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第四章 将軍様一局願います!
第8話 どうすれば良いかが分からない
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**ヴァルグィ視点**
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虚な目で小さく痙攣するケイタを見て、血の気が引いた。
「ケイタっ!ケイタっ!」
尋常ではない様子に、正気に戻そうと頬を軽く叩いてみるが全く反応がない。
いつもと同じように今日も夜香で無理矢理言うことを聞かせ、体を重ねていた。
嫌がるケイタも直ぐに快楽に溺れ、私に縋り付くように抱きついてきて甘い声を聞かせてくれていた。
虚しさと充足感に満たされる、いつもの時間だ。
だが、途中からケイタがいつに無く激しく反応し始めたのだ。
いつもよりも強く快感に悶え、嬌声を上げる。
その艶やかな姿に、私は何も考えずただ魅了され可愛いと喜んでいた。
それが、助けを求めるケイタの悲鳴だったなんて気付きもせずに。
私を受け入れたままケイタが達し、私もまたケイタの中へ欲を放った直後だった。
いつもなら達した後は暫くぼんやりとしているケイタが、小さく痙攣し始めたのだ。
慌てて体を離しケイタの様子を確認すれば、何も見ていない空虚な瞳とぶつかりゾッとした。
そして、何度呼んでも応えてくれない。
慌てる私をよそに、痙攣はそう長くは続かずに治ったが瞳は空虚なままだった。
「ケイタ、しっかりしなさいっ。何処を見ているっ」
焦る気持ちのままケイタを揺さぶるが、やはり反応が無い。
「っ・・・」
突然、ケイタが笑った。
以前の様な明るく屈託の無い笑顔なのに、瞳だけは虚ろで何処も見ていない。
そのケイタの様子に、私は狼狽え恐怖した。
壊したと思った。
ケイタの精神を追い詰め、殺してしまったと。
「ケイタっ!私を見なさいっ!」
小さな頬を包むように手を添え、目線を合わせるようにして呼びかける。
私の手は情けなく震えていた。
だが、取り乱す私に気づくこともなく、ケイタが今度は小さく歌い出した。
微かな声で、聞いた事もない異国の歌を途切れ途切れに呟く様に口ずさんでいるのだ。
正気を失ったようなケイタに、冷たく嫌な汗が背中を流れ落ちた。
「あぁ、駄目だケイタ。駄目だ、駄目だ」
ケイタの心が何処かへ行ってしまう。
体だけを置いて。
駄目だ。
頼む。
戻ってきてくれ。
分かった。
分かった、もう触れぬ。
もう、触れぬから。
お前には触れぬ。
お前の体にも心にも触れぬから、何処にも行かないでくれ。
私を置いていかないでくれ。
「リーフっ!リーフっ!!」
乱暴に呼び鈴を鳴らし、狂ったように老僕の名を叫ぶ。
いつにない私の様子に、リーフが慌てたように扉の外まで駆けつけてきた。
「旦那様、如何なさいましたかっ」
「カディをっ!直ぐにカディを呼んできてくれ!」
私の言葉で何かしら察したのだろう、リーフは詳しい事を聞くこともなく直ぐに了承の返事を返してきた。
扉の向こうでリーフの気配が急ぐように立ち去る。
日付も変わるような時刻だが、きっとカディは直ぐに来るはずだ。
ケイタを見下ろせば、虚ろだった目がトロリと眠そうに閉じかけている。
「ケイタ?」
やはり返事は無い。
「エリー・・・」
微かな声が、茸を呼んだ。
その声に、私は急いで籠を取りに寝台を降りる。
そして持ってきた籠から茸を掴み出し、ケイタの顔の側に落とす。
「ケイタっ、ほら、エリーだ。連れてきたぞっ」
