12 / 14
本編
12
しおりを挟む佐倉への好意を佐倉本人に暴かれてから一週間。今日は終業式である。
直後の激情がおさまってしまえば、次に春乃を埋め尽くしたのは深い虚無感だった。胸にぽっかり穴が空いたような心地で、失恋を悲しんだり佐倉に怒ったりすることもなかった。代わりに何度も穴をのぞき込んでは、あの時の佐倉の強張った顔を見つけて寒々とした空っ風に吹かれることを繰り返している。
また、無意識に穴を埋めようとしているのか、夜な夜な『失恋 忘れる』とか『失恋 対処法』といったワードでインターネット検索をするのをやめられない。そしてどうやら失恋から立ち直るには他のことで気を紛らわすか、時間が解決するのを待つしかないようである。現代社会ですらそのような気休め程度の対処法しか存在しないとは、恐るべし失恋である。
結局、佐倉を傷つけたくないなどと考えていたけれど、こうなってみると自分が傷つきたくないだけだったように思う。いつだって自分を守ろうとして最悪の状況に陥ってしまうのが春乃の常なのだ。中学の時も、今も。
「年末年始は帰省などで遠出する予定の人もいると思いますが、くれぐれも事故や病気には気を付けて──」
冬休み前最後のホームルームで担任が休業期間中の注意事項を話している。クラスは休みに浮かれた様子で真面目に話を聞いている生徒はあまりいない。
春乃はと言えば、とりあえず休みに入れば失恋した相手が毎日真後ろに座っている状況からは脱せられる。浮かれはしないが少しは気も休まるだろう。
ほどなくしてホームルームは終わり、がやがやと騒がしい教室で帰り支度をする。佐倉は同じバスケ部のクラスメイトと一緒にすでに教室から出て行った後だ。午後に部活があるのだろう。
春乃は昇降口へ行く前に図書室へ向かった。本の返却と休み中に読む分の本を借りるためだ。いつもは受験勉強のためにまばらに席が埋まっているが、今日は半日ということもあり春乃以外の利用者は見当たらなかった。
受付カウンターの向こうでひっそりと座っている司書さんに返却手続きをしてもらった後、書架をうろついて何冊か見繕う。今は昇降口が混みあっているだろうから時間をずらすために窓際の席に座ってぱらぱらと本を捲った。
ひとりの図書室は静寂に包まれているうえ暖房が効いて暖かい。インターネット検索で睡眠時間を削られていた春乃はそのままうつらうつらと船をこぎ出した。
いつの間にか眠りに落ちていた春乃はハッと目を覚ました。咄嗟に周囲を見回して相変わらず無人であることに安堵した後、腕時計を確認するとすでに午後二時を回ったところだった。軽く伸びをして残った眠気を追い払ってから立ち上がる。貸出手続きを済ませて図書館を出れば、校舎内は静まり返り時折遠くからどこかの部活の掛け声が聞こえるばかりであった。
こんなふうに学校に残るのは初めてだな、と思いつつ人気のない廊下をてくてく歩く。図書室のある三階から一階まで下りたところで不意に誰かに呼び止められた。
「若宮くんじゃん。一人? 何してんの?」
声のした方を見遣れば、スポーツマンらしい爽やかな笑顔の人物がこちらに近付いてきていた。結構遊んでいるという三年の大沼先輩だ。
「帰るところです」
「こんな時間に? 確か部活は入ってなかったよね?」
「図書室にいたので」
「おー、さすが賢い人は違うね」
にこにこと愛想よく笑う大沼先輩を眺めて思う。きっとこの人は春乃の見てくれが好きなのだろう。だからこうして何度も話しかけては距離を縮めようとしているのだ。先輩には悪いがご苦労様と言いたくなってしまう。春乃なんて綺麗な顔をしているだけのクソ自己保身野郎だというのに。そう思うと可笑しくなってつい笑ってしまった。
「なに? なんか面白かった?」
「いえ、別に」
「ええー良いじゃん教えてよ。結局あれから連絡もくれないし。俺ずっと待ってたのに」
連絡先は帰ってすぐにシュレッダーにかけている。今の言い方からしてやはり佐倉のことはダシとして使っていたようだ。
「今帰りなら一緒に帰んない? ちょうど俺も帰るとこなんだよね」
「すみません、帰りに寄るところがあるので」
「全然いいよ、付き合うし」
「いえ、親の職場なのであまり人は連れてくるなと言われてるんです」
