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第4章 光と闇の復活
祈りの翼・2
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体中の血が逆流するようにざわめき始めた。
誰よりも憎しみながら、何よりも求めていたものが目を覚ます。
残酷な狂気に堕ちてまで手に入れたかった存在。触れる事すら許されない高貴なる光。彼女の亡骸を腕に抱く事を望みながら、それとは反対に彼女の復活を喜ぶ自分がいる事に気付いて、ルシエルは自分自身に嘲笑する。
「お前は我に会いたいか? ……会って、何を話そうか。アルディナ」
闇の彼方を愛しそうに見つめ、そこに思い描いたアルディナの姿へゆっくりと手を伸ばしたルシエルが、幻影をかき消すように強く拳を握りしめた。
「言葉は要らぬ。互いを傷付け合う武器さえあればいい」
「ルシエル様」
闇を揺らす静かな声と共に、じわりと広がる灰青の影がルシエルの前に形を成した。
「天界に結界が張られました。おそらく女神の仕業かと」
「そうか。どれだけ時を経てもなお、我を拒むか」
言いながらも面白そうにくっくっと声をあげて笑うルシエルを見て、ディランが不思議そうに眉を顰めた。目覚めてしまった宿敵に対しての恐れや不安が、今のルシエルにはまったくない。それどころか、待ちわびていたかのように喜びの表情さえ浮かべて見せる。彼の知らないもうひとりのルシエルが、そこにいるようだった。
「ルシエル様?」
「恐れる事はない。アルディナに我は殺せぬ。我がルシエルである限り、決してな」
「……」
「愚かな女だ。我を生かし、何を得ようとしていたのか。残るは絶望だけだと言うのに」
自分の胸に手をあてて、ルシエルが自分自身に語りかけるように囁く。
「お前も心配する事はない。アルディナは我がこの手で殺してやる。願った亡骸と共に朽ち果てるがいい。後は我がすべてを破壊し、世界を闇で埋め尽くそう」
さらりと滑り落ちた紫銀の髪が、ディランからルシエルの顔を覆い隠す。その髪の隙間から僅かに垣間見えたルシエルの瞳が滴り落ちる鮮血の色に煌いた事を、ディランは最後まで知る事がなかった。
「行くぞ、ディラン」
「どこへ?」
颯爽と立ち上がったルシエルは尋ね返してきたディランへちらりと視線を向けて、勝ち誇ったようににやりと笑みを零した。
「天界だ。我が半身は天界にある」
天界を優しく包んだ光の雨は傷付いた天使たちの体を癒し、あちこちに残る血痕や魔物の亡骸を浄化しながら大気に溶け込むように消えていく。宮殿の屋上で光の雨を体中に受け止めたセシリアも例外ではなく、血で汚れた衣服や使い果たしてしまった魔力、そして聖魔力によって失われつつあった生命までもがすっかり元通りに戻っていた。
「……アルディナ様……どうして」
見上げた空に光り輝く創世神。シェリルの協力なしに、女神の目覚めはありえない。しかしシェリルはセシリアがその手で下界へ送り返したはずだ。
「一体誰が……」
その答えは、セシリアの真後ろから返ってきた。
「姉さんっ!」
自分を呼ぶ声に後ろを振り返ったセシリアは、一目散に駆け寄ってきたルーヴァのその後ろで大きく肩を上下させながら息を切らしているシェリルを見つけて、驚いたように目を大きく見開いた。
「シェリルっ?」
「セシリアさん! 良かった、無事で」
そう言って抱きついてきたシェリルに、セシリアは自分たちと似たような気を感じて更に頭を混乱させた。
「えっと、ちょっと待って、シェリル。どうしてあなたがここにいるの? それにその剣……」
「これ……アルディナ様からお借りした、ルーテリーヴェなの」
「ルーテリーヴェっ?」
シェリルの言葉にセシリアが思わず大きな声をあげた。
ルーテリーヴェは女神アルディナにしか扱えない武器で、天地大戦後眠りについたアルディナと共に天界から姿を消した聖杖である。六つの飾り鈴はその音色だけで暗雲を吹き飛ばし、杖を一振りするだけで何千と言う魔物の大群を粉々に引き裂いたという伝説のルーテリーヴェ。
