ったと思っていた喪失の悲しみが癒されていくのを感じた。
本当に長い長い間、待っていたのだ。
私の仲間を。家族を。
島の竜達は皆、兄弟であり仲間である。
だが、その中でも同種の竜は特別だ。
より近しく親しい関係。
いくら島の竜が皆兄弟だ仲間だと言っても、日常的に群れるのはやはり同種同士なのだ。
同種の兄弟達で群れ、寝食を共にし、お互いを守り合う。
その関係が羨ましかった。
何故、私は1匹だけなのか。
何故、同種の竜が生まれないのか。
何故、他の竜には同種の兄弟が居るのか。
何故、私だけが、こんなにも孤独なのか。
日に日に寂しさに心を蝕まれ、“自分だけが”という思いに卑屈になっていく。
終わりの無い生において、孤独と言うもの程辛いものは無かった。
だから暗い洞窟の中で、私は皆を羨みながらずっと待ち続けた。
私を私の孤独から守ってくれる存在を。
そんな思いの中で生き続けてきたから、同種の卵が生まれたのを知った時はどんなに嬉しかった事か。
いや、あの時の気持ちは嬉しいなどと言う言葉程度では到底言い表せない。
私は本物の喜びと言うものを、あの時初めて知ったのだ。
心の中に常にあった寒い隙間が温かいもので埋められる、満たされる喜び。
大竜達に導かれ、暗い洞穴の奥にひっそりと生まれていた卵に出会ったあの日。
あの瞬間から、その卵を守る事が私の全てになった。
この世に存在する全ての危険から守るため、私は卵から片時も離れなかった。
卵の魔力に引き寄せられ集まってくる者達を全て払い除ける。
害のない虫や小動物ですら許さなかった。
大切な兄弟が孵るまで、卵に傷ひとつ付けるものかと。
まだ孵化もしていない卵の状態だというのに、側にいるだけで私の孤独は癒された。
1人では無いと言う事がこんなにも幸せを感じることだったとは。
いつ孵るのだろうか。
どんな子なのだろうか。
なんと言う名前を持っているのだろうか。
毎日毎日、いつ卵にヒビが入るか、いつ孵るかと目が離せなかった。
中から兄弟の声が聞こえるのではないかと、卵に顔を寄せ耳を澄ましながら一日を過ごした事もあった。
とにかく、兄弟の誕生だけを楽しみに毎日を生きていた。
幸せだった。
私はもう1人では無いのだと。
しかし、その幸せが長く続く事は無かった。
卵を守り続け数十年、ついに魂が宿るというその瞬間。
何故か兄弟の魂は卵へと宿る前に、何処かへと飛ばされてしまったのだ。
私は再び孤独の闇へと突き落とされた。
孤独から解放された喜びを一度味わっただけに、絶望感は余計に大きかった。
期待して期待して待ち望んで漸く手に入れたと思ったら失ったのだ。
卵の中の愛おしい器が、徐々に形の無い魔力へと還っていくのをただ見ていることしか出来ない無力感がどれほど辛かった事か。
満たされ忘れていた筈の卑屈な気持ちが蘇る。
“何故私だけが”
他の竜には当たり前のように居る同種の兄弟が、何故私にだけは得ることができないのか。
私だけがこの島の中で孤独だ。
他の竜が羨ましい。
羨ましくて、羨ましくて、妬ましい。
妬ましくて、恨めしい。
体の中が、羨望と嫉妬でドロドロに溶けて澱んでいく。
私は洞窟の暗闇の中で悲しい卵を抱き抱えながら、このまま卵と一緒に自然に還ってしまいたいと願っていた。
だが、そんな私の憂鬱は思った以上に早く吹き払われる事となった。
失ったと思ったあの日から、たったの1年ほどだ。
拍子抜けする程あっさりと兄弟の魂が戻って来たのだ。
しかも前世の器を持ったまま。
最初に見た時は、それが私の兄弟だと言う事が到底信じられなかった。
兄上達の意地の悪い冗談だと思い、危うく怒りに任せて噛み殺してしまうところだった。
あの時は、インブラ姉上に止めてもらえて本当に良かった。
せっかく戻ってきてくれた兄弟だというのに、もし自らの手で殺していたならば私は永遠に立ち直れなかっただろう。
