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第三十一話 男の意地

31-2.今こそ思い知る

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 父親の逆鱗に触れてここに閉じ込められたとき、彼女が来てくれた。絶対に折れるものかと思っていたから当分会えないと覚悟していたのに、会いたいその人が窓の外にいて本当にびっくりした。

 ――自分の意見を聞いてもらいたいなら引くべきところは引かないと。取引だよ、これは。

 頑なに意地を張ることしか考えていなかった正人に教えてくれた。

 大きなカシの木。子どもの頃はよく木登りしたが体が大きくなるにつれ寄り付かなくなっていた。あの日の彼女のように登ってみる。
 身の軽いあの人のことだからきっとひょいひょいのぼったに違いない。枝がしなって正人には少し不安だ。とてもてっぺんには辿り着けない。

 思えば、いちばん目を引かれたのはその軽やかさ。眼前で鮮やかな後ろ蹴りをかまされたときには本当にびっくりした。なんだこの人、と。

 宮前仁の身構えといい綾小路の身のこなしといい、本当にあの人たちは只者じゃなくて。一ノ瀬誠だって普段はのんびりしたふうを装って、いざとなると本当に怖い。気配なく近づかれて何度びっくりしたことか。

 ――彼は度量が広くもないのに美登利さんといるために寛容であろうとして、失敗して、捻じれてひねくれて、自分でもわけのわからないことになってるんです。それでも逃げ出さないのはたいしたものです。それが彼の強さなんです。

 きっと彼はものすごく努力したのだ。そして逃げもしないで今も彼女の横にいる。

 ――おれはあなたと戦います。

 戦いにもなっていなかった。自分を満足させて逃げ出しただけのことだ。

 ――嫌というほど思い知るよ。君が守ろうとしてるその女が、いちばん君を傷つけて苦しめるんだ。

 今こそ思い知る。その苦しさ、その辛さ。心を捧げて、心を貰って、なのにどうして一緒にいられないの? また思って胸が痛む。

 ――私がそういう女だからだよ。池崎くん、知ってたでしょう。

 知っている。兄を好きで、幼馴染を好きで、正人のことも好きだと言った。狡い人。

 ――狡いよね、そんなの。

 彼女自身わかっていながら囁いた。

 ――私もあなたが大好き。

 泣き笑いのような優しい表情で。

 ――怒る?
 ――どうして。怒ったりなんかしない。

 信じてるから。囁き返した言葉は嘘じゃない。今だって言える。
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