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第4章 光と闇の復活
祈りの翼・3
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「……シェリル」
自分を呼ぶ、消えそうなほど弱々しい声音に包まれて、シェリルは深い眠りからゆっくりと目を覚ました。
どれくらい眠っていたのだろう。窓の外へ目を向けたシェリルの視界が、一瞬にして真っ白に染め上げられた。そして次の瞬間、シェリルは懐かしい声を間近ではっきりと聞いた。
「シェリル」
ルシエルに戻り、闇に取り込まれたものと思っていた。もう二度と彼の声を聞く事はないと、諦めかけていた。純白に埋もれた紫銀の糸に、シェリルの瞳が大きく見開かれる。
「……うそ。……どうして」
「シェリル、どうした?」
鍵をかけていたはずの窓を開けて部屋の中に入ってきたカインは、いつもと変わらないあの笑みを浮かべてシェリルの側に近寄ってくる。ここにいるはずのないカインの存在にただ驚きながら、シェリルは怯えたように後退した。
「どうして、カインがここにいるの……っ?」
「何言ってんだよ。すぐ戻るって言っただろ?」
「でもっ!」
「何だ? お前、俺がちょっと遅れたからって怒ってんのか?」
何が起こったのか解らずに目の前のカインを呆然と見つめていたシェリルの体が、突然力強い腕に抱きしめられた。息が止まるくらい強く、かと思えば愛しさを伝えるように優しく髪を撫で下ろす。もう随分と長い間失っていたようなカインの感触が一気に甦り、シェリルは体中の力が抜けていくのを感じながら必死にカインへとしがみ付く。
強く握ったつもりの手が、震えていた。
「……カイン。本当に、カインなの?」
「ひとりにさせて悪かったな。もうこれからは、お前を苦しませたり悲しませたりしない」
心に強く響く声でそう言って、カインがもっと近くにシェリルの体を引き寄せて抱きしめた。背中にカインの強い腕を感じながら、シェリルは潤んできた瞳を閉じてそのままカインの胸元に頬をすり寄せる。懐かしいカインの匂いが、胸一杯に広がった。
「カイン!」
「お前を、何からも守ってやる」
すり寄せた頬に染み付いた、ねっとりとした熱。
懐かしい匂いに混ざった、鼻を突く異臭。
音をなくした、低いだけの声。
「なのに……――――お前は俺を殺すのか?」
ぱっと見開いたシェリルの瞳が、真紅に染まる。
「……――カ……イン?」
シェリルの白い頬を真紅に染めたのは、カインの胸からどくどくと溢れ出す鮮血の雨。その中心に見覚えのある銀の宝剣を見つけて、シェリルが喉から嗚咽を漏らす。
カインの胸を貫いた銀の宝剣。その柄をしっかりと握りしめている自分の手に気付いたシェリルが、声にならない叫びを上げた。
「いっ……いやあああっ!」
目を覚ますなり、弾かれたようにベッドから飛び起きた。痛いほど鳴り響く胸の鼓動を必死に押えながら、シェリルが未だかたかたと震える両手をきつく握りしめた。
頬に伝わる熱、手のひらに残る肉を裂いた感触、そのどれもが生々しくシェリルの中に甦る。
「……っ。何て夢!」
吐き捨てるように言いながらも、今のが完全に夢でよかったと胸を撫で下ろしたシェリルは、荒い呼吸を続けながら気持ちを紛らわせようと窓の外に目を向けた。
眠ってから時間はそう経っていないらしく、未だに天使たちが忙しく空を飛びまわっている。魔物との戦いによって命を落した仲間たちの亡骸を回収し、弔っているのだろう。
空を飛び交う天使たちが残す白い光の軌跡を何気に目で追っていたシェリルは、そのひとつが人気のない暗闇へ落ちていくのを見つけて妙な胸騒ぎを感じた。光が落ちて消えたのは、誰もが恐れて近付かない呪われた場所。
『あの砂漠は……ルシエルの墓だ』
『ルシエル?』
『闇に取り憑かれた、もうひとりの神だ』
シェリルの胸がどくんと大きく脈打った。体中の血がざわめき始める。
「……ルシエル」
まるで何かに導かれるように窓を開けたシェリルは、心が感じるままにすべてを内から解き放つ。それはシェリルの意識ではなく、受け継いだアルディナの力に眠るもうひとつの奇跡。
光と闇が反発しながら引き合うように、同じ血と血がシェリルを砂漠と化したルシエルの墓へ呼び寄せていた。闇より更に暗いその場所をじっと見つめたまま、シェリルが右手に剣を掴む。
「……夢のように……殺したりなんかしないっ」
シェリルはカインを望み、アルディナはルシエルの救済を望み、ルーヴァやセシリアたち天使は闇に脅かされない平和を望む。それは即ち、はるか昔に捕われた地界神を闇から解放すると言う事。
それぞれの思いはひとつに重なる。
「……――カイン」
