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第6章 新しい物語
最後の夜・3
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「えっ? 明日帰る?」
カインが天界へ残ると聞かされたあの日から数日後、シェリルは部屋を訪れたルーヴァにそう告げて彼を驚かせた。
「うん。さっきね、アルディナ様にお願いしてきたの」
「それにしても急ですね。せっかくリリスと二人でパーティーの準備をあれこれ考えていたんですけど……まぁ、仕方ありませんか」
「ごめんなさい」
肩を竦めて笑うシェリルに、ルーヴァはあえてその理由を聞こうとはしなかった。
「それじゃあ今夜、シェリルのお別れパーティーを開くことにしましょう。急でたいした事は出来ませんけど」
「ううん、してくれるだけで十分。ありがとう、ルーヴァ」
そう言ってどこか寂しそうに微笑むシェリルを、ルーヴァは切ない思いで見つめていた。
日が西に沈み、天界を薄闇が包み始める頃、シェリルを迎えにカインが部屋を訪れていた。あの日以来ゆっくり会うことがなかったせいか、今夜久しぶりにカインを見たシェリルは言葉では言い表せない思いに胸を震わせていた。
たった数日まともに顔を合わせなかっただけで、心はこんなにも不安で寂しく泣いている。それがカインを前にして、嘘のように消え失せる。会いたい気持ちを、カインを愛していると言う思いを再確認させられて、シェリルは思わず涙ぐんだ瞳を見られまいと慌ててカインから視線を逸らした。
どうにもできない。
ずっとそばにいたいと願うのに、シェリルの思いは叶わずに消えていく。言葉にすれば少しは楽になれるのに、口を開こうとすれば声より先に涙が溢れ出そうになる。シェリルに出来る事といえば、ただ黙って嗚咽を堪え、隣を歩くカインの手をぎゅっと強く握りしめる事だけだった。
ルーヴァの家に集まったのはセシリアとリリスの三人に加え、後から到着したシェリルとカインの五人だった。アルディナは、自分がいては堅苦しいだろうと気を利かせて、宮殿にひとり残ったのだと言う。
テーブルの上にはたくさんの料理が所狭しと並べられ、ルーヴァの家には珍しく数種類のワインも用意されていた。
「ルーヴァ、お酒以外の飲み物ってないの?」
見回して見てもそこにあるのはワインのボトルばかりで、シェリルが飲めそうなものはひとつも見当たらない。お酒について苦い記憶しかないシェリルは、ワインのボトルから目を逸らして他の飲み物を探そうと更に視線を泳がせた。
「今夜は特別にシェリル専用のワインを用意したんですよ」
いつもの倍、優しげな笑みを浮かべたルーヴァが一本のワインを棚から取り出して、どこか誇らしげにシェリルへと差し出した。青いボトルに銀のラベルが貼ってあったが、文字は天界の古代文字なのかシェリルにはさっぱり分からない。不安そうなシェリルをよそにルーヴァは慣れた手つきでコルクを抜き、グラスにワインを注いでそれをシェリルに手渡した。
「そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。これは一日限り有効の特別なワインですから」
「一日限り?」
「ええ。つまり今日だけ酔えるワインです。明日は絶対に二日酔いしません。シェリルの為に私が作ったんですよ」
その言葉に、グラスを取りかけていたシェリルの手がぴくんと震えた。
「大丈夫ですよ。別に変なものなんて入れてませんから、安心して飲んで下さい」
「香り付けに媚薬を少々……なんて言うんじゃないでしょうね? ルーヴァ」
ルーヴァの背後から声をかけてきたセシリアが、冗談交じりにそう言ってくすりと笑みを零した。いつかと同じ光景にシェリルも思わず笑い出す。
懐かしい談笑に包まれた、変わらない笑顔たち。忘れてしまわないようにしっかりと目を開いて、彼らを記憶の中に閉じ込めていく。零れ落ちそうになる涙を瞬きで押さえ込み、シェリルは持っていたグラスに口をつけてそのまま一気にワインを飲み干した。
「おあっ! 馬鹿かっ、お前。一気に飲んでどうすんだよ」
慌ててグラスを奪い取ったカインを抗議の眼差しで睨みつけて、シェリルが強引にグラスを奪い返す。そんな些細なやり取りでさえ懐かしい。
「いいの! 今日は特別なんだから、カインも浴びるほど飲めばいいじゃない」
拗ねた子供のように唇を尖らせてカインにグラスを握らせたシェリルが、そこにルビー色の液体を並々と注いでにこりと笑う。
「はい、乾杯」
自分のグラスを目線まで上げて小さく首を傾げたまま、シェリルはカインを見つめて淡く微笑みながら頷いた。