想像するのも恐ろしい悪夢というものだ。
私の待ち望んだ兄弟は、ケイタという弟竜だった。
人間の器を持った彼はとても小さくて弱そうで、風が吹いただけで死んでしまうのではないかと不安になった。
だから、彼が卵の中へと吸い込まれたのを見た時はとても安心した。
これでちゃんと竜の器を得るはずだ。
本来あるべき姿に戻るのだ。
やっと器と魂が揃った卵は、どこか生き生きと輝いているように見えた。
可愛い弟よ。
今度こそちゃんと無事に生まれてくるのだぞ。
いつまでも待っているから。
さて、卵に入らず1年間下界を彷徨っていた困った弟であったが、どうやら卵から離れていたその1年の間に彼は仲間と呼べる者を得ていたようだ。
彼を連れてきた賢そうな飛竜、賑やかな3匹の地竜、小さいながらも地竜達を纏めている飛竜。
そして。
茸だ。
茸。
何故だ弟よ。
何がどうしたら茸と絆が生まれるのだ。
どんな経緯があったのか全くもって分からないが、その茸は今までに見た事のある茸とは明らかに違っていた。
妙に個性が強く賢そうなのだ。
ケイタを初めて見たその時から、その茸は弟にピッタリと張り付いていたし、ケイタもまたその茸を大切に扱っている素振りを見せていた。
だからケイタが卵に吸い込まれた時も、彼に張り付いていた茸は当たり前のように一緒に卵の中へと吸い込まれていった。
きっとそのまま卵の養分として消えてしまうだろうと、その時の私はそこまで気にはしていなかったのだが。
大切な卵をそのまま野晒しにする訳にはいかないと、安全な洞窟の中に戻す為に慎重に卵を持ち上げた、その時だった。
卵からベッと吐き出されるように茸だけが飛び出してきたのだ。
異物と判断されて卵から押し出されたのだろうか。
落ちた衝撃で地面の上を一回跳ね飛んだそれはしばらく静かに倒れていたが、ほんの数秒で気を取り戻したようで、驚いたようにガバリと起き上がった。
そして、何かを探すようにキョロキョロと周りを見渡し、最後にこちらを振り返ったと思った次の瞬間、両の手を交互に振りながら恐ろしい速さで卵に向かって駆け寄ってきたのだ。
その勢いは、何やら鬼気迫るものすら感じた。
だが卵は私が持ち上げているので、もちろん茸には届くことができない。
一体何がしたいのかは分からないが、見たこともない茸の動きに何となく動向を見守ってしまう。
最初は卵に向かってピョンピョンと飛び跳ねていたが、それでは届かないと気付いたのだろう。
飛び跳ねるのをやめて何か考えるように少し止まったかと思ったら、それは今度はなんと私の足に向かって駆け寄って来た。
そして。
【ぬっ!?】
蹴り払う隙すら与えず、その茸はあろうことか私の体を物凄い勢いで登り始めたのだ。
信じられない速さだった。
【ぐあぁぁぁぁぁぁっ】
足先から卵を持つ手まで迷うことなく、シュルシュルチョロチョロと素早い動きで這っていくそれは、正直とても気持ちが悪かった。
茸が這っていった場所がゾワゾワとする。
払い除けたいが両手は卵を持つのに塞がっているのだ。
何とか体から落とそうと力を込めて息を吹きかけるが、それを茸は巧みに避けていく。
むしろ、そんな事をしたせいで余計に身体中を這われる事になった。
そうやって私の体を好き放題這い回った茸がとうとう卵へと到達する。
私の手から卵へと乗り移ったと思ったら、茸はそのまま全身を使ってピタリと卵に張り付いてしまった。
卵から離したくて息で吹き払おうとするが、それはやはりチョロチョロと器用に避けていく。
【あ、兄上!これを取ってくださいっ!気持ちが悪い!】
どうしても離れない茸に、思わずカロー兄上に向かって卵を突き出してしまった。
だが、私の慌てふためく姿がよっぽど面白かったのか兄上達はただ大笑いしているだけで手を貸してくれない。
笑い事ではない。
