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秘書は蜜愛に濡れる
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秘密の恋をしょうか。
きっと甘く完美な物だろう。さあ私の手を取りなさい……。
高平奈緒は洗面所の鏡に映る自身を見詰め、柔らかな黒髪を手櫛で整えた。
イタリア人の母に生き写しの青い瞳と、華奢で白い肌は人を引き寄せる魅力を持ち、父に似た黒髪は艶やかで、まるで天使の輪のように煌めいている。
今年二十六を迎えた奈緒は、美人だがれっきとした男だ。奈緒にはひとつ悩みの種が在る。
それは……。
「高平さん」
同じ秘書室の有沢《今年入社した新人》が、奈緒を探しに来た。
「どうしましたか」
「…社長がお戻りです」
「え…先様との会食には行かれたのですよね? まだ戻るには早い…」
奈緒が腕時計を確認した刹那、眉間に深い皺を寄せた。
「また逃げ出したな」
ぼそりと呟いて歩き出す。
有沢は奈緒の背後を連いて歩きながら、首を傾げた。
「社長が会食に行ったのって、先様は確か医療関係者の方ですよね?」
「ええ。ご友人の婚約発表に招待されて…ああ、梶(かじ)さんすみません」
社長室の前で、秘書室長の梶淳子が佇んでいる。手にはトレーが在るから、お茶を置いて来たのだろう。
「何やらお疲れのようですよ?」
「それでも場慣れしていただかないと…遅くまでお疲れ様でした、後は私が社長をご自宅までお送りしますので」
奈緒がそう云うと、梶は腕時計を見て肩を竦めるなり苦笑した。時間は既に二十時を過ぎている。
「お疲れ様でした、また明日」
「お疲れ様でした」
高平に云うと、その背を見送って社長室を三度ノックした。
内から返事が有るのを確認して、ドアを開ける。広く取られた室内は、開放感たっぷりの落ち着いたクリーム色で、家具は統一されている。壁一面には硝子が嵌め込まれ、月明かりと下界を彩るネオンの光が美しい。
「社長?」
細川大樹が三人掛け用のソファーで、ぐったりとしていた。
「奈緒ただいま」
まるで自宅で待つ妻に接するような、大樹の声に背筋がゾクンとする。
奈緒はミネラルウォーターを小型冷蔵庫から一本取り出して、大樹の隣に座った。
「酔われたのですか? 傍に私が居ないからと、羽目を外すなんていけませんと、あれだけお話しましたでしょう?」
「…そんなには飲まなかったぞ? 気分が悪くなったのは、婦人方の香水でだ」
ああ、と奈緒も納得した。奈緒もきつ過ぎる香りには、抵抗が有る。だからといって、途中退場されては、仕事の時に困る。
大樹は乱れた前髪を掻き上げ、その手をソファーの背に置くと、隣に座る奈緒を見詰めた。
北欧を想わせる彫りの深い顔立ちに、きつく縁取られた目許。長い脚を邪魔そうに組んで、彫刻のようなその姿に魅入りながら、奈緒は溜め息を零した。「紳士淑女からは、今日は奈緒は来ていないのかと散々訊かれてウンザリしたよ…唯でさえ君が傍に居なかったから、私だって寂しかったのに……君は? 私が居なくて寂しくなかった?」
問われて奈緒はふわりと笑んだ。
「私も寂しかったですよ?」
奈緒の言葉に大樹が双眸を見開く。大樹は奈緒に手を差し伸べようとし…だが。
「社長が怠けて貯めた仕事の書類の仕分けと、スケジュールの確認及び、医療関係者への配布する資料の最終チェックで、とっても忙しかったのでひとり寂しく黄昏ました」
「…………………」
「では車を表に回しますので、支度なさって下さい」
立ち上がった奈緒を大樹は見上げ、腹をさすってボソリと呟いた。
「ああ…お腹が空いたな~ひとりで食事をするのは寂しい…奈緒も私の自宅で食事でもどうだい? 好いワインが在るんだが」
ドアノブに手を掛け振り向いた奈緒が、
「私を呼ぶ時は『奈緒』ではなく『高平』とお呼び下さい」
「…奈緒、待ってワインが駄目ならせめてモーニングコーヒーを二人で」
大樹は慌てて立ち上がり奈緒を追い掛けるが、虚しく眼前でドアが閉まる。「奈緒…こんなに君を愛しているのに、想いは届かないのだろうか? 君をベッドに押し倒して、泣いても朝まで放さないのに愛し…」
「社長」
いきなりドアが開いて、大樹はドキッと飛び上がり掛け…奈緒がそれを見るなり眼を細めて一言。
「仕分けた書類は明日までに眼を通して置いて下さい。手提げに入れて置きましたから」
「…………解った」
コクコクと頷いて、大樹はげんなりと肩を落とした。
