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第6章 新しい物語
狂神・4
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希望と絶望を胸に抱いて、ルーヴァははるか上空に現れたカインを見上げた。黒い瘴気を纏い、その全身は確認できなかったが、揺れる影の隙間からかすかに覗く、彼の持ち得ない色彩がルーヴァの目にははっきりと映っていた。
光の白。乙女を象る眩しい金。それがルーヴァの心を激しく急きたてていた。
(こんなのは貴方らしくないっ!)
ぎりっと歯を食いしばって、ルーヴァが目の前のカインを鋭い眼差しで睨みつけた。ルーヴァは戦士であった頃のカインを誰よりもよく知っている。どんな窮地に立たされてもカインは決して諦めず、いつも自力で道を切り開いてきた。自分に自信を持ち続けてきた彼が、弱音を吐く事は絶対にありえない。ましてや敵に屈するなど、問題外だったはずだ。それなのに。
目の前で惨めな姿を曝け出すカインに、ルーヴァは激しい苛立ちと切なさを感じてきゅっと唇を噛み締めた。
「カインっ! ……貴方はどこにいるんですかっ」
そう叫んでみるもののまったく反応しないカインの様子に、ルーヴァはいつもの冷静さを欠いて徐々に焦り始めた。
天界は崩壊する速度を緩めず、呪いの叫びは下界にまで影響を及ぼすだろう。唯一の希望であったシェリルは、カインの腕に捕われたまま身動きひとつしない。それが何より心配だった。
「カインっ!」
再度名を呼んで、ルーヴァは持っていた短剣のひとつをカインめがけて勢いよく投げつけた。カインの注意を引きつける為だけに投げられた短剣は、白い風を絡ませながら、まるで矢のように真っ直ぐ飛んでいく。その隙にルーヴァはカインの背後へと回り、彼からシェリルを奪い返すつもりだった。
カインであるならば、簡単に避けられるはずだった短剣。しかしそれは的を外す事なく、ルーヴァの思惑を無視して、カインの左腕に深く突き刺さった。
「なっ……」
驚いて目を見開くルーヴァの前でカインの中から金色の人影がずるりと滑り落ち、暗い空に投げ出された。
「あああああっ!」
シェリルを失い、カインの声が力を増す。その声にはっと我に返ったルーヴァは、カインの背後へ回ろうとしていた体を素早く方向転換させ、石のように落下していくシェリルの元へ急降下した。空中で何とかシェリルを捕まえたルーヴァは、その体の異様な冷たさにぎくんと震えて硬直する。
「……シェ、リル?」
完全に失われた熱。腕に感じる異常な重み。蒼白く凍った頬を、そして胸元を染め上げたおびただしい量の血痕。
「まさか……そんな。……シェリル。シェリルっ!」
強く名を呼んでも、返事はない。シェリルの状態を一目見ただけで、ルーヴァは医者として彼女の死を冷静に判断する。しかし、変わる事のない確かな現実が自分の腕の中にあっても、ルーヴァは息をしないシェリルの運命をすぐには認める事が出来なかった。
「……シェリルっ」
弱々しく名を呼んで、ルーヴァはぎゅっときつく目と閉じた。
(こんなっ……こんな事が……あっていい筈がないっ)
心の奥で叫びながら、ルーヴァは首を振る。カインの放つ異常な力。それがシェリルを失ったカインの悲しみによって暴走したものだと言う事を知り、ルーヴァの胸は痛いほどひどく締め付けられる。
シェリルが死に、カインが狂った。二人を救う方法は、もう何ひとつ残されていない。
(こんな結末っ……僕は認めない!)