私の大切な弟の卵に、こんな訳の分からないものが張り付いているのは嫌だ。
仕方がないので大人気ないとは思ったが、私は茸を追い払う為に魔力を放ち威圧することにした。
こうすれば大抵の弱い生き物は逃げていく。
実際、地竜や小さい飛竜達は驚いたように大竜の後ろへと隠れてしまった。
大竜達からの大人気ないという呆れたような視線が痛かったが、他に方法が思いつかなかったのだから仕方が無い。
魔法を使って焼き払っても良かったが、弟は茸を大切そうにしていたから殺してしまうのは流石に忍びなかった。
というよりも、それで弟に嫌われるのは嫌だからだ。
これでもう何処かへ行っただろうと卵を見れば。
驚いたことに茸はまだしぶとく卵に張りついていた。
しかし私の威圧が効いていないわけでは無い。
見れば、恐怖からだろうか、尋常じゃない勢いで体を震わせている。
全身が縦方向に激しく小刻みに震えていて、もはや残像が見えるのではという勢いだ。
それでも卵からは離れなかったのだから、中々の根性である。
常に食べられる側である弱き存在の茸が、島の竜たる私の威圧に耐えるなど本来は考えられない事だ。
普通は我々の姿を見るだけで逃げるような種なのに。
思わず、茸のその根性に感心してしまった。
【ほぉ】
茸の根性に感心したのは、どうやら私だけでは無かったようだ。
震えながらも卵から離れない茸に、大竜達も驚きと感心の混ざった声を漏らしている。
【走り茸がイクファの威圧に耐えるか】
【これは凄い】
【こんな茸見た事ないわねぇ】
【ちょ、ちょっと。すごい震え方してるけど大丈夫なのかい?これは】
大竜達に覗き込まれ、茸の震え方が更に大きくなる。
それでも決して卵からは離れない。
【あの、イクファ殿・・・・】
何やら執念すら感じさせる茸にどうしたものかと思っていたら、ケイタを連れてきた飛竜が遠慮がちに声を掛けてきた。
【なんだ?】
【可能であれば、その茸を許してやっては頂けないでしょうか】
【・・・・ふむ?】
どうやらこの飛竜は茸の肩を持つらしい。
【その茸はケイタが特別可愛がっているのです。そして、その茸もまたケイタには特別懐いています】
【なるほど?】
【ケイタはそれにエリーという名前まで付けています】
【名前!?ケイタは茸に名前をつけておるのか?!】
茸に名前など、そんな話聞いた事が無いぞ。
【はい】
私の驚き様に、飛竜も少し苦笑気味だ。
【そのせいか、その茸もケイタに対しては絶大な信頼を寄せています。卵から離れないのは、恐らく卵に入ってしまったケイタを心配しての事なのでしょう】
そんな強い絆を茸と繋いでいるとは・・・・・。
【それに、その茸は身を挺してケイタを人間の呪いから守りました】
【待て、呪いだと?】
それは聞き捨てならない話だ。
【その辺りの詳しい話は後ほどダイル達に聞いてください。ケイタを助け出し私の元まで連れてきたのは彼らですから】
飛竜の目がチラリと大竜の後ろに隠れる小さき竜達を示す。
【ふむ・・・・お主ら、後でしっかりと聞かせてもらうぞ】
弟に関する大切な情報だ、しっかりと聞き出さねば。
大竜の後ろに向かって言葉を投げれば、ヒエッという声と共に地竜達が顔を引っ込めた。
・・・・・何故、そんなに怖がるのだ。
もう威圧は解いているのに・・・。
【・・・それで、この茸はケイタを守ったと言うのだな】
素の状態で地竜達に怯えられたのが何だか物悲しかったが、その気持ちを誤魔化すように目の前の飛竜に向き直る。
【はい。自分が死ぬかもしれない状況で、この茸はケイタの安全の方を優先したのです】
【ふぅむ、それは中々に感心な忠誠心だ】
飛竜の話に、震え続ける茸を改めて見る。
こうやって恐怖に耐えながらも卵に張り付く姿も、飛竜の話を聞いてからだとケイタへの献身的な愛情を感じられた。
