上 下
137 / 324
第二十五話 密談

25-1.大人は汚い

しおりを挟む
 数週間ぶりに中川美登利の顔を見て、村上達彦は気取られないよう胸中でため息を吐いた。やっぱりだ。それにしたってひどすぎる。

 彼女が買物に出た隙に宮前仁に探りを入れる。
「楽しかったか?」
「海釣り行ったっすよ。俺がいちばん大物釣りあげました」
「そうか。巽は何か大事なことを言ってなかったか?」
「なんすか? それ?」
「こっちが訊いてる」
「特別なことは何も。でも俺は遅れてったし」
 頼りにならない様子に、達彦は仕方がないと腹をくくる。

「おい。一ノ瀬を呼び出せ」
「は!? なんすかいきなり。決闘でもするんすか」
「んなダセえ真似するか。いいから電話しろ」
「嫌っすよ、後でどんな目に合わされるか」
「小遣いやるから」
「うわ、金で解決っすかっ。大人は汚い」
「みどちゃんには黙ってろよ」

 問答無用で連絡させた通りに、図書館近くの喫茶店に一ノ瀬誠はやって来た。静かな店内の奥で新聞を読んでいる達彦を見つけてため息をつく。
「なんの用ですか?」
 新聞を畳んで座るように促す。誠はしぶしぶといった様子で腰を下ろして水を持ってきた店員にアイスコーヒーを頼んだ。

「何があった?」
「何がですか?」
「とぼけないでくれよ。あの子の顔を見ればわかる。あんなに荒んでしまって」
「荒む……」
 その表現に誠は思わず感心してしまった。なるほど、的確な表現だ。自分にはその単語は思いつかなかった。

 誠の心情を読み取ったように達彦は一瞬かすかに笑う。悔しいが経験や洞察力ではこの男に敵わない。生まれ育った環境が違いすぎる。それでも彼女により近いのは自分だ。その自負だけは譲らない。

「君はずっと一緒だったんだろ? 巽は何をしたんだい?」
「何というほどのことは……結婚後の新居に案内されたくらいで、それだってあいつはとっくに知っていたし」
 達彦は目を細めて誠を見る。
「今更だが、君は知ってるんだよね?」
「……」

 自分の大切なものを、あんなふうにボロボロにした男。どんなにあがいても溝は埋まらない。気づいてしまった事実はなくならない、元には戻らない。それでも。

 ――何も聞かないから、一緒に帰ろう。

 沈黙を肯定と取ったのか、達彦はそれ以上確認してこなかった。
 店員がコーヒーを持ってくる。

「……僕たちはあの子の気持ちばかりを忖度してしまうけど、巽の方はどうなんだろうって考えたことはあるかい?」
しおりを挟む

処理中です...