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第六十話 幸福の定義

60-1.おじさん

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 じっとりと湿度を増した夕暮れの風が不快感を煽る。海が近いのだから仕方ない。そう思いながらいつも夏をすごしてきた。
 風下から強い風が吹いてくる。河原のゲートボール用のコートでバドミントンをしていた子どもたちが悲鳴をあげて、風に流されたシャトルを追いかけていた。

「あ、おじさんだ!」
 うちの一人が達彦の姿を見咎めて声を張り上げる。ときおり中川美登利にまとわりついている小学生たちだ。いや、もう中学にあがったと聞いた気がする。
 見るたびにぐんぐん背が伸びていくこいつらと同じように自分も年を経てきたわけだが、自身の変化をまるで感じない。村上達彦は胸の内で苦笑いする。

「何してるの?」
「夕涼みってやつだよ」
「ふうん」
 にこにこ笑いながら相槌を打つ少女の後ろから、じとっとした目で少年が睨みつけてくる。
 この少年の印象は知り合った頃から変わらない。冷めた目で相手を見透かしながら少女のまわりにじっと気を配っている。子どもの頃の一ノ瀬誠とそっくりだ。

「風強くなってきた。帰ろう」
「そうだね。おじさん、バイバイ」
 そう呼ばれるのもすっかり慣れてしまった。月日の流れというのはいかんともしがたい。
 バドミントンのラケットを持って遠ざかっていく背中を見送っていると、いやでもあのくらいの頃の彼女を思い出す。まだ巽が逃げ出す前、彼女はひたすら輝いていた。

 ――村上さん。

 あの頃にはまだ、屈託なく笑ってくれていたはずだ。萎れる気配もなく笑顔に溢れていた。
 それを踏みにじったのは自分だ。花を折るよりも卑劣な行為。
 なのにどうして未だにあの子の近くにいられるのだろう。ここにいるのだろう。

 あの子はどうして、自分に役目を与えたのだろう。理由はいくつも思いつくがそれでは足りない気がした。
 達彦の中の答えは決まっている。だけど彼女に問いかけたところで、どうせあの悪魔はまともに答えはしないだろう。
 本音をどう引きずり出してやろうかと性懲りもないことを考え始める。すると、頭上から声をかけられた。
「達彦さん?」

 青陵学院創立者、城山苗子だ。石段の脇に停車したタクシーから降りたところらしい。空車のタクシーが走り去った後、改めて話しかけてきた。
「お話があるの。時間は取らせないからうちに寄ってくれる?」
 柔らかに、だが断りにくい空気を展開してくる。城山苗子理事長の必殺技だ。
 今更抵抗する気もなく、達彦は座っていた土手の傾斜から腰を上げる。
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