【ですから、どうか卵の側にいる事を許してやって頂きたい。間違えてもこれが卵に悪さをするような事は無いでしょう】
【・・・・分かった、良いであろう。どうやら害は無い様だから、このまま卵の側にいるのは許そう】
ケイタを助けたという話で、茸に対する評価が変わった。
命を掛けて弟を守ってくれたのならば、兄としてそれに報いなければなるまい。
だから、この茸は特別に卵の側にいる事を許すことにした。
ついでに目の届く範囲にいる限りは、敵に襲われないように守ってやろう。
その後、私は改めて大竜達に礼を伝え、そのまま茸が張り付いた卵を持って洞窟の中へと戻った。
ケイタを連れてきた飛竜は、人間達との契約があるからと下界へと帰っていった。
洞窟の中には私と卵と茸。
そして、へっぴり腰の地竜3匹と小さな飛竜。
話を聞く為、巣の中に招いたのだ。
4匹の竜は珍しく全員名前を持っていた。
人間と契約しているのかと思ったら、何と4匹ともケイタに名前を貰ったらしい。
それも友の証として。
ダイル達は初めは私に対して怯えているような様子だったが、静かに話を聞いていれば徐々に緊張が解けてきたのか、そのうちに賑やかに楽しそうに様々な話を聞かせてくれた。
どの様にケイタと出会ったのか。
どの様に名前を貰ったのか。
ケイタとはどうやって過ごしていたのか。
下界でのケイタの様子が生き生きとして伝わってきて、とても楽しかった。
ダイルやアント達から伝えられる弟の性格は、明るく元気で愛嬌があり、ちょっといたずら者で、そして優しい。
この島にくる直前、信じていた人間に裏切られ傷付けられたという話を聞いた時には純粋に怒りが湧いた。
だから人間は嫌いなのだ。
弱いくせに小賢しく欲深い生き物。
昔から何も変わっていない。
ケイタが孵って無事成体になるまでは育児から手が離せないが、それが終われば真っ先にケイタを傷つけた人間達を一掃しに行こう。
ケイタが成体になるまでといっても、たかだか200年程度と言ったところだろう。
愚かな人間達め、せいぜいその短い期間を最後の余生と謳歌しているが良い。
ケイタを傷つけた事、骨の髄まで後悔させてやるわ。
だが、とりあえずは今はケイタの誕生を楽しみにしていたい。
卵が孵るまでまだ時間はある。
それまでは、ダイル達の話をじっくりと楽しむことにしよう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
守り続けた大切な卵に、小さな人間の体が溶けるように吸い込まれていった。
それを見て、長い生の中で感じていた孤独の悲しみ、大切な兄弟を失ったと思っていた喪失の悲しみが癒されていくのを感じた。
本当に長い長い間、待っていたのだ。
私の仲間を。家族を。
島の竜達は皆、兄弟であり仲間である。
だが、その中でも同種の竜は特別だ。
より近しく親しい関係。
いくら島の竜が皆兄弟だ仲間だと言っても、日常的に群れるのはやはり同種同士なのだ。
同種の兄弟達で群れ、寝食を共にし、お互いを守り合う。
その関係が羨ましかった。
何故、私は1匹だけなのか。
何故、同種の竜が生まれないのか。
何故、他の竜には同種の兄弟が居るのか。
何故、私だけが、こんなにも孤独なのか。
日に日に寂しさに心を蝕まれ、“自分だけが”という思いに卑屈になっていく。
終わりの無い生において、孤独と言うもの程辛いものは無かった。
だから暗い洞窟の中で、私は皆を羨みながらずっと待ち続けた。
私を私の孤独から守ってくれる存在を。
そんな思いの中で生き続けてきたから、同種の卵が生まれたのを知った時はどんなに嬉しかった事か。
いや、あの時の気持ちは嬉しいなどと言う言葉程度では到底言い表せない。
私は本物の喜びと言うものを、あの時初めて知ったのだ。
心の中に常にあった寒い隙間が温かいもので埋められる、満たされる喜び。
