バタフライトラップ

柏木あきら

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一、雨の夜

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あれから一年近く経つのにあざや傷が消えても、俊の目の下のクマはいつまで経っても消えない。
よく眠れていないはずだと拓也は明彦に報告していた。

店が終わり、自宅に帰り眠った拓也が途中、目を覚ました時に、俊の部屋の明かりがついていることが多い。
こういう商売なので、拓也のマンションの部屋は全て遮光カーテンにして、日中でもカーテンをしていれば光が入らない。それなのに俊の部屋から明かりが漏れていた。
明かりをつけて寝るタイプなのかと思っていたのだが、ある日俊に聞くとほぼ眠れないのだと答えた。

もう一つ、明彦が心配していたのは、俊がいまだに本気で笑っているところを見ていないことだ。
出会った頃に比べると、表情はかなり柔らかくなり、話に合わせた『愛想笑い』をみかけるようになったが、心の底からの笑顔は一年、見たことがない。
それだけ俊はいまだに緊張感が取れていないようだ。
(どうしたものかしらね)
明彦は俊のことを心配しつつも様子を伺うことしか出来なかった。

***

浅い眠りから目覚めそうな、まどろむ時間。
俊はゆっくりと瞼を開けた。

プレスされていないシーツ。枕もかなり柔らかくなっている。
フワフワの羽毛布団ではない、少し重たい布団。
今日もあまり寝れなくて、ごそごそしながら時計を見ると、まだ眠れる時間だ。
それでももう眠気は過ぎ去っていってしまったので、仕方なく俊は起き上がった。

背伸びをして部屋を見渡し、カーテンを開ける。
窓の外に見えるのは、午後の気だるい日光と、鬱蒼うっそうとした樹木。
からりとサッシを開けると、風に乗って下校中の小学生のはしゃぐ声が聞こえた。

シーツやこんな風景、そして音に、一年かけてようやく俊は慣れてきた。なぜなら、ここにくる前の生活とはかなり異なっていたからだ。

以前は清潔だけど冷たい感触のプレスされたシーツに羽毛布団、枕は三つあり、真っ白なベッドだった。
そして真っ白な壁に真っ白な家具。
毎朝、レースのカーテンから朝日が顔に当たり目を覚ます。

人の声なんて聞こえない、タワーマンション二十階。
窓から見えるのはビルと空。
今の景色とは、何もかもが正反対だった。

そして逃げてきた佳紀よしきのいない生活にようやく慣れてきたのに、彼はしつこく俊の心の奥底で巣を作っている。

***

俊は勝ち気な子供だった。

近所の子供たちと喧嘩しては、相手を泣かしてばかり。
そのうちあいつは喧嘩が強いらしいと噂になり、俊もまんざらではなかった。
子供たちのなかでも自分は一番強いんだと鼻を高くしていた時期もあった。

中学生になり性教育の授業で【Dom Sub】の話を聞き、俊は自分の性格から考えて当然Domだろうと思っていた。他人を従わせるのが好きだったからだ。
家に帰ってその話をすると、両親は食事の後に俊に告げた。
『うちの家系はSubなんだよ』と。
そしてSubであることで注意せねばならぬこと、Domとの付き合いかたなどを聞かされた。
すると俊は泣き叫び『 Subなんて嫌だ! 俺は支配なんかされない! 』と部屋に閉じこもってしまった。
そして決定的にSubと判明したのは、高校に入る前の検査だった。

それからの俊は喧嘩ばかりして両親を大いに悩ませた。
俊の中では『自分はSubではない、検査が間違っている』と言わんばかりに喧嘩に明け暮れた日々。
幸い警察沙汰までにはならなかったが、大学進学には響き、高校を卒業すると親元をはなれて専門学校へ通った。

この頃にはさすがに落ち着いてきた俊は、コンビニでバイトをしながら生活をしていた。
普通に暮らしていればDomだろうがSubだろうが関係ない。

そんな風に自分を少し冷静に見れるようになってきた頃、佳紀と出会った。

それは数年前。深夜のコンビニのバイトからの帰り。
暗い夜道でサラリーマンから声を掛けられた。
かなり酒臭いそのサラリーマンはニヤニヤと下品な笑い顔をしながら、俊の腕を掴んでこう言った。
「いつもあのコンビニで見てたんだけど、きみ、 Subでしょ?」
「は?」
突然そんなことを言われて俊は目を見開く。
(何で? 普通にしてたのに、何で分かるんだ?)
青くなる俊を尻目に、サラリーマンはニヤニヤしながら強く腕を掴む。
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