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第3章 海賊と聖女と海軍と

3-1・人のモンに手ぇ出してんじゃねぇよ

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 海賊も多く集まる治安の悪い場所だと聞いていたわりには、メルヴィオラの目に映るティダールは良くある普通の港町に見えた。とはいえメルヴィオラも神殿の外のことは知らないので、これが普通かどうかは判断がつきにくいのだが、少なくとも想像していたものとは随分と違っていた。
 イスラ・レウスでたまに出かける市場と、たいして変わらない。少し雑多な感じはするが、露店に並ぶ品物も店主たちも至って普通だ。

「もっと物騒な感じかと思ってたけど、意外と普通なのね」
「どんな想像してたんだよ」
「目がいっぱいあるぶちゅぶちゅした肉の塊とか、頭蓋骨を砕いて血と混ぜた魔術の粉とか。店の人も虚ろな目をしてなくて良かったわ。目が合ったら魂吸い取られるかもしれないし」
「聖女のくせに想像が黒魔術すぎんだろ」

 そう答えるラギウスは、狼の耳と尻尾を隠すためフード付きの長いローブを羽織っている。もちろん容姿がそのまま聖女を示すメルヴィオラも、ラギウスとお揃いの装いだ。
 薄汚れた茶色のローブを着た二人組はそれだけで怪しかったが、意外にもティダールの市場では違和感なく周りに溶け込めている。似たような格好をした者たちも多く、むしろメルヴィオラがよく知る神官服の方が逆に悪目立ちしそうなほどだ。

「それにしても、色んなものが売っているのね。あっ、見て見て! 何でも切れるナイフですって。でもさすがにあのレンガは……切ったわ! 嘘でしょ!?」

 ナイフはせいぜい果物の皮を剥くくらいの小さなものだ。それがさっくりとレンガを真っ二つに切るものだから、メルヴィオラはびっくりして思わず感嘆の声を上げてしまった。それに気をよくした店主が、メルヴィオラに向かって軽くウインクを飛ばしてくる。

「ねぇ、今の見た? レンガを真っ二つよ? あ、こっちは綺麗な宝石の首飾り。でも宝石が大きすぎて、首が折れちゃいそうだわ。そう思わない?」

 同意を求めて隣を見上げれば、ラギウスは眉を下げて困ったような笑いを浮かべている。

「……何よ」
「お前、はしゃぎすぎにもほどがあんだろ」

 そう言って、こつんと額を弾かれる。優しい、あるいは生温い笑みを向けられて、メルヴィオラの頬にカッと血がのぼった。はじめて見る市場の雰囲気、並べられた珍しい品物に、自分でも思っていた以上に興奮していたようだ。

「し、仕方ないでしょ。珍しかったんだもの」
「あんまキョロキョロすんな。いいカモだと思われるぞ。それに露店に並んでるものが全部安全なわけじゃねぇ。中には呪われたモンも紛れてるから、気をつけろ」

 物騒な忠告をされれば、売り物の絵画の女性がこちらを見ているような気がしてくるから不思議だ。賑やかだった市場の喧噪も不気味な音に聞こえてしまい、メルヴィオラは慌ててラギウスの後を追うと、はぐれないようにローブの端をキュッと握りしめた。

「ねぇ、どこに行くの?」
「お前の服を買って、その後は風呂だ。他の奴らには明日まで滞在を許可したが、俺らは用が済んだらさっさと船に戻るぞ」

 ティダールに降りたのはメルヴィオラとラギウスの他には、エルフィリーザ号の船員が半分ほどだ。じゃんけんに勝った船員らは、明日の日の出まで自由行動を許されている。
 船に残った船員の中には、惰眠を貪るメーファもいた。船の警護に適任のイーゴンは元より女に興味がなく、一人を好むセラスも本を読んでいる方が有益であると船室に篭もっている。
 そのセラスが大事を取って秘密裏に街へ行けと言うので、船はティダールから離れた海岸に隠し、メルヴィオラたちは港ではなく街道の方から街へ入ったのだった。もしかしたら海軍がいるかもしれない、との予想をしているらしい。
 本当にそうなら隙を見て逃げ出すのもアリだと思いはしたものの、治安の悪い街を一人で逃げる勇気もないので、今はおとなしくラギウスについていくことにした。


 大通りに面した店のテラス席には、既に真っ昼間から酒を飲む男たちの姿があった。店内から漏れ聞こえてくる声は怒鳴り声かと思うほど大きく、そのあまりに乱暴な言葉の数々に、メルヴィオラは肩を震わせて萎縮してしまった。

