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第五十三話 箱入り乙女

53-1.いちばん乗り

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 吹田薫子は学内掲示板の前で白い息を吐き出した。一限目の授業開始までまだ三十分以上ある。今日は土曜日だから校内にはますます人が少ない。
 薫子の脇でさっと掲示板を眺めた学生が足早に購買の方へと歩き去っていく。授業前に買物がしたいのだろう。
 それをやりすごしてから薫子はゆっくりとメイン通りを歩きだす。

 先程の女子学生の装いを思い出し、フレアのロングスカートから除く自分のローファーの足元をなんとなく見下ろす。歩きやすさ重視のかかとの低い靴だ。
 さっきのあの子はヒールの高い黒いブーツを履いていて歩き方もカッコよかった。薫子はあんな短いスカートも長いブーツもはいたことがない。とてもあんなファッションはできないと思う。

 一限目の講義がある一号館の剥き出しの石階段を上る。
 一号館は数字が表す通り校内でいちばん古い建物だ。昔の団地を思わせる鉄筋コンクリートの寒々しい建物で各教室も狭い。机や椅子も小中学校と変わらない簡素な作りで座り心地が悪く、暖房もろくに効かないから学生たちは嫌厭する。
 ただ夏休み前には冷房がないことを理由に教師陣も試験を早々に終わらせて休講にしたりするから、それだけがメリットともいえる。

 三階まで階段を上がると、グラウンド越しに樹木の隙間から高等部の校舎が少しだけ見える。初等部から高等部までは正門から遠く奥まった位置にあり、大学生以外は裏門から出入りする。
 薫子にとってはそちらの方が馴染みが深い。今では眺める角度が変わってしまった。

 また白い息を吐き出しながら寒々しい廊下を進む。指定の教室の扉を開けると、当然薫子がいちばん乗りだった。外から入ってきたばかりだから教室の中は暖かく感じる。後方の席はいつも賑やかなグループが占拠するから薫子は前方の窓際の席に座る。

 このコマの教授は板書をせずに思いつくままにしゃべり続けて授業を進める。話が方々に飛ぶから書き留めるのが大変だ。
 だけど必修科目で試験をしっかりやる教授だから適当にはできない。他所から出向いてくる非常勤講師たちとは違い専任の教授たちは学生に親切ではない。

 ルーズリーフのファイルを取り出して先週の授業の記述を見返す。
 記憶を呼び起こしながら矢印や新しくメモを書き込んでいると、扉が静かに開いた。もううるさくなってしまうのかとひやりとしたが、入ってきたのは同じゼミの坂野今日子と中川美登利だった。
「おはよう。吹田さん」
 美登利は何故か嬉しそうに薫子の方へ寄ってくる。
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