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第三十六話 清算

36-1.悩むの嫌いなのに

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「いよいよ三年生かあ」
 カウンター席でぼやいた船岡和美に隣の坂野今日子が答える。
「船岡さんは早く専門的な講義に集中したかったのだから嬉しいでしょう?」
「また履修であれこれ悩まなきゃならないし、ゼミを決めなきゃならないっしょ」
「それこそ待ちに待ってたのでは?」
「悩んでるんだよ。ひとつに決めなきゃならないじゃん。あたし悩むの嫌いなのに」

 カウンターの中で中川美登利が笑う。
「美登利さんは決めてるの?」
「なるべく人の少ないところ」
「そうくるか」
「私は美登利さんとご一緒します」
「うん。聞かなくてもわかってる」

 和美が流したときドアベルが鳴って客が入ってきた。
「美登利ちゃん。ちぃっとお願いがあるんだけど」
 斜向かいの鞄店の若主人だ。
「なんですか?」
「あ、まずはね、これ見てこれ」

 取り出したスナップ写真には部屋で宴会している中年男性たちが映っている。
「おっさんたちはどうでもいいの。こっちよ、こっち」
 背景の棚の方を指差す。
「ちっこくてわかりにくいけどさ」
 和美と今日子も写真を覗き込む。

「ブックエンドのことですか? うさぎの形してる?」
「あ、ほんと。ガラスっぽい」
「バカラですか?」
「お、美登利ちゃん詳しいね」
「図録で見たことあります。これが何か?」
「それさあ」
 禿げ上がったおでこを撫で撫で若主人は話す。

「娘が置きっぱなしの荷物を片づけちまおうと思って、売れそうなものはリサイクルショップに持ってったのよ」
「これも?」
「そ。んで滅茶苦茶怒られちまってさ。新婚旅行で自分がウサギ年だから買ってもらったとかなんとかって。んなもん実家に置いとくなっての。そんで泡食って取り返しに売った店に行ったら、返品はできねえから買い取れって売れた二十倍の値段を突きつけられてよ」

「買取価格と売値なんてそんなものですよ」
「こっちにだって事情があんだから考慮してくれたっていいだろうが」
「それで、なんで私に?」
「あの親父、女好きそうだったから美登利ちゃんが行けばコロっと返すかと思って」
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