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第3章 海賊と聖女と海軍と
3-5・随分と俺に興味津々じゃねぇか
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上に下に。左右に揺れて、一息ついたかと思うと今度は高く跳ね上がる。方向感覚などとうに失われて、メルヴィオラは自分が今どこにいるのかさえわからなかった。
ラギウスの肩に担がれているため、多少の衝撃で体が激しく揺れる。そのたびに上半身が跳ねるものだから、ぐるぐる回る視界と圧迫された胃が気持ち悪くてたまらない。せめて揺れを最小限にしようとラギウスの背中にしがみ付けば、それをいいように勘違いしたのか機嫌のいい笑みがこぼれる声を聞いた。
「ちょっと……ダメ。気持ち悪い」
「船まで辛抱しろ」
「無理……降ろして。でないと背中に吐きそう」
嘔吐するまではなかったが、そうでも言わないとラギウスは降ろしてくれないだろう。嘔吐く真似をしてみると、しばらく迷った挙げ句にラギウスはようやくメルヴィオラの体を解放してくれた。
とはいえ場所はなぜか建物の屋根の上。ひゅうっと吹き抜ける海風に煽られて、ただでさえふらついていたメルヴィオラの体が不安定な場所でたたらを踏む。転ぶ前に再度ラギウスに腕を引き寄せられ、メルヴィオラの自由は数秒で終わってしまった。
また担がれるのかと身構えれば、何も起こらない。不思議に思って顔を見上げると、かすかに口角を上げてメルヴィオラを見つめるラギウスと目が合った。
「……なに?」
「いや……。案外、そういうカッコも似合うもんだな。お綺麗なだけの神官服より、よっぽど好みだ」
「べっ、別にあなたのために着たんじゃないわよっ!」
「じゃぁ、脱ぐか? 俺も脱がす方が好きだけどな」
「そういうことじゃ……っ、きゃ!」
身の危険を感じて後ずさろうとした足が、ふわりと宙に浮く。左腕だけで軽く抱き上げられ、反応の遅れたメルヴィオラの頭がラギウスの首元に埋まった。勢いに任せて首筋に唇が触れてしまったが、くちづけというよりはもはや衝突に近い。
「ぶっ!」
「色気のねぇ声」
「あなたこそ、もう少し優しくしてよっ」
「お前がもうちょっとそそる声出してくれたら、いくらでも優しくしてやるよ」
「欲求不満狼!」
「そりゃどうも」
「褒めてないっ」
さっきからいいようにからかわれてばかりで、メルヴィオラの心はモヤモヤとして落ち着かない。それでも抱きかかえられた左腕から逃げることもできなくて、結局はラギウスにしがみ付くしか選択肢は残されていなかった。
「この状態なら、多少無理しても平気だろ?」
「何が?」
「ここからあっちに飛んで、屋根づたいに逃げるんだよ」
ラギウスが指差す方角、着地点となる建物はどう見ても人が飛び越えていける距離ではない。間に柱のようなものもなく、落ちれば街中の人混みへ真っ逆さまだ。
そんなの無理に決まっている――と、そう言おうとした言葉を遮って、ラギウスの吹く笛の音が響き渡った。高く、細く。空の彼方まで届きそうなほどに響く笛の音は、どこか海鳥の鳴き声に似ている。
「なに、その笛」
「仲間を呼ぶ時に使う魔法具だ。メーファの魔力が込められてるから、遠く離れててもクルーには全員聞こえてる」
メルヴィオラの小指ほどの長さの笛は、翡翠に似た美しい宝石のようだ。パトリックが炎を操るために赤い石の指輪が必要なのと同じ原理だが、笛自体が鉱石でできているそれは当然込められた魔力量も多い。そして魔力が強いということは、それを扱う使用者との共鳴値もより高いものが求められる。
パトリックが炎と相性がいいように、ラギウスは風の魔力との相性が高いのだろう。風の精霊メーファを連れていることからも、そう考えるのが自然だ。
けれどラギウスは競りの会場から逃げる時、燃えさかる炎を無効化してみせた。あの力は風の魔法とは違う、もっと別の魔力が働いていたような気がする。
「ねぇ。……あの時パトリックの炎を、どうやって消したの?」
「あぁ? コレで相殺した」
そう言ってラギウスが横髪を掻き上げると、赤髪の下から現れた左耳にピアスが揺れているのが見えた。オニキスのように黒い石を削って作られたモチーフは獣の牙。一緒に揺れるモスグリーンの一枚羽根は、彼の首飾りと同じ装飾だ。
