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第6章 新しい物語
彷徨う心・1
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昨夜から降り続いていた雨は朝方にやっと止み、天界と下界は久方ぶりの太陽の光に包まれていた。闇を吹き飛ばす陽光の下、邪悪なる影はどこにもない。
いつもと同じように太陽は昇り、そして沈む。己の下に広がる荒廃した世界など、気にも止めないまま。
天界を汚した毒々しい赤は雨に流され、動かなくなった体だけが冷たい石畳の上に散乱していた。広場に集められた天使たちの亡骸は女神の手によって輪廻の流れへと送り出され、彼らを弔う讃美歌が天界に絶え間なく響いていく。その歌を荒野の真ん中でひとり聞いていたルーヴァはやり切れない思いを胸に抱いたまま、瞳をきつく閉じて緩く首を振った。
はるか昔から続いていた光と闇の戦いは幕を下ろした。闇は光を覆う事が出来ずに消滅し、世界は再び平和を取り戻した。しかし、失ったものは決して少なくはない。
多くの天使たちが闇に飲み込まれていった。下界イルージュも、一部は激しい地震により大地がばっくりと引き裂かれている。生き残った天使たちも今回の避けられぬ戦いにひどく心を病み、一部のものは激しい憤りさえ感じていた。
失ったものは戻らない。ルーヴァたちに出来る事といえば、このような悲劇を繰り返さぬよう世界を静かに見守る事だけだった。
しかし、そう簡単に割り切れるものではない。誰かが犠牲にならなければ救えない世界、そんな話ではなかった。これはすべてを救う為に、それぞれが身を投じた戦いであったはずだ。誰かの死によって成り立つ世界ではなかったはずなのに。
それなのにシェリルは死に、カインは自我を失った。親しい者たちの無惨な結末にルーヴァは現実を呪い、知りうる限りの知識でそれを否定しようとしていた。
「こんな所にいたのね。探したわ」
頭上から届いた声に、ルーヴァが閉じていた瞳を静かに開く。荒れ果てた大地を映す悲しい瞳が、空から舞い降りたリリスを無感情に見つめていた。
「ここも緑の芽吹く大地になるそうよ」
荒野を見回してそう言ったリリスを一目見ただけで、ルーヴァはまた視線を遠くへ投げかける。瞳は何も映さない。何の音も拾えない。けれどルーヴァの細胞ひとつひとつが、昨夜の悲劇を彼の脳裏にありありと甦らせていく。
冷たく動かないシェリルの体。狂い泣き叫ぶだけのカイン。死を呼ぶカインの絶叫が、まだルーヴァの耳の奥で木霊しているようだった。
「リリス。……すみませんが、暫くひとりにしてくれませんか?」
曖昧な視線を遠くへ投げかけたまま、ルーヴァがリリスを見ずに小さく呟いた。その言葉にあからさまむっと眉をつり上げて、リリスは隣のルーヴァをぎろりと睨みつける。
「ルーヴァ、あなた私の事そこまで無神経な女だと思ってるの? 特別な用事じゃなかったら探しになんか来なかったわ。……誰だって、辛いんだから」
怒鳴るようなリリスの声音。そこにかすかな震えを感じて、ルーヴァが目を覚ましたようにリリスへと顔を向けた。辛いのはルーヴァだけではない。悲しみに浸り現実から逃げていた事を教えられ、ルーヴァは自分を強く恥じる。
出来る事はまだどこかに残されているはずだ。死んでしまった者の魂を呼び戻す事は、天使であろうと出来るものではない。けれど、閉ざされてしまった心に呼びかける事は出来る。心が完全に戻る事はないのかもしれない。しかしカインはまだ「生きて」いる。そこに僅かでも希望が残されているなら、ルーヴァたちはそれを簡単に放棄してはいけないのだ。
「すみません、リリス。……ありがとう」
「腑抜けた貴方をアルディナ様の所へなんか連れて行けないでしょう? それだけの事よ」
「アルディナ様? ……何か、あったんですか?」
繰り返し尋ねたルーヴァへ顔を向けて、リリスが肯定の意を表してこくりと頷いた。
「戦いの後、どこを探しても魔剣フロスティアが見当たらないの。それと……」