大竜達に導かれ、暗い洞穴の奥にひっそりと生まれていた卵に出会ったあの日。
あの瞬間から、その卵を守る事が私の全てになった。
この世に存在する全ての危険から守るため、私は卵から片時も離れなかった。
卵の魔力に引き寄せられ集まってくる者達を全て払い除ける。
害のない虫や小動物ですら許さなかった。
大切な兄弟が孵るまで、卵に傷ひとつ付けるものかと。
まだ孵化もしていない卵の状態だというのに、側にいるだけで私の孤独は癒された。
1人では無いと言う事がこんなにも幸せを感じることだったとは。
いつ孵るのだろうか。
どんな子なのだろうか。
なんと言う名前を持っているのだろうか。
毎日毎日、いつ卵にヒビが入るか、いつ孵るかと目が離せなかった。
中から兄弟の声が聞こえるのではないかと、卵に顔を寄せ耳を澄ましながら一日を過ごした事もあった。
とにかく、兄弟の誕生だけを楽しみに毎日を生きていた。
幸せだった。
私はもう1人では無いのだと。
しかし、その幸せが長く続く事は無かった。
卵を守り続け数十年、ついに魂が宿るというその瞬間。
何故か兄弟の魂は卵へと宿る前に、何処かへと飛ばされてしまったのだ。
私は再び孤独の闇へと突き落とされた。
孤独から解放された喜びを一度味わっただけに、絶望感は余計に大きかった。
期待して期待して待ち望んで漸く手に入れたと思ったら失ったのだ。
卵の中の愛おしい器が、徐々に形の無い魔力へと還っていくのをただ見ていることしか出来ない無力感がどれほど辛かった事か。
満たされ忘れていた筈の卑屈な気持ちが蘇る。
“何故私だけが”
他の竜には当たり前のように居る同種の兄弟が、何故私にだけは得ることができないのか。
私だけがこの島の中で孤独だ。
他の竜が羨ましい。
羨ましくて、羨ましくて、妬ましい。
妬ましくて、恨めしい。
体の中が、羨望と嫉妬でドロドロに溶けて澱んでいく。
私は洞窟の暗闇の中で悲しい卵を抱き抱えながら、このまま卵と一緒に自然に還ってしまいたいと願っていた。
だが、そんな私の憂鬱は思った以上に早く吹き払われる事となった。
失ったと思ったあの日から、たったの1年ほどだ。
拍子抜けする程あっさりと兄弟の魂が戻って来たのだ。
しかも前世の器を持ったまま。
最初に見た時は、それが私の兄弟だと言う事が到底信じられなかった。
兄上達の意地の悪い冗談だと思い、危うく怒りに任せて噛み殺してしまうところだった。
あの時は、インブラ姉上に止めてもらえて本当に良かった。
せっかく戻ってきてくれた兄弟だというのに、もし自らの手で殺していたならば私は永遠に立ち直れなかっただろう。
想像するのも恐ろしい悪夢というものだ。
私の待ち望んだ兄弟は、ケイタという弟竜だった。
人間の器を持った彼はとても小さくて弱そうで、風が吹いただけで死んでしまうのではないかと不安になった。
だから、彼が卵の中へと吸い込まれたのを見た時はとても安心した。
これでちゃんと竜の器を得るはずだ。
本来あるべき姿に戻るのだ。
やっと器と魂が揃った卵は、どこか生き生きと輝いているように見えた。
可愛い弟よ。
今度こそちゃんと無事に生まれてくるのだぞ。
いつまでも待っているから。
さて、卵に入らず1年間下界を彷徨っていた困った弟であったが、どうやら卵から離れていたその1年の間に彼は仲間と呼べる者を得ていたようだ。
彼を連れてきた賢そうな飛竜、賑やかな3匹の地竜、小さいながらも地竜達を纏めている飛竜。
そして。
茸だ。
茸。
何故だ弟よ。
何がどうしたら茸と絆が生まれるのだ。
どんな経緯があったのか全くもって分からないが、その茸は今までに見た事のある茸とは明らかに違っていた。
妙に個性が強く賢そうなのだ。
ケイタを初めて見たその時から、その茸は弟にピッタリと張り付いていたし、ケイタもまたその茸を大切に扱っている素振りを見せていた。