「なら途中まで一緒に行こうよ」
「タクシーで直行するので無理ですね」
「そ、そうなの? じゃあタクシー拾うまで……」
すごいガッツである。春乃の断り文句百選にいつまでも食い下がってくるので、少し面白くなってきた。その情熱を他の人に向けたら恋人でも何でもすぐにできるのではないだろうか。ああ、だから結構遊べているのかと内心納得する。
「もうアプリで正門前まで呼んであるので」
「もおお! さすがの俺でも心折れる! そんなに嫌?! 俺ここまで拒否られることないんですけど?!」
ついに痺れを切らしたらしい大沼先輩が頭を掻きむしりながら叫んだ。アニメの悪役みたいな悔しがり方である。
「佐倉ほどじゃないけど、俺もそこそこイケメンだと思うんだけどな?! 自分で言うのもなんだけど!」
「若宮家基準だとぎりぎりイケメンではないですね。家族の写真見ます?」
「え、それは見たい」
大沼先輩のリアクションがいちいち面白くて、無表情のまま愉快な気持ちになった春乃はスマホを取り出した。カメラロールを遡って今年のお盆に母方の祖父母を含めて集まったときの集合写真を表示すると、隣に立って画面をのぞき込む大沼先輩に順繰りに説明する。
「これが父、母、後ろに並んでるのがおじいちゃんとおばあちゃん」
「ご両親の輝きえぐ。ていうか若宮くん、クォーターってホントだったんだ」
「そうですよ。おばあちゃんがフィンランドの人なんです。これが姉。で姉の旦那さん」
「お姉さま、他撮り無加工でこの美しさ? この世のもの? つーかこの面子で霞まない旦那さんも只者ではないでしょ。これ見せられた後に俺ごときがイケメンを名乗るのはマジでおこがましい……」
深く感じ入ったような声を上げた後、大沼先輩は写真をよく見ようとしたのか、スマホを持っている春乃の手ごと握って引き寄せた──かと思った次の瞬間、大沼先輩の身体が吹っ飛んだ。
「えっ」
驚いて先輩が立っていたはずの場所へ目を向けると、見覚えのある広い背中が目に飛び込んだ。
「大沼さん、ちわっす」
「ったあ……。なにすんだよ、佐倉!」
どきん、と心臓が大きく跳ねた。突然現れた佐倉は練習着らしき黒のスウェットを着て、いつもはふわふわと跳ねる襟足をひとつに結んでいる。部活を途中で抜けてきたような出で立ちだ。
「大沼さんの方こそ何ナンパしてんすか」
「普通におしゃべりしてただけだっつの」
「春乃は知らない人とおしゃべりしないんで。校内でナンパって素行不良じゃないんすか。大沼さん、推薦決まってんのにいいんすか」
やや早口で捲し立てる様子はいつもの佐倉らしくない。不遜な口調には明らかに怒りが滲んでいる。
「お前なに必死になってんの? しつこい元彼は嫌われるぜ」
佐倉は肩をぴくりと揺らして黙り込んだ。大沼先輩の姿は佐倉の影になって良く見えないが、二人が剣呑な空気であることはさすがに春乃でもわかる。
「さ、佐倉、落ち着いて。ナンパされてたのは前半だけだから」
「若宮くん! 微妙にフォローになってない!」
佐倉の正面に回って取り成すように言えば、すかさず大沼先輩が打って変わって明るい声色で被せて来た。この場では春乃の顔を立てようとしてくれているのかもしれない。
内心びくびくしながら佐倉を見上げていると、彼は不満そうに黙ったまま春乃の手首を掴んだ。そのまま低い声で大沼先輩に「失礼します」とだけ言い捨て、春乃の手を引っ張って歩き出した。
佐倉がこれほど怒っているところなど初めて見た。その怒りの矛先がナンパをしてきた大沼先輩なのか、佐倉の忠告を無視した春乃なのか、はたまたその両方なのか分からなくて迂闊に話しかけられない。
仕方なく春乃も口を噤んだまま、ぐいぐいと引っ張られる手首の痛みに耐えているうちに昇降口まで連れて来られた。下駄箱の前でようやく手首を解放されたので、大人しくローファーを取り出していると、佐倉はその場にしゃがみ込んでバスケシューズを脱ぎ始める。予想外の佐倉の行動に戸惑っていると、春乃の困惑に気付いたのか佐倉がパッと顔を上げた。
「家まで送る」
「いや、でも……」
「いいから。送らせて」
佐倉の瞳には既に怒りの色はなかった。そっけない口調でそう言ってから佐倉はまたシューズの視線を落とす。そんな彼の後頭部を呆けたように数秒見つめたあと、春乃は慌てて靴を履き替えた。
