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第6章 新しい物語
彷徨う心・4
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どこまでも続く大地の傷跡。乾ききった地面から噴出す黒い瘴気は未だ毒を含み、僅かな生命さえもぼろぼろに崩して、死の大地そのものを無に帰そうとしていた。
はるか昔に死んだ土地。命ある者が踏む込める場所ではなかった。
そこに、「それ」はあった。
呪われた地に残る亡者の魂を戒めるかのごとく、大地に深く突き刺さっていた。枯れた土がその周りだけ白く凍って、氷の刃を大地から突き出している。風に似た死者の悲鳴に共鳴して鈍く光を放つ赤い石、その表面に亡霊のようなカインの姿がゆらり歪んで映っていた。
少年が指差した方角へふらふらと歩いてきたカインの前に、それは主を待ちわびた従者のように姿を現した。赤い石に主を認め、再び共にある事を望み、冷気を放出させる魔剣フロスティア。互いの半身を求め、カインは何かに導かれるがまま魔剣の柄へ手を置いた。瞬間、その場に留まっていた冷気が一気に爆発し、呪われた大地を白い霧のヴェールで覆い隠していった。
右手に馴染む剣の感触を閉ざしていた記憶の中から呼び起こし、カインはゆっくりとフロスティアを引き抜いた。
重み、質感、そして剣に渦巻く暗黒の力。多くの命をこの剣によって奪った。そして自分自身もこの剣によって殺された。数々の記憶が脳裏に浮かんでは消えていく様を意識の反対側で傍観していたカインは、次に甦る記憶を感じてぎくりと体を震わせた。
『やめっ……やめてくれっ!』
『落し子はお前の手で殺してやる。我がそう言ったのを忘れたか?』
『……カイン』
「やめろ――――っ!」
忘れてしまいたい事実はカインの細胞ひとつひとつに刻み込まれ、己の罪を鮮明に甦らせていく。
何かを失った気がしていた。許されない罪を犯し、その重さに耐え切れず死んだ自分がいた。
なぜ悲しかったのか。なぜすべてを忘れてしまいたいと思ったのか。その理由を思い出したカインは、出しうる限りの声を上げて絶叫し、誰もいない荒野の真ん中でひとり激しく咽び泣いた。
「うぅっ……あっ……」
涙で歪んだ視界に、ありえない鮮血が飛び散った。あの時と同じように、鮮血に翻弄された純白の羽根が目の前で踊る。
戻らない笑顔。
戻らないぬくもり。
戻らない、大切なシェリル。
「……れがっ、俺がっ……壊した! 世界も命も……あいつも、何もかもすべて……この俺がっ!」
左手で頭をぐしゃぐしゃにかき回し、込み上げてくる嗚咽を必死になって押し戻す。枯れ果てた荒野でカインを慰める者は誰もいなかった。吹きすさぶ風も、その風に崩れていく骨の残骸も、カインを責める悲鳴しか叫ばない。生きていても死んでいても、カインは限りなくひとりだった。そばにある多くの温もりに気付けないカインは、孤独に狂った神でいるしか術はない。
「うああああっ!」
絶叫し、右手に握りしめた魔剣を勢いよく振り上げた。冷気を帯びる透明な氷の刃。その切っ先を自分へと向けて、カインが静かに目を閉じる。
最後に呟かれた乙女の名は、肉を裂く生々しい音によってかき消されてしまった。
――――カイン。私ね……。
ずっと、ずっと遠くの方で、シェリルの声が聞こえたような気がした。
自分自身の手で魔剣を胸に突き刺しながら、カインはふっと暗い空を仰ぎ見る。と同時に、そのままばたりと地面に仰向けに倒れこんだ。不思議な事に魔剣の刃は背中を貫いて出てくる事はなく、カインの中にずぶずぶと沈み込んでいった。まるで元の場所に戻るかのように、魔剣は内に秘めた彼の孤独ごとカインの中に同化する。
自分の中に抱えきれないほどの孤独が流れ込んでくるのを感じながら、カインは空を見上げたままふっと淡く笑みを零した。
「……何、だ……簡単な事じゃないか。……こんな事も出来ずに、俺は苦しみ、足掻いていたのか」
すべてを壊す前に、自分を壊せばよかったのだ。
赤い石を嵌め込んだ魔剣の柄が、最後にずぶりとカインの中に沈み行く。それを合図に、カインの意識がそこからふつりと消滅した。
天界からの報せを受けてカインを探していたルーヴァが、呪われた地の真ん中で彼の亡骸を発見したのは真夜中近くの事だった。
触れた指先に熱はなく、固く閉じた両の目も開く気配はまったくない。けれどルーヴァは最後の最後まで僅かな望みに縋りつき、カインの名を呼ばずにはいられなかった。
「う、そだ……嘘だっ! カインっ、カイン! 目を開けて下さいっ」
ルーヴァの脳裏に、遠い過去の記憶が甦る。あの時、最愛の人を失い、生きていく術を無くしたルーヴァに、カインはいつも同じ言葉をかけてくれた。