普段は邪魔だと思う存在だが、ケイタの意識を呼び戻せるならばそれに縋りたい。
茸が慌てたようにケイタの顔に張り付き、必死で白い頬を撫でている。
だが、ケイタは茸の存在に気付かず、視線を動かす事は無かった。
不安な気持ちで様子を見守っていたが、その内にケイタはゆっくりと瞼を落とし眠りについてしまった。
だが決して安らかな眠りではなさそうで、青白い顔で浅い呼吸を繰り返している。
これは、ちゃんとまた目覚めるのだろうか。
起きたら、その時は正気に戻ってくれているだろうか。
不安は大きく膨らみ、冷静さを保つことなどとても無理であった。
それでも、ケイタをこのままにしておく訳にもいかず、私が汚した体を拭き清め服を着せる。
腕の中に抱いたケイタはとても小さかった。
また食事を取るようになってくれて少し安心していたが、それでもケイタの体は頼りなく細っている。
生命力に溢れているような子だったのに、今は弱々しく儚い。
私が追い詰めているからだ。
対話を拒絶し、寝台の上でねじ伏せ、自分の欲だけを優先して。
心の何処かで思っていた。
そのうち諦めるだろうと。
ケイタは嫌がっているが、このような生活はきっと慣れていると。
いつかは諦め、受け入れると。
ケイタから対話を望まれるのが嫌だった。
決別の言葉を突き付けられるのが恐ろしくて。
だがケイタは何度振り払っても、真っ直ぐにぶつかってきた。
何度も何度も毎日毎日。
体を支配して無理矢理黙らせても決して諦めない。
その強さが怖かった。
ケイタに声を掛けられるたびに追い詰められたような気持ちになって。
実際には私の方がケイタを追い詰めていたのに。
「ケイタ、お前と共にいる方法が分からない。どうすれば良いのだ」
小さな頬を撫でながら、ケイタが起きている時には決して言えなかった言葉が口から溢れた。
「お前の心を手に入れようと優しく接したが駄目だった。ならばと体を無理矢理手に入れたが、やはり駄目だった」
ケイタ、どうすれば良い?
私はどうすればお前と共にいられるのだ。
どうしたら、お前は私と一緒に居てくれる。
「お前を手放したくないのだ。離れたくない」
解放してやるのが一番だと分かっている。
だが、それが出来ない。
自分の執着心を抑える術が分からず、ケイタを腕に抱きながら私は只々途方に暮れるしかなかった。
「ヴァルグィ、私だ!」
不安な気持ちのままケイタを抱きしめていたら、カディの声と共に扉が乱暴に叩かれた。
ケイタを寝台に下ろし、急ぎ扉の鍵を開ける。
「何故、鍵を掛けている!何があったのだ」
奥の間の扉を閉める意味など一つだけだ。
カディとて分かっていて、聞いているのだ。
事実、こちらを見る目は激しく責めるような光を湛えていた。
「カディ、その話は後だ。それよりもケイタを診てくれ」
私の言葉に、カディが眦を険しくする。
だが直ぐに私を押しのける様にして、ケイタのいる寝台へと向かっていった。
勿論、私もすぐその後に続く。
寝台の上のケイタを見たカディが、小さく息を飲んだのが分かった。
当たり前だ。
すっかり痩せ細ってしまった身体に、服を着せていたとて隠しきれない、身体中に散らばる私のつけた執着の跡。
どう見ても、虐待を受けていたとしか思えない姿なのだから。
「・・・強要したのか」
カディの声が怒りで震えている。
「あぁ、そうだ」
今更、偽る意味もなく私は事実を答えた。
「・・・ケイタに何があった」
怒りを抑える様に一つ息を吐き出した後、カディは気持ちを切り替えるようにしてケイタの診察を始めた。
そう、とにかくケイタの容体が最優先だ。