昇降口から一歩外に出れば、年末の冷たい風が吹きつける。それを身を竦めてやり過ごした春乃はおもむろに首に巻いていたマフラーをほどいた。
「佐倉、マフラー使って。気休めにしかならないかもしれないけど」
「……いや、俺は別に平気。自分で使いなよ」
「僕はコート着てるから大丈夫。ほんとに気にしないで使って。お願いだから」
「……ごめん」
真冬の屋外を歩くにはあまりに薄着な佐倉にマフラーを押し付けると、春乃は先に歩き出した。後ろから佐倉が付いて来てくれている気配を感じつつ、いつもよりほんの少しゆっくりと足を進めた。
学校から春乃の家までは歩いて十五分ほど。どちらも口を開かないまま既に五分が経っていた。佐倉はずっと二歩ほど後ろを歩いているので春乃からは顔も見えない。
それでも佐倉に家まで送ってもらえているという事実だけで心臓がせわしない。腹の前で握り合わせた両手が酷く冷たいのは寒さのせいだけではないだろう。
会話もなく、顔も見えないけれど、ずっと虚ろだった胸の内が満ちているのがわかる。そっけなくたって優しい気遣いを向けられたら勝手に舞い上がってしまうのだ。
どうして大沼先輩に怒ったのか聞きたい。どうして家まで送ろうと思ったのか聞きたい。そんなふうに考える自分に気が付いてすぐにうんざりする。好かれていないと分かっているくせに、佐倉にどんな答えを期待しているのか。こういう考え方をしたくないから離れようと決めたのに。本当に馬鹿みたい。全く学習しない。愚かな自分が嫌になる。
喜んだり落ち込んだり、春乃の内情はぐちゃぐちゃだった。こんな精神状態で喋ろうものなら、きっと取り返しのつかないことを口走ってしまうだろう。
続く沈黙を、佐倉と共有しているこの時間を、ただ幸いと噛み締めるだけで充分贅沢なのだ。そう自分に言い聞かせていたのに、幸いなはずの沈黙は佐倉によって破られてしまった。
「恋愛する気ないって言ってんの?」
「えっ?」
小さく零された呟きに春乃は足を止めて振り返った。佐倉は首に巻いた春乃のマフラーに口元をうずめて伏せた視線を迷うようにうろつかせる。
「告白断る時に。当分恋愛する気がないからって答えてるって聞いた」
「ああ……まあ、うん……」
なぜ今更そんな確認をされるか分からず困惑が勝ってしまう。そんな春乃の態度をどう解釈したのか、佐倉はパッと顔を上げて眉根を寄せた。
「ごめん、噂で聞いた」
「別にいいよ。なんでも筒抜けになるのは慣れてる」
「……」
申し訳なさそうに話すのでフォローするつもりでそう返したが、佐倉の表情はさらに険しくなるばかりだ。
再来した沈黙は先ほどよりもずっと重くて気まずい。春乃は耐え切れずにゆっくりと踵を返して歩き始めたが、しばらく歩くとまた佐倉が春乃の背に問いを投げた。
「好きな奴に告白しないの?」
どきりと心臓が不穏に跳ねる。全身から血の気が引いて一気に責められているような心地になる。と同時に疑問もわいた。先ほどと言い今と言い、春乃の想い人が佐倉自身だと分かっていて、わざわざこんなことを聞くだろうか。
「……どうして、そんなこと聞くの?」
「どうしてって……好きな奴ができたから彼氏のフリは必要なくなったんだろ? なのに恋人ができるどころか恋愛する気ないって言ってるらしいわ、大沼さんなんかに絡まれてるわ」
背を向けたままで恐る恐る問い返せば、少し声が近づいてつらつらとそう言われた。
「こんなこと言うのはお節介でしかないけど、好きな奴がいるならちゃんと恋人同士になった方がいいんじゃないかな」
俺もそっちの方が安心だし、なんて付け加えた佐倉を春乃は思わず振り返った。目を見開いて佐倉を見上げれば彼は落ち着かない様子でもぞもぞと顔をしかめる。
正直、信じられない気持ちだった。あろうことか佐倉は春乃が別の誰かを好いていると思っているのだ。佐倉の目の前で言い訳できないほどわかりやすい反応を晒したはずなのに。エクストリーム高嶺の花作戦は見破れるのに、あれで春乃の気持ちに気が付かないなんてどういうバランスをしているのだろう。
それどころか春乃の背中を押すような事まで宣う始末だ。飄々として少し風変わりなところがあるのだと思っていたけれど、この男、もしかしてただのぼんやりさんなのか?