「そのピアスも魔法具なの? 炎を消したってことは水属性……には見えないんだけど」
「何だ? 随分と俺に興味津々じゃねぇか」
「そういうわけじゃ……っ」
「じっくり教えてやってもいいが、今は逃げる方が先だ。しっかり掴まってろ」
腰に回した手にぐっと力が篭もったと感じた瞬間、勢いよく走り出したラギウスが予告通り屋根から屋根へと跳ねるように飛んでいく。肩に担がれている時より衝撃は幾分マシだが、それでも悠長に喋っている暇はない。
メルヴィオラはラギウスの首にギュッとしがみ付いたまま、この猛烈な体の揺れに必死で耐え忍ぶしかできなかった。
***
街を出て街道沿いを進むと、岸壁に隠れた海岸にエルフィリーザ号が見える。街からはそう離れていない場所だが、ラギウスが吹いた笛の音が聞こえるほどの距離ではない。だと言うのに、到着したメルヴィオラたちを迎えた海賊船は、既に出港できる準備を整えていた。
「船長、ひどいっすよ! 俺ら、まだ酒しか飲んでなかったのに」
「俺もコイツ抱いてねぇから我慢しろ」
「そういう問題じゃ……って、うわぁ。着替えたんっすか? かわいい。モロ、船長の好み……」
「いいからさっさと船に戻れ。出港するぞ」
メルヴィオラたちが船に乗る間に、街へ繰り出していたクルーたちも全員帰ってきたようだ。いろいろと不満を口にしているが、振り回されるのはいつものことなのか、船に乗ると各々が自分の持ち場へと戻っていく。
「随分と慌ただしい出港だな」
「セラス。お前の読み通り、海軍がいやがった。リッキーがここまで出張って来てたんだよ」
「まぁ、そうだろうな。彼は祈花の旅に聖女の護衛として就くことになっていただろうし……君に奪われたと知れば、一番に後を追ってくるのは目に見えていた」
そう言うセラスの手には、珍しく本以外のものが握られている。青い生地の上着だ。この海賊船に乗っている彼らが着るような服とは違い、パッと見ただけでも上等な上着だということがわかる。
どこか既視感を覚えるその服の正体に気付く前に、セラスがそれをラギウスへと放り投げて渡した。
「海軍の制服? お前、なんでこんなもん……」
「街へ行く仲間に、適当に盗んでくるよう言付けておいた」
ぽいぽいっと渡される服は上着だけでなく、どうやら海軍兵士の制服一式が揃っているようだ。帽子まである。
「次はルオスノットへ向かうのだろう? あの街にあるフィロスの樹は領主の館にある。海賊として忍び込むのは無理があるから、君は海軍になりすまして聖女を連れていくといい」
「さすがセラス。用意がいいな」
「君も、聖女と遊んでばっかりいないで、呪いを解くことに集中しろ」
「手厳しいな」
「当たり前だ。私たちには目的が……」
そこまで言いかけて、セラスが不自然に言葉を切った。居心地の悪さを拭うように眼鏡を指で押し上げて、それを言い訳みたいにしてメルヴィオラから視線を外す。
「とにかく、海軍に追いつかれる前にルオスノットの神木を祈花させるんだ。ここからは時間との勝負だぞ、ラギウス」
「わかってるよ。ってことで、メーファ! 聞いてただろ」
姿の見えないメーファを探して視線を巡らせれば、相変わらず暢気な声だけが聞こえてくる。
「なーにー? 僕いま忙しいんだけど?」
「寝てるだけだろうが。風を喚べ! ルオスノットへ全速力だ」
「ホント、僕がいないと船も動かせないんだから」
「あー、そうそう。お前は偉い偉い。ほら、さっさと動かせ」
「強制労働はんたーい」
そうどこからか返事をするものの、次第に髪を揺らす風が強まっていき――。あっという間にエルフィリーザ号の帆が風に大きく膨らんだ。
波飛沫を上げて海を走るように進んでいく海賊船エルフィリーザ号。もう随分と遠く離れたティダールの港では、海軍の船が後を追って出港するのがかすかに見える。
あの船にパトリックも乗っているのかと思うと、メルヴィオラの胸に言いようのない思いが渦を巻いた。
競りの会場で、メルヴィオラを助けてくれたのはラギウスだ。けれどその後に現れたパトリックに、メルヴィオラは手を伸ばすことをしなかった。自分はもう「助け出されている」と、あのとき確かにそう思ってしまったのだ。
海軍であるパトリックの方が、メルヴィオラのいる世界だというのに。
ちらりと隣を盗み見れば、潮風に赤髪を揺らすラギウスの横顔が瞳に刻まれる。粗野で横暴な、色欲の強い強引な男だ。