『あいつの分も生きろ』
愛しい者の命を奪い、自分だけがのうのうと生きている。今のカインは過去のルーヴァとまったく同じだった。絶望の淵に沈むルーヴァを、カインは不器用ながら必死になって救い出してくれた。止まったルーヴァの時を動かしたのは、紛れもなくカインの言葉だったのだ。
『あいつの分も生きろ。それがお前の償いで……あいつの望みだ』
そう言ったのは、他ならぬカインであったのに。それなのにカインは己の手で死を選んだと言うのか。
血が滲むほど強く唇を噛んで、ルーヴァが頭を横に振った。
「目をっ……目を開けろ――――っ!」
切なさを孕むルーヴァの怒号は、枯れた大地を揺るがすほど強くどこまでも響いていった。
「ルーヴァ」
動かないカインを前に愕然と座り込んでいたルーヴァは、自分を呼ぶ姉の声に虚ろな瞳をゆっくりと開けて真後ろを振り返った。いつからそこにいたのか痛々しい表情を浮かべたセシリアは、ルーヴァを見つめたまま黙って立ち尽くしている。その横にはアルディナの姿もあった。
「……――――カインは、死にました」
低い声音で簡潔に告げられた言葉に、セシリアが息を飲んでカインの側に駆け寄ってくる。アルディナもルーヴァの横に身を屈め、大地に横たわるカインの姿をじっと見下ろした。創世神としての厳しい眼差し。僅かに愁いを帯びたその視線が、カインの胸元でぴたりと止まる。
ルーヴァやセシリアでは感じ取る事の出来ないかすかな気の歪みに、アルディナが思案するように眉を顰めた。
「……諦めを抱くには、早すぎるかもしれぬ」
風のようにさらりと流れた言葉に、ルーヴァとセシリアがほとんど同時にアルディナへと目を向けた。
「ルシエルの中に魔剣を感じる。同時にシェリルの魂も……」
「魔剣とシェリルが?」
繰り返したセシリアへ一度頷いて、アルディナはカインの胸元にそっと右手を置いた。渦巻く相反する力。魔剣の黒とシェリルの白は、確かにカインの中にある。確信して、アルディナが顔を上げた。
「シェリルの魂は、きっと魔剣に取り込まれていたのだろう。その魔剣を今度はルシエルが取り込んだ。……二人の、魂の邂逅に賭けてみるしかない」
毅然と言い切って、アルディナは動かないカインを見つめて小さく囁いた。魂に語りかけるその音は、アルディナが姉としてカインにしてやれる最後の償いだった。
(シェリルはお前のそばにいる。後はお前がそれに気付くだけだ)
アルディナの視線の先で、その囁きを受け取ったカインの瞼が、僅かに動いたような気がした。
はるか昔に死んだ土地。命ある者が踏む込める場所ではなかった。
そこに、「それ」はあった。
呪われた地に残る亡者の魂を戒めるかのごとく、大地に深く突き刺さっていた。枯れた土がその周りだけ白く凍って、氷の刃を大地から突き出している。風に似た死者の悲鳴に共鳴して鈍く光を放つ赤い石、その表面に亡霊のようなカインの姿がゆらり歪んで映っていた。
少年が指差した方角へふらふらと歩いてきたカインの前に、それは主を待ちわびた従者のように姿を現した。赤い石に主を認め、再び共にある事を望み、冷気を放出させる魔剣フロスティア。互いの半身を求め、カインは何かに導かれるがまま魔剣の柄へ手を置いた。瞬間、その場に留まっていた冷気が一気に爆発し、呪われた大地を白い霧のヴェールで覆い隠していった。
右手に馴染む剣の感触を閉ざしていた記憶の中から呼び起こし、カインはゆっくりとフロスティアを引き抜いた。
重み、質感、そして剣に渦巻く暗黒の力。多くの命をこの剣によって奪った。そして自分自身もこの剣によって殺された。数々の記憶が脳裏に浮かんでは消えていく様を意識の反対側で傍観していたカインは、次に甦る記憶を感じてぎくりと体を震わせた。
『やめっ……やめてくれっ!』
『落し子はお前の手で殺してやる。我がそう言ったのを忘れたか?』
『……カイン』
「やめろ――――っ!」
忘れてしまいたい事実はカインの細胞ひとつひとつに刻み込まれ、己の罪を鮮明に甦らせていく。
何かを失った気がしていた。許されない罪を犯し、その重さに耐え切れず死んだ自分がいた。
なぜ悲しかったのか。なぜすべてを忘れてしまいたいと思ったのか。その理由を思い出したカインは、出しうる限りの声を上げて絶叫し、誰もいない荒野の真ん中でひとり激しく咽び泣いた。
「うぅっ……あっ……」
涙で歪んだ視界に、ありえない鮮血が飛び散った。あの時と同じように、鮮血に翻弄された純白の羽根が目の前で踊る。
戻らない笑顔。
戻らないぬくもり。
戻らない、大切なシェリル。
「……れがっ、俺がっ……壊した! 世界も命も……あいつも、何もかもすべて……この俺がっ!」