「ケイタを・・・ケイタを抱いていたら、痙攣し始めたのだ。目は開いていたが意識が無いようで、呼びかけに答えなかった」
カディが細い首筋や手首を取り脈拍の確認をする。
それから白い額に手を置き、体温を計る。
「体に傷はついているか?」
私が暴いた箇所の事だろう。
「いや、傷はついていない」
「後始末はしてあるか?」
「・・・・先ほど清めた」
淡々とカディが聞いてくる。
「脈が弱い。何か・・・使ったか?」
「・・・・夜香を混ぜた香油を最初に一嗅ぎさせた」
私の答えに、カディが侮蔑の眼差しを送ってきた。
「愚か者め」
そんな事、分かっている。
「いつからだ。いつからこの状況だ。いつから夜香を使っている。期間と頻度は?」
「3ヶ月だ」
「さっ!?」
「3ヶ月間、毎日」
信じられないと言うように、カディが表情を歪めた。
それでもなんとか冷静さを保とうとしているのか、深く深呼吸を繰り返しながらケイタを診る手は休めない。
自分の感情よりも、ケイタの容態を優先しているのだろう。
そして、再び首筋に指を当て脈を確認し、それが終わった時だった。
首から引いたカディの指先にケイタの鎖が引っかかり、印が服の中から引っ張り出されたのだ。
表に現れたのは、私の罪の証。
それを視界に入れた瞬間、カディの限界が来たのだろう。
振り向きざまに、拳が飛んできた。
ぶれる視界に頬に走る衝撃。
避けようと思えば避けられたが、私はその拳を甘受した。
受けるべき拳だ。
「貴様には失望したぞ!ヴァルグィっ」
答える言葉など何も無い。
「なんと言う事を!自分が何をしたのか分かっているのか!?ケイタだぞ?!あのケイタにこれを付けたのか!よりにもよってお前が!」
私と違い普段は温厚なカディが、怒りを隠しもせず私を罵る。
良心のある人間ならば、当然の反応だ。
「すべて分かっている。分かっていて私はそうした」
私の答えに、カディの目が怒りと悲しみに彩られていく。
まさに失望の眼差し。
カディはその怒りを表すように、乱暴に音を立てながら診療箱を開け薬瓶を取り出し始める。
「それは」
「解毒薬だ!ケイタのこれは夜香の中毒症状だっ」
カディの言葉に、私は動揺した。
「中毒・・・そんな・・・直接の摂取はさせていない。香りだけなら大丈夫な筈だ。若い夫婦達も普通に使うものであろう・・・・」
練り夜香や夜香蜜などとは違う、香りを少し嗅がせただけ。
一般的な使い方で、毒にはならない筈だ・・・。
「阿呆。こんなもの、若い者達が行為に慣れるまでに少し使う程度で、普通はこんなに慢性的に使うものではない。3ヶ月間毎日だと!?限度を超えている」
カディが真剣な表情でいくつかの薬瓶を取り出し、混ぜ合わせ、ケイタの口に流し込んでいく。
「分かっているのか?これは娼館の者達に出る症状だ。お前はケイタをそのように扱ったのだぞ」
カディの言葉一つ一つが心に突き刺さる。
「夜香は、使い続ければ心臓に大きな負担をかける。ここまでになる前に、もっと症状があったはずだ。気づかなかったのか?目眩や強い動悸、頭痛や無気力感。ちゃんと見ていれば気付いた筈だ」
知らない。
そんな事は知らない。
何故なら、私はケイタを見ていなかったから。
目を逸らし続けた代償が、まさかこんな形で返ってくるなど考えてもいなかった。
いや、私の愚かさの代償を払わされたのはケイタだ。
私が優先した欲望のツケはケイタが払ったのだ。
彼は何も悪く無いのに。
ケイタの言葉に耳を塞ぎ続けていたが、もしや振り払い続けたあの言葉のなかに不調を訴えるものもあったのでは無いか。
「お前はケイタを害したんだ」
私がケイタの命を危険に晒した。