でも――、メルヴィオラを気にかけてくれる思いは少し乱暴だけれど、ちゃんと優しい。
強引に攫われた出会いは最悪だったが、メルヴィオラはもう、ラギウスのことをそこまで嫌いだとは思わなくなっていた。
ラギウスの肩に担がれているため、多少の衝撃で体が激しく揺れる。そのたびに上半身が跳ねるものだから、ぐるぐる回る視界と圧迫された胃が気持ち悪くてたまらない。せめて揺れを最小限にしようとラギウスの背中にしがみ付けば、それをいいように勘違いしたのか機嫌のいい笑みがこぼれる声を聞いた。
「ちょっと……ダメ。気持ち悪い」
「船まで辛抱しろ」
「無理……降ろして。でないと背中に吐きそう」
嘔吐するまではなかったが、そうでも言わないとラギウスは降ろしてくれないだろう。嘔吐く真似をしてみると、しばらく迷った挙げ句にラギウスはようやくメルヴィオラの体を解放してくれた。
とはいえ場所はなぜか建物の屋根の上。ひゅうっと吹き抜ける海風に煽られて、ただでさえふらついていたメルヴィオラの体が不安定な場所でたたらを踏む。転ぶ前に再度ラギウスに腕を引き寄せられ、メルヴィオラの自由は数秒で終わってしまった。
また担がれるのかと身構えれば、何も起こらない。不思議に思って顔を見上げると、かすかに口角を上げてメルヴィオラを見つめるラギウスと目が合った。
「……なに?」
「いや……。案外、そういうカッコも似合うもんだな。お綺麗なだけの神官服より、よっぽど好みだ」
「べっ、別にあなたのために着たんじゃないわよっ!」
「じゃぁ、脱ぐか? 俺も脱がす方が好きだけどな」
「そういうことじゃ……っ、きゃ!」
身の危険を感じて後ずさろうとした足が、ふわりと宙に浮く。左腕だけで軽く抱き上げられ、反応の遅れたメルヴィオラの頭がラギウスの首元に埋まった。勢いに任せて首筋に唇が触れてしまったが、くちづけというよりはもはや衝突に近い。
「ぶっ!」
「色気のねぇ声」
「あなたこそ、もう少し優しくしてよっ」
「お前がもうちょっとそそる声出してくれたら、いくらでも優しくしてやるよ」
「欲求不満狼!」
「そりゃどうも」
「褒めてないっ」
さっきからいいようにからかわれてばかりで、メルヴィオラの心はモヤモヤとして落ち着かない。それでも抱きかかえられた左腕から逃げることもできなくて、結局はラギウスにしがみ付くしか選択肢は残されていなかった。
「この状態なら、多少無理しても平気だろ?」
「何が?」
「ここからあっちに飛んで、屋根づたいに逃げるんだよ」
ラギウスが指差す方角、着地点となる建物はどう見ても人が飛び越えていける距離ではない。間に柱のようなものもなく、落ちれば街中の人混みへ真っ逆さまだ。
そんなの無理に決まっている――と、そう言おうとした言葉を遮って、ラギウスの吹く笛の音が響き渡った。高く、細く。空の彼方まで届きそうなほどに響く笛の音は、どこか海鳥の鳴き声に似ている。
「なに、その笛」
「仲間を呼ぶ時に使う魔法具だ。メーファの魔力が込められてるから、遠く離れててもクルーには全員聞こえてる」
メルヴィオラの小指ほどの長さの笛は、翡翠に似た美しい宝石のようだ。パトリックが炎を操るために赤い石の指輪が必要なのと同じ原理だが、笛自体が鉱石でできているそれは当然込められた魔力量も多い。そして魔力が強いということは、それを扱う使用者との共鳴値もより高いものが求められる。
パトリックが炎と相性がいいように、ラギウスは風の魔力との相性が高いのだろう。風の精霊メーファを連れていることからも、そう考えるのが自然だ。
けれどラギウスは競りの会場から逃げる時、燃えさかる炎を無効化してみせた。あの力は風の魔法とは違う、もっと別の魔力が働いていたような気がする。
「ねぇ。……あの時パトリックの炎を、どうやって消したの?」
「あぁ? コレで相殺した」
そう言ってラギウスが横髪を掻き上げると、赤髪の下から現れた左耳にピアスが揺れているのが見えた。オニキスのように黒い石を削って作られたモチーフは獣の牙。一緒に揺れるモスグリーンの一枚羽根は、彼の首飾りと同じ装飾だ。
「そのピアスも魔法具なの? 炎を消したってことは水属性……には見えないんだけど」
「何だ? 随分と俺に興味津々じゃねぇか」
「そういうわけじゃ……っ」
「じっくり教えてやってもいいが、今は逃げる方が先だ。しっかり掴まってろ」