言葉を切ったりリスを訝しげに見つめるルーヴァの前で、リリスは緩く首を振って溜息をついた。
「シェリルの魂も、消えてしまったわ」
いつもと同じように太陽は昇り、そして沈む。己の下に広がる荒廃した世界など、気にも止めないまま。
天界を汚した毒々しい赤は雨に流され、動かなくなった体だけが冷たい石畳の上に散乱していた。広場に集められた天使たちの亡骸は女神の手によって輪廻の流れへと送り出され、彼らを弔う讃美歌が天界に絶え間なく響いていく。その歌を荒野の真ん中でひとり聞いていたルーヴァはやり切れない思いを胸に抱いたまま、瞳をきつく閉じて緩く首を振った。
はるか昔から続いていた光と闇の戦いは幕を下ろした。闇は光を覆う事が出来ずに消滅し、世界は再び平和を取り戻した。しかし、失ったものは決して少なくはない。
多くの天使たちが闇に飲み込まれていった。下界イルージュも、一部は激しい地震により大地がばっくりと引き裂かれている。生き残った天使たちも今回の避けられぬ戦いにひどく心を病み、一部のものは激しい憤りさえ感じていた。
失ったものは戻らない。ルーヴァたちに出来る事といえば、このような悲劇を繰り返さぬよう世界を静かに見守る事だけだった。
しかし、そう簡単に割り切れるものではない。誰かが犠牲にならなければ救えない世界、そんな話ではなかった。これはすべてを救う為に、それぞれが身を投じた戦いであったはずだ。誰かの死によって成り立つ世界ではなかったはずなのに。
それなのにシェリルは死に、カインは自我を失った。親しい者たちの無惨な結末にルーヴァは現実を呪い、知りうる限りの知識でそれを否定しようとしていた。
「こんな所にいたのね。探したわ」
頭上から届いた声に、ルーヴァが閉じていた瞳を静かに開く。荒れ果てた大地を映す悲しい瞳が、空から舞い降りたリリスを無感情に見つめていた。
「ここも緑の芽吹く大地になるそうよ」
荒野を見回してそう言ったリリスを一目見ただけで、ルーヴァはまた視線を遠くへ投げかける。瞳は何も映さない。何の音も拾えない。けれどルーヴァの細胞ひとつひとつが、昨夜の悲劇を彼の脳裏にありありと甦らせていく。
冷たく動かないシェリルの体。狂い泣き叫ぶだけのカイン。死を呼ぶカインの絶叫が、まだルーヴァの耳の奥で木霊しているようだった。
「リリス。……すみませんが、暫くひとりにしてくれませんか?」
曖昧な視線を遠くへ投げかけたまま、ルーヴァがリリスを見ずに小さく呟いた。その言葉にあからさまむっと眉をつり上げて、リリスは隣のルーヴァをぎろりと睨みつける。
「ルーヴァ、あなた私の事そこまで無神経な女だと思ってるの? 特別な用事じゃなかったら探しになんか来なかったわ。……誰だって、辛いんだから」
怒鳴るようなリリスの声音。そこにかすかな震えを感じて、ルーヴァが目を覚ましたようにリリスへと顔を向けた。辛いのはルーヴァだけではない。悲しみに浸り現実から逃げていた事を教えられ、ルーヴァは自分を強く恥じる。
出来る事はまだどこかに残されているはずだ。死んでしまった者の魂を呼び戻す事は、天使であろうと出来るものではない。けれど、閉ざされてしまった心に呼びかける事は出来る。心が完全に戻る事はないのかもしれない。しかしカインはまだ「生きて」いる。そこに僅かでも希望が残されているなら、ルーヴァたちはそれを簡単に放棄してはいけないのだ。
「すみません、リリス。……ありがとう」
「腑抜けた貴方をアルディナ様の所へなんか連れて行けないでしょう? それだけの事よ」
「アルディナ様? ……何か、あったんですか?」
繰り返し尋ねたルーヴァへ顔を向けて、リリスが肯定の意を表してこくりと頷いた。
「戦いの後、どこを探しても魔剣フロスティアが見当たらないの。それと……」
言葉を切ったりリスを訝しげに見つめるルーヴァの前で、リリスは緩く首を振って溜息をついた。
「シェリルの魂も、消えてしまったわ」
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