トドメの様な兄の言葉に、もう私は項垂れるしかなかった。
だが、次に言われた言葉に、私の中の残り僅かな良心と罪悪感が消し飛んだ。
「ヴァルグィ、印を外せ。ケイタを解放しろ。この子が落ち着くまでは私の屋敷で世話をするから」
「なんだと?」
カディの言葉に、抑えられない怒りが一気に湧き上がった。
私からケイタを取り上げる気か。
私とケイタを引き離すと言うのか。
「ケイタを奪うつもりか」
燃え上がる怒りに、カディを睨みつける。
「そんな事は許さん。ケイタはどこにもやらぬ。此処からは絶対に出さん」
大人しくしていた私の突然の怒りに、カディが信じられないものを見る眼差しで目を見開いた。
「お前、正気か?このままケイタを殺す気か!」
「夜香が毒だと言うのなら、もう使わぬ。私が触れる事が負担だと言うなら、もう触れぬ。だが、私から離れる事だけは許さぬ。ケイタは私のものだ。誰にも渡すつもりは無い。ケイタは私と共にいるのだ」
これは、もはや執念だ。
愛などという感情はとうに過ぎてしまっている。
もうケイタのいない生活など考えられない。
どんなに罪悪感に苛まれようと、底の見えない虚しさに襲われようと、苦しむケイタの姿を見続ける事になろうと、この執念は捨てられない。
ケイタを失うことは決して出来ない。
「目を覚ませ、ヴァルグィっ!自分がどれ程愚かな事をしているのか分かっているのか!このような形でケイタを手にしても虚しいだけであろう!」
「私は満足している。どのような形であろうと、ケイタは私のものになったのだ」
「お前が手にしたのはケイタの体だけだ!そんなもの意味が無いであろう!お前が欲しいのはそれでは無いのであろう?!ケイタの心を手にしなければ無意味だ!」
心。
ケイタの心。
欲しかった。
あの強く眩しい心が。
だが、もう私にはそれを望む事はできない。
その資格が無い。
欲しいと望むことすら罪だ。
「私は・・・・私は、ケイタに心は望まない。求めない」
だから、それ以外は全て奪う事にしたのだ。
「ケイタは私のものだ」
私だけのもの。
「お前は・・・狂っている」
化け物を見るような目で、カディが声を震わせた。
「この様な状況、誰も認めぬぞ。イヴァン殿とて黙ってはおられまい。イヴァン殿だけではない。ナルグァス将軍も、馬軍兵達も、誰も認めぬ。許されぬ」
「認めぬ?許されぬ?別に私は誰の承認も求めていないし、誰の許可も必要ない。私は将軍だ。私に命令を下せるのは陛下だけだ。それに印を持たないケイタにどのような印を与えたところで、誰も文句は言えない筈だ。ケイタに対する権利は全て私が握っている。私はケイタの正統な所有者だ!」
足元が崩れていく。
今まで築き上げてきた、私という人間を構成する信念が、正義が、倫理観が、道徳心が。
バラバラと崩れ、堕ちていく。
「カディ、余計な事はするな!これは命令だ!私からケイタを奪おうとするならば、例え兄弟であろうと容赦はせぬ!」
ただ、優しく愛したかっただけなのだ。
慈しみたかった。
ケイタと共に歩みたかっただけ。
穏やかに笑いあって。
ただ、それだけだったのに。
ふと視界の片隅に、床に放置された戦盤が入り込んできた。
大人気のない一方的な対局。
私とケイタの関係そのものが反映された盤面。
まさに征服する者と、される者。
私は戯れの中ですら、情を示せなかったのか。
何故こんなに苦しい。
何故こんなにも虚しい。
ケイタの体も、自由も、人生も、心以外は全て手に入れた筈だ。
ケイタの権利は全て私が握っている。
ケイタは私のもの。
なのに、何故満足できないのだ。
何故満たされない。
