秘書は蜜愛に濡れる

吉良龍美

文字の大きさ
上 下
1 / 16

秘書は蜜愛に濡れる

しおりを挟む
 秘密の恋をしょうか。
 きっと甘く完美な物だろう。さあ私の手を取りなさい……。


 高平奈緒は洗面所の鏡に映る自身を見詰め、柔らかな黒髪を手櫛で整えた。
 イタリア人の母に生き写しの青い瞳と、華奢で白い肌は人を引き寄せる魅力を持ち、父に似た黒髪は艶やかで、まるで天使の輪のように煌めいている。
 今年二十六を迎えた奈緒は、美人だがれっきとした男だ。奈緒にはひとつ悩みの種が在る。
 それは……。
「高平さん」
 同じ秘書室の有沢《今年入社した新人》が、奈緒を探しに来た。
「どうしましたか」
「…社長がお戻りです」
「え…先様との会食には行かれたのですよね? まだ戻るには早い…」
 奈緒が腕時計を確認した刹那、眉間に深い皺を寄せた。
「また逃げ出したな」
 ぼそりと呟いて歩き出す。
 有沢は奈緒の背後を連いて歩きながら、首を傾げた。
「社長が会食に行ったのって、先様は確か医療関係者の方ですよね?」
「ええ。ご友人の婚約発表に招待されて…ああ、梶(かじ)さんすみません」
 社長室の前で、秘書室長の梶淳子が佇んでいる。手にはトレーが在るから、お茶を置いて来たのだろう。
「何やらお疲れのようですよ?」
「それでも場慣れしていただかないと…遅くまでお疲れ様でした、後は私が社長をご自宅までお送りしますので」
 奈緒がそう云うと、梶は腕時計を見て肩を竦めるなり苦笑した。時間は既に二十時を過ぎている。
「お疲れ様でした、また明日」
「お疲れ様でした」
 高平に云うと、その背を見送って社長室を三度ノックした。
 内から返事が有るのを確認して、ドアを開ける。広く取られた室内は、開放感たっぷりの落ち着いたクリーム色で、家具は統一されている。壁一面には硝子が嵌め込まれ、月明かりと下界を彩るネオンの光が美しい。
「社長?」
 細川大樹が三人掛け用のソファーで、ぐったりとしていた。
「奈緒ただいま」
 まるで自宅で待つ妻に接するような、大樹の声に背筋がゾクンとする。
 奈緒はミネラルウォーターを小型冷蔵庫から一本取り出して、大樹の隣に座った。
「酔われたのですか? 傍に私が居ないからと、羽目を外すなんていけませんと、あれだけお話しましたでしょう?」
「…そんなには飲まなかったぞ? 気分が悪くなったのは、婦人方の香水でだ」
 ああ、と奈緒も納得した。奈緒もきつ過ぎる香りには、抵抗が有る。だからといって、途中退場されては、仕事の時に困る。
 大樹は乱れた前髪を掻き上げ、その手をソファーの背に置くと、隣に座る奈緒を見詰めた。
 北欧を想わせる彫りの深い顔立ちに、きつく縁取られた目許。長い脚を邪魔そうに組んで、彫刻のようなその姿に魅入りながら、奈緒は溜め息を零した。「紳士淑女からは、今日は奈緒は来ていないのかと散々訊かれてウンザリしたよ…唯でさえ君が傍に居なかったから、私だって寂しかったのに……君は? 私が居なくて寂しくなかった?」
 問われて奈緒はふわりと笑んだ。
「私も寂しかったですよ?」
 奈緒の言葉に大樹が双眸を見開く。大樹は奈緒に手を差し伸べようとし…だが。
「社長が怠けて貯めた仕事の書類の仕分けと、スケジュールの確認及び、医療関係者への配布する資料の最終チェックで、とっても忙しかったのでひとり寂しく黄昏ました」
「…………………」
「では車を表に回しますので、支度なさって下さい」
 立ち上がった奈緒を大樹は見上げ、腹をさすってボソリと呟いた。
「ああ…お腹が空いたな~ひとりで食事をするのは寂しい…奈緒も私の自宅で食事でもどうだい? 好いワインが在るんだが」
 ドアノブに手を掛け振り向いた奈緒が、
「私を呼ぶ時は『奈緒』ではなく『高平』とお呼び下さい」
「…奈緒、待ってワインが駄目ならせめてモーニングコーヒーを二人で」
 大樹は慌てて立ち上がり奈緒を追い掛けるが、虚しく眼前でドアが閉まる。「奈緒…こんなに君を愛しているのに、想いは届かないのだろうか? 君をベッドに押し倒して、泣いても朝まで放さないのに愛し…」
「社長」
 いきなりドアが開いて、大樹はドキッと飛び上がり掛け…奈緒がそれを見るなり眼を細めて一言。
「仕分けた書類は明日までに眼を通して置いて下さい。手提げに入れて置きましたから」
「…………解った」
 コクコクと頷いて、大樹はげんなりと肩を落とした。
「……飲んでくりゃ良かった…酒」
 それはそれで奈緒のカミナリが落ちそうだと、大樹は天井を見上げたのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

バイト先のお客さんに電車で痴漢され続けてたDDの話

ルシーアンナ
BL
イケメンなのに痴漢常習な攻めと、戸惑いながらも無抵抗な受け。 大学生×大学生

保育士だっておしっこするもん!

こじらせた処女
BL
 男性保育士さんが漏らしている話。ただただ頭悪い小説です。 保育士の道に進み、とある保育園に勤めている尾北和樹は、新人で戸惑いながらも、やりがいを感じながら仕事をこなしていた。  しかし、男性保育士というものはまだまだ珍しく浸透していない。それでも和樹が通う園にはもう一人、男性保育士がいた。名前は多田木遼、2つ年上。  園児と一緒に用を足すな。ある日の朝礼で受けた注意は、尾北和樹に向けられたものだった。他の女性職員の前で言われて顔を真っ赤にする和樹に、気にしないように、と多田木はいうが、保護者からのクレームだ。信用問題に関わり、同性職員の多田木にも迷惑をかけてしまう、そう思い、その日から3階の隅にある職員トイレを使うようになった。  しかし、尾北は一日中トイレに行かなくても平気な多田木とは違い、3時間に一回行かないと限界を迎えてしまう体質。加えて激務だ。園児と一緒に済ませるから、今までなんとかやってこれたのだ。それからというものの、限界ギリギリで間に合う、なんて危ない状況が何度か見受けられた。    ある日の紅葉が色づく頃、事件は起こる。その日は何かとタイミングが掴めなくて、いつもよりさらに忙しかった。やっとトイレにいける、そう思ったところで、前を押さえた幼児に捕まってしまい…?

女装とメス調教をさせられ、担任だった教師の亡くなった奥さんの代わりをさせられる元教え子の男

湊戸アサギリ
BL
また女装メス調教です。見ていただきありがとうございます。 何も知らない息子視点です。今回はエロ無しです。他の作品もよろしくお願いします。

男色医師

虎 正規
BL
ゲイの医者、黒河の毒牙から逃れられるか?

無理やりお仕置きされちゃうsubの話(短編集)

みたらし団子
BL
Dom/subユニバース ★が多くなるほどえろ重視の作品になっていきます。 ぼちぼち更新

おしっこ8分目を守りましょう

こじらせた処女
BL
 海里(24)がルームシェアをしている新(24)のおしっこ我慢癖を矯正させるためにとあるルールを設ける話。

処理中です...