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第五十五話 悪戯

55-3.珍しいな

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 キャビネットいっぱいの論文雑誌を見て美登利は後悔したが仕方ない。急げば夕方には帰れるだろう。
 細かな字を追いすぎて、全部が終わるころには目がしょぼしょぼしていた。
「終わりました」

「ああ。今手持ちが何もないから後でいい?」
 その言い方に美登利はなんとなく苦笑いする。
「それとも今から飯にする?」
「結構です。早く帰りたいので」
「ご苦労様」
 相変わらず振り向きもしない教授の背中を見やって美登利は会釈する。どうして薫子は彼を好きなのか。謎だ。



 帰宅ラッシュにかかる前の電車に乗ることができてホッとする。この時間帯の電車は一本乗りすごしただけで致命傷になる。いつも決まって乗るようにしている先頭車両は、ちょうど座席が埋まるか埋まらないかの乗車率で座ることができた。
 少し落ち着いてから読みかけの全集本を取り出す。手探りでいつものようにブックマークのチャームを探ってしまってから思い出す。

 そうだ、あれは先日ちょっとした悪戯に使ってしまったのだった。父親から貰ったお気に入りなのだが果たして戻ってくるだろうか。
 本を膝に置いたまましばらく考える。考えても仕方ないから、読みかけのページを探して本を開いた。




 仕事がひと段落してやっと休日を貰えた今日、目が覚めるとアパートの部屋の中は既に西日に染まっていた。
 起き上がってこの後の行動を考える。髭を剃るのも面倒だが、朝から晩まで引き籠りというのは性に合わない。
 そうこうしていると腹が鳴る。当然だ。

 支度をして新聞を持って家を出る。ロータスに行くと琢磨が暇そうに一人で煙草を吸っていた。
「メシくれ」
「なんだ、今日は休みか?」
 頷いてスツールに座る。
「そういや、こないだ煙草を忘れてったぞ」
 宮前がいつも座っているカウンターの隅に見慣れた箱が放置されている。
「俺のか」
「珍しいな。お前が抜けたことするなんて」
 まったくだ。よほど疲れていたらしい。よく寝た満足感があったから今は煙草はいらなかった。

「みどちゃんは?」
「じきに来るだろ。ちょっくら学校行ってくるってさ。もう春休みらしいが」
「学生でなくなると季節感までなくなるよな」
「まったくだ」
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