女神復活と共に行方知れずだったルーテリーヴェが現れる事はセシリアにも予想できたが、その聖杖をシェリルが持っていると言う事については何ひとつ理解できない。ましてやシェリルの手に握られたものは聖杖ではなく、銀色に輝く細身の長剣の姿だ。
「えっと」
首を傾げてルーヴァへと視線を移したセシリアだったが、ルーヴァも解らないと言うように肩を竦めて見せる。そんな二人を交互に見つめて、シェリルが覚悟したように深く息を吸い込んだ。
「あのっ! あのね、……二人に、話しておかなくちゃいけない事があるの」
自分の言葉に、シェリルの体がびくんと反応する。きゅっと唇を噛み締めたシェリルは、爪が皮膚に食い込むほど強く拳を握りしめた。
言わなくてはならない。シェリルがここに戻ってきた理由を。下界で何があったのかを。――ルシエルが本当は誰であるのかを。
「……闇の王と呼ばれていたルシエルが……――――復活したの」
シェリルの言葉に目を大きく見開いた二人が、驚きのあまり声すら失ってしまう。しかし、二人を驚かせる事実はこれだけではない。シェリルが本当に伝えたい事は、その後に続く言葉なのだ。
世界を恐怖に陥れた闇の王ルシエル。彼は女神によって永遠に封印されているものとばかり思っていたセシリアたちに、シェリルは更なる事実を告げなければならない。シェリル自身も口にしたくない、残酷な真実を。
「……どうか、驚かないで。彼は……ルシエルは……」
「シェリル」
突然割って入った声に、その場の誰もが空を見上げて息を飲んだ。
上空からゆっくりと降りてきた人物にルーヴァとセシリアは見惚れるように呆然とし、シェリルは言葉を遮られた事に対して意図が読めずに困惑する。
光を纏い輝く金の髪に続いて、白い素足が石畳の上に着地した。間近で見るアルディナは何者にも例える事の出来ない美貌と見るものを跪かせてしまう神々しさを放ち、ルーヴァとセシリアは天使の本能に操られるままその場に慌てて跪く。そんな二人を見て、アルディナが少し悲しげに微笑んだ。
「私にその資格はない。立ちなさい。あなたたちに話す事があります」
言われておずおずと立ち上がった二人ににっこりと笑いかけたアルディナが、その隣に立ち尽くしたままのシェリルを見て顔から静かに笑みを消す。
「シェリル、あなたは少し休んだ方がいい。慣れない力はあなたの体に大きな負担となる」
「え? ……でも、私」
「時は決して遅くはない。あれは必ずやってくる。その時が来るまで、ゆっくり眠りなさい」
優しい呪文のように言葉を紡ぎながら、アルディナはシェリルを見つめたまま静かに小さく頷いてみせた。
「これ以上、辛い思いをする必要はない。彼らには私からすべてを話そう。……気休めだが」
「アルディナ様」
シェリルを気遣って、セシリアたちにすべてを話す役目を引き受けてくれたアルディナ。創世神である彼女が自分を気にかけてくれた事を嬉しく思いながら、シェリルは同時にアルディナの心に潜んだ切なさを感じ取る。
本当はアルディナが一番辛い思いをしてきたに違いない。そう思いながらアルディナを見つめ返したシェリルは、その顔に精一杯の微笑みを浮かべて頭を下げた。
「……はい、ありがとうございます」
結界に守られ一時の安全を得た天界から光の雨が消失し、夜の闇が広がり始める。淡い光によってぼんやりと浮かび上がる残像のような天界の姿を、シェリルは月の宮殿の二階にある一室の窓から見下ろしていた。
窓辺に置かれた簡単な造りのベッドに腰かけたシェリルは、セシリアとルーヴァの事を思い出して視線を部屋の中へと引き戻す。アルディナに連れられてシェリルとは別の一階の部屋に向かった二人は、そこで辛い事実を知る事になるだろう。
アルディナの、弟ルシエルに対する思いを知り、シェリルの責任の重さを知り、そしてルシエルの正体を知った二人は、その後に一体何を思うのだろう。哀れなカインに情けをかけるのか……それとも。
いつのまにか恐ろしい事を想像していたシェリルが、自分の体の震えに驚いてはっと目を覚ました。心臓が破裂してしまいそうなほどに痛い。
「……大丈夫。きっと、大丈夫」
確信のない慰めの言葉を呟いて、シェリルはぎゅっと目を閉じた。
不安、恐怖、迷い、悲しみ、それらの感情が心を激しくかき乱そうとしていたが、知らない間に溜まっていた疲労がすべてを遠くへ押しやって、シェリルは一分も経たないうちに深い眠りの底へ堕ちていった。
