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第4章 ルオスノットへ

4-6・何だ、その珍妙な姿は

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 ラギウスに抱きかかえられたメルヴィオラを見て、クリスザールの方がおかしいくらいに狼狽えていた。慌てすぎて躓いた彼を、イーゴンが素早く支えている。

「聖女様! やはり長旅で無理をされたのでは……。部屋を用意致しますので、ゆっくり休んで下さい」

 体の方はもう大丈夫だったのだが、顔面蒼白のクリスザールがあまりにも懇願するので、結局メルヴィオラは三十分ほど休ませてもらうことにした。

 用意された部屋は思いのほか豪華で、バスルームまで備えられていた。湯浴みするならば使用人もつけるとの申し出は断っていたが、本音を言えば少しもったいない気もする。けれどもパトリックたちが追いかけてきている状況でゆっくりくつろぐわけにもいかないので、メルヴィオラはクリスザールが用意してくれたお茶を飲むだけに留めた。

 ラギウスとイーゴンは別室で休憩を取っている。何かあればすぐに駆け付けられる距離だが、広い部屋に一人きりという状況は何だか落ち着かない。
 神殿ではひとりでいることも多かったが、それを苦痛だとか孤独だとは考えたこともなかった。それがメルヴィオラの日常だったからだ。

 けれど今は、この静けさが重くのし掛かる。
 ラギウスたちと過ごした時間はそう長くはないのに、あの騒がしい毎日はもうメルヴィオラの日常になりかけていたのだと気付かされた。

 海軍に追われながら旅をする緊張感と、青い海をどこまでも突き進む解放感。ラギウスに攫われなければ、決して味わうことのなかった自由を楽しいと思ってしまった感情を、メルヴィオラは首を振ることで自分の中から追い出そうとした。

「楽しいなんて、そんなこと……」

 船の上では満足に風呂にも入れず、船員たちは男ばかりなので正直心はあまり休まらない。唯一の避難場所は船長室なので、結局そこでもラギウスと顔を合わせる羽目になる。
 おまけにティダールでは売り飛ばされるところだったし、タルテスでは魔法具に魅了されたラギウスに襲われそうにもなった。思い出せば出すほど、平穏な日々とは言いがたい。
 毎日なにかしら騒がしい海賊船の旅は、海軍と行くはずだった本来の祈花きかの旅とはきっと何もかもが違うのだろう。

 そこまで考えて、ハッとした。
 ルオスノットはエムリスの孤島と違って、フィロスの樹まで距離がある。その長い道中、メルヴィオラに体調不良などの異変があれば困るということで、確か神官長がパトリックに距離を短縮させる魔法具を預けていたはずだ。――であれば、いくら時間差があると言えど、パトリックたちはもうルオスノットの街に到着しているのではないか。

「ラギウス!」

 部屋を飛び出したところで、ちょうど扉の前にいた誰かの体にぶつかった。青を基調にした海軍の制服が視界いっぱいに映る。ラギウスかと思ったが、メルヴィオラの目線――制服のちょうど胸の辺りに赤い宝石のついた勲章が留められていた。
 ラギウスたちの制服にはなかった勲章。赤い宝石の意味するものは、炎だ。

「聖女メルヴィオラ。ご無事でしたか!」
「パトリック……」

 胸に手を当ててわずかに頭を下げるパトリックの後ろでは、状況を把握できていないクリスザールが眉間に皺を寄せている。

「タルテスの街とこの館を繋ぐ魔法具をお預かりしていてよかった。エムリスでフィロスの樹が祈花きかしたので、次はここルオスノットだろうと……。ティダールでは力及ばず、申し訳ありませんでした」
「あ……うぅん、それは大丈夫なんだけど……」
「あなたを脅し、祈花きかを強要させるなどもってのほかだ。これ以上の暴挙を見過ごすわけにはいきません」

 ラギウスたちのことをどう説明していいのか迷っている間に手を取られ、赤銅色の小さな鍵を渡される。

「それはこの屋敷とタルテスを繋ぐ道を開く鍵です。扉へは彼が案内致しますので、あなたは先にタルテスへお逃げ下さい。向こうに部下を待機させてあります」
「ささ、聖女様はどうぞこちらへ。脅されていたとは知らず、早くに気付けず申し訳ございません。中庭で倒れられたのも、心労が重なったのでしょう。おいたわしい」