左手で頭をぐしゃぐしゃにかき回し、込み上げてくる嗚咽を必死になって押し戻す。枯れ果てた荒野でカインを慰める者は誰もいなかった。吹きすさぶ風も、その風に崩れていく骨の残骸も、カインを責める悲鳴しか叫ばない。生きていても死んでいても、カインは限りなくひとりだった。そばにある多くの温もりに気付けないカインは、孤独に狂った神でいるしか術はない。
「うああああっ!」
絶叫し、右手に握りしめた魔剣を勢いよく振り上げた。冷気を帯びる透明な氷の刃。その切っ先を自分へと向けて、カインが静かに目を閉じる。
最後に呟かれた乙女の名は、肉を裂く生々しい音によってかき消されてしまった。
――――カイン。私ね……。
ずっと、ずっと遠くの方で、シェリルの声が聞こえたような気がした。
自分自身の手で魔剣を胸に突き刺しながら、カインはふっと暗い空を仰ぎ見る。と同時に、そのままばたりと地面に仰向けに倒れこんだ。不思議な事に魔剣の刃は背中を貫いて出てくる事はなく、カインの中にずぶずぶと沈み込んでいった。まるで元の場所に戻るかのように、魔剣は内に秘めた彼の孤独ごとカインの中に同化する。
自分の中に抱えきれないほどの孤独が流れ込んでくるのを感じながら、カインは空を見上げたままふっと淡く笑みを零した。
「……何、だ……簡単な事じゃないか。……こんな事も出来ずに、俺は苦しみ、足掻いていたのか」
すべてを壊す前に、自分を壊せばよかったのだ。
赤い石を嵌め込んだ魔剣の柄が、最後にずぶりとカインの中に沈み行く。それを合図に、カインの意識がそこからふつりと消滅した。
天界からの報せを受けてカインを探していたルーヴァが、呪われた地の真ん中で彼の亡骸を発見したのは真夜中近くの事だった。
触れた指先に熱はなく、固く閉じた両の目も開く気配はまったくない。けれどルーヴァは最後の最後まで僅かな望みに縋りつき、カインの名を呼ばずにはいられなかった。
「う、そだ……嘘だっ! カインっ、カイン! 目を開けて下さいっ」
ルーヴァの脳裏に、遠い過去の記憶が甦る。あの時、最愛の人を失い、生きていく術を無くしたルーヴァに、カインはいつも同じ言葉をかけてくれた。
『あいつの分も生きろ』
愛しい者の命を奪い、自分だけがのうのうと生きている。今のカインは過去のルーヴァとまったく同じだった。絶望の淵に沈むルーヴァを、カインは不器用ながら必死になって救い出してくれた。止まったルーヴァの時を動かしたのは、紛れもなくカインの言葉だったのだ。
『あいつの分も生きろ。それがお前の償いで……あいつの望みだ』
そう言ったのは、他ならぬカインであったのに。それなのにカインは己の手で死を選んだと言うのか。
血が滲むほど強く唇を噛んで、ルーヴァが頭を横に振った。
「目をっ……目を開けろ――――っ!」
切なさを孕むルーヴァの怒号は、枯れた大地を揺るがすほど強くどこまでも響いていった。
「ルーヴァ」
動かないカインを前に愕然と座り込んでいたルーヴァは、自分を呼ぶ姉の声に虚ろな瞳をゆっくりと開けて真後ろを振り返った。いつからそこにいたのか痛々しい表情を浮かべたセシリアは、ルーヴァを見つめたまま黙って立ち尽くしている。その横にはアルディナの姿もあった。
「……――――カインは、死にました」
低い声音で簡潔に告げられた言葉に、セシリアが息を飲んでカインの側に駆け寄ってくる。アルディナもルーヴァの横に身を屈め、大地に横たわるカインの姿をじっと見下ろした。創世神としての厳しい眼差し。僅かに愁いを帯びたその視線が、カインの胸元でぴたりと止まる。
ルーヴァやセシリアでは感じ取る事の出来ないかすかな気の歪みに、アルディナが思案するように眉を顰めた。
「……諦めを抱くには、早すぎるかもしれぬ」
風のようにさらりと流れた言葉に、ルーヴァとセシリアがほとんど同時にアルディナへと目を向けた。
「ルシエルの中に魔剣を感じる。同時にシェリルの魂も……」
「魔剣とシェリルが?」
繰り返したセシリアへ一度頷いて、アルディナはカインの胸元にそっと右手を置いた。渦巻く相反する力。魔剣の黒とシェリルの白は、確かにカインの中にある。確信して、アルディナが顔を上げた。
「シェリルの魂は、きっと魔剣に取り込まれていたのだろう。その魔剣を今度はルシエルが取り込んだ。……二人の、魂の邂逅に賭けてみるしかない」
毅然と言い切って、アルディナは動かないカインを見つめて小さく囁いた。魂に語りかけるその音は、アルディナが姉としてカインにしてやれる最後の償いだった。
(シェリルはお前のそばにいる。後はお前がそれに気付くだけだ)
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