虚しさだけがどんどんと募っていく。
私は何故こんなにも・・・・寂しいのだ。
ケイタ、私はとても寂しい。
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虚な目で小さく痙攣するケイタを見て、血の気が引いた。
「ケイタっ!ケイタっ!」
尋常ではない様子に、正気に戻そうと頬を軽く叩いてみるが全く反応がない。
いつもと同じように今日も夜香で無理矢理言うことを聞かせ、体を重ねていた。
嫌がるケイタも直ぐに快楽に溺れ、私に縋り付くように抱きついてきて甘い声を聞かせてくれていた。
虚しさと充足感に満たされる、いつもの時間だ。
だが、途中からケイタがいつに無く激しく反応し始めたのだ。
いつもよりも強く快感に悶え、嬌声を上げる。
その艶やかな姿に、私は何も考えずただ魅了され可愛いと喜んでいた。
それが、助けを求めるケイタの悲鳴だったなんて気付きもせずに。
私を受け入れたままケイタが達し、私もまたケイタの中へ欲を放った直後だった。
いつもなら達した後は暫くぼんやりとしているケイタが、小さく痙攣し始めたのだ。
慌てて体を離しケイタの様子を確認すれば、何も見ていない空虚な瞳とぶつかりゾッとした。
そして、何度呼んでも応えてくれない。
慌てる私をよそに、痙攣はそう長くは続かずに治ったが瞳は空虚なままだった。
「ケイタ、しっかりしなさいっ。何処を見ているっ」
焦る気持ちのままケイタを揺さぶるが、やはり反応が無い。
「っ・・・」
突然、ケイタが笑った。
以前の様な明るく屈託の無い笑顔なのに、瞳だけは虚ろで何処も見ていない。
そのケイタの様子に、私は狼狽え恐怖した。
壊したと思った。
ケイタの精神を追い詰め、殺してしまったと。
「ケイタっ!私を見なさいっ!」
小さな頬を包むように手を添え、目線を合わせるようにして呼びかける。
私の手は情けなく震えていた。
だが、取り乱す私に気づくこともなく、ケイタが今度は小さく歌い出した。
微かな声で、聞いた事もない異国の歌を途切れ途切れに呟く様に口ずさんでいるのだ。
正気を失ったようなケイタに、冷たく嫌な汗が背中を流れ落ちた。
「あぁ、駄目だケイタ。駄目だ、駄目だ」
ケイタの心が何処かへ行ってしまう。
体だけを置いて。
駄目だ。
頼む。
戻ってきてくれ。
分かった。
分かった、もう触れぬ。
もう、触れぬから。
お前には触れぬ。
お前の体にも心にも触れぬから、何処にも行かないでくれ。
私を置いていかないでくれ。
「リーフっ!リーフっ!!」
乱暴に呼び鈴を鳴らし、狂ったように老僕の名を叫ぶ。
いつにない私の様子に、リーフが慌てたように扉の外まで駆けつけてきた。
「旦那様、如何なさいましたかっ」
「カディをっ!直ぐにカディを呼んできてくれ!」
私の言葉で何かしら察したのだろう、リーフは詳しい事を聞くこともなく直ぐに了承の返事を返してきた。
扉の向こうでリーフの気配が急ぐように立ち去る。
日付も変わるような時刻だが、きっとカディは直ぐに来るはずだ。
ケイタを見下ろせば、虚ろだった目がトロリと眠そうに閉じかけている。
「ケイタ?」
やはり返事は無い。
「エリー・・・」
微かな声が、茸を呼んだ。
その声に、私は急いで籠を取りに寝台を降りる。
そして持ってきた籠から茸を掴み出し、ケイタの顔の側に落とす。
「ケイタっ、ほら、エリーだ。連れてきたぞっ」
普段は邪魔だと思う存在だが、ケイタの意識を呼び戻せるならばそれに縋りたい。
茸が慌てたようにケイタの顔に張り付き、必死で白い頬を撫でている。
だが、ケイタは茸の存在に気付かず、視線を動かす事は無かった。
