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第五話 月に泣く
5-1.望外の幸せ
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「お蕎麦を食べに行こう」
電車の中で中川美登利が突然言い出す。
「お蕎麦って、もしかして湯本のですか?」
「うん、この電車でこのまま行けるでしょう」
「確かに」
一応行き先の表示を確認して坂野今日子が頷く。
午後に一コマだけ入っていた授業が休講になり、早々に帰ろうと帰路に着いたところだった。いつもの利用駅で降りずにこのままこの急行に乗っていけば、山間の超有名観光地に辿り着く。
「いいですね、お供します」
「ありがとう」
目元を隠した帽子の下で美登利が口元だけで微笑む。
今日子にしてみればこっちがお礼を言いたいくらいだ。彼女とふたりきりで出かけるなんて久しぶりのことだ。なんという幸運。
「せっかくだから美術館か植物園にも行こう。一か所くらいのんびり回れるよね」
「はい」
他の誰かが見たなら驚くくらいの明るい笑顔で今日子は頷く。望外の幸せ。もう明日死んでもいい。
観光客で込み合う蕎麦屋で昼食をとった後、再び鉄道に乗り込んで植物公園に行った。
今日は雲が出ているが晴れ間も多く、やはり戸外ですごすのが気持ちいい季節だ。広々として人も少ないから美登利は帽子を取って風に吹かれる。
「ここ、遠足で来たよね」
「そうですね、うちは母が植物が好きなので家族でも何度が来たことありますよ」
大きな噴水の前で話していたら、
「女神様!」
後ろから突然しがみつかれて美登利は硬直する。先に叫び声を聞いていなければ蹴り飛ばしてしまうところだった。
「榊さん?」
兄の恋人の榊亜紀子がものすごい顔で美登利を見ている。
「こんな場所で会えるなんてまさに奇蹟。なんという幸運、望外の幸せでございます。お願いします、デッサンを、デッサンを」
「あの、ちょっと離れて、わかりましたから」
「ああ、ありがとうございます!」
喜びむせぶ亜紀子を今日子が険しい顔で見つめる。
「あの方、以前美大で美登利さんの似顔絵を描きたいって言った人ですよね」
「よく覚えてるね」
一心不乱に鉛筆を動かす亜紀子を見やって囁き合う。
「その人がお兄ちゃんの恋人なんだから世の中狭いよね」
「随分変わった方ですね」
「そうなんだよね」
美登利は既に悟りの境地の顔をしている。
彼女のまわりにまたおかしなのが増えたと、今日子は舌打ちしたい思いだ。
亜紀子が落ち着いたところでようやく話ができるようになった。
「たまには外に出て自然の美に触れようと思ってふらっと来たら、美登利ちゃんがいるんだもん。つい興奮してしまいました」
「それはそれは」
電車の中で中川美登利が突然言い出す。
「お蕎麦って、もしかして湯本のですか?」
「うん、この電車でこのまま行けるでしょう」
「確かに」
一応行き先の表示を確認して坂野今日子が頷く。
午後に一コマだけ入っていた授業が休講になり、早々に帰ろうと帰路に着いたところだった。いつもの利用駅で降りずにこのままこの急行に乗っていけば、山間の超有名観光地に辿り着く。
「いいですね、お供します」
「ありがとう」
目元を隠した帽子の下で美登利が口元だけで微笑む。
今日子にしてみればこっちがお礼を言いたいくらいだ。彼女とふたりきりで出かけるなんて久しぶりのことだ。なんという幸運。
「せっかくだから美術館か植物園にも行こう。一か所くらいのんびり回れるよね」
「はい」
他の誰かが見たなら驚くくらいの明るい笑顔で今日子は頷く。望外の幸せ。もう明日死んでもいい。
観光客で込み合う蕎麦屋で昼食をとった後、再び鉄道に乗り込んで植物公園に行った。
今日は雲が出ているが晴れ間も多く、やはり戸外ですごすのが気持ちいい季節だ。広々として人も少ないから美登利は帽子を取って風に吹かれる。
「ここ、遠足で来たよね」
「そうですね、うちは母が植物が好きなので家族でも何度が来たことありますよ」
大きな噴水の前で話していたら、
「女神様!」
後ろから突然しがみつかれて美登利は硬直する。先に叫び声を聞いていなければ蹴り飛ばしてしまうところだった。
「榊さん?」
兄の恋人の榊亜紀子がものすごい顔で美登利を見ている。
「こんな場所で会えるなんてまさに奇蹟。なんという幸運、望外の幸せでございます。お願いします、デッサンを、デッサンを」
「あの、ちょっと離れて、わかりましたから」
「ああ、ありがとうございます!」
喜びむせぶ亜紀子を今日子が険しい顔で見つめる。
「あの方、以前美大で美登利さんの似顔絵を描きたいって言った人ですよね」
「よく覚えてるね」
一心不乱に鉛筆を動かす亜紀子を見やって囁き合う。
「その人がお兄ちゃんの恋人なんだから世の中狭いよね」
「随分変わった方ですね」
「そうなんだよね」
美登利は既に悟りの境地の顔をしている。
彼女のまわりにまたおかしなのが増えたと、今日子は舌打ちしたい思いだ。
亜紀子が落ち着いたところでようやく話ができるようになった。
「たまには外に出て自然の美に触れようと思ってふらっと来たら、美登利ちゃんがいるんだもん。つい興奮してしまいました」
「それはそれは」
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