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第五十四話 春告花

54-4.あと一年

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「巽の予想だとな……」
「金儲けの話なら聞かせろ」
「割高だぞ」
 琢磨と達彦が汚い大人の会話を始めたから宮前は首をすくめて雑誌に目を戻す。美登利は頬杖をついたまま達彦の煙草の箱を見つめていた。




 広大な国営公園の中は人もまばらで散策には持って来いだった。
「こっちは寒いね」
「確かに。地元よりいくらか気温が低い」
「あと一年だね」
「そうだな」
 ぽつぽつと内容がありそうでない会話をしながら遊歩道を巡る。

 珍しくきちんとチョコレートを届けに来た美登利は、ちゃんと渡したかなぁと白い息を吐き出しながらつぶやいた。独り言のつもりなのだろう。一緒にいる誠のことは意に介さない。
 一ノ瀬誠も慣れているから、彼女のつぶやきにいちいち突っ込んだりしない。いつものことだ。

「良い香りがすると思ったら蝋梅だ」
 細い枝の所々で小さな黄色の花が開いている。
「寒いけど、春だね」
「うん」
 帽子を少し傾けて枝を見上げた美登利は、小さな健気な花に目を細める。
 木立の向こう側で携帯で蝋梅を撮影していた女性の二人組が、こっちにレンズを向けたのを察して誠は素早く美登利の手を引く。彼女も気づいて帽子を深く被り直した。

「今月には帰ってくるでしょ?」
「ああ」
「遊べる?」
「少しなら」
 そんな確認をして彼女は何をしたいのだろう。わかっていても口には出さない。それもわかっているように美登利が握った手に力を込める。
 狡い女。思っても責める術など封じられている。今までそうだったように慣れるしかないのだ。順応できる者だけが勝ち残れる。

「節分草だね」
 今度は足元を見て美登利が笑う。小さな白い花がやっぱり健気に花開いている。
 誰が見ていてもいなくても、花は咲く。春が来たなら花は咲く。別に人間に告げようとして咲くわけではないのに、春を告げてくれると見る人を喜ばせる。

 花は花で、賞賛など求めているわけではないだろうに。だけど人間の賞賛を引き出すことが身を守ることにもなるのだ。生き物は、遺伝子のエゴで出来上がっている。それでも美しいものは美しい。
「かわいいね」
「うん」
 彼女が微笑むから、誠も素直に頷いた。
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