だからケイタが卵に吸い込まれた時も、彼に張り付いていた茸は当たり前のように一緒に卵の中へと吸い込まれていった。
きっとそのまま卵の養分として消えてしまうだろうと、その時の私はそこまで気にはしていなかったのだが。
大切な卵をそのまま野晒しにする訳にはいかないと、安全な洞窟の中に戻す為に慎重に卵を持ち上げた、その時だった。
卵からベッと吐き出されるように茸だけが飛び出してきたのだ。
異物と判断されて卵から押し出されたのだろうか。
落ちた衝撃で地面の上を一回跳ね飛んだそれはしばらく静かに倒れていたが、ほんの数秒で気を取り戻したようで、驚いたようにガバリと起き上がった。
そして、何かを探すようにキョロキョロと周りを見渡し、最後にこちらを振り返ったと思った次の瞬間、両の手を交互に振りながら恐ろしい速さで卵に向かって駆け寄ってきたのだ。
その勢いは、何やら鬼気迫るものすら感じた。
だが卵は私が持ち上げているので、もちろん茸には届くことができない。
一体何がしたいのかは分からないが、見たこともない茸の動きに何となく動向を見守ってしまう。
最初は卵に向かってピョンピョンと飛び跳ねていたが、それでは届かないと気付いたのだろう。
飛び跳ねるのをやめて何か考えるように少し止まったかと思ったら、それは今度はなんと私の足に向かって駆け寄って来た。
そして。
【ぬっ!?】
蹴り払う隙すら与えず、その茸はあろうことか私の体を物凄い勢いで登り始めたのだ。
信じられない速さだった。
【ぐあぁぁぁぁぁぁっ】
足先から卵を持つ手まで迷うことなく、シュルシュルチョロチョロと素早い動きで這っていくそれは、正直とても気持ちが悪かった。
茸が這っていった場所がゾワゾワとする。
払い除けたいが両手は卵を持つのに塞がっているのだ。
何とか体から落とそうと力を込めて息を吹きかけるが、それを茸は巧みに避けていく。
むしろ、そんな事をしたせいで余計に身体中を這われる事になった。
そうやって私の体を好き放題這い回った茸がとうとう卵へと到達する。
私の手から卵へと乗り移ったと思ったら、茸はそのまま全身を使ってピタリと卵に張り付いてしまった。
卵から離したくて息で吹き払おうとするが、それはやはりチョロチョロと器用に避けていく。
【あ、兄上!これを取ってくださいっ!気持ちが悪い!】
どうしても離れない茸に、思わずカロー兄上に向かって卵を突き出してしまった。
だが、私の慌てふためく姿がよっぽど面白かったのか兄上達はただ大笑いしているだけで手を貸してくれない。
笑い事ではない。
私の大切な弟の卵に、こんな訳の分からないものが張り付いているのは嫌だ。
仕方がないので大人気ないとは思ったが、私は茸を追い払う為に魔力を放ち威圧することにした。
こうすれば大抵の弱い生き物は逃げていく。
実際、地竜や小さい飛竜達は驚いたように大竜の後ろへと隠れてしまった。
大竜達からの大人気ないという呆れたような視線が痛かったが、他に方法が思いつかなかったのだから仕方が無い。
魔法を使って焼き払っても良かったが、弟は茸を大切そうにしていたから殺してしまうのは流石に忍びなかった。
というよりも、それで弟に嫌われるのは嫌だからだ。
これでもう何処かへ行っただろうと卵を見れば。
驚いたことに茸はまだしぶとく卵に張りついていた。
しかし私の威圧が効いていないわけでは無い。
見れば、恐怖からだろうか、尋常じゃない勢いで体を震わせている。
全身が縦方向に激しく小刻みに震えていて、もはや残像が見えるのではという勢いだ。
それでも卵からは離れなかったのだから、中々の根性である。
常に食べられる側である弱き存在の茸が、島の竜たる私の威圧に耐えるなど本来は考えられない事だ。
普通は我々の姿を見るだけで逃げるような種なのに。
思わず、茸のその根性に感心してしまった。