「……ここって酒場じゃない。それにものすごくガラが悪いし……本当に入るの?」
「二階が宿になってんだよ。風呂はそこで借りる」

 二の足を踏んでいるメルヴィオラの心情などお構いなしに、ラギウスはさっさと店の中へ入ってしまう。置いて行かれるのも嫌なので仕方なく後に続くと、ラギウスはちょうどカウンター越しに店主と言葉を交わしているところだった。
 店主とは顔馴染みらしく、一言二言交わすだけで部屋を借りることができたようだ。鍵を渡す時に「ごゆっくり」と言われたので素直に礼を返すと、ラギウスだけでなく店主にまで笑われてしまった。

「何だぁ? えらく毛色の違う女ひっかけてきたな」
「そういうんじゃねぇよ。っつーか、ちょっと声落とせ。今は目立つわけにはいかねぇんだよ」
「海賊がお忍びデートとは笑える。貴族の真似事か?」
「うるせぇな。どっちでもいいだろ。誰も部屋に近付けるなよ」

 ラギウスがそう釘を刺せば、店主が返事の代わりにヒュウッと口笛を吹いた。その音にわずかながら店にいた男たちの視線が集まってしまい、ラギウスの苛立つ舌打ちがメルヴィオラの耳を掠めていく。
 これ以上注目を集める前にとラギウスに手を引かれた瞬間、メルヴィオラのローブが後ろからくいっと別の男に引っ張られてしまった。

「顔を隠すほどの上玉かどうか、何なら俺が確かめてやろうか?」
「きゃっ!」

 メルヴィオラのか細い悲鳴に気をよくしたのか、男たちの下卑た笑い声が酒場に響き渡る。
 ローブは掴まれたままだったが、幸いにもフードはまだメルヴィオラの頭に乗っている。慌てて引き戻すも、男の手はしっかりとメルヴィオラのローブを掴んでおり、力比べに負けてしまえばそのまま剥がされてしまいそうだ。

「離して!」
「かわいい声してるじゃねぇか。……ん? よく見りゃぁ、その目もルビーみてぇに赤――」
「人のモンに手ぇ出してんじゃねぇよ」

 船の上では聞いたこともないほどの、低く冷たい声がした。と同時に、メルヴィオラのローブを掴んでいる男の手が、ラギウスによって乱暴に蹴り上げられる。男の手が離れたことでバランスを崩した体をそのまま攫われて、メルヴィオラは気付けばラギウスの片腕の中にすっぽりと収まっていた。

「ってぇな! テメェ、何しやがるっ」

 激昂した男が、酒臭い息を撒き散らしながら立ち上がった。周りでははやし立てる声が合唱のように響いて、メルヴィオラはただ怯えるばかりだ。その心情を知ってか知らずか、肩を抱いたラギウスの手にぐっと力が篭もる。

「海賊から宝を奪う意味がわからねぇ馬鹿でもないだろ」

 殴りかかろうとしてきた男の手を逆に掴みあげて、ラギウスはそれを軽く捻りながらテーブルに叩き落とした。
 ラギウスよりも体格のいい、どちらかといえばイーゴンレベルの筋肉質な男を片手だけで制してしまう。魔狼の力のせいかとも思ったが、もしそうなら男の腕はとっくに使い物にならなくなっているはずだ。

「この腕をへし折ってやってもいいんだぞ」

 変な方向へ捻られた腕が相当痛いのか、男の目にはうっすらと涙が滲んでいる。

「っ、待て待て! 悪かったよ! ちょっとした冗談じゃねぇか……って、お前ラギ……っ」
「それ以上なにか言うと、ホントに腕を折るからな」

 冷たく言い放ったラギウスが更に強く腕を締め上げると、テーブルに突っ伏したままの男が苦しげに呻《うめ》いた。脅しが効いているのか、男は呻くだけでラギウスの名前は元より他の言葉さえ一切喋らない。
 負けを認めたようにしきりに頷いている男を一瞥し、ラギウスがようやく手を離した。――かと思うと、間髪入れずに起き上がろうとする男の鼻先すれすれに、小型のナイフがダンッと突き刺さる。わずかに薄皮を切ったのか、その場にへたり込んだ男の頬には赤い線がうっすらと残されていた。

「黙って酒でも飲んでろ。俺たちに関わるな」

 そう言い放ったラギウスに強めに腕を引かれ、メルヴィオラは二階へ続く階段を半ば引き摺られるようにして上がっていった。

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