バタフライトラップ

柏木あきら

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一、雨の夜

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看板の照明を落とし、店内にいるのは三人だけ。
雨に打たれて冷え切った俊の体は、拓也が作ったスープと暖房でようやく暖かくなり、さっきまで震えていた右手もようやく震えが止まった。
その様子を見ながら、明彦はキセルをふかしながら聞く。
「さあて。落ち着いてきたところで、色々教えてもらおうかしら? 黙秘なんてさせないわよ」
明彦の言葉に息を呑んだ俊は、観念したように、ポツリポツリと話し始める。

「行くところがなくて。気がついたらここにきてた」
「へぇ? わざわざこんなとこに?」
「数年前、一度だけアイツと来たことがあってなんとなく覚えてた。この店の真っ赤な扉も」
「アイツから逃げてきたって感じかしら。あんた、Subでしょう?」
煙を俊に向けて放つと、俊は軽く咳き込む。
「なんで分かるんだ?」
「長年この店にいたら勘が鋭くなるものよ。アンタはSubなら相手は」
「Domだ。生粋の」
生粋の、とはどういう意味かと明彦が聞こうとした時、俊は頭を抱え始めた。
様子がおかしい、と拓也がすぐさま俊の体を支えて額に手をやる。
「酷い熱です」
俊の肩が上下に動き、苦しそうだ。明彦はフゥとため息をつき、仕方ないわねと呟いた。

それから俊は一週間近く寝込んだ。 
拓也のマンションが店の近くにあり、使っていない部屋を俊のためにあてがい、仕事のない時間は拓也が看病していた。
やがて熱が下がり俊が目覚めると、拓也にこれまでのことを告げられ、俊は深々と拓也に頭を下げ謝罪する。
「何か事情があったんでしょ? まだ本調子ではないみたいだし、当分この部屋使いなよ。そのかわり」
拓也はバーテンダーの制服に着替えながら、俊に手にしたもう一つの同じ制服を手渡した。
「ウチの店、人手が足りなくて。ママは人使い荒いからね、すぐバイト辞めちゃうんだ」
ニッと笑う拓也は、まるで少年のようだった。

その日から【ロジウラ】で俊は主に裏方の仕事をこなすようになった。

明彦としてはカウンター業務もさせるつもりだったが俊の腕にはたくさんあざがあり、目ざといDomの客が騒ぎを起こすと面倒なので、裏方作業を頼むことにした。
成り行きで働くようになったとはいえ、俊は真面目によく働く。
面倒を見てもらっているという後ろめたさもあるようだが、元々真面目な性格のようで、裏方仕事が苦ではないらしい。

数ヶ月経過した頃には、あざはかなり薄くなってきて、もう見えないほどになっていた。
だが相変わらず俊は裏方の仕事ばかりしている。

「アンタがもうちょっと話ができればカウンターに入ってもらうのにさ」
何度も聞いた明彦のお小言に、俊は体を小さくする。
寡黙な性格もあるが、とにかく俊はカウンターで自分の顔を出すことを頑なに拒否するのだ。
それが何故か、明彦には分かっていた。

それはこのバーに一緒にきたことのあるDomの『アイツ』に出くわすのを恐れているからなのだろう。
『アイツ』から逃げてきたことを否定しなかった俊。
身体中のあざや傷は彼から受けていたのではないのかと明彦は考えている。
憶測でしかないが、俊の態度はそう思わせていたのだ。

ただ不思議なのは何故『アイツ』が現れるかもしれないこの店に来たのか。
全く知らない場所に行った方が鉢合わせすることはないだろうに。

(こころのどこかで迎えに来てほしいとでも?)
開店前の掃除をする俊を見ながら、明彦はそんなことを考えていた。
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