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第四十八話 繋いだ手

48-3.「変わったんだよ」

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 間を置かず右手が達彦の頭に打ち込まれる。もちろん黙ってやられたりしない。
 両手で相手の手首と肘を押さえる。すかさず巽は反対側の手を拳固にして腹を殴りにかかる。想定内。
 達彦は彼の腕を掴んだまま自分から腰を落とす。態勢が崩れる前に巽は達彦の手を振り払って間合いを取った。
 そのまま睨み合う。
「らしくないな」
「そっちこそ。あの子にけしかけられて動くだなんて、どういう心境の変化さ」
 お見通しか。達彦は表情には出さずにやっぱり内心で舌を打つ。再び仕掛けてくるかと全身に注意を払う。

「ねえ、君ってそんな人じゃなかっただろ? 人のために動くような人間じゃあないだろう?」
「変わったんだよ」
「変わった?」
 巽は優雅に双眸を細めて微笑む。
「何それ。それで愛してもらえるとでも思ってるの?」
 見事に痛いところを突いてくれる。達彦は黙って巽を見つめ返す。

 奪うことばかりを考えてこの兄妹を傷つけてやりたかった。自分には何もないと思っていたから。満たされたこいつらが憎かった。
 でも今は違う。わかったから。何も持っていないのは、自分もこいつも彼女も同じ。所詮人間は、人間を、本質的に、独占することなどできない。支配と所有と理解は違う。気持ちがどんなに通じたところで目には見えない。確信などない。最後には信じるしかないのだ。例えば池崎正人のように。

 ふと、達彦は唇をほころばせる。わかってはいても正人のようにはできない。自分はそこまで生温くはなれない。満たされない。それは、達彦も、巽も同じ。満たされたいわけじゃない。愛したいだけなんだ。

「どうなってるんだろうね、一体」
 達彦の和んだ表情を見て巽は呆れた顔になって構えを解いた。
「別人みたいな顔しちゃって。そんなふうに変わることになんの意味があるって言うのさ」
 苛立ちを隠しもしない口調に達彦も身構えるのをやめて改めて巽を見る。

「おまえは、変わるのがイヤなんだな」
「わかったふうな口を……」
 見たこともない冷たい目になって巽は表情そのものを凍りつかせた。胸元に刃を押し当てられたような冷気を感じる。
 呑まれたら負けだ。威圧感を堪えつつ、達彦は自分もまた今まで感じたことのない哀しさに襲われていた。

 多分、彼らにとっていちばん最初の箱庭は生まれ落ちた家庭。愛に溢れたそこで満たされて育った。お互いの存在を当然のものとして受け入れて。達彦が焦がれるほどの絆を持って。
 だけどそれは家族だからこそ。それ以外の繋がりを欲せばそれは呪縛に変わる。その嘆きを天涯孤独な達彦は本当にはわからない。
(だから……)
 得心がいって、達彦は苦く笑う。だから彼女は自分を差し向けたのだ。なんていう残酷。
(わかってたけどね)
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