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第6章 新しい物語
魂の邂逅・2
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『今更許しを乞うつもりか?』
ざらついた不快な声音が闇に溶けて、カインの体を拘束する。
『お前はその光を壊した。許されたところでお前に何が出来る? ひとり戻った世界で、お前を待つ者はどこにもいない。お前を許すと言ったあの女でさえ、お前がその手で死を与えたではないか』
見開いたカインの瞳に、純白の羽根が乱舞する。乙女の命を奪った時の感触が右手に甦り、カインは居たたまれなくなってその場に小さく蹲った。
『お前の体は血で汚れきっている。遠い昔にあの女の親を殺し、その光景に酔いしれた時からずっと。……お前の罪は消えない。お前が生み出した孤独……即ち我がここに在る限り』
震える体をかき抱いた両腕が、まだ熱を持つ生温かい鮮血に濡れていた。腕も体も顔も髪も、全身血まみれの姿で、カインは闇に蹲って泣いていた。
それはシェリルの愛しい熱。それは天使たちの罪なき涙。カインを汚し、捕え、心さえ闇に留める鮮血の枷。
『孤独を恐れ、我を己の中から切り離したお前に……再び我を受け入れる覚悟があると言うのか? ――無駄な事。お前は弱い。傷付く事を恐れるお前がいる限り、お前はもう二度と゛カイン゛になど戻れはしない』
カインの目の前で、闇がぐにゃりと変形した。粘土のように潰れ伸ばされ形を変えた闇の一部は、そこに孤独が生み出した魔剣フロスティアを形成する。
『我を手にすれば、お前は苦しみから解放される。……それとも、待つ者のいない冷たい世界へ戻る事を願うか?』
魔剣の柄に輝く赤い石が、カインを誘惑するように妖しく揺らめいた。その光を睨みつけながら、それでもカインは自分の意思とは反対に、魔剣に向かってゆっくりと右手を伸ばし始める。
魔剣の孤独は、元はカインの中にあったもの。忌み嫌えど、そう簡単に拒めるものではない。
『お前に永久の眠りを与えよう』
赤い石が不気味に煌く。その色はカインの瞳の中で、シェリルの鮮血と重なり合った。
「お兄ちゃん。苦しいの?」
魔剣へと伸ばした指先が、温かな熱に触れた。はっとして顔を上げたカインの目の前で、金髪の少女が心配そうにこちらを見つめている。カインの指先を頬に受け止めたまま、少女は大きな翡翠色の瞳に震えて泣くカインの姿を映して、静かにそこに佇んでいた。
「ここが……痛いの?」
呟いて、少女がカインの胸に小さな手のひらを当ててみせる。かすかに伝わる鼓動を手のひらに感じて、少女はカインを間近で見つめながら、ふわりとあどけない笑みを浮かべた。
「お兄ちゃんの音、ちゃんと聞こえるよ。シェリルと同じ音が、ここで鳴ってる」
「……シェ、リル?」
「うん。お兄ちゃんは? 名前、何て言うの?」
首を傾げて問う少女は、シェリルの面影を残した微笑みでカインに語りかけてきた。少女の頬に触れていた手を引き戻して、カインは自分の名前を記憶の奥底から呼び戻す。
はるか昔、自分は誰であったのか。地界神としての名でもなく、闇の王として剣を振るった時代でもなく、自分は誰でありたいのか。
まだかすかに震える両手をぎゅっと握りしめて、カインが少女を見つめたままゆっくりと唇を動かした。
「……――――カイ、ン。……我の……俺の名前は、カイン」
「カイン? ふぅん。あの丘でお姉ちゃんが待ってる人と、同じ名前だね。もしかしてお兄ちゃんがそうなのかなぁ?」
首を傾げたままの少女が、カインの背後を指差した。つられて後ろを振り返ったカインの視界に、どこまでも続く若草色の草原と小高い丘が映し出された。そこは闇に覆われた世界でもなく、さっきまでカインを捕えていた夢の世界でもなかった。
波打つ草原の囁き。肌を撫でる爽やかな風。瑞々しい若葉の匂い。体に感じるすべてのものは決して夢などではなく、カインの細胞ひとつひとつに確かな痕跡を残していく。カインは穏やかな陽光に包まれた草原の真ん中に立っていた。
「あそこにいるお姉ちゃんね、ある人をずっと待っているんだって。彷徨い込んだ人を探していたんだよ。……ねぇ、お兄ちゃんがそうなんでしょ?」
カインの隣で聞こえていた少女の声は徐々に小さくなり、最後には少女の体ごとそこからふつりと消えてしまった。自分が草原に立ち尽くす不思議も、少女が消えてしまった夢も、もうカインには関係なかった。体は心が思う場所へと走り出す。少女が告げた、あの丘へ。
