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番外編
うつくし・い【美しい】
しおりを挟むうつくし・い【美しい】いつまでも見て(聞いて)いたいと思うほどその色・形や声・音などが、接する人に快く感じられる様子だ。
僕はその日、七回目だか八回目だかの見合いのために馴染みの料亭を両親とともに訪れていた。春先の気候の良い日だったから虫もそれなりに動き回っているだろうと考えていたところを母にくぎを刺された。
「肇さん、今日だけは相手方のお嬢さんに虫をけしかけるのはおよしなさいよ。斎明寺家は篠花よりずっと古くて歴史のあるお家なんですから、もしまた泣かせでもしたら今度こそ大ごとだわ」
「嫌だ。どうせ僕と結婚したら昆虫の標本に囲まれて暮らすことになるんだ。いざ結婚してから虫を見るのも不快だったとわかったときの方が互いに被害が大きいだろう。この先何十年も僕は自分の生き甲斐を否定され続け、相手は日に日に増えてゆく標本に怯え続けるんだぞ。いくら家の都合で決まった仲だとしても不毛にもほどがある。僕は一番始めの段階で選別をかけているのだからむしろ良心的だと褒めてもらいたいくらいだ」
「ああもう、本当に一を言えば十で返すんだから……。あなたからも何か言ってやってくださいな」
僕の反論に額をおさえた母が父に水を向けると、彼はいつもの食えない笑い方をしながら言った。
「まあ、しかたあるまい。虫が平気な奇特なお嬢さんに当たるまで見合いを続けるしかないだろう。もう肇の噂も広がっているようだしそろそろ当たりを引けるんじゃないか?」
能天気に笑う父に母は長々とした溜め息をついた後、不満げな態度で押し黙った。父は商才を見込まれて分家から取られた入り婿で、仕事のことになると僕でも言い負けるくらいの切れ者だが、こういったお家事情に対しては途端にやる気を失くす人だった。僕の興味のあることにしか情熱を注がない極端な性質は間違いなく父からの遺伝だと確信している。
料亭の仲居に座敷に通され先方の到着を待つ間、僕は開け放たれた障子越しに庭を眺めては蝶がいないか探していた。両親の会話も座敷も襖絵も面白さは全くなく、モンシロチョウらしき白い蝶が遠くでひらひら飛んでいるのを目で追う方がずっと有意義な時間を過ごせたからだ。しばらくそうしていると、先ほどと同じ仲居が相手方を連れて来た。
斎明寺家の当主はいかにも華族らしい高慢な態度の男だった。顔に見覚えがあったのでどこかの集まりで挨拶くらいはしたことがあるのだろうが、それ以上の印象が残っていないことからするにつまらない話しかしていなかったのだと察せられた。
「噂に違わぬ美しいお嬢様ですね」
「本当ですわ。うちの肇さんではとても釣り合わないのではないかしら」
「何をおっしゃいますか、肇さんのご高名はかねがね聞き及んでおります」
両親たちの定型のやり取りを聞き流しながら僕は自分の見合い相手を観察した。十七歳だと聞いていたが、その年頃にしては小柄で痩せて見えた。座敷に入って来た時からずっと俯きがちで両親たちの話に合わせて声を出さずに笑っているらしいことしか分からなかった。僕は二十歳になるくらいの時分ににょきにょきと身長が伸びたので、小柄な女性に俯かれるとほとんど顔が見えなくなってしまう。僕が自己紹介をした時だけ少し顔が上がったものの、目が合うことはなく母の着物の帯あたりに視線を定めているようだった。
「あとは若いお二人で」
父のそんな決まり文句を聞いて僕は庭に出ようと立ち上がった。しかし、彼女は急にうろたえた様子で自分の父親に助けを求めるような視線を送っていた。僕と二人きりになったら虫をけしかけられると誰かから聞いたのかもしれないと考えて、僕は黙ってことの成り行きに任せることにした。斎明寺家の当主は青い顔をしている娘には一瞥もくれないまま僕に愛想よく笑いかけて彼女と一緒に庭へ行くよう勧めた。彼女は自分の父親の言葉を聞いてゆっくりと顔を正面に直した時、初めて僕が立ち上がっていることに気が付いて慌てて立ち上がった。
