天使と悪魔

奈月沙耶

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13.カシの木の下

13-4

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「駅まで送るよ」
 車のキーを持って庭先まで追いかけていくと、巽の妹は勇人に向かって小さく微笑んだ。
「すみません」
 数多のニュアンスが詰まっていそうな口ぶりだった。

 駅までの車中、彼女と並んで後部座席に座った正人は、一言も声を発さないまま青ざめて震えていた。バックミラーで時々様子を確認していた勇人は気がつく。先ほど、あんなに彼女が責めらていても、正人は一切弁護しなかった。先んじて勇人に説明したときのように彼女を庇わなかった。

 目線を流すと、鏡越しに巽の妹と目が合った。彼女はやっぱり、勇人に向かって微笑んだ。……つまり、前もってそう決めて来たのだろう。その証拠に別れ際、巽の妹は勇人にこっそりと言った。

「子どもが生まれたら折をみて、とりなしてもらえますか? 孫の顔を見れば気持ちも変わるだろうから」
「ああ。そのつもりだよ」
「すみません」

 わざわざ挨拶などに来たのは、標的になって自分ひとりが悪役になるためだ。生まれてくる子どもと正人をいずれ受け入れてもらえるように。悪いのはあの女で、正人と子どもは悪くない、と言い訳ができるように。




 そして今では、正人は花梨を連れて正月には里帰りする。愛くるしく人見知りしない花梨は親戚の中でも可愛がられている。
 これだけ多くの親類縁者が集まれば、どの子が誰の子かなんて気にするのも面倒で、いちいち「お母さんは?」なんて確認されたりもしない。噂話で知られているかもしれないが、当の花梨はのびのびと池崎家ですごせているのだから良いのだろう。

 あのときの自分は、そこまでのことを考えていなかったと正人は反省する。ひたすら我を通そうとする正人に対して、美登利も誠も冷静だった。冷静だったから見捨てないでいてくれた。今ならよくわかる、あのときの自分は切羽詰まっていた。

 その数年前、誠との子作りを宣言され、正人は彼女と会えなくなった。その期間の村上達彦が妙に正人に親切だったのは、彼と比べて自分にまったく余裕がなかったからだ。不甲斐ない、そう自覚する余裕もなかった。だからこそ、あんな願望が出てきてしまったのかもしれない。
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