ざらついた不快な声音が闇に溶けて、カインの体を拘束する。
『お前はその光を壊した。許されたところでお前に何が出来る? ひとり戻った世界で、お前を待つ者はどこにもいない。お前を許すと言ったあの女でさえ、お前がその手で死を与えたではないか』
見開いたカインの瞳に、純白の羽根が乱舞する。乙女の命を奪った時の感触が右手に甦り、カインは居たたまれなくなってその場に小さく蹲った。
『お前の体は血で汚れきっている。遠い昔にあの女の親を殺し、その光景に酔いしれた時からずっと。……お前の罪は消えない。お前が生み出した孤独……即ち我がここに在る限り』
震える体をかき抱いた両腕が、まだ熱を持つ生温かい鮮血に濡れていた。腕も体も顔も髪も、全身血まみれの姿で、カインは闇に蹲って泣いていた。
それはシェリルの愛しい熱。それは天使たちの罪なき涙。カインを汚し、捕え、心さえ闇に留める鮮血の枷。
『孤独を恐れ、我を己の中から切り離したお前に……再び我を受け入れる覚悟があると言うのか? ――無駄な事。お前は弱い。傷付く事を恐れるお前がいる限り、お前はもう二度と゛カイン゛になど戻れはしない』
カインの目の前で、闇がぐにゃりと変形した。粘土のように潰れ伸ばされ形を変えた闇の一部は、そこに孤独が生み出した魔剣フロスティアを形成する。
『我を手にすれば、お前は苦しみから解放される。……それとも、待つ者のいない冷たい世界へ戻る事を願うか?』
魔剣の柄に輝く赤い石が、カインを誘惑するように妖しく揺らめいた。その光を睨みつけながら、それでもカインは自分の意思とは反対に、魔剣に向かってゆっくりと右手を伸ばし始める。
魔剣の孤独は、元はカインの中にあったもの。忌み嫌えど、そう簡単に拒めるものではない。
『お前に永久の眠りを与えよう』
赤い石が不気味に煌く。その色はカインの瞳の中で、シェリルの鮮血と重なり合った。
「お兄ちゃん。苦しいの?」
魔剣へと伸ばした指先が、温かな熱に触れた。はっとして顔を上げたカインの目の前で、金髪の少女が心配そうにこちらを見つめている。カインの指先を頬に受け止めたまま、少女は大きな翡翠色の瞳に震えて泣くカインの姿を映して、静かにそこに佇んでいた。
「ここが……痛いの?」
呟いて、少女がカインの胸に小さな手のひらを当ててみせる。かすかに伝わる鼓動を手のひらに感じて、少女はカインを間近で見つめながら、ふわりとあどけない笑みを浮かべた。
「お兄ちゃんの音、ちゃんと聞こえるよ。シェリルと同じ音が、ここで鳴ってる」
「……シェ、リル?」
「うん。お兄ちゃんは? 名前、何て言うの?」
首を傾げて問う少女は、シェリルの面影を残した微笑みでカインに語りかけてきた。少女の頬に触れていた手を引き戻して、カインは自分の名前を記憶の奥底から呼び戻す。
はるか昔、自分は誰であったのか。地界神としての名でもなく、闇の王として剣を振るった時代でもなく、自分は誰でありたいのか。
まだかすかに震える両手をぎゅっと握りしめて、カインが少女を見つめたままゆっくりと唇を動かした。
「……――――カイ、ン。……我の……俺の名前は、カイン」
「カイン? ふぅん。あの丘でお姉ちゃんが待ってる人と、同じ名前だね。もしかしてお兄ちゃんがそうなのかなぁ?」
首を傾げたままの少女が、カインの背後を指差した。つられて後ろを振り返ったカインの視界に、どこまでも続く若草色の草原と小高い丘が映し出された。そこは闇に覆われた世界でもなく、さっきまでカインを捕えていた夢の世界でもなかった。
波打つ草原の囁き。肌を撫でる爽やかな風。瑞々しい若葉の匂い。体に感じるすべてのものは決して夢などではなく、カインの細胞ひとつひとつに確かな痕跡を残していく。カインは穏やかな陽光に包まれた草原の真ん中に立っていた。
「あそこにいるお姉ちゃんね、ある人をずっと待っているんだって。彷徨い込んだ人を探していたんだよ。……ねぇ、お兄ちゃんがそうなんでしょ?」
カインの隣で聞こえていた少女の声は徐々に小さくなり、最後には少女の体ごとそこからふつりと消えてしまった。自分が草原に立ち尽くす不思議も、少女が消えてしまった夢も、もうカインには関係なかった。体は心が思う場所へと走り出す。少女が告げた、あの丘へ。
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