庭へ向かって廊下を歩く間、彼女は一言も発さずに黙って僕の後をついてきていた。僕がこう言うのもお門違いかもしれないが、変わった親子だと思った。娘は自己紹介以外ほとんど口をきかず、その自己紹介だって自分の名前を随分と言いにくそうにしていた。まるで他人の名前を名乗っているかのように。父親にしても両親や僕に話題を振ってばかりで会話に入らない彼女を全く気遣う様子もない。僕は見合いの場数だけは踏んでいるので、斎明寺家の親子の態度があまり見合い向きではないことはすぐに分かった。とはいえ相手方の親子関係など僕には関わりのないことだった。僕に必要なのは虫を毛嫌いしない女性かどうかということだけなのだ。
庭に降りて適当に喋りながらナナホシテントウとショウリョウバッタ、キアゲハの幼虫を捕まえると、彼女の手にまずナナホシテントウを乗せた。真っ白な両手の上を歩くナナホシテントウはどことなく照明を当てられた舞台を役者が歩いているみたいに輝いて見えた。彼女は怯える様子もなく手のひらを顔に近付けると細い指先に向かって猛然と歩くナナホシテントウを見つめ続け、そのまま飛び去って姿を見失うまで目を離さなかった。そしてナナホシテントウを見送った後、ぽかんとした顔でこちらを見上げた。ナナホシテントウに戸惑いすらしないことももちろん驚きだったのだが、この日初めてしっかりと見た彼女の容姿がちょっとお目にかかれないくらい美しかったことにも大層驚いた。黒い髪はカラスアゲハのように美しい艶があり、同じ色の睫毛は長く豊かに生え揃って瞬きをするたびに蝶が羽ばたいているようだった。黒い髪と真っ白な肌のモロクロの色合い中で一際目を引く唇の赤い紅もカラスアゲハの後羽の紋のように鮮やかに見えた。僕は動揺を勘付かれないようにショウリョウバッタ、キアゲハの幼虫を立て続けに彼女に渡した。喜ばしいことに彼女は今までの見合い相手達とは違って悲鳴をあげたり震えたり泣いたりしなかった。それどころか僕の行動の意味がわからないというふうに眉根を寄せて黒曜石のような真っ黒な目でこちらを見上げさえした。僕は大層興奮した。キアゲハの終齢幼虫なんて大人の男でも気味悪がって触れない者もいるのだ。それを平然と手のひらの上で歩かせている彼女に僕は興奮のまま気付けば結婚を申し込んでいた。
斎明寺紗世は僕にとって理想の結婚相手だった。虫を怖がらないだけでも十分なのに、彼女は大層美しく僕の話をよく聞いた。僕は人と比べるとよく喋るたちなので、子どもの頃から話を半分以上聞いてもらえないことの方が多かった。しかし彼女は僕がどんなに長時間喋り続けようとこちらの目を見て微笑みながらずっと話を聞き続けた。話し疲れるという感覚も彼女に会って初めて知った。彼女と会って話すたびに僕は新種を見つけた時と同じくらい舞い上がった。どうせ結婚するのだから婚約期間を置くのも意味がないと思い、両親には出来るだけ早く結婚の話を進めてもらった。斎明寺家側も乗り気だったようで見合いから二ヶ月ほどで祝言にまで漕ぎつけた。
祝言は本家ではなく、僕が普段住んでいる屋敷で行った。増えすぎた蝶の標本を整理するかしないかで連日虫嫌いの母と揉めに揉めていた時に、父から大叔父が亡くなってから空き家になっていた隠居屋敷を使わせてはどうかと提案があったことをきっかけに移り住んだ場所だった。どうせ翌日からは一緒に暮らすことになるのなら祝言もここで上げてしまった方が手っ取り早いし、なにより本家に数日でも滞在することでややこしい親族に彼女が絡まれる機会を作りたくなかったのだ。