「……飲んでくりゃ良かった…酒」
それはそれで奈緒のカミナリが落ちそうだと、大樹は天井を見上げたのだった。
きっと甘く完美な物だろう。さあ私の手を取りなさい……。
高平奈緒は洗面所の鏡に映る自身を見詰め、柔らかな黒髪を手櫛で整えた。
イタリア人の母に生き写しの青い瞳と、華奢で白い肌は人を引き寄せる魅力を持ち、父に似た黒髪は艶やかで、まるで天使の輪のように煌めいている。
今年二十六を迎えた奈緒は、美人だがれっきとした男だ。奈緒にはひとつ悩みの種が在る。
それは……。
「高平さん」
同じ秘書室の有沢《今年入社した新人》が、奈緒を探しに来た。
「どうしましたか」
「…社長がお戻りです」
「え…先様との会食には行かれたのですよね? まだ戻るには早い…」
奈緒が腕時計を確認した刹那、眉間に深い皺を寄せた。
「また逃げ出したな」
ぼそりと呟いて歩き出す。
有沢は奈緒の背後を連いて歩きながら、首を傾げた。
「社長が会食に行ったのって、先様は確か医療関係者の方ですよね?」
「ええ。ご友人の婚約発表に招待されて…ああ、梶(かじ)さんすみません」
社長室の前で、秘書室長の梶淳子が佇んでいる。手にはトレーが在るから、お茶を置いて来たのだろう。
「何やらお疲れのようですよ?」
「それでも場慣れしていただかないと…遅くまでお疲れ様でした、後は私が社長をご自宅までお送りしますので」
奈緒がそう云うと、梶は腕時計を見て肩を竦めるなり苦笑した。時間は既に二十時を過ぎている。
「お疲れ様でした、また明日」
「お疲れ様でした」
高平に云うと、その背を見送って社長室を三度ノックした。
内から返事が有るのを確認して、ドアを開ける。広く取られた室内は、開放感たっぷりの落ち着いたクリーム色で、家具は統一されている。壁一面には硝子が嵌め込まれ、月明かりと下界を彩るネオンの光が美しい。
「社長?」
細川大樹が三人掛け用のソファーで、ぐったりとしていた。
「奈緒ただいま」
まるで自宅で待つ妻に接するような、大樹の声に背筋がゾクンとする。
奈緒はミネラルウォーターを小型冷蔵庫から一本取り出して、大樹の隣に座った。
「酔われたのですか? 傍に私が居ないからと、羽目を外すなんていけませんと、あれだけお話しましたでしょう?」
「…そんなには飲まなかったぞ? 気分が悪くなったのは、婦人方の香水でだ」
ああ、と奈緒も納得した。奈緒もきつ過ぎる香りには、抵抗が有る。だからといって、途中退場されては、仕事の時に困る。
大樹は乱れた前髪を掻き上げ、その手をソファーの背に置くと、隣に座る奈緒を見詰めた。
北欧を想わせる彫りの深い顔立ちに、きつく縁取られた目許。長い脚を邪魔そうに組んで、彫刻のようなその姿に魅入りながら、奈緒は溜め息を零した。「紳士淑女からは、今日は奈緒は来ていないのかと散々訊かれてウンザリしたよ…唯でさえ君が傍に居なかったから、私だって寂しかったのに……君は? 私が居なくて寂しくなかった?」
問われて奈緒はふわりと笑んだ。
「私も寂しかったですよ?」
奈緒の言葉に大樹が双眸を見開く。大樹は奈緒に手を差し伸べようとし…だが。
「社長が怠けて貯めた仕事の書類の仕分けと、スケジュールの確認及び、医療関係者への配布する資料の最終チェックで、とっても忙しかったのでひとり寂しく黄昏ました」
「…………………」
「では車を表に回しますので、支度なさって下さい」
立ち上がった奈緒を大樹は見上げ、腹をさすってボソリと呟いた。
「ああ…お腹が空いたな~ひとりで食事をするのは寂しい…奈緒も私の自宅で食事でもどうだい? 好いワインが在るんだが」
ドアノブに手を掛け振り向いた奈緒が、
「私を呼ぶ時は『奈緒』ではなく『高平』とお呼び下さい」
「…奈緒、待ってワインが駄目ならせめてモーニングコーヒーを二人で」
大樹は慌てて立ち上がり奈緒を追い掛けるが、虚しく眼前でドアが閉まる。「奈緒…こんなに君を愛しているのに、想いは届かないのだろうか? 君をベッドに押し倒して、泣いても朝まで放さないのに愛し…」
「社長」
いきなりドアが開いて、大樹はドキッと飛び上がり掛け…奈緒がそれを見るなり眼を細めて一言。
「仕分けた書類は明日までに眼を通して置いて下さい。手提げに入れて置きましたから」
「…………解った」
コクコクと頷いて、大樹はげんなりと肩を落とした。
「……飲んでくりゃ良かった…酒」
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