バタフライトラップ

柏木あきら

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三、赤い扉とネクタイ

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岡はその日以降、あまり日を空けることなく【ロジウラ】に通ってくるようになった。
いつも小皿に乗ったナッツをオーダーし、アルコール度数の強いカクテルを二杯、堪能して帰る。
滞在時間はそんなに長く無いので、出会いを求めていると言うよりは単純に飲みに来ているだけのようだ。

ある日、岡が珍しくナッツではないおつまみが欲しいと言ってきたので、明彦はバックヤードに行き、作業をしていた俊に声をかけた。
チーズやナッツの買い出しの他に、少し手の込んだおつまみは俊が作っているからだ。
おつまみとして楽しめるものを思案し、完成させたのは豆腐の上にアンチョビがのせてあり、さらに少し厚めのガーリックチップがのっているというもの。

岡は出されたそれを口に入れると、満足そうな顔を見せた。
「旨いな、ママが作ってるんですか?」
「あたしじゃないの。奥にもう一人、スタッフがいるのよ」
「へぇ、一度も見たことないな」
「事情があってね。いい子なのよ、あの子が来てくれて店の評判も良くなってるし」

例えばトイレの什器。用をすますだけの場所に「身なりを整える」ものを準備し陳列した。
酒やタバコの匂いを消す消臭スプレー、あぶらとり紙、マウスウォッシュ。
そんなにいる? と明彦が呆れて聞いた時、ここが出会いの場になるなら、身だしなみを整えたい人もいるでしょうし、と俊は答えた。

おつまみのレパートリーを増やしたのも俊だ。
ただあくまでも酒をメインとしたメニューのみ。
腹を満たしたいならここじゃなくていいだろうと俊は考えた。
他にも備品の修繕やインテリアの配置など、明彦と拓也が忙しくて手をつけていなかった箇所を自然と俊が手をつけ、その細やかな気配りはいつしか客に届いていたようで、常連客からも以前より良くなったと評判だ。

この日以降、岡は来店すると、おまかせでおつまみを頼むようになっていた。
オーダーが続くことに気づいた俊はレパートリーを増やさないと、と躍起になっている。
俊がこうやって何かに没頭することはいいことだと感じていた。
その証拠に最近は旬の表情が柔らかい。

「あー、岡ちゃんの胃袋掴んじゃったわね。俊」
せっせと盛り付けをする姿を見ながら、明彦は苦笑すると俊は笑う。
それは心からの笑顔なのだろう。
「ママ、俺、今楽しいです。ありがとう」
その言葉に明彦は手を伸ばして、俊の頭をくしゃくしゃに撫でた。

目の前のスモークサーモンの生春巻きを突きながら、岡は舌鼓を打つ。
チリソースと大葉がアクセントになっていて、それをつまみに酒も進んでいた。
「やっぱりこの料理を作ってる彼には会えませんか?」
グラスを傾けながら明彦に聞いてくる。
すっかり岡は俊のおつまみが気に入り、何度か会いたいと言ってきた。
「本人が嫌がってるのよ。ちょっと色々あって人との付き合いが苦手なの」
カラン、とグラスに入っている氷が音を立てた。

岡は顎に手をやり少し考えた後、スーツの内ポケットから名刺を取り出して、明彦に告げた。
「実は私、カウンセラーやってるんです。よかったら彼にカウンセリング、受けてもらえないですかね。身も知らずの奴に言われて困惑するかもしれませんが、美味しいものを食べさせて頂いているお礼に」
差し出された名刺を手に取り、岡の顔を見る。

柔らかい雰囲気を纏っていたのはカウンセラーだからか、と明彦は考えた。
俊の状態は以前に比べると、かなり良くなっているが、それでもまだ本調子に見えない。

できることならもっと楽にしてやりたい。
赤の他人なのにここまでやってしまうのは明彦の性格からくるものだ。
時にはお節介と言われてしまうこともあるが、放っておくことはできない。

「……どちらにしろ、今日は無理ね。話はしておくから次回来てくれた時に回答させていただいていいかしら」
「もちろん。無理強いはよくないからね。って私が無理強いしてますけどね」
苦笑いしながら、岡はグラスに手をやる。
そんな岡に明彦は言う。
「いいえ。感謝するわ」
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