白無垢を着て楚々と顔を伏せる彼女は類稀なる美しさで、参列客はみな目を丸くしていた。僕は初夜に備えて酒は控えめにして、いつもは面倒で適当にしかやらない親族の相手を今までで一番頑張った。両親と弟達、居座ろうとする親族どもを送り出し、ようやく一息ついた頃には随分と夜も更けていた。彼女はひと足先に退出していたのでもう寝所で僕を待っているだろうと思った。まるで童貞みたいにはやる気持ちで湯を浴び、寝所へと向かった。部屋の襖を開くと用意された布団に彼女の姿は見当たらなかった。虚をつかれた気持ちで部屋を見回すと、隅にちょこんと正座をしてこちらを見上げる姿を見つけた。ほっとしたのとその佇まいのかわいらしさに笑いつつ布団に腰を下ろすと彼女がこちらに近付いて来たので丁寧に押し倒してくちづけた。柄になく緊張しながら彼女の白い柔肌をまさぐっていたとき、突然強い力で肩を押された。突き飛ばされはしないものの、閨で受けるささやかな抵抗というには力がこもっていて僕はすぐに彼女から顔を離した。
「どうした? 怖がらなくていい、なるべく優しくする……か、ら……」
彼女の顔を見て僕は二の句が継げなくなってしまった。見開かれた両の目は明らかな恐怖に染まり、強張った表情で忙しなく部屋の中に視線を走らせていた。まるで助けを探すみたいに。僕も驚いてしまって、今思えばまずは彼女から離れるべきだったと思うのだが、その時は過呼吸めいた危うげな呼吸をする彼女を落ち着かせなければと思いその薄い肩に手をかけてしまった。次の瞬間、鋭い悲鳴を上げて彼女は僕の下でめちゃくちゃに暴れ出した。細腕とはいえ渾身の力のこもった手や足が身体に当たると相当に痛く、僕は頭を庇いながらなんとか彼女の上から退いた。その間彼女はずっと「ごめんなさい」「助けてください」「お母さん」の三つの言葉を引き攣れた呼吸でうわごとのように繰り返していた。僕は有り体に言ってしまえば容姿に恵まれていたので女性から好意を向けられることはあっても、こんなふうに暴漢か何かのように全力で怯え拒否された経験などあるはずもなく、混乱も相まってどうしようもなく彼女に腹が立ってしまった。
「仮にも夫に対してその態度は無いだろう! 初夜が不安な気持ちはわからんではないが、心の準備くらいしておけ!」
理不尽な拒否に怒りを露わにすると、彼女はうわごとをぴたりとやめて布団の上でいも虫のように丸まって声を押し殺して泣き始めた。肩を震わせ時折堪え切れずに上がる泣き声を聞いてしまえば、かわいそうでそれ以上何も言えなくなってしまった。早朝から祝言のあれやこれやで動き回って疲れていたし彼女の泣き声を聞いていても気が滅入るので部屋を出ようと障子に手をかけた。しかし、初夜から別々の部屋で寝たことが万が一斎明寺家へ伝わりでもしたらどうなるのだろうという考えが過って手が止まった。考えすぎではないと思う。祝言の席で彼女の両親と兄姉は僕には丁寧に挨拶をしたが、彼女には笑いかけもせず簡潔で形式的な祝いの言葉をかけただけだったのだ。見合いの席で見た彼女のうろたえた青い顔を思い出して僕は大きく溜め息を吐いた。
「いいか、僕は決して君には近づかないが、部屋を出て行くこともしない。君の立場を思ってのことだから少しくらい妥協してくれよ」
そう声をかけると僕は押し入れから予備の掛け布団を引っ張り出して畳の上で横になった。
翌朝目が覚め、がちがちになった身体を呻きながら起こすと先に起きて布団の上でぼんやりとしていた彼女に流石に文句を言ってやった。しかし、いつも僕を見つめている黒い瞳は焦点があっておらず、どう見ても話を聞く気がなかったので思わず声を荒げてしまった。びくりと震えただけの彼女相手にどうにも冷静になれそうになかったので部屋に戻るように伝えた。彼女が部屋から出て行った後もしばらくもやもやと昨夜のことを考えていたが、僕に落ち度は全くないと言っても差し支えない状況だったので、部屋を出て顔を洗いに行った。顔を洗って頭がしゃっきりとすると自分に落ち度はないが様子くらいは見に行ってやるかと思えた。そうして実際に彼女の部屋の前まで来てみたはいいが僕らしくなく逡巡していると中から彼女の声でなにか聞こえて来た。
「──違うって、何度言ったらわかるんだい、衿をそんなに抜いたら下品だろう、本当に愚図だね、ああもうほら裾が長過ぎて引きずってる、なんであたしがこんなこと、そう、そう、おはしょりを作って、違う、左右が全然合ってないじゃないか、だから違う、あたしをおちょくってんのかい、いい加減にしな──」