誰よりも愛しい名前が唇から零れ落ちたその瞬間、シェリルの背中で純白の大きな翼が眠りから完全に解き放たれた。
自分を呼ぶ、消えそうなほど弱々しい声音に包まれて、シェリルは深い眠りからゆっくりと目を覚ました。
どれくらい眠っていたのだろう。窓の外へ目を向けたシェリルの視界が、一瞬にして真っ白に染め上げられた。そして次の瞬間、シェリルは懐かしい声を間近ではっきりと聞いた。
「シェリル」
ルシエルに戻り、闇に取り込まれたものと思っていた。もう二度と彼の声を聞く事はないと、諦めかけていた。純白に埋もれた紫銀の糸に、シェリルの瞳が大きく見開かれる。
「……うそ。……どうして」
「シェリル、どうした?」
鍵をかけていたはずの窓を開けて部屋の中に入ってきたカインは、いつもと変わらないあの笑みを浮かべてシェリルの側に近寄ってくる。ここにいるはずのないカインの存在にただ驚きながら、シェリルは怯えたように後退した。
「どうして、カインがここにいるの……っ?」
「何言ってんだよ。すぐ戻るって言っただろ?」
「でもっ!」
「何だ? お前、俺がちょっと遅れたからって怒ってんのか?」
何が起こったのか解らずに目の前のカインを呆然と見つめていたシェリルの体が、突然力強い腕に抱きしめられた。息が止まるくらい強く、かと思えば愛しさを伝えるように優しく髪を撫で下ろす。もう随分と長い間失っていたようなカインの感触が一気に甦り、シェリルは体中の力が抜けていくのを感じながら必死にカインへとしがみ付く。
強く握ったつもりの手が、震えていた。
「……カイン。本当に、カインなの?」
「ひとりにさせて悪かったな。もうこれからは、お前を苦しませたり悲しませたりしない」
心に強く響く声でそう言って、カインがもっと近くにシェリルの体を引き寄せて抱きしめた。背中にカインの強い腕を感じながら、シェリルは潤んできた瞳を閉じてそのままカインの胸元に頬をすり寄せる。懐かしいカインの匂いが、胸一杯に広がった。
「カイン!」
「お前を、何からも守ってやる」
すり寄せた頬に染み付いた、ねっとりとした熱。
懐かしい匂いに混ざった、鼻を突く異臭。
音をなくした、低いだけの声。
「なのに……――――お前は俺を殺すのか?」
ぱっと見開いたシェリルの瞳が、真紅に染まる。
「……――カ……イン?」
シェリルの白い頬を真紅に染めたのは、カインの胸からどくどくと溢れ出す鮮血の雨。その中心に見覚えのある銀の宝剣を見つけて、シェリルが喉から嗚咽を漏らす。
カインの胸を貫いた銀の宝剣。その柄をしっかりと握りしめている自分の手に気付いたシェリルが、声にならない叫びを上げた。
「いっ……いやあああっ!」
目を覚ますなり、弾かれたようにベッドから飛び起きた。痛いほど鳴り響く胸の鼓動を必死に押えながら、シェリルが未だかたかたと震える両手をきつく握りしめた。
頬に伝わる熱、手のひらに残る肉を裂いた感触、そのどれもが生々しくシェリルの中に甦る。
「……っ。何て夢!」
吐き捨てるように言いながらも、今のが完全に夢でよかったと胸を撫で下ろしたシェリルは、荒い呼吸を続けながら気持ちを紛らわせようと窓の外に目を向けた。
眠ってから時間はそう経っていないらしく、未だに天使たちが忙しく空を飛びまわっている。魔物との戦いによって命を落した仲間たちの亡骸を回収し、弔っているのだろう。
空を飛び交う天使たちが残す白い光の軌跡を何気に目で追っていたシェリルは、そのひとつが人気のない暗闇へ落ちていくのを見つけて妙な胸騒ぎを感じた。光が落ちて消えたのは、誰もが恐れて近付かない呪われた場所。
『あの砂漠は……ルシエルの墓だ』
『ルシエル?』
『闇に取り憑かれた、もうひとりの神だ』
シェリルの胸がどくんと大きく脈打った。体中の血がざわめき始める。
「……ルシエル」
まるで何かに導かれるように窓を開けたシェリルは、心が感じるままにすべてを内から解き放つ。それはシェリルの意識ではなく、受け継いだアルディナの力に眠るもうひとつの奇跡。
光と闇が反発しながら引き合うように、同じ血と血がシェリルを砂漠と化したルシエルの墓へ呼び寄せていた。闇より更に暗いその場所をじっと見つめたまま、シェリルが右手に剣を掴む。
「……夢のように……殺したりなんかしないっ」
シェリルはカインを望み、アルディナはルシエルの救済を望み、ルーヴァやセシリアたち天使は闇に脅かされない平和を望む。それは即ち、はるか昔に捕われた地界神を闇から解放すると言う事。
それぞれの思いはひとつに重なる。
「……――カイン」
誰よりも愛しい名前が唇から零れ落ちたその瞬間、シェリルの背中で純白の大きな翼が眠りから完全に解き放たれた。
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