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一、雨の夜
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震える右腕を自分の手で押さえながら、俊はボストンバッグを手にするとその部屋から駆け出す。
部屋から出て廊下を走ると靴箱から自分の靴を取り出した。
(大丈夫だ、ここで怯んだら、もうチャンスはないぞ)
そう自分に言い聞かせながら靴を履き、玄関ドアを開けると、まるで俊を追い返そうとするような大雨と北風が容赦無く吹きつけてくる。
エレベーターホールへ駆け出し、一階へのボタンを連打する。
一刻も早く、降りなければならないのだ。
部屋の中にいれば暖かくて安心して過ごせるのに俊はそれを今、自ら手放そうとしていた。
身の安心はあっても心の安心のない生活。俊にとってこの場所は地獄でしかない。
行き過ぎた愛情が狂気となってしまっている今、彼から逃げ出さないと自分は外に出ないまま死んでしまう。
それなら、今、真夜中の大雨の中を逃げる方が良い。
きっと彼は起きて俊が居なくなったことに気がついた瞬間に、烈火の如く怒り狂うだろう。
(だから、早く逃げないと)
エレベーターが一階に到着する。
俊はパーカーのフードを頭に深く被ってマンションのエントランスから飛び出した。
バシャバシャと走る音と、水飛沫。
道路を走る車のヘッドライトはずぶ濡れとなった俊を一瞬照らし出しては去っていった。
***
「今日は一段と冷えるわねえ」
口から煙を吐き出し、カウンターにいる明彦はそう呟いた。
十一月に入ってから、随分と秋も深まり、冬の気配が感じられるようになっている。
小さな路地裏の奥にあるゲイバー【ロジウラ】。
オーナーでもあり、ママをしている明彦は開店前、カウンターの掃除をしている黒いスーツを着た青年に声をかけた。
「そう言えば、俊がここに現れたのもちょうど昨年の今頃だったわね」
金髪の青年、安田俊は頷く。
「初めは何考えてるのかさっぱり分かんなかったけど。最近ようやく少しは意思の疎通ができてきたように思うわ」
明彦がそう揶揄うと俊は苦笑いした。俊はほとんど喋らない。
寡黙にもほどがある、と明彦に何度も言われているが、それは出会った当初からのことで、一年経った今でも変わらない。
一年前の大雨の夜。
【ロジウラ】の営業時間が終わり、明彦とバーテンダーの拓也は閉店準備をしていた。
店内の掃除を拓也がしている間に、表の道路に出している立て看板を仕舞いに明彦が店の外に出た時のこと。
「……?」
店の向かい側に、何か黒いものが置かれていた。
明彦は不審に思い、近づいてみるとそれはものではなく、人。
黒いパーカーを着た男性がうずくまっていたのだ。それが俊だった。
雨を凌げるビルの一角とはいえ、頭から足元まで、ずぶ濡れで髪が顔に張り付いている。
まるで刑務所を脱獄してきたのかというような風貌に、明彦は眉を顰めた。
こんなところで事件沙汰は勘弁だわ、と呟く。
「ちょっとアンタ」
うずくまっていた俊は明彦の声に顔を上げる。そんな俊を明彦は舐め回すように観察していく。
(首のあざ、頬の傷…)
よく見ると俊の身体にはあちこちあざがあった。
本人が付けることができない、不自然なあざ。
明彦は目を細め、俊に話しかける。
「あんたどこから逃げてきたの」
俊の体がビクッと震え、雨に濡れた前髪からその瞳を明彦に見せる。
(この子……虐待されてたのかしら)
まるで死んだ魚のように、光がなく濁ってしまっている俊の瞳。
明彦はため息をついた。
「何かあったんですか」
なかなか戻らない明彦を心配した拓也が店から出てきて、二人を見て驚く。
「拓也。タオル持ってきて。あと暖かいスープ、作ってやって頂戴」