誰よりも憎しみながら、何よりも求めていたものが目を覚ます。
残酷な狂気に堕ちてまで手に入れたかった存在。触れる事すら許されない高貴なる光。彼女の亡骸を腕に抱く事を望みながら、それとは反対に彼女の復活を喜ぶ自分がいる事に気付いて、ルシエルは自分自身に嘲笑する。
「お前は我に会いたいか? ……会って、何を話そうか。アルディナ」
闇の彼方を愛しそうに見つめ、そこに思い描いたアルディナの姿へゆっくりと手を伸ばしたルシエルが、幻影をかき消すように強く拳を握りしめた。
「言葉は要らぬ。互いを傷付け合う武器さえあればいい」
「ルシエル様」
闇を揺らす静かな声と共に、じわりと広がる灰青の影がルシエルの前に形を成した。
「天界に結界が張られました。おそらく女神の仕業かと」
「そうか。どれだけ時を経てもなお、我を拒むか」
言いながらも面白そうにくっくっと声をあげて笑うルシエルを見て、ディランが不思議そうに眉を顰めた。目覚めてしまった宿敵に対しての恐れや不安が、今のルシエルにはまったくない。それどころか、待ちわびていたかのように喜びの表情さえ浮かべて見せる。彼の知らないもうひとりのルシエルが、そこにいるようだった。
「ルシエル様?」
「恐れる事はない。アルディナに我は殺せぬ。我がルシエルである限り、決してな」
「……」
「愚かな女だ。我を生かし、何を得ようとしていたのか。残るは絶望だけだと言うのに」
自分の胸に手をあてて、ルシエルが自分自身に語りかけるように囁く。
「お前も心配する事はない。アルディナは我がこの手で殺してやる。願った亡骸と共に朽ち果てるがいい。後は我がすべてを破壊し、世界を闇で埋め尽くそう」
さらりと滑り落ちた紫銀の髪が、ディランからルシエルの顔を覆い隠す。その髪の隙間から僅かに垣間見えたルシエルの瞳が滴り落ちる鮮血の色に煌いた事を、ディランは最後まで知る事がなかった。
「行くぞ、ディラン」
「どこへ?」
颯爽と立ち上がったルシエルは尋ね返してきたディランへちらりと視線を向けて、勝ち誇ったようににやりと笑みを零した。
「天界だ。我が半身は天界にある」
天界を優しく包んだ光の雨は傷付いた天使たちの体を癒し、あちこちに残る血痕や魔物の亡骸を浄化しながら大気に溶け込むように消えていく。宮殿の屋上で光の雨を体中に受け止めたセシリアも例外ではなく、血で汚れた衣服や使い果たしてしまった魔力、そして聖魔力によって失われつつあった生命までもがすっかり元通りに戻っていた。
「……アルディナ様……どうして」
見上げた空に光り輝く創世神。シェリルの協力なしに、女神の目覚めはありえない。しかしシェリルはセシリアがその手で下界へ送り返したはずだ。
「一体誰が……」
その答えは、セシリアの真後ろから返ってきた。
「姉さんっ!」
自分を呼ぶ声に後ろを振り返ったセシリアは、一目散に駆け寄ってきたルーヴァのその後ろで大きく肩を上下させながら息を切らしているシェリルを見つけて、驚いたように目を大きく見開いた。
「シェリルっ?」
「セシリアさん! 良かった、無事で」
そう言って抱きついてきたシェリルに、セシリアは自分たちと似たような気を感じて更に頭を混乱させた。
「えっと、ちょっと待って、シェリル。どうしてあなたがここにいるの? それにその剣……」
「これ……アルディナ様からお借りした、ルーテリーヴェなの」
「ルーテリーヴェっ?」
シェリルの言葉にセシリアが思わず大きな声をあげた。
ルーテリーヴェは女神アルディナにしか扱えない武器で、天地大戦後眠りについたアルディナと共に天界から姿を消した聖杖である。六つの飾り鈴はその音色だけで暗雲を吹き飛ばし、杖を一振りするだけで何千と言う魔物の大群を粉々に引き裂いたという伝説のルーテリーヴェ。
女神復活と共に行方知れずだったルーテリーヴェが現れる事はセシリアにも予想できたが、その聖杖をシェリルが持っていると言う事については何ひとつ理解できない。ましてやシェリルの手に握られたものは聖杖ではなく、銀色に輝く細身の長剣の姿だ。
「えっと」