 確かに最初は誘拐というかたちだったが、今はメルヴィオラも彼らと共にいることを承諾しているのだ。思ったほどひどい扱いを受けているわけでもないし、何ならそれなりに気を遣ってくれているという実感もある。
 メルヴィオラがちゃんと説明すれば、きっとパトリックもラギウスと無駄な争いをしないはずだと思ったのだが。

「俺の目を盗んで逢い引きとは、感心しねぇな。そいつはもう俺の女だぞ」

 タイミングがいいのか悪いのか、廊下の向こうからラギウスが姿を現した。相も変わらず余計な挑発をするので、真面目なパトリックは剣を片手に攻撃態勢に入ってしまった。

「ちょっと、ラギウス! 余計なこと言わないで」
「何だよ。まさかお前、昔の男のところに戻るつもりじゃねぇだろうな」
「昔の男って……そんなんじゃないわっ」
「へぇ、そうかよ。フラれたな、リッキー」

 せっかくパトリックに説明するチャンスだったのに、それをフイにするどころか、新たな火種すら生まれたかもしれない。見れば、既にパトリックの剣にはうっすらと炎が巻き付いている。

「相変わらず、君は神経を逆撫でするのが得意だな。私はともかく、これ以上聖女を貶めることは許さないと言ったはずだ」
「別に許してもらおうとは思ってねぇよ。事実だしな。それに俺は貶めてるつもりはねぇし、何なら逆にかわいがってやってる方だぞ」
「そういう口を閉じろと言っている! 聖女は人々にとって光の象徴だ」
「光ぃ? お前、そいつを神聖視しすぎだろ。デケぇ腹の音も鳴るし、寝言だって結構うるせぇぞ」
「君がなぜ彼女の寝言を知っている!」
「知りたいか?」
「聞きたくもないっ!」

 もうこれ以上喋らせておくわけにはいかないと、パトリックが薄く炎を纏った剣を振り上げながらラギウスへと飛びかかった。
 戦いに合わせて炎を加減する精密さは、さすがパトリックというところだろうか。場所が領主の館で、しかも狭い廊下なので、ティダールで見たような周囲を取り囲むほどの炎壁はない。剣に絡みつく炎から火の粉も飛んではいるが、それが他に燃え移ることはないようだ。
 標的はあくまでラギウス。その彼も迫り来る炎の剣に少しも怯むことはなく、自身の剣を構えてどこか余裕にも見える笑みを浮かべて応戦していた。

 パトリックの炎を打ち消すラギウスの長剣には、柄に黒い石がはめ込まれている。ラギウスの耳飾りと同じ宝石のようで、おそらくそれが炎を相殺しているのだろう。
 海賊の武器にしては、ラギウスの剣は刃が長くまっすぐだ。パトリックのサーベルと形は似ているが、どちらかと言えば騎士が扱うロングソードに似ている。武器に詳しいわけではなかったが、ラギウスの剣がティダールで見た海賊たちのものとは違うということだけは、メルヴィオラにも何となくわかった。

「その制服も部下から盗んだものだろう! 海賊が着ることで、我々を愚弄しているつもりか」
「んな堅っ苦しい服、誰が好んで着るかよ」
「だったら脱げ! 制服が穢れる!」

 真横に薙ぎ払われたパトリックの剣を、ラギウスが間一髪しゃがんで避ける。けれどもわずかに遅かったのか、剣先に引っかかった帽子が吹き飛ばされてしまい――。

「あ」
「……は?」

 剣を薙ぎ払った姿勢のままで、パトリックが硬直した。その彼の目の前には、赤髪からぴょこんと飛び出した狼の耳が焦ったようにピクピクと痙攣していて。

「なっ!? ……何だ、その珍妙な姿はぁぁ!?」

 戦意をごっそりと奪われてしまったのか、そう叫んだパトリックの手から剣が滑り落ちてしまった。


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