きつくなじる内容に反して彼女の口調は何の感情もなく淡々としているのがかえって不気味だった。たまにつかえては少し前の悪罵から再開されるその言葉はどうやら着物の着付け方を教えているようだった。
「──九条様に言われなきゃあんたみたいな売女の娘の世話なんか誰がするか、ああ、本当なら紗世様につけていただけるはずだったのに、あんたのせいで台無しだよ──」
つかえながら流れる悪罵に聞き流せない一言があった。『あんたみたいな売女の娘』?『本当なら紗世様に』? 僕は情報が整理できず、声をかけるのをやめて自分の部屋へ戻った。あれは斎明寺家の誰かが彼女にかけた言葉なのだろうか。だとすると本人を目の前にして『本当なら紗世様に』云々などと言うわけがない。斎明寺紗世ではないのなら、一体彼女は誰なのか。
出鼻をくじかれた僕は松田さんに初夜のことは伏せたまま彼女に好きなように過ごすようにとの伝言を頼み、なにかと気にかけてやって欲しいとも言った。松田さんは僕が生まれる前から篠花家に勤めている女性で、僕が居を移す時について来てくれた使用人のひとりだった。松田さんの子どもたちはとっくに成人した上に篠花家と同じ男ばかりの兄弟だったらしく、まだあどけなさが抜けない彼女の嫁入りを随分と楽しみにしてくれていた。目端の利く松田さんなら彼女を任せても安心だと思ったのだ。
彼女のことは一先ず松田さんに任せ、僕は彼女について調べることにした。会社の部下に斎明寺家を探らせてみたところ、彼女の正体は思ったより早く見当がついた。斎明寺紗世は幼少よりずっと病弱で、一年ほど前から社交界へ顔を出すようになる以前の姿を見た者は見つからなかったという。姉の香織の器量が良かったこともあり、ならば妹は如何ほどかと言われていたところに満を持して彼女が現れたのだから当時は随分と話題になったらしい。しかしそのさらに一年前に身寄りの無くなった妾の子を引き取ったのだと公言していたことから、口さがない人間からはあの斎明寺紗世は実は妾の子なのではないかとまことしやかに囁かれていたという。
彼女は多少痩せてはいるが病弱さは感じない。十年以上病みついていた人間には確かに見えなかった。彼女が斎明寺紗世の身代わりにされた妾の子だったとするならば、家族からのあからさまに冷たい態度や誦んじていた罵倒の内容も全て辻褄が合った。ここ数年の台所事情はあまり芳しくないとはいえ斎明寺家は由緒正しい旧家であり加えて彼女のあの容姿だ。見合いを片手では足りないくらい破談にしている新華族の長男などより良い相手など引く手数多に違いないのだ。それなのに結婚を急ぐ篠花家側をむしろ両手を上げて歓迎していた。さっさと嫁がせてしまいたい理由があちらにもあったということだ。
そういう違和感が全て腑に落ちるとなんだかすっきりした気持ちになった。箱入りの華族のお嬢様だとしても異常に物静かで従順な態度も、あの性格が悪そうな斎明寺家の人間に怯えて暮らしていたとすれば納得だし、彼女の出自から家内でも乱暴を働こうとする不届者もいたに違いない。形はどうあれ彼女を斎明寺家から引き離したのは僕の功績だろう。
問題は事情を知る前の僕が彼女をなじってしまったことだ。彼女は祝言の翌日からほとんど部屋から出ていないらしい。松田さんに伝言を頼んだきり部屋にも行っていないから、まだ僕が腹を立てていると思って反省の態度をとっているのかもしれない。そう思うとやっていることがあの意地悪一家と同じなのではないかと思えて来てしまう。しかし僕に落ち度はないから頭を下げるのもおかしい。僕の話を聞いてくれる時のちょっと目を細める笑顔と、初夜の翌日の人形みたいな虚ろな表情が同時に頭に浮かんで僕は散々悩んだ結果、虫網と虫籠を引っ掴んで庭に出た。
とりあえず何でもいいから会話のきっかけさえあれば彼女の方から謝罪してくれると思ったのだ。ごめんなさいでも何でもいいから一言だけでも謝罪があれば許す気で縁側から声もかけずに彼女の部屋の障子を開け放った。何をするでもなく部屋の隅で正座をしていた彼女を縁側に呼んで虫籠を押し付けた。少しやつれたふうな彼女もどこか色っぽく見えてしまう自分に腹が立った。彼女の好きなものなど何も知らないから結局蝶をだしにするしかないのも好きな子の気を引こうとする幼子のようで恥ずかしかった。