明彦はそう言うと、ずぶ濡れの俊の手を引いた。
部屋から出て廊下を走ると靴箱から自分の靴を取り出した。
(大丈夫だ、ここで怯んだら、もうチャンスはないぞ)
そう自分に言い聞かせながら靴を履き、玄関ドアを開けると、まるで俊を追い返そうとするような大雨と北風が容赦無く吹きつけてくる。
エレベーターホールへ駆け出し、一階へのボタンを連打する。
一刻も早く、降りなければならないのだ。
部屋の中にいれば暖かくて安心して過ごせるのに俊はそれを今、自ら手放そうとしていた。
身の安心はあっても心の安心のない生活。俊にとってこの場所は地獄でしかない。
行き過ぎた愛情が狂気となってしまっている今、彼から逃げ出さないと自分は外に出ないまま死んでしまう。
それなら、今、真夜中の大雨の中を逃げる方が良い。
きっと彼は起きて俊が居なくなったことに気がついた瞬間に、烈火の如く怒り狂うだろう。
(だから、早く逃げないと)
エレベーターが一階に到着する。
俊はパーカーのフードを頭に深く被ってマンションのエントランスから飛び出した。
バシャバシャと走る音と、水飛沫。
道路を走る車のヘッドライトはずぶ濡れとなった俊を一瞬照らし出しては去っていった。
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「今日は一段と冷えるわねえ」
口から煙を吐き出し、カウンターにいる明彦はそう呟いた。
十一月に入ってから、随分と秋も深まり、冬の気配が感じられるようになっている。
小さな路地裏の奥にあるゲイバー【ロジウラ】。
オーナーでもあり、ママをしている明彦は開店前、カウンターの掃除をしている黒いスーツを着た青年に声をかけた。
「そう言えば、俊がここに現れたのもちょうど昨年の今頃だったわね」
金髪の青年、安田俊は頷く。
「初めは何考えてるのかさっぱり分かんなかったけど。最近ようやく少しは意思の疎通ができてきたように思うわ」
明彦がそう揶揄うと俊は苦笑いした。俊はほとんど喋らない。
寡黙にもほどがある、と明彦に何度も言われているが、それは出会った当初からのことで、一年経った今でも変わらない。
一年前の大雨の夜。
【ロジウラ】の営業時間が終わり、明彦とバーテンダーの拓也は閉店準備をしていた。
店内の掃除を拓也がしている間に、表の道路に出している立て看板を仕舞いに明彦が店の外に出た時のこと。
「……?」
店の向かい側に、何か黒いものが置かれていた。
明彦は不審に思い、近づいてみるとそれはものではなく、人。
黒いパーカーを着た男性がうずくまっていたのだ。それが俊だった。
雨を凌げるビルの一角とはいえ、頭から足元まで、ずぶ濡れで髪が顔に張り付いている。
まるで刑務所を脱獄してきたのかというような風貌に、明彦は眉を顰めた。
こんなところで事件沙汰は勘弁だわ、と呟く。
「ちょっとアンタ」
うずくまっていた俊は明彦の声に顔を上げる。そんな俊を明彦は舐め回すように観察していく。
(首のあざ、頬の傷…)
よく見ると俊の身体にはあちこちあざがあった。
本人が付けることができない、不自然なあざ。
明彦は目を細め、俊に話しかける。
「あんたどこから逃げてきたの」
俊の体がビクッと震え、雨に濡れた前髪からその瞳を明彦に見せる。
(この子……虐待されてたのかしら)
まるで死んだ魚のように、光がなく濁ってしまっている俊の瞳。
明彦はため息をついた。
「何かあったんですか」
なかなか戻らない明彦を心配した拓也が店から出てきて、二人を見て驚く。
「拓也。タオル持ってきて。あと暖かいスープ、作ってやって頂戴」
明彦はそう言うと、ずぶ濡れの俊の手を引いた。
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