【ほぉ】
茸の根性に感心したのは、どうやら私だけでは無かったようだ。
震えながらも卵から離れない茸に、大竜達も驚きと感心の混ざった声を漏らしている。
【走り茸がイクファの威圧に耐えるか】
【これは凄い】
【こんな茸見た事ないわねぇ】
【ちょ、ちょっと。すごい震え方してるけど大丈夫なのかい?これは】
大竜達に覗き込まれ、茸の震え方が更に大きくなる。
それでも決して卵からは離れない。
【あの、イクファ殿・・・・】
何やら執念すら感じさせる茸にどうしたものかと思っていたら、ケイタを連れてきた飛竜が遠慮がちに声を掛けてきた。
【なんだ?】
【可能であれば、その茸を許してやっては頂けないでしょうか】
【・・・・ふむ?】
どうやらこの飛竜は茸の肩を持つらしい。
【その茸はケイタが特別可愛がっているのです。そして、その茸もまたケイタには特別懐いています】
【なるほど?】
【ケイタはそれにエリーという名前まで付けています】
【名前!?ケイタは茸に名前をつけておるのか?!】
茸に名前など、そんな話聞いた事が無いぞ。
【はい】
私の驚き様に、飛竜も少し苦笑気味だ。
【そのせいか、その茸もケイタに対しては絶大な信頼を寄せています。卵から離れないのは、恐らく卵に入ってしまったケイタを心配しての事なのでしょう】
そんな強い絆を茸と繋いでいるとは・・・・・。
【それに、その茸は身を挺してケイタを人間の呪いから守りました】
【待て、呪いだと?】
それは聞き捨てならない話だ。
【その辺りの詳しい話は後ほどダイル達に聞いてください。ケイタを助け出し私の元まで連れてきたのは彼らですから】
飛竜の目がチラリと大竜の後ろに隠れる小さき竜達を示す。
【ふむ・・・・お主ら、後でしっかりと聞かせてもらうぞ】
弟に関する大切な情報だ、しっかりと聞き出さねば。
大竜の後ろに向かって言葉を投げれば、ヒエッという声と共に地竜達が顔を引っ込めた。
・・・・・何故、そんなに怖がるのだ。
もう威圧は解いているのに・・・。
【・・・それで、この茸はケイタを守ったと言うのだな】
素の状態で地竜達に怯えられたのが何だか物悲しかったが、その気持ちを誤魔化すように目の前の飛竜に向き直る。
【はい。自分が死ぬかもしれない状況で、この茸はケイタの安全の方を優先したのです】
【ふぅむ、それは中々に感心な忠誠心だ】
飛竜の話に、震え続ける茸を改めて見る。
こうやって恐怖に耐えながらも卵に張り付く姿も、飛竜の話を聞いてからだとケイタへの献身的な愛情を感じられた。
【ですから、どうか卵の側にいる事を許してやって頂きたい。間違えてもこれが卵に悪さをするような事は無いでしょう】
【・・・・分かった、良いであろう。どうやら害は無い様だから、このまま卵の側にいるのは許そう】
ケイタを助けたという話で、茸に対する評価が変わった。
命を掛けて弟を守ってくれたのならば、兄としてそれに報いなければなるまい。
だから、この茸は特別に卵の側にいる事を許すことにした。
ついでに目の届く範囲にいる限りは、敵に襲われないように守ってやろう。
その後、私は改めて大竜達に礼を伝え、そのまま茸が張り付いた卵を持って洞窟の中へと戻った。
ケイタを連れてきた飛竜は、人間達との契約があるからと下界へと帰っていった。
洞窟の中には私と卵と茸。
そして、へっぴり腰の地竜3匹と小さな飛竜。
話を聞く為、巣の中に招いたのだ。
4匹の竜は珍しく全員名前を持っていた。
人間と契約しているのかと思ったら、何と4匹ともケイタに名前を貰ったらしい。
それも友の証として。
ダイル達は初めは私に対して怯えているような様子だったが、静かに話を聞いていれば徐々に緊張が解けてきたのか、そのうちに賑やかに楽しそうに様々な話を聞かせてくれた。
どの様にケイタと出会ったのか。
どの様に名前を貰ったのか。
