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第二十三話 接触

23-5.「うん。そうなんだ」

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「こんなに髪短くしちゃって、先輩はせっかく綺麗なのに」
 小さな頭の形も、瞼も鼻も口も耳も、白い首筋も。別れたときのままで、むきだしの丸い肩に触りたいけど触れられない。

「情けないよね」
 たったの四か月を永遠よりも長く感じた。心を貰って、願いをかなえて満たされて別れた。それなのに。
「生きている感じがしない……」
 膝をついて眠る彼女に懺悔する。
「こんなに苦しいなんて思わなかった」
 あなたがいないと息もできない。

「わかるよ」
 頭上から降ってきた声に正人はぎくりとした。
 中川巽が不思議な眼差しで正人を見下ろしていた。気配にまるで気づかなかった。硬直している正人の腕を取る。
「おいで」
「……」
「いいから」
 離れたくない。

 正人の心情を読み取ったのだろうか、巽は力を緩めて自分も妹の顔を覗き込んだ。
「暑いから苦しそうだね」
 軽く寄せた眉間に指を伸ばす。
 起きてしまうのではないか、そう思ったが、巽が眉間を撫でると彼女は眉根の力を抜いて、寝息が更に深くなった。

「行こう」
 再び腕を引っ張られ、正人は今度は素直についていった。
 二年前の夏に見た光景をはっきり思い出していた。妹に触れて、内緒だよ、と微笑んでいた巽の姿。あまりの儚さに、あのときは幻だったのかと思ってしまったけれど。

 林を抜けて神社の広場に辿り着いたところで巽は正人の腕を離した。
「巽さんは」
 正人はこわごわ口を開く。
「先輩を好きなんですか?」

 振り返った巽の表情は、あのときと同じ、夏の強い日差しに溶け込んでしまいそうな儚さで、
「うん。そうなんだ」
 儚いまでに淡く、それなのに満足そうな微笑みが正人に衝撃を与える。
「愛してるんだ。世界にあの子だけがいればいい」

 今まで。彼女を愛してこんなに幸せそうな人を見たことがない。自分を含めて男たちはみんな苦しんでいる。それなのにこの人は。

「でも困ったな」
 唐突に巽は、言葉通り困惑の表情になって正人を見た。
「絶対に、秘密にするって決めてるんだ。君に知られちゃったね」
 あっさり白状したくせに。
「こういう場合は口封じしないとね」

 巽の両手がゆるゆると正人の首を捉える。正人の瞬発力なら逃げられたはずだった。だけど体が動かなかった。
 得体の知れない威圧感。何度となく体験してきた美登利のそれとは桁が違う。圧力で心臓が押しつぶされそうだ。
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