不安な気持ちで様子を見守っていたが、その内にケイタはゆっくりと瞼を落とし眠りについてしまった。
だが決して安らかな眠りではなさそうで、青白い顔で浅い呼吸を繰り返している。
これは、ちゃんとまた目覚めるのだろうか。
起きたら、その時は正気に戻ってくれているだろうか。
不安は大きく膨らみ、冷静さを保つことなどとても無理であった。
それでも、ケイタをこのままにしておく訳にもいかず、私が汚した体を拭き清め服を着せる。
腕の中に抱いたケイタはとても小さかった。
また食事を取るようになってくれて少し安心していたが、それでもケイタの体は頼りなく細っている。
生命力に溢れているような子だったのに、今は弱々しく儚い。
私が追い詰めているからだ。
対話を拒絶し、寝台の上でねじ伏せ、自分の欲だけを優先して。
心の何処かで思っていた。
そのうち諦めるだろうと。
ケイタは嫌がっているが、このような生活はきっと慣れていると。
いつかは諦め、受け入れると。
ケイタから対話を望まれるのが嫌だった。
決別の言葉を突き付けられるのが恐ろしくて。
だがケイタは何度振り払っても、真っ直ぐにぶつかってきた。
何度も何度も毎日毎日。
体を支配して無理矢理黙らせても決して諦めない。
その強さが怖かった。
ケイタに声を掛けられるたびに追い詰められたような気持ちになって。
実際には私の方がケイタを追い詰めていたのに。
「ケイタ、お前と共にいる方法が分からない。どうすれば良いのだ」
小さな頬を撫でながら、ケイタが起きている時には決して言えなかった言葉が口から溢れた。
「お前の心を手に入れようと優しく接したが駄目だった。ならばと体を無理矢理手に入れたが、やはり駄目だった」
ケイタ、どうすれば良い?
私はどうすればお前と共にいられるのだ。
どうしたら、お前は私と一緒に居てくれる。
「お前を手放したくないのだ。離れたくない」
解放してやるのが一番だと分かっている。
だが、それが出来ない。
自分の執着心を抑える術が分からず、ケイタを腕に抱きながら私は只々途方に暮れるしかなかった。
「ヴァルグィ、私だ!」
不安な気持ちのままケイタを抱きしめていたら、カディの声と共に扉が乱暴に叩かれた。
ケイタを寝台に下ろし、急ぎ扉の鍵を開ける。
「何故、鍵を掛けている!何があったのだ」
奥の間の扉を閉める意味など一つだけだ。
カディとて分かっていて、聞いているのだ。
事実、こちらを見る目は激しく責めるような光を湛えていた。
「カディ、その話は後だ。それよりもケイタを診てくれ」
私の言葉に、カディが眦を険しくする。
だが直ぐに私を押しのける様にして、ケイタのいる寝台へと向かっていった。
勿論、私もすぐその後に続く。
寝台の上のケイタを見たカディが、小さく息を飲んだのが分かった。
当たり前だ。
すっかり痩せ細ってしまった身体に、服を着せていたとて隠しきれない、身体中に散らばる私のつけた執着の跡。
どう見ても、虐待を受けていたとしか思えない姿なのだから。
「・・・強要したのか」
カディの声が怒りで震えている。
「あぁ、そうだ」
今更、偽る意味もなく私は事実を答えた。
「・・・ケイタに何があった」
怒りを抑える様に一つ息を吐き出した後、カディは気持ちを切り替えるようにしてケイタの診察を始めた。
そう、とにかくケイタの容体が最優先だ。
「ケイタを・・・ケイタを抱いていたら、痙攣し始めたのだ。目は開いていたが意識が無いようで、呼びかけに答えなかった」
カディが細い首筋や手首を取り脈拍の確認をする。
それから白い額に手を置き、体温を計る。
