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第四十八話 繋いだ手
48-4.この世でいちばん強い絆
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「そうは言うけど、いつもバランスを崩すのはおまえだろう」
余裕のある口調になって達彦は話す。
「後ろも見ないで何処かに行っちまうのはおまえの方だ。だからあの子は怒ってるんだ」
心当たりがあるのだろう。巽の眼差しが少しだけ揺らぐ。
「あの子の何をわかってそんなふうに言うの」
「わかるよ」
――お兄ちゃんとはこんなことしない。
「俺にだってわかることはある」
悲しいけれど。彼女が愛しているのはやっぱりこいつなんだ。
泣き笑いに顔を歪める達彦を見て、巽も初めて真率な表情になる。
厳しい目で沈思していたと思ったら、急に優しい口調になって話しかけてきた。
「そこまで言うなら、君に頼んでもいいよ」
「……」
「僕があの子をよこしまな願望に引きずり込みそうになったら、君が止めてよ。殺してでも」
南向きのリビングの窓から差し込む午後の日差しの中で、実にのどかに巽は言う。
だから達彦も笑って答えた。
「ああ、いいよ。刺し違えてでも止めてやる」
巽は目を伏せて少しだけ笑った。微笑み方が兄妹でそっくりで、達彦は久しく会っていない彼女の顔を見たくなった。
夕飯時になって榊亜紀子はやっと正気づく。仕事部屋の中はもう暗い。
カンバスに向かい妄想していたことに区切りをつけ、亜紀子は部屋を出てリビングを覗いてみたが巽はいない。吹き抜けを見上げて気配を窺う。
二階に上がってみると奥の部屋の扉が開いていた。彼女のために用意した広い部屋。今は窓際にハンギングチェアが置いてあるだけ。ガーデンライトの明かりがその前に蹲る人影を浮かび上がらせている。
「どうしたんですか?」
亜紀子は静かに部屋に入り込み彼に寄り添う。表情のない横顔に問いかけてみる。
「あきらめるんですか?」
彼の頬がかすかにほころぶ。
「まさか」
「ですよね」
ほっとして亜紀子は彼の肩に頬を寄せる。
「ずっと一緒ですものね」
「うん」
この世でいちばん強い絆がある限り、あの子はいつでもここに来てくれる。急ぐことはない。
子どもの頃は簡単だった。順番を付けるのは簡単で優先順位に迷うことなんてなかった。いちばん好きなのはお兄ちゃん、言うまでもない。次が誠ちゃん、やさしいから大好き。
夢を見た気がして、美登利はゆっくり瞼を上げた。傍らの誠はよく眠っているようだ。息をひそめて寝顔を見つめる。
今度また傷つけたら、さすがに彼は怒るだろうか。いいや、きっと何も言わない。正人もきっとそう。何も言わない。自分はそういう女だから。
そんな資格はない。涙なんか枯れ果てた。なのに目からしずくがこぼれて、彼女はひとりで苦く微笑んだ。
余裕のある口調になって達彦は話す。
「後ろも見ないで何処かに行っちまうのはおまえの方だ。だからあの子は怒ってるんだ」
心当たりがあるのだろう。巽の眼差しが少しだけ揺らぐ。
「あの子の何をわかってそんなふうに言うの」
「わかるよ」
――お兄ちゃんとはこんなことしない。
「俺にだってわかることはある」
悲しいけれど。彼女が愛しているのはやっぱりこいつなんだ。
泣き笑いに顔を歪める達彦を見て、巽も初めて真率な表情になる。
厳しい目で沈思していたと思ったら、急に優しい口調になって話しかけてきた。
「そこまで言うなら、君に頼んでもいいよ」
「……」
「僕があの子をよこしまな願望に引きずり込みそうになったら、君が止めてよ。殺してでも」
南向きのリビングの窓から差し込む午後の日差しの中で、実にのどかに巽は言う。
だから達彦も笑って答えた。
「ああ、いいよ。刺し違えてでも止めてやる」
巽は目を伏せて少しだけ笑った。微笑み方が兄妹でそっくりで、達彦は久しく会っていない彼女の顔を見たくなった。
夕飯時になって榊亜紀子はやっと正気づく。仕事部屋の中はもう暗い。
カンバスに向かい妄想していたことに区切りをつけ、亜紀子は部屋を出てリビングを覗いてみたが巽はいない。吹き抜けを見上げて気配を窺う。
二階に上がってみると奥の部屋の扉が開いていた。彼女のために用意した広い部屋。今は窓際にハンギングチェアが置いてあるだけ。ガーデンライトの明かりがその前に蹲る人影を浮かび上がらせている。
「どうしたんですか?」
亜紀子は静かに部屋に入り込み彼に寄り添う。表情のない横顔に問いかけてみる。
「あきらめるんですか?」
彼の頬がかすかにほころぶ。
「まさか」
「ですよね」
ほっとして亜紀子は彼の肩に頬を寄せる。
「ずっと一緒ですものね」
「うん」
この世でいちばん強い絆がある限り、あの子はいつでもここに来てくれる。急ぐことはない。
子どもの頃は簡単だった。順番を付けるのは簡単で優先順位に迷うことなんてなかった。いちばん好きなのはお兄ちゃん、言うまでもない。次が誠ちゃん、やさしいから大好き。
夢を見た気がして、美登利はゆっくり瞼を上げた。傍らの誠はよく眠っているようだ。息をひそめて寝顔を見つめる。
今度また傷つけたら、さすがに彼は怒るだろうか。いいや、きっと何も言わない。正人もきっとそう。何も言わない。自分はそういう女だから。
そんな資格はない。涙なんか枯れ果てた。なのに目からしずくがこぼれて、彼女はひとりで苦く微笑んだ。
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