天使と悪魔

奈月沙耶

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1.風船とコアラ

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 声もなく見送りながら、花梨はやっぱり声もない様子のお父さんを見上げる。
「……」
「……」 
 お父さんはただ苦笑いしただけだった。




「ああ、それはお母さんだよね」
「だよねええ」
 弟の駈が同意してくれたのに力を得て、花梨は胸を反らせる。兄の和樹が苦い表情で花梨を睨む。

「なんだっておまえはいつもそうやってお母さんに迷惑かけるんだ」
「わたし何もしてないもん。タクマに愚痴っただけだもん」
「それがいけないんだろう。琢磨さんは甘いんだから」
「まあ、確信犯だよね」

 四つも下の幼稚園児のくせに分厚い本を読みながら駈は淡々と言う。ページを繰りながらふと、
「あの人は何だって着ぐるみなんて着てたの?」
 はて? と三人で首を傾げる。
「知りたいような、知りたくないような……」

 とにかく、と表情を引き締め直して和樹はまた花梨に念を押す。
「お母さんに迷惑かけるな。わかったな」
 ふいっと妹弟たちのおやつを準備しに行く背中に、花梨は思いきり舌を出す。
「べえーだ。えばりんぼ」
「やめなよ、花梨。僕らの立場を考えなよ」

「お姉ちゃんって、呼びなさいって、言ってるでしょ」
 三人の中でいちばんお母さんに似ていると周りが言う顔の中で、唯一幼さが残る弟の頬を思い切り引っ張ってやる。
「そんなことお母さんが聞いたら怒るよ」
 花梨ももう少しお母さんに似て綺麗に生まれたかった。頬をさする駈の整った顔を見ながら思う。

 例えば当たり前のように毎日家にいてくれる他所のおかあさんだとか。自分が持っていない物ばかりを羨んでしまうけれど、ただ思うのは。
「会いたいよ、お母さん」
 綺麗な綺麗なお母さん。いつも一緒に居てくれるわけではないけれど。
「僕らみんなお母さんが大好きなんだ」
「うん……」

 なんだかわからない間に同調している妹弟たちに呆れながら、和樹がおやつのケーキを持ってきてくれる。
「もうすぐ一区切りつくから、その後はしばらくゆっくりできるって」
「ほんと? そしたらお母さんのケーキが食べたいなあ」
「おまえはまた我儘を言う」
「ふーんだ。和樹は羨ましいんでしょ」
「お兄様と呼べと言ってるだろうが」

 淡々とページを繰りながら駈は密かに考える。お母さんに、一緒に眠ってもらいたいな。
 お母さんは綺麗で軽やかで天使みたい。三人の子どもたちに好かれている。
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