「体に傷はついているか?」
私が暴いた箇所の事だろう。
「いや、傷はついていない」
「後始末はしてあるか?」
「・・・・先ほど清めた」
淡々とカディが聞いてくる。
「脈が弱い。何か・・・使ったか?」
「・・・・夜香を混ぜた香油を最初に一嗅ぎさせた」
私の答えに、カディが侮蔑の眼差しを送ってきた。
「愚か者め」
そんな事、分かっている。
「いつからだ。いつからこの状況だ。いつから夜香を使っている。期間と頻度は?」
「3ヶ月だ」
「さっ!?」
「3ヶ月間、毎日」
信じられないと言うように、カディが表情を歪めた。
それでもなんとか冷静さを保とうとしているのか、深く深呼吸を繰り返しながらケイタを診る手は休めない。
自分の感情よりも、ケイタの容態を優先しているのだろう。
そして、再び首筋に指を当て脈を確認し、それが終わった時だった。
首から引いたカディの指先にケイタの鎖が引っかかり、印が服の中から引っ張り出されたのだ。
表に現れたのは、私の罪の証。
それを視界に入れた瞬間、カディの限界が来たのだろう。
振り向きざまに、拳が飛んできた。
ぶれる視界に頬に走る衝撃。
避けようと思えば避けられたが、私はその拳を甘受した。
受けるべき拳だ。
「貴様には失望したぞ!ヴァルグィっ」
答える言葉など何も無い。
「なんと言う事を!自分が何をしたのか分かっているのか!?ケイタだぞ?!あのケイタにこれを付けたのか!よりにもよってお前が!」
私と違い普段は温厚なカディが、怒りを隠しもせず私を罵る。
良心のある人間ならば、当然の反応だ。
「すべて分かっている。分かっていて私はそうした」
私の答えに、カディの目が怒りと悲しみに彩られていく。
まさに失望の眼差し。
カディはその怒りを表すように、乱暴に音を立てながら診療箱を開け薬瓶を取り出し始める。
「それは」
「解毒薬だ!ケイタのこれは夜香の中毒症状だっ」
カディの言葉に、私は動揺した。
「中毒・・・そんな・・・直接の摂取はさせていない。香りだけなら大丈夫な筈だ。若い夫婦達も普通に使うものであろう・・・・」
練り夜香や夜香蜜などとは違う、香りを少し嗅がせただけ。
一般的な使い方で、毒にはならない筈だ・・・。
「阿呆。こんなもの、若い者達が行為に慣れるまでに少し使う程度で、普通はこんなに慢性的に使うものではない。3ヶ月間毎日だと!?限度を超えている」
カディが真剣な表情でいくつかの薬瓶を取り出し、混ぜ合わせ、ケイタの口に流し込んでいく。
「分かっているのか?これは娼館の者達に出る症状だ。お前はケイタをそのように扱ったのだぞ」
カディの言葉一つ一つが心に突き刺さる。
「夜香は、使い続ければ心臓に大きな負担をかける。ここまでになる前に、もっと症状があったはずだ。気づかなかったのか?目眩や強い動悸、頭痛や無気力感。ちゃんと見ていれば気付いた筈だ」
知らない。
そんな事は知らない。
何故なら、私はケイタを見ていなかったから。
目を逸らし続けた代償が、まさかこんな形で返ってくるなど考えてもいなかった。
いや、私の愚かさの代償を払わされたのはケイタだ。
私が優先した欲望のツケはケイタが払ったのだ。
彼は何も悪く無いのに。
ケイタの言葉に耳を塞ぎ続けていたが、もしや振り払い続けたあの言葉のなかに不調を訴えるものもあったのでは無いか。
「お前はケイタを害したんだ」
私がケイタの命を危険に晒した。
トドメの様な兄の言葉に、もう私は項垂れるしかなかった。
だが、次に言われた言葉に、私の中の残り僅かな良心と罪悪感が消し飛んだ。
「ヴァルグィ、印を外せ。ケイタを解放しろ。この子が落ち着くまでは私の屋敷で世話をするから」