「うああああっ!」
真後ろで、カインの絶叫が木霊した。はっとして振り返ったルーヴァの真横を、カインの腕が空振りする。
「カインっ?」
「あああああっ!」
カインは相変わらず叫び続けるだけだったが、その行動に僅かな変化が生じていた。シェリルを抱えたまま上空へ移動するルーヴァを追って、カインも空を駆け上がる。さっきは何をしても無反応だったカインが、シェリルを奪われただけで焦ったようにルーヴァへ飛び掛ってきた。まるで大切なものを奪われた子供のように激しく泣き叫びながら、必死になってシェリルを取り戻そうとする。
「カインっ! カイン……シェリルは、もう……」
その続きを口にするのは、例えルーヴァであっても躊躇われた。きっとカインには誰の言葉も聞こえないのだろう。けれど傷付いた彼を更に追い詰める言葉でしかないそれを、ルーヴァは喉の奥に押し込んで殺した。
「目を覚まして下さい、カイン! ……そんな貴方は見たくありませんっ」
今にも泣きそうな顔を向けて叫んだルーヴァが、カインの腕を難なく避けて身を引いた。その距離を慌てて縮めようとしたカインの目の前、視界からルーヴァとシェリルを覆い隠すようにして現れた金色の風が、完全にカインの行く手を遮った。
「――――すまぬ、ルシエル」
声と共に、澄んだ鈴の音が暗い夜空に響き渡る。
――瞬間。大きく見開かれたカインの瞳の中で、アルディナが手にした聖杖を勢いよく振り下ろした。
――――りぃん。
物悲しい鈴の音が聞こえていた。ずっと……ずっと遠くから。
俺を戒めるように、鳴り響いていた。
激しく降り続いていた雨は、小雨に変わっていた。雨をどれだけ吸っても決して潤う事のない荒野の真ん中に、紫銀のルーテリーヴェが突き刺さっていた。
雨に濡れ、涙を流すその聖杖は、狂った神の胸を貫いて、彼の体を荒野に留める枷となる。
天界は、異様な静けさに包まれていた。
聖杖に胸を貫かれたまま、カインは荒野の真ん中に横たわっていた。聖杖に力を奪われ、声はもう出ない。体も動かない。ただ双眸だけが、虚ろに空を見上げていた。
彼を殺す為ではなく、その叫びを止める為に用いられた銀の聖杖。しかし「カイン」はもう二度と目を覚ます事はなかった。
闇との戦いの末に残ったものは、崩壊を免れた天界と傷付いた天使たち。
そして、抜け殻のようになってしまった、かつての闇の王カインだけだった。
光の白。乙女を象る眩しい金。それがルーヴァの心を激しく急きたてていた。
(こんなのは貴方らしくないっ!)
ぎりっと歯を食いしばって、ルーヴァが目の前のカインを鋭い眼差しで睨みつけた。ルーヴァは戦士であった頃のカインを誰よりもよく知っている。どんな窮地に立たされてもカインは決して諦めず、いつも自力で道を切り開いてきた。自分に自信を持ち続けてきた彼が、弱音を吐く事は絶対にありえない。ましてや敵に屈するなど、問題外だったはずだ。それなのに。
目の前で惨めな姿を曝け出すカインに、ルーヴァは激しい苛立ちと切なさを感じてきゅっと唇を噛み締めた。
「カインっ! ……貴方はどこにいるんですかっ」
そう叫んでみるもののまったく反応しないカインの様子に、ルーヴァはいつもの冷静さを欠いて徐々に焦り始めた。
天界は崩壊する速度を緩めず、呪いの叫びは下界にまで影響を及ぼすだろう。唯一の希望であったシェリルは、カインの腕に捕われたまま身動きひとつしない。それが何より心配だった。
「カインっ!」
再度名を呼んで、ルーヴァは持っていた短剣のひとつをカインめがけて勢いよく投げつけた。カインの注意を引きつける為だけに投げられた短剣は、白い風を絡ませながら、まるで矢のように真っ直ぐ飛んでいく。その隙にルーヴァはカインの背後へと回り、彼からシェリルを奪い返すつもりだった。
カインであるならば、簡単に避けられるはずだった短剣。しかしそれは的を外す事なく、ルーヴァの思惑を無視して、カインの左腕に深く突き刺さった。
「なっ……」