腰に回した手にぐっと力が篭もったと感じた瞬間、勢いよく走り出したラギウスが予告通り屋根から屋根へと跳ねるように飛んでいく。肩に担がれている時より衝撃は幾分マシだが、それでも悠長に喋っている暇はない。
メルヴィオラはラギウスの首にギュッとしがみ付いたまま、この猛烈な体の揺れに必死で耐え忍ぶしかできなかった。
***
街を出て街道沿いを進むと、岸壁に隠れた海岸にエルフィリーザ号が見える。街からはそう離れていない場所だが、ラギウスが吹いた笛の音が聞こえるほどの距離ではない。だと言うのに、到着したメルヴィオラたちを迎えた海賊船は、既に出港できる準備を整えていた。
「船長、ひどいっすよ! 俺ら、まだ酒しか飲んでなかったのに」
「俺もコイツ抱いてねぇから我慢しろ」
「そういう問題じゃ……って、うわぁ。着替えたんっすか? かわいい。モロ、船長の好み……」
「いいからさっさと船に戻れ。出港するぞ」
メルヴィオラたちが船に乗る間に、街へ繰り出していたクルーたちも全員帰ってきたようだ。いろいろと不満を口にしているが、振り回されるのはいつものことなのか、船に乗ると各々が自分の持ち場へと戻っていく。
「随分と慌ただしい出港だな」
「セラス。お前の読み通り、海軍がいやがった。リッキーがここまで出張って来てたんだよ」
「まぁ、そうだろうな。彼は祈花の旅に聖女の護衛として就くことになっていただろうし……君に奪われたと知れば、一番に後を追ってくるのは目に見えていた」
そう言うセラスの手には、珍しく本以外のものが握られている。青い生地の上着だ。この海賊船に乗っている彼らが着るような服とは違い、パッと見ただけでも上等な上着だということがわかる。
どこか既視感を覚えるその服の正体に気付く前に、セラスがそれをラギウスへと放り投げて渡した。
「海軍の制服? お前、なんでこんなもん……」
「街へ行く仲間に、適当に盗んでくるよう言付けておいた」
ぽいぽいっと渡される服は上着だけでなく、どうやら海軍兵士の制服一式が揃っているようだ。帽子まである。
「次はルオスノットへ向かうのだろう? あの街にあるフィロスの樹は領主の館にある。海賊として忍び込むのは無理があるから、君は海軍になりすまして聖女を連れていくといい」
「さすがセラス。用意がいいな」
「君も、聖女と遊んでばっかりいないで、呪いを解くことに集中しろ」
「手厳しいな」
「当たり前だ。私たちには目的が……」
そこまで言いかけて、セラスが不自然に言葉を切った。居心地の悪さを拭うように眼鏡を指で押し上げて、それを言い訳みたいにしてメルヴィオラから視線を外す。
「とにかく、海軍に追いつかれる前にルオスノットの神木を祈花させるんだ。ここからは時間との勝負だぞ、ラギウス」
「わかってるよ。ってことで、メーファ! 聞いてただろ」
姿の見えないメーファを探して視線を巡らせれば、相変わらず暢気な声だけが聞こえてくる。
「なーにー? 僕いま忙しいんだけど?」
「寝てるだけだろうが。風を喚べ! ルオスノットへ全速力だ」
「ホント、僕がいないと船も動かせないんだから」
「あー、そうそう。お前は偉い偉い。ほら、さっさと動かせ」
「強制労働はんたーい」
そうどこからか返事をするものの、次第に髪を揺らす風が強まっていき――。あっという間にエルフィリーザ号の帆が風に大きく膨らんだ。
波飛沫を上げて海を走るように進んでいく海賊船エルフィリーザ号。もう随分と遠く離れたティダールの港では、海軍の船が後を追って出港するのがかすかに見える。
あの船にパトリックも乗っているのかと思うと、メルヴィオラの胸に言いようのない思いが渦を巻いた。
競りの会場で、メルヴィオラを助けてくれたのはラギウスだ。けれどその後に現れたパトリックに、メルヴィオラは手を伸ばすことをしなかった。自分はもう「助け出されている」と、あのとき確かにそう思ってしまったのだ。
海軍であるパトリックの方が、メルヴィオラのいる世界だというのに。
ちらりと隣を盗み見れば、潮風に赤髪を揺らすラギウスの横顔が瞳に刻まれる。粗野で横暴な、色欲の強い強引な男だ。
でも――、メルヴィオラを気にかけてくれる思いは少し乱暴だけれど、ちゃんと優しい。
強引に攫われた出会いは最悪だったが、メルヴィオラはもう、ラギウスのことをそこまで嫌いだとは思わなくなっていた。
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