「なんだと?」
カディの言葉に、抑えられない怒りが一気に湧き上がった。
私からケイタを取り上げる気か。
私とケイタを引き離すと言うのか。
「ケイタを奪うつもりか」
燃え上がる怒りに、カディを睨みつける。
「そんな事は許さん。ケイタはどこにもやらぬ。此処からは絶対に出さん」
大人しくしていた私の突然の怒りに、カディが信じられないものを見る眼差しで目を見開いた。
「お前、正気か?このままケイタを殺す気か!」
「夜香が毒だと言うのなら、もう使わぬ。私が触れる事が負担だと言うなら、もう触れぬ。だが、私から離れる事だけは許さぬ。ケイタは私のものだ。誰にも渡すつもりは無い。ケイタは私と共にいるのだ」
これは、もはや執念だ。
愛などという感情はとうに過ぎてしまっている。
もうケイタのいない生活など考えられない。
どんなに罪悪感に苛まれようと、底の見えない虚しさに襲われようと、苦しむケイタの姿を見続ける事になろうと、この執念は捨てられない。
ケイタを失うことは決して出来ない。
「目を覚ませ、ヴァルグィっ!自分がどれ程愚かな事をしているのか分かっているのか!このような形でケイタを手にしても虚しいだけであろう!」
「私は満足している。どのような形であろうと、ケイタは私のものになったのだ」
「お前が手にしたのはケイタの体だけだ!そんなもの意味が無いであろう!お前が欲しいのはそれでは無いのであろう?!ケイタの心を手にしなければ無意味だ!」
心。
ケイタの心。
欲しかった。
あの強く眩しい心が。
だが、もう私にはそれを望む事はできない。
その資格が無い。
欲しいと望むことすら罪だ。
「私は・・・・私は、ケイタに心は望まない。求めない」
だから、それ以外は全て奪う事にしたのだ。
「ケイタは私のものだ」
私だけのもの。
「お前は・・・狂っている」
化け物を見るような目で、カディが声を震わせた。
「この様な状況、誰も認めぬぞ。イヴァン殿とて黙ってはおられまい。イヴァン殿だけではない。ナルグァス将軍も、馬軍兵達も、誰も認めぬ。許されぬ」
「認めぬ?許されぬ?別に私は誰の承認も求めていないし、誰の許可も必要ない。私は将軍だ。私に命令を下せるのは陛下だけだ。それに印を持たないケイタにどのような印を与えたところで、誰も文句は言えない筈だ。ケイタに対する権利は全て私が握っている。私はケイタの正統な所有者だ!」
足元が崩れていく。
今まで築き上げてきた、私という人間を構成する信念が、正義が、倫理観が、道徳心が。
バラバラと崩れ、堕ちていく。
「カディ、余計な事はするな!これは命令だ!私からケイタを奪おうとするならば、例え兄弟であろうと容赦はせぬ!」
ただ、優しく愛したかっただけなのだ。
慈しみたかった。
ケイタと共に歩みたかっただけ。
穏やかに笑いあって。
ただ、それだけだったのに。
ふと視界の片隅に、床に放置された戦盤が入り込んできた。
大人気のない一方的な対局。
私とケイタの関係そのものが反映された盤面。
まさに征服する者と、される者。
私は戯れの中ですら、情を示せなかったのか。
何故こんなに苦しい。
何故こんなにも虚しい。
ケイタの体も、自由も、人生も、心以外は全て手に入れた筈だ。
ケイタの権利は全て私が握っている。
ケイタは私のもの。
なのに、何故満足できないのだ。
何故満たされない。
虚しさだけがどんどんと募っていく。
私は何故こんなにも・・・・寂しいのだ。
ケイタ、私はとても寂しい。
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