驚いて目を見開くルーヴァの前でカインの中から金色の人影がずるりと滑り落ち、暗い空に投げ出された。
「あああああっ!」
シェリルを失い、カインの声が力を増す。その声にはっと我に返ったルーヴァは、カインの背後へ回ろうとしていた体を素早く方向転換させ、石のように落下していくシェリルの元へ急降下した。空中で何とかシェリルを捕まえたルーヴァは、その体の異様な冷たさにぎくんと震えて硬直する。
「……シェ、リル?」
完全に失われた熱。腕に感じる異常な重み。蒼白く凍った頬を、そして胸元を染め上げたおびただしい量の血痕。
「まさか……そんな。……シェリル。シェリルっ!」
強く名を呼んでも、返事はない。シェリルの状態を一目見ただけで、ルーヴァは医者として彼女の死を冷静に判断する。しかし、変わる事のない確かな現実が自分の腕の中にあっても、ルーヴァは息をしないシェリルの運命をすぐには認める事が出来なかった。
「……シェリルっ」
弱々しく名を呼んで、ルーヴァはぎゅっときつく目と閉じた。
(こんなっ……こんな事が……あっていい筈がないっ)
心の奥で叫びながら、ルーヴァは首を振る。カインの放つ異常な力。それがシェリルを失ったカインの悲しみによって暴走したものだと言う事を知り、ルーヴァの胸は痛いほどひどく締め付けられる。
シェリルが死に、カインが狂った。二人を救う方法は、もう何ひとつ残されていない。
(こんな結末っ……僕は認めない!)
「うああああっ!」
真後ろで、カインの絶叫が木霊した。はっとして振り返ったルーヴァの真横を、カインの腕が空振りする。
「カインっ?」
「あああああっ!」
カインは相変わらず叫び続けるだけだったが、その行動に僅かな変化が生じていた。シェリルを抱えたまま上空へ移動するルーヴァを追って、カインも空を駆け上がる。さっきは何をしても無反応だったカインが、シェリルを奪われただけで焦ったようにルーヴァへ飛び掛ってきた。まるで大切なものを奪われた子供のように激しく泣き叫びながら、必死になってシェリルを取り戻そうとする。
「カインっ! カイン……シェリルは、もう……」
その続きを口にするのは、例えルーヴァであっても躊躇われた。きっとカインには誰の言葉も聞こえないのだろう。けれど傷付いた彼を更に追い詰める言葉でしかないそれを、ルーヴァは喉の奥に押し込んで殺した。
「目を覚まして下さい、カイン! ……そんな貴方は見たくありませんっ」
今にも泣きそうな顔を向けて叫んだルーヴァが、カインの腕を難なく避けて身を引いた。その距離を慌てて縮めようとしたカインの目の前、視界からルーヴァとシェリルを覆い隠すようにして現れた金色の風が、完全にカインの行く手を遮った。
「――――すまぬ、ルシエル」
声と共に、澄んだ鈴の音が暗い夜空に響き渡る。
――瞬間。大きく見開かれたカインの瞳の中で、アルディナが手にした聖杖を勢いよく振り下ろした。
――――りぃん。
物悲しい鈴の音が聞こえていた。ずっと……ずっと遠くから。
俺を戒めるように、鳴り響いていた。
激しく降り続いていた雨は、小雨に変わっていた。雨をどれだけ吸っても決して潤う事のない荒野の真ん中に、紫銀のルーテリーヴェが突き刺さっていた。
雨に濡れ、涙を流すその聖杖は、狂った神の胸を貫いて、彼の体を荒野に留める枷となる。
天界は、異様な静けさに包まれていた。
聖杖に胸を貫かれたまま、カインは荒野の真ん中に横たわっていた。聖杖に力を奪われ、声はもう出ない。体も動かない。ただ双眸だけが、虚ろに空を見上げていた。
彼を殺す為ではなく、その叫びを止める為に用いられた銀の聖杖。しかし「カイン」はもう二度と目を覚ます事はなかった。
闇との戦いの末に残ったものは、崩壊を免れた天界と傷付いた天使たち。
そして、抜け殻のようになってしまった、かつての闇の王カインだけだった。
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