首を傾げてルーヴァへと視線を移したセシリアだったが、ルーヴァも解らないと言うように肩を竦めて見せる。そんな二人を交互に見つめて、シェリルが覚悟したように深く息を吸い込んだ。
「あのっ! あのね、……二人に、話しておかなくちゃいけない事があるの」
自分の言葉に、シェリルの体がびくんと反応する。きゅっと唇を噛み締めたシェリルは、爪が皮膚に食い込むほど強く拳を握りしめた。
言わなくてはならない。シェリルがここに戻ってきた理由を。下界で何があったのかを。――ルシエルが本当は誰であるのかを。
「……闇の王と呼ばれていたルシエルが……――――復活したの」
シェリルの言葉に目を大きく見開いた二人が、驚きのあまり声すら失ってしまう。しかし、二人を驚かせる事実はこれだけではない。シェリルが本当に伝えたい事は、その後に続く言葉なのだ。
世界を恐怖に陥れた闇の王ルシエル。彼は女神によって永遠に封印されているものとばかり思っていたセシリアたちに、シェリルは更なる事実を告げなければならない。シェリル自身も口にしたくない、残酷な真実を。
「……どうか、驚かないで。彼は……ルシエルは……」
「シェリル」
突然割って入った声に、その場の誰もが空を見上げて息を飲んだ。
上空からゆっくりと降りてきた人物にルーヴァとセシリアは見惚れるように呆然とし、シェリルは言葉を遮られた事に対して意図が読めずに困惑する。
光を纏い輝く金の髪に続いて、白い素足が石畳の上に着地した。間近で見るアルディナは何者にも例える事の出来ない美貌と見るものを跪かせてしまう神々しさを放ち、ルーヴァとセシリアは天使の本能に操られるままその場に慌てて跪く。そんな二人を見て、アルディナが少し悲しげに微笑んだ。
「私にその資格はない。立ちなさい。あなたたちに話す事があります」
言われておずおずと立ち上がった二人ににっこりと笑いかけたアルディナが、その隣に立ち尽くしたままのシェリルを見て顔から静かに笑みを消す。
「シェリル、あなたは少し休んだ方がいい。慣れない力はあなたの体に大きな負担となる」
「え? ……でも、私」
「時は決して遅くはない。あれは必ずやってくる。その時が来るまで、ゆっくり眠りなさい」
優しい呪文のように言葉を紡ぎながら、アルディナはシェリルを見つめたまま静かに小さく頷いてみせた。
「これ以上、辛い思いをする必要はない。彼らには私からすべてを話そう。……気休めだが」
「アルディナ様」
シェリルを気遣って、セシリアたちにすべてを話す役目を引き受けてくれたアルディナ。創世神である彼女が自分を気にかけてくれた事を嬉しく思いながら、シェリルは同時にアルディナの心に潜んだ切なさを感じ取る。
本当はアルディナが一番辛い思いをしてきたに違いない。そう思いながらアルディナを見つめ返したシェリルは、その顔に精一杯の微笑みを浮かべて頭を下げた。
「……はい、ありがとうございます」
結界に守られ一時の安全を得た天界から光の雨が消失し、夜の闇が広がり始める。淡い光によってぼんやりと浮かび上がる残像のような天界の姿を、シェリルは月の宮殿の二階にある一室の窓から見下ろしていた。
窓辺に置かれた簡単な造りのベッドに腰かけたシェリルは、セシリアとルーヴァの事を思い出して視線を部屋の中へと引き戻す。アルディナに連れられてシェリルとは別の一階の部屋に向かった二人は、そこで辛い事実を知る事になるだろう。
アルディナの、弟ルシエルに対する思いを知り、シェリルの責任の重さを知り、そしてルシエルの正体を知った二人は、その後に一体何を思うのだろう。哀れなカインに情けをかけるのか……それとも。
いつのまにか恐ろしい事を想像していたシェリルが、自分の体の震えに驚いてはっと目を覚ました。心臓が破裂してしまいそうなほどに痛い。
「……大丈夫。きっと、大丈夫」
確信のない慰めの言葉を呟いて、シェリルはぎゅっと目を閉じた。
不安、恐怖、迷い、悲しみ、それらの感情が心を激しくかき乱そうとしていたが、知らない間に溜まっていた疲労がすべてを遠くへ押しやって、シェリルは一分も経たないうちに深い眠りの底へ堕ちていった。
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