今夜くらいは楽しく行こうと思った。皆と一緒にいられる最後の日を、涙なんかで台無しにしたくはない。最後だからこそ、シェリルは笑っていようと思った。
カインが天界へ残ると聞かされたあの日から数日後、シェリルは部屋を訪れたルーヴァにそう告げて彼を驚かせた。
「うん。さっきね、アルディナ様にお願いしてきたの」
「それにしても急ですね。せっかくリリスと二人でパーティーの準備をあれこれ考えていたんですけど……まぁ、仕方ありませんか」
「ごめんなさい」
肩を竦めて笑うシェリルに、ルーヴァはあえてその理由を聞こうとはしなかった。
「それじゃあ今夜、シェリルのお別れパーティーを開くことにしましょう。急でたいした事は出来ませんけど」
「ううん、してくれるだけで十分。ありがとう、ルーヴァ」
そう言ってどこか寂しそうに微笑むシェリルを、ルーヴァは切ない思いで見つめていた。
日が西に沈み、天界を薄闇が包み始める頃、シェリルを迎えにカインが部屋を訪れていた。あの日以来ゆっくり会うことがなかったせいか、今夜久しぶりにカインを見たシェリルは言葉では言い表せない思いに胸を震わせていた。
たった数日まともに顔を合わせなかっただけで、心はこんなにも不安で寂しく泣いている。それがカインを前にして、嘘のように消え失せる。会いたい気持ちを、カインを愛していると言う思いを再確認させられて、シェリルは思わず涙ぐんだ瞳を見られまいと慌ててカインから視線を逸らした。
どうにもできない。
ずっとそばにいたいと願うのに、シェリルの思いは叶わずに消えていく。言葉にすれば少しは楽になれるのに、口を開こうとすれば声より先に涙が溢れ出そうになる。シェリルに出来る事といえば、ただ黙って嗚咽を堪え、隣を歩くカインの手をぎゅっと強く握りしめる事だけだった。
ルーヴァの家に集まったのはセシリアとリリスの三人に加え、後から到着したシェリルとカインの五人だった。アルディナは、自分がいては堅苦しいだろうと気を利かせて、宮殿にひとり残ったのだと言う。
テーブルの上にはたくさんの料理が所狭しと並べられ、ルーヴァの家には珍しく数種類のワインも用意されていた。
「ルーヴァ、お酒以外の飲み物ってないの?」
見回して見てもそこにあるのはワインのボトルばかりで、シェリルが飲めそうなものはひとつも見当たらない。お酒について苦い記憶しかないシェリルは、ワインのボトルから目を逸らして他の飲み物を探そうと更に視線を泳がせた。
「今夜は特別にシェリル専用のワインを用意したんですよ」
いつもの倍、優しげな笑みを浮かべたルーヴァが一本のワインを棚から取り出して、どこか誇らしげにシェリルへと差し出した。青いボトルに銀のラベルが貼ってあったが、文字は天界の古代文字なのかシェリルにはさっぱり分からない。不安そうなシェリルをよそにルーヴァは慣れた手つきでコルクを抜き、グラスにワインを注いでそれをシェリルに手渡した。
「そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。これは一日限り有効の特別なワインですから」
「一日限り?」
「ええ。つまり今日だけ酔えるワインです。明日は絶対に二日酔いしません。シェリルの為に私が作ったんですよ」
その言葉に、グラスを取りかけていたシェリルの手がぴくんと震えた。
「大丈夫ですよ。別に変なものなんて入れてませんから、安心して飲んで下さい」
「香り付けに媚薬を少々……なんて言うんじゃないでしょうね? ルーヴァ」
ルーヴァの背後から声をかけてきたセシリアが、冗談交じりにそう言ってくすりと笑みを零した。いつかと同じ光景にシェリルも思わず笑い出す。
懐かしい談笑に包まれた、変わらない笑顔たち。忘れてしまわないようにしっかりと目を開いて、彼らを記憶の中に閉じ込めていく。零れ落ちそうになる涙を瞬きで押さえ込み、シェリルは持っていたグラスに口をつけてそのまま一気にワインを飲み干した。
「おあっ! 馬鹿かっ、お前。一気に飲んでどうすんだよ」
慌ててグラスを奪い取ったカインを抗議の眼差しで睨みつけて、シェリルが強引にグラスを奪い返す。そんな些細なやり取りでさえ懐かしい。
「いいの! 今日は特別なんだから、カインも浴びるほど飲めばいいじゃない」
拗ねた子供のように唇を尖らせてカインにグラスを握らせたシェリルが、そこにルビー色の液体を並々と注いでにこりと笑う。
「はい、乾杯」
自分のグラスを目線まで上げて小さく首を傾げたまま、シェリルはカインを見つめて淡く微笑みながら頷いた。
今夜くらいは楽しく行こうと思った。皆と一緒にいられる最後の日を、涙なんかで台無しにしたくはない。最後だからこそ、シェリルは笑っていようと思った。
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