春乃はなかば呆然としながら囁くように答えた。
「告白はしないよ」
「なんで?」
眉間に皺を寄せて真剣な表情を作る佐倉に、呆然を通し越して思わず笑みが漏れる。きっと本人は春乃の背中を押した先に自分自身がいるなんて思いもせず、大真面目に話しているのだ。
「向こうは僕のこと好きじゃないから。それがわかってるのに告白して困らせたくない」
「春乃から告白されて困る奴なんているか……?」
いるんだよ、目の前に。腕を組んで唸り始めた佐倉を見つめながら心の中で独り呟く。ここまで意識されていないと逆に力が抜けてしまう。繕わなければという脅迫めいた意識もふわふわと解けてゆく心地がする。はあ、と小さく息を吐いて春乃はそっと目を伏せた。
「困らせたくない……とか言って、本当は……自分が傷つきたくないだけかも。好きでもない人にすら蔑ろにされれば消えてしまいたくなるのに、もし好きな人に拒否されたらって……考えるだけですごく怖い」
つかえながら胸の内に凝った物思いを──凍てつく風に幾度となく曝されてすっかり悴んだ臆病を、ほとほとと吐き出す。言葉にして、声に出して、初めて抱え込んだ恐怖の正しい姿形を思い知る。じんと熱くなった目の奥をとどめるように目元に手の甲を押し当てた。
「誰かに蔑ろにされるのと、告白を断られるのとじゃ全然違うだろ」
滑らかな声音に導かれて春乃はそっと顔を上げた。こちらを真っすぐに見つめる視線に揺らぎはない。真摯な黒い瞳を見つめ返して春乃は震えそうになる唇を開く。
「……そう、なのかな」
「そーだよ。春乃が中学の時のことを思い出して怖がってるんなら全然違う」
少し怒っているみたいに眉根を寄せて佐倉はそう言い切った。まるで当然のことのように、わずかな気負いも感じさせないまま。
──ああ、そうなのだ
こういう人だから、春乃は佐倉を好きになったのだ。
「告白って『私はあなたが好きです。あなたは私が好きですか?』っていう確認だろ。断られたら、あーあ残念!くらいでいいんじゃないの」
「……そんなに割り切れるものかな?」
「わかんね。告白したことないし。でももし相手が自分と同じ気持ちじゃなかったとしても、拒否されたとか……それこそ蔑ろにされたことにはならんだろ」
だいたいさあ、と佐倉は続ける。
「誰かを好きでいることは悪い事じゃねーんだから」
春乃は思わず目を細めた。その仕草が笑っているように見えたのか、ずっと険しかった佐倉の表情もわずかに緩んで笑みが浮かぶ。
かわいい人。かわいくて、愛おしい人。
佐倉のくれる言葉たちが春乃にとってどれほど得難い意味を持つかなんて、きっと彼はわかっていない。ずっと凍えて震えているしかなかった春乃の臆病を、あっという間に春の暖かな陽光の下に連れ出したことにだって、きっと気付いてはいないのだ。
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説

学園の俺様と、辺境地の僕
そらうみ
BL
この国の三大貴族の一つであるルーン・ホワイトが、何故か僕に構ってくる。学園生活を平穏に過ごしたいだけなのに、ルーンのせいで僕は皆の注目の的となってしまった。卒業すれば関わることもなくなるのに、ルーンは一体…何を考えているんだ?
【全12話になります。よろしくお願いします。】

夢では溺愛騎士、現実ではただのクラスメイト
春音優月
BL
真面目でおとなしい性格の藤村歩夢は、武士と呼ばれているクラスメイトの大谷虎太郎に密かに片想いしている。
クラスではほとんど会話も交わさないのに、なぜか毎晩歩夢の夢に出てくる虎太郎。しかも夢の中での虎太郎は、歩夢を守る騎士で恋人だった。
夢では溺愛騎士、現実ではただのクラスメイト。夢と現実が交錯する片想いの行方は――。
2024.02.23〜02.27
イラスト:かもねさま

僕のために、忘れていて
ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────
【完結】嘘はBLの始まり
紫紺
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。
突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった!
衝撃のBLドラマと現実が同時進行!
俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡
※番外編を追加しました!(1/3)
4話追加しますのでよろしくお願いします。

華麗に素敵な俺様最高!
モカ
BL
俺は天才だ。
これは驕りでも、自惚れでもなく、紛れも無い事実だ。決してナルシストなどではない!
そんな俺に、成し遂げられないことなど、ないと思っていた。
……けれど、
「好きだよ、史彦」
何で、よりよってあんたがそんなこと言うんだ…!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる