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第九話 午睡と過去
3.ひとりは怖いから
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ある日サヤに会いに来た人があった。
「あなたが人間の男の子を連れて歩いているというのは本当だったんですねえ」
以前からの知り合いらしく親し気な口調でサヤに話しかけていた。彼に名前がないと聞くととても驚いた顔をした。
「それはいけない」
「だって、困らないもの」
サヤが淡々と応じると、その人は困ったような笑みを浮かべてサヤと彼の顔を等分に見ながら言った。
「名前は誰もが持っていて当然のものです。呼び名とは、それほど大事なものなのですよ」
サヤは眉をひそめるようにして彼を振り返った。
「名前が欲しい?」
よくわからなかった。
「わたしが名付けてあげましょう。そうですね、月彦というのはいかがですか?」
なぜか、サヤの目にさっと険が走った。
「何を考えてるの?」
「いやですねえ。何も企んでなどいませんよ。たまたまほら、あの月が目についたので申し上げたまでです。お気に召しませんか」
「……。よかったね、月彦」
それが、彼の最初の名だった。サヤはあまりその名を呼びはしなかったけれど。
それから数年の後、彼は瀕死の怪我を負ってしまった。
「愚かだね」
腹部に走った深い傷に視線を注ぎ、凍りついたような表情でサヤは言った。
「あんたはヒトだから、こんな怪我でも死んでしまうんでしょう?」
のろのろ横に座り込み、サヤは手を伸ばしてきた。脂汗に濡れた額にひんやりと冷たい指先を感じた。細い、小さなてのひら。
「私には治してあげられない。私にはそういう力はないから」
苦いものを滲ませてサヤは囁いた。これほど感情のこもった声を聞くのは初めてだった。
「俺が死んだら、どうする?」
苦しい息の下から切れ切れに問うと、サヤは黙って手を引っ込めた。言われていることがわからないという顔をしていた。
「俺が死んだら、サヤは、ひとりになるだろう?」
「そうだね」
「怖くない?」
虚を突かれた表情で、サヤは目を見開いた。その瞳の中に、ひとりは怖いからと彼女を追いかけた幼いころの自分を見た気がした。
「あなたが人間の男の子を連れて歩いているというのは本当だったんですねえ」
以前からの知り合いらしく親し気な口調でサヤに話しかけていた。彼に名前がないと聞くととても驚いた顔をした。
「それはいけない」
「だって、困らないもの」
サヤが淡々と応じると、その人は困ったような笑みを浮かべてサヤと彼の顔を等分に見ながら言った。
「名前は誰もが持っていて当然のものです。呼び名とは、それほど大事なものなのですよ」
サヤは眉をひそめるようにして彼を振り返った。
「名前が欲しい?」
よくわからなかった。
「わたしが名付けてあげましょう。そうですね、月彦というのはいかがですか?」
なぜか、サヤの目にさっと険が走った。
「何を考えてるの?」
「いやですねえ。何も企んでなどいませんよ。たまたまほら、あの月が目についたので申し上げたまでです。お気に召しませんか」
「……。よかったね、月彦」
それが、彼の最初の名だった。サヤはあまりその名を呼びはしなかったけれど。
それから数年の後、彼は瀕死の怪我を負ってしまった。
「愚かだね」
腹部に走った深い傷に視線を注ぎ、凍りついたような表情でサヤは言った。
「あんたはヒトだから、こんな怪我でも死んでしまうんでしょう?」
のろのろ横に座り込み、サヤは手を伸ばしてきた。脂汗に濡れた額にひんやりと冷たい指先を感じた。細い、小さなてのひら。
「私には治してあげられない。私にはそういう力はないから」
苦いものを滲ませてサヤは囁いた。これほど感情のこもった声を聞くのは初めてだった。
「俺が死んだら、どうする?」
苦しい息の下から切れ切れに問うと、サヤは黙って手を引っ込めた。言われていることがわからないという顔をしていた。
「俺が死んだら、サヤは、ひとりになるだろう?」
「そうだね」
「怖くない?」
虚を突かれた表情で、サヤは目を見開いた。その瞳の中に、ひとりは怖いからと彼女を追いかけた幼いころの自分を見た気がした。
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