ケイタとはどうやって過ごしていたのか。
下界でのケイタの様子が生き生きとして伝わってきて、とても楽しかった。
ダイルやアント達から伝えられる弟の性格は、明るく元気で愛嬌があり、ちょっといたずら者で、そして優しい。
この島にくる直前、信じていた人間に裏切られ傷付けられたという話を聞いた時には純粋に怒りが湧いた。
だから人間は嫌いなのだ。
弱いくせに小賢しく欲深い生き物。
昔から何も変わっていない。
ケイタが孵って無事成体になるまでは育児から手が離せないが、それが終われば真っ先にケイタを傷つけた人間達を一掃しに行こう。
ケイタが成体になるまでといっても、たかだか200年程度と言ったところだろう。
愚かな人間達め、せいぜいその短い期間を最後の余生と謳歌しているが良い。
ケイタを傷つけた事、骨の髄まで後悔させてやるわ。
だが、とりあえずは今はケイタの誕生を楽しみにしていたい。
卵が孵るまでまだ時間はある。
それまでは、ダイル達の話をじっくりと楽しむことにしよう。
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だけど、ここでひとつ問題が……。『おれ』の推し、『僕』が今まで嫌がらせし続けてきた、このゲームの主人公キャラなんだよね……。
え、イジめなきゃダメなの??死ぬほど嫌なんだけど。絶対嫌でしょ……。
でも、主人公が攻略キャラとBLしてるところはなんとしても見たい!!ひっそりと。なんなら近くで見たい!!
……って、なったライバルポジとして生きることになった『おれ(僕)』が、主人公と仲良くしつつ、攻略キャラを巻き込んでひっそり推し活する……みたいな話です。
本来なら当て馬キャラとして冷たくあしらわれ、手酷くフラれるはずの『ハルカ先輩』から、バグなのかなんなのか徐々に距離を詰めてこられて戸惑いまくる当て馬の話。
こちらは、ゆるゆる不定期更新になります。
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【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺
福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。
目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。
でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい…
……あれ…?
…やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ…
前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。
1万2000字前後です。
攻めのキャラがブレるし若干変態です。
無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形)
おまけ完結済み
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性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
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王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜
・話の流れが遅い
・作者が話の進行悩み過ぎてる
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