僕にここまでさせたのだからさあいつでも謝ってくるが良いという心構えでいたのに、彼女はけろっとしていつもみたいに僕の蝶の話を聞いているだけだった。いや、シジミチョウの標本を目をきらきらさせて見つめる彼女は相当にかわいかったがそれはこの際脇に置いておく。彼女がルリシジミが好きなのだと知れたのはひとつ収穫として、待てど暮らせど謝罪の気配はなくむしろ僕ばかりが楽しく蝶の話に終始してしまった。痺れを切らしてまた嫌味めいた言い方で彼女を責めてしまったのだが、彼女は僕が一体何を言っているのかわからないというふうに小首を傾げて艶々とした黒い瞳でじっと僕を見つめてきた。その彼女の上目遣いが本当にかわいくてぎりぎりと心臓を締め上げられたと本気で思った。彼女が好きだと言ったルリシジミは僕が一番初めに好きになった蝶なのだ。そんな些細なことだって内心踊り出したいくらい嬉しかった。
沸き立つ頭で僕は何もかも諦めた。どうせ彼女はあの斎明寺のいけすかない高慢な親父の命令で僕と結婚したのだ。僕に好かれようが嫌われようが多分どちらでもいいのだろう。けれど僕は彼女に好かれたい。虫を嫌わないでくれて、僕の話を最後まで聞いてくれて、ルリシジミを綺麗だと言ってくれた彼女に好かれたい。泣き叫んで拒否されるのは悲しかった。格好をつけて同じ家にいるのに顔を見に行けないのがもどかしかった。『惚れた方が負けなんですよ』そう言った会社の部下の訳知り顔が頭をよぎりつつ、僕は彼女に詰め寄って言った。
「……自然界では多くの場合メスがオスを選ぶ。オスたちはメスに選んでもらうために、角を生やしたり羽を美しい色にしたり餌をせっせと運んだりする。人間は社会通念上その限りではないが、淘汰の根本に立ち返れば女が男を選ぶ方が理にかなっているのだ。……っ、君という、魅力的な女性に選んでもらえるよう……、僕もせいぜい頑張るよ」
自分でも遠回しすぎる告白の文言だと思う。しかし駆け引きも何もなく真正面から求愛をするなど初めての事なのだから致し方あるまい。じっと答えを待つ僕に、ぽかんとした顔の彼女はにこりと笑ってから言った。
「お上手ですわ」
誰がお上手だ。何がお上手だ。お世辞じゃない、心の底から君のことを美しくてかわいくて魅力的な女性だと思っている。頭の中に山ほど言葉が湧き出したけれど、火を噴いているかのように熱い顔では何を言っても格好がつくはずもなく。
「君、本当に覚悟しておけよ!」
結局そんな捨て台詞めいた言葉しか言えなかったのだった。
*
「好きです」
いつきは僕に正面から抱き着き、黒々とした瞳でじっとこちらを見上げて言った。初めて身体を繋げられた翌日、あるいは彼女が僕に本当の名前を教えてくれた翌日。僕は自らの無神経さで何度もいつきを傷つけたり泣かせたりしてしまっているから、同じ轍は踏まぬよういかに気を付けているかを説明していたら突然抱き着いてきたのだ。訳が分からないし、かわいいし、説明の途中だし、かわいいので何も言えなくなっていると、いつきは追い打ちをかけるように続けた。
「ずっと肇様を好きでいさせてください」
好きなの? 僕のこと。遅れて脳みそに届いた言葉に衝撃を受けた。生まれて初めて頭が真っ白になって言葉が出てこなかった。いたずらっぽく少し笑いながらこちらの様子をうかがういつきから目が離せないまま、かわいい以外に何か言わなければと僕は必死になって使い物にならない頭を振り絞った。
「せいぜい一生努力するよ」
生まれてこの方、会う人間ほとんどすべてからよく喋るという評価を受けてきた。そんな僕はどうにもいつきの前では口下手になってしまうらしい。僕のつまらない返事に花がほころぶように笑って頷いたいつきを何も